第五話『前触れ』
師匠がいなくなって330日目。タークが来てから90日目。
今日はタークと裏庭の選定をして、香辛料を採った。そのあとわたしは陸海月を狩って来て、タークはうさぎと魚を捕まえてきた。だからごはんは豪華だった。うさぎの多すぎた分は干し肉にした。まだだいぶ先だけどいずれ冬が来るので、今から少しずつ備える。
タークは練習の成果が実って、ついに今日簡単な魔法が発動した! クルミの殻くらいのかわいい小石を作ったタークは、すごくうれしそうだった。私も頑張ろうと思って、最近は魔法の練習を増やした。タークは流石に炎の魔法や水の魔法は使えなさそうだと言って残念がっていたけど、わたしだってそういう魔法を使えるようになるのには結構修行したよ。
師匠がいなくなって331日目。タークが来てから91日目。
タークが水鳥を捕って来て捌いてくれた。タークはいろいろ特技があるけど、狩りは趣味らしい。陸海月なんかの魔物はちょっと魔法でも使わないと狩れないけど、鳥とかうさぎはよく捕って来てくれる。最近、いままで捨てていた陸海月の皮が食べられることに気付いた。
皮を天日で1週間くらい干しておくと、お米の固まったやつみたいに透明でカチカチになる。これを茹でると、プルプルした不思議な食べものになる。この間サラダに入れてみたらおいしかった。
この間、タークと周りを探検した時に見つけた洞窟で、ちょっと珍しい花を見つけたから師匠の図鑑で調べたら、魔法薬を作る時に使う『シオバナ』という草だった。あと、マンドラゴラも生えていた。……ひょっとしてあの洞窟が私の故郷なのかな?
師匠がいなくなって332日目。タークが来てから92日目。
感慨深い。今日の日記を書いたら、師匠にもらったこの本は終わり。新しい日記帳はもう作ってある。タークが紙を綴じて作ってくれた。師匠のくれたこの日記帳ほど立派じゃないけど、タークのも味があって、なかなか上等。明日からあっちに書くのが楽しみ。
今日は雨だったので家仕事。タークの煙草を作り足した。わたしのオリジナル配合で、いろいろなハーブとか薬草も入れてあるから、喫っただけでけっこう気分が良くなるはずだ。実は最近のわたしの煙草にはタバコの草はほとんど入っていない。一度自分で喫ってみたら、あまりいい香りではなかったからだ。あと、練習をかねて煙草の中に魔法陣が書いてある。
師匠もよく私のものに色々な魔法陣を書いてくれた。意味は分からないのがほとんどだったけど、きっとわたしがタークに書いたような意味があったんじゃないかな。
さて、もうちょっとで最後の行だ。ありがとう日記帳。もう毎日は会えないかもしれないけど、これからも大事にしまって、時々開くから寂しがらないでね。
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「はー、終わった! すごいな、我ながらよく書いたもんだなー」
エコはそう独り言を言って、日記帳をぱらぱらめくった。エコは長い文章を書くのが苦手だったが、およそ330日分ともなると、結構な量になる。
「途中までは1年以上かかると思ったけど、タークが来てから1日分が長いねー、やっぱり」
タークは知らないことだが、エコは自分の部屋ではしょっちゅう独り言を言う。タークは今ごろ台所の部屋で、寝息を立てているだろう。エコの方が眠るのは遅く、起きるのはタークより早い。
とはいえ、エコが起きて物音がするとタークはすぐに目覚めて起き出すので、少しの差である。
「タークの日記に書くの楽しみだなー」
師匠の日記がもうすぐ終わる、とタークにもらすと、タークはその日のうちに新しい日記帳を作ってくれた。
タークの日記帳は師匠のものとは装丁が違う。師匠のものは紙を紐でまとめた後、裏をのりで止めて表紙をつけてあるタイプで、表紙と裏表紙には立派な厚紙が使われており、全体的に重厚な印象を与える。
それに対してタークの日記帳は紙に穴を開けて紐を通して纏めてあるだけの質素なものだったが、細部まで丁寧に作りこまれ、独特の存在感がある。タークが作った日記帳の、少しざらっとした触り心地が、エコは気に入っていた。
「それじゃあ寝るかー。明日は何しようかなあー」
そう言うと、エコは干したばかりのシーツの上に倒れこみ、蛍玉を消した。
「今日もタークと探検したから疲れたな」
探検は、最近エコとタークの間で流行っている遊びだ。遊びとはいえ、途中でうさぎの巣を見つけたり、薬草の群生地を見つけたり、なにかの遺跡を発見したりと、有意義な成果も上げている。
「楽しかったな……。タークが居てよかった……」
そう呟いて、エコは眠りに就いた。
その晩、エコはタークと一緒に探険に行く夢を見た。うさぎを追いかけて巣穴に入ると、そこにはなんと師匠が住んでいて、三人で一緒に住むことになった。楽しくて幸せな気持ちだったが、師匠とタークが仲良くあやとりをしているのを見て、エコはこれが夢なんだと気付いてしまった。
翌朝、いつも通りエコがタークより少し早く目が覚めると、エコはすこし寒気を感じて部屋の隅にある引き出しからカーディガンを取り出し、寝巻の上に羽織った。頭にバンダナを巻くと、部屋から出て廊下を歩く。
「タークまだ寝てるかな?」
エコが扉を開けて台所の部屋に入ると、タークのいびきが聞こえてきた。そういえば、初めてタークがあそこに寝ていた時、扉を開けると同時にタークがベッドから落ちて、どすんという音を立てたっけ。あれは可笑しかったなぁ……ふとそんなことを思い出して、エコは微笑んだ。
眠っているタークの脇を通って外に出ると、エコはオークの葉が風にそよぐ音を聞きながら、深く息を吸った。
もう、景色はすっかり秋の朝。少し湿り気を帯びたひんやり冷たい空気が、エコの身体の端々にまでに行きわたる。朝焼けの太陽の光がエコの頭を照らすと、エコはうなるような声を出して、大きく伸びをした。
朝焼けはまろやかですっぱく、昼は味が濃いけれど、少し辛い。
マンドラゴラのエコにとって髪の毛は葉にあたる部分なので、日の光を浴びることは人間で言う食事に近い意味合いがある。エコの髪の毛に日が当たる感覚は、強いて言えば人間の味覚に近い。
そのまましばらく酸味のある日光を浴びてぼーっとしていると、家の中でタークが起きたらしい物音がした。エコはそのまま家の隣にある畑に行って適当に野菜を収穫すると、朝食を作るため部屋に戻った。
二人が朝食を食べ終わると、タークが一服しながらふとこう言った。
「なにか昨日と変わった気がしないか?」
「そうかな?」
「空気が違う。秋になってきたからか?」
「そうじゃない? 今朝ちょっと寒いよ。日差しも弱くなってきたし。昨日雨が降ったからさ、それで……」
季節が変わったんじゃない、と言おうして、エコがふと時節計を見る。エコが違和感に気付いた。
「ターク……。見て、あれ。なんかおかしくない?」
タークも時節計を見た。
「時節計が……。灰色? 色味が無くなってる……」
エコとタークは同時に席を立って、時節計の前に行った。
「なんでだろう……。」
エコが心配そうに首をかしげる。
「変な天気になるって事か? 雪とか雹とか」
「ん~……」
確かに、エコは雹の時に時節計を見たことはなかった。タークの言うことももっともに聞こえる。だが、エコの心の靄は晴れなかった。
「そうか、……晴れてるけど、これから降るのかな」
この時はひとまずそういう結論に落ち着いて、席に戻って食後のお茶にした。
二人は一応悪天候を警戒して外仕事はせず、午前中は家の中で繕いものや料理をしていた。しかし一向に天気が変わる様子はなく、相変わらずの秋晴れが空の果てまでのんびりと続いている。
タークが「ちょっと外を見てくる」と言って外に出る。
「いってらっしゃい」
エコは畑で使っている手袋を繕う仕事に戻った。
少し経つと、外からタークが「おい!」とエコに声をかける。エコが扉を開けて外へ出た。
「あれ……、人だよな。もしかして――あれが師匠……」
「えっ!!」
エコは嬉しさのあまり飛び上がり、精一杯背伸びをしてそちらを見ようと努めた。
二人が見ている東側の山から、男性らしき人影が歩いて来る。だが、逆光のせいでよく見えなかった。やがてその人影が遠くから手を振ってきたので、エコも振り返した。
「お~~い!」
そうして近づいてきたのは、全く知らない男だった。大きなバックパックを背負って、頭には鍔のない帽子を被り、ずいぶん厚着している。少しだけ覗く素肌は、黒く日焼けしていた。年齢は見た感じ30歳くらい。
男は奇妙な訛りのある口調で、タークに話しかけてきた。
「いやー、どうもどうも。この家の旦那さんで?」
タークはすこし怪しむ素振りを見せながら答えた。
「違う。この家の主は不在で、私はこの子と一緒に住む保護者だ」
エコはタークの発言にびっくりしたが、タークに任せたほうがいいと思い、黙っていた。
「ああー、そうなんでっか。わたくしゃークリノッケって名で。行商人しとります。なんか入用でもあるんやないかと思って、寄ってみました」
クリノッケと名乗る男が言った。
「そういうことか。いや、すまん、ここに人が来ることはなかなか無くてな……。行商とはいっても、家には金がないんだ。まあ、とりあえず上がって茶でもどうだ? いいか? エコ」とターク。
「もちろんいいよ! 上がって、クリノッケさん」
とりあえず初対面の人には『さん』をつけておけというタークの忠告に従って、エコはクリノッケを家の中に促す。
「ありがとうお嬢さん。じゃあちょっとお邪魔して」
クリノッケはこうした対応に慣れているらしく、遠慮するでもなく家に上がった。
エコがお茶を淹れている間、クリノッケとタークは外の話をしていた。石の町がどうとか、王都で何があったとかいう話は、エコには分からない。お茶が入ったので二人に出す。
「どうぞ、ハーブティーに香辛料をちょっと入れたお茶よ」
「ありがとさん、お嬢ちゃん」
「ありがとう」
それからエコは自分のお茶を淹れて、テーブル脇に立った。この家に椅子は2脚しかない。
「ああ、お嬢ちゃんすまんな。立たせてしもて。それでタークさん、なんかご入用のものはありまへんか。物々交換でもいいですに」
「いや……この家にあるものは、さっきも言ったように主人が不在だからほとんど応じられないんだ。それに、二人で暮らしは間に合っている」
タークがきっぱり言うと、クリノッケは少し残念そうだったが、持ち前の商人根性がそれで絶えた訳ではないらしかった。極めて自然に、目ざとく部屋を見回している。
「左ぁー様ですかあ~~。しかし折角こんなおいしいお茶を頂いたんだ、行商人としてはこの恩は商品で返しまっせ。でや、この地図をあげましょ。この間国の領土が広まったんで、お役に立ちますれば」
「ほう、本当だ、国の形が変わっているな」
クリノッケとタークはそれからいろんな町の話をしたり、いろんな商品の話をしたりと、歓談した。
エコは横で楽しそうに二人の会話を聞いており、時々は質問もした。そのたびにクリノッケが親切に答える。それから結局、クリノッケはエコに誘われて昼食を食べることになった。
「なんですか!? これ、やたら旨いでっけど。不っ思議な食感やなあ」
クリノッケが、昼食のサラダに入っていた陸海月の皮を干したものを食べて驚きの声を上げる。
「あ、それね、陸海月の皮だよ。さんざん干してから塩抜きして茹でると、こういう食べ物になるの」
「あの魔物でっか!! あれ、食えるんですな。こらあいい事聞いたで。このアイデア売っていただけまへんか? あんたらが使う予定なかったらやけども」
「いいよ? クリノッケさんも料理好きなの?」
「ああいや、商品化したら意外なもんや、これは売れると思いましてな。エコちゃんが今後使うんでしたら、もちろん結構ですで」
エコは話がよく分からなかったが、とにかく作り方が知りたいということなので、作り方を詳しく教えた。
「あ、ではお代はこれでええかな? ちょっと安いやろか」
そう言ってエコに1万ベリル金貨を差し出した。エコはようやく、これで訳が分かった。
「ああ、いいよお金なんて!」
すると即座にクリノッケが返す。
「あきまへん。タダはダメです。作り方を聞いてしまった以上、どうしてもこれだけは受け取って下さいましな」
クリノッケはそう言ってエコの目の前に金貨を置き、財布の蓋を閉めた。
食後にタークとクリノッケが一服していると、クリノッケはタークのタバコに興味を持ち、何本か交換した。お茶を淹れているエコに聞えないよう、タークがクリノッケに何事か耳打ちした。そのあと二人が笑いあうのを見て、エコは会話の内容が気になったが、結局聞かなかった。
クリノッケはお茶を飲むと、そのまま次の行商に向かっていった。エコは千切れるほど手を振って、クリノッケの背中を見送った。
そうしている間も、依然として時節計は灰色のまま色が変わる様子はなかった。
更に夜になってからエコが夕食を作ろうと部屋の明かりを点けようとすると、蛍玉がなかなか明るくならなかった。こんなことは初めてだ。
「なんで~~?? えいっ、はっ! ああ、点いた点いた。調子悪いね、時節計といい」
「どうしたんだろうな……。寿命か? 魔導具が壊れるってどんな場合なんだ?」
タークはそう言って、師匠の部屋から持ってきた『作ろう試そう発明しよう!魔導具の作り方』という本を開いた。エコは蒸し器に水を注いで、火にかけた。
今日の夕飯は蒸し野菜のサラダと草粥、うさぎの漬物、ネギのスープ。スープと草粥は味付けも済んでおり、あとは野菜を蒸してドレッシングを作って、漬物を切れば夕食が出来る。ネギのいい香りが、部屋中に漂っていた。
「エコ、ちょっと来てここ見てみろ」
本を読んでいたタークが唐突にエコを呼ぶ。エコは漬物を切ろうとしていた所だったので、ナイフをまな板に置き、タークに近寄る。
「ここ……“魔導具が弱るのは、製作者の魔力が衰える、または命が危険にさらされた場合です”とある」
エコの背筋に悪寒が走った。力の無い声で呟く。
「師匠が……? 危ないってこと? うそ」
エコは急に脚の力が抜け、タークのそばに膝を突いた。必死でタークの膝に掴まる。身体に全く力が入らない。やがて全身が震え出した。
「いや、違う! 師匠ほどの魔導士が死ぬことなんてない。大丈夫だ、きっと大したことないさ。すぐ帰って来る」
タークが必死になってエコを励ましたが、エコにはほとんど聞こえていなかった。両目に涙が溢れたかと思うと、エコはそのまま大声で泣き出した。
「いや! やだよ! 師匠! うあ、うわああぁぁぁああぁあああぁああぁああ」
エコはタークの膝にしがみついたまま、感情に任せてわんわん泣いた。まるで、悲しみ以外の感情を失ってしまったようだった。
エコが泣いている間じゅう、タークは黙ってエコの頭を優しく撫でていた。
その日の夕飯は蒸し過ぎてくたくたになったサラダと、しょっぱいドレッシング、冷めた草粥、味の濃いネギのスープだった。エコはひとまず泣き止んで食卓に着いたが、ほとんど手をつけないままタークに連れられて自室に戻り、ベッドに入った。
頭の中を悲しみに支配されたエコは、ベッドの中でもずっと泣き続けていた。不安で、不安で、どうしようもない。師匠がもし本当に死んでしまっていたら、エコには頼るものが何も無くなってしまう。エコにとって、師匠を待つことだけが、生きる目的だった。それが無くなってしまったら、エコには何も無くなってしまう。
やっと寝付いた頃には、エコの涙で枕がびしょびしょに濡れていた。
その晩はタークも落ち着かない気分になり、なかなか寝付くことが出来なかった。3ヶ月続いた平穏な生活に取り返せない変化が訪れたことを、タークはなんとなく感じ取っていた。