第五十一話『“山”討伐作戦』
大抜擢された。
タークは緊張していた。大抜擢。タークの周りには、数多くの熟練ワーカー、マーカー達の群れが出来ている。目の前には巨大な採掘兵器・『階段橋』が聳え、その背後に“山”の巨影が落ちていた。
タークを含めた、ゴーレム採掘者たちの黒々とした一団が、“山”が繰り出す次の一歩を今か今かと待ち構えている。
今、先日の“山”対策会議において告げられた作戦が始まろうとしていた。精鋭ワーカーによる、“山”脚部の核破壊作戦だ。
本来なら、タークがこの精鋭陣の一人に数えられることなどありえない。今タークの周りを固めているのはワーカー歴十年、十五年という仕事盛りの職人ばかりで、素人に毛が生えた程度のタークとは、目つきからして違う。
それなのにタークがこの一団の末席に控えているのには、ある特別な理由があった。
タークとエコが所属する『カララニニア鉱掘業』から出す予定だった精鋭ワーカー六名のうち一人が“山”の歩行に巻き込まれて死んでしまい、「俺の代わりはタークにやらせろ」という遺言を遺したのだ。
なぜそんな遺言を遺したのかは分からない。いくらタークの崖登りが早いとは言え、タークの前に候補に上がる熟練のワーカーならば、カララニニアにも十人はいる。しかし長年ゴーレム採掘の仕事をしてきた熟練ワーカーの遺言には、そうした事情や理屈を曲げてしまう力があった。
“山”の登頂は責任重大である上に、死の危険が伴う仕事でもある。当然、最初にタークの意志確認がなされた。しかし、タークは話が来た時、二つ返事で了承した。
昨日死んだ男……。それはタークが『先輩』と呼び慕っていた、タークの居た班で、最年長の男だった。
(こうしてこの瞬間を迎えてみても、俺は先輩が何を考えてああ言ったのかわからん。だがあの人は時々、先を見てきたようにジャイアントのことを話す時があった……。となればきっと、“山”を打ち倒すのに俺が何かの役に立つということだろう)
緊張が次第に解け、自然に頭が回るようになってくると、タークはそういう考えに落ち着いた。
どうなるかは分からないが、自分が何かの役に立つなら、働かない手はない。この“山”というゴーレムは、常識外れに大きい。大きいという単純な力は、ちっぽけな人間たちにとっては恐ろしい武器になりえる。
人間が必死に築いたもの、文化の中心である街という構造物を、“山”は踏み壊そうとしている。“山”が【石の町 トレログ】を蹂躙するまでの二週間という期間が長いのか短いのか、タークにはまだ分からない。それよりも今。とにかく、今だ。
「今を精一杯働く……だけのことだ」
タークは決意した。なんとしても、【トレログ】に辿り着く前に“山”を倒す。もう、仕事だとか義務だとか、そんな次元の話ではない。あくまで個人の決意として、タークはそう誓った。
「歩くぞーっ!!!」
重苦しく漂う時間がその叫び声によって断ち切られると、黒々とした集団から、すさまじい雄叫びが上がった。
――――
“山”討伐計画一次レポート
報告者:カズナー・ケットセス
…………
第一日目
内容
“山”アタック、第一作戦開始。脚部へのワーカーアタック。
成果
脚部の核を四個破壊。
被害
軽傷者二名。重傷者なし、死者なし。
備考
頭部への登頂ルート確立。マーカーによる登頂補助器具増設作業は順調に進んでいる。
…………
第二日目
内容
“山”アタック第一作戦二日目。脚部へのワーカーアタック。
成果
脚部の核三個破壊。脚部の通常核は全て破壊するも、“山”進行速度の低下は見られず。
また、採掘兵器により“山”胸部の核を五個破壊。
被害
人的被害なし。『階段橋』二基が“山”歩行の際地裂に巻き込まれて損壊、修理の余地なし。
備考
脚部に、硬度、存在深度共に破壊が絶望視される特殊な核を発見。以下、“中核”と呼称する。
…………
第三日目
内容
“山”アタック第一作戦三日目。脚部へのワーカーアタック。
成果
通常核を三個破壊。“中核”への打撃も試みるが、破壊には至らず。
被害
アタックに伴い、転落などで二名死亡。むちうちなど軽傷者三名。『階段橋』三基が損壊。採掘兵器・『大弩』の弦が切れ、破損。修復困難。その際、重傷者が一名出る。
備考
脚部に加え、胸部、頭部に更に一つずつ、合計で三個の“中核”を確認。
…………
“山”討伐作戦三日目。
仕事終わりの【カララニニア鉱掘業】。時刻は夕暮れ時。窓から射し込む赤い光が、タークの顔面に深い影を落としていた。
「ターク……。“中核”はどうだった?」
タオルで汗を拭きながら、エコがタークに様子を聞く。
タークは今日、“山”の中腹で見つかった超高硬度の核、通称“中核”の破壊に参加していた。だが結果は思わしくなかったと、エコは聞いている。
疲労困憊のタークは、両肘を大股開きの膝に落としてがっくりとうなだれ、ベンチに全体重を預けていた。唇を開くのも一苦労と言った様子だ。ようやく呟く声は小さい。エコはタークの声を聞き逃すまいと耳を澄ませた。
「……ちょっと触ってみたが、あれは厳しい……。アイツの腰の窪みに深さが5レーン、幅が1.5レーンくらいの竪穴があって、そのいちばん奥にアホみたいに硬い結晶があるんだ……。屈めばなんとか穴には這入れるが、中で鶴嘴を使うことはとても出来ないし、かと言って普通のハンマーではとてもとても……」
「……そんなに硬いのか。……魔法でも、壊せるかな?」
エコが唇に人差し指を当てて考える。しかしタークは、残念そうに首を横に振った。
「脚部とは言え、腰に近い位置にあるから難しいと思う……。穴は深い……」
タークが力のない声でこぼす。それから何事か考え込むように、ぼそぼそと独り言を言う。
エコはタークを気遣い、体拭きを置いて水を渡してから、しばらくの間なにも言わなかった。しばらくの空白時間。
夕日が山影に入ると、周囲がまるで照明を落としたように暗くなる。コトホギが、燭台に火を点けて回っていた。
「……三日間お疲れさま。ターク、何日か休みでしょ? わたしも他のところの仕事はだいたい終わったから、明日はゆっくり過ごそうよ」
「ああ……」
タークが顔を上げずに言った。
…………
第四日目
内容
“山”アタック第一作戦最終日。脚部“中核”へのワーカーアタック。
成果
なし。
被害
アタックに当たっていたワーカー四名が転落死。巻き込まれて三名が重軽傷。
備考
“山”歩行速度上昇。市に甚大な被害が出ることが予想されるため、行政魔導士に出動を要請。
…………
第五日目
内容
“山”歩行速度の上昇により、“山”にワーカーを登頂させることが困難になった。八名の魔導士による攻撃を開始。
成果
頭部の核を三個破壊。確認出来る通常核は全て破壊が完了した。
被害
『大弩』四基が破損。うち二基は補修作業が終了。
備考
“中核”への攻撃について、今夜緊急会議を開催することが決定。
…………
緊急会議には、少数の鉱掘業幹部と、協会の理事会が出席した。
大テーブルに、眉間に深いシワを刻み込んだ老体が並ぶ。
「大弩の成果は?」
「直撃してもかすり傷ひとつつきかぬと。五基の大弩で計七十三射して、そのうち直撃は五十六」
「そうか……。魔導士による攻撃はどうだ? 決定打とはならぬか」
「八名のうち、四名の魔法は脚部の中核までしか届かぬらしい。命中精度も悪く、もっとも当たる魔導士エコの炎の魔法ですら、十発に三発当たれば幸いとのこと。距離にして70レーンほどのところにある核に、石を投げてぶつかるかぶつからないか……という話よ。そう考えるとよく当たる方じゃが」
「つまり現時点では、有効打となる攻撃手段がないってことか?……」
「試していない攻撃手段は、まだまだある。一応、行政魔導士にも協力要請はしてあるし、奥の手『槌塔』も、威力のある採掘兵器だ。こういうときはとにかく、あまり悲観的になりすぎないようにしないと。何事も諦めんことが肝要じゃ」
「ふ~…………。今後の対策と方針を、どうしようか」
「普通のワーカーアタックではもう無理じゃろう。死者を増やすばかり……。しかし、彼女たちの手にかかれば破壊も出来るのではありませんかな? ……ラブ・ゴーレムたちなら」
「う~む……。こうした荒事と無関係の彼女らにこういうことを頼むのも、なんだか、妙な気もするが……。今となっては遅い事だし、ここは変なこだわりを捨てんとな。では明日はあの四名に、“山”の攻略を依頼するとしましょう。丁度今日、手続きも済んだのだろう?」
こうして、ラブ・ゴーレムの出動が決まった。その知らせは文章になり、封筒に入って、翌日の朝には老舗ゴーレム宿『ゴーレムハレム』へと届いた。
「ウブスナ姐さーん、手紙来たよ~」
そう言いながら、小柄のラブ・ゴーレム、ヒキウスが『ゴーレムハレム』店舗内のラブ・ゴーレム控室に入ってきた。そこではちょうど、クシガリとウブスナが椅子に腰掛けて談笑していた。二人が笑顔の余韻を残しながら振り向く。
「はいっ! 姐さん宛」
「あらら、思ったより早かったわね」
ウブスナはすこし首をかしげながら、ヒキウスに差し出された手紙を受け取った。
「どっから?」
「ヒキウス、あんたまだ字が読めないの?」
ヒキウスの発言を揚げ足どってクシガリがからかうように言うと、ヒキウスはむくれ、
「字ぐらい読めるよっ!」
と口を尖らせた。
そのやりとりが交わされたほんの数秒の間に、ウブスナが手紙に目を通し終える。ゴーレム達の読書は早い。理解できる内容でさえあれば、一瞥するだけで読み終わってしまう。
「読んだわ。昨日トレログ市の認可が降りて、わたくし達の参加許可が出たそうよ。出勤は明日から。その間の予約客は、申し訳ないけど延期ということになるね。……悪いわねえ。明日は久しぶりに、アルクンセランさんの予約が入ってたのに……」
「ウブスナ姐さんってほんとに人気者だよね! あたしなんか、今月で予約が入ったの二回だけだよ」ヒキウスがふふっと笑う。
「包容力が求められる時代なのかね? アタシやヒキウスにあんまり客が偏らないのも自然の流れなのかもね」訳知り顔でクシガリが言う。
二人がそんな意見を述べると、余裕のある笑みをたたえながらウブスナが答えた。
「わたくしみたいに母性を売りにするものにお客さんがつくのは、トレログという都市が衰退期に入ったということで、あまり嬉しいことではないわねえ。母の愛に餓えた人が多くなってきているということは、街の活気が無くなってきてるって事でしょう。もしこの店がもっと若い都市にあったのなら、わたくしなんかには目もくれずに、あなた達みたいな若い子向けのゴーレムが大人気になるはずなのに」
「そうかねぇ?」
「あたし難しくてよくわかんない!」
ヒキウスがそう言って軽く笑う。
「バーカ」
合いの手のようにクシガリが毒づいた。
「なになにー? 三人そろってなんの話ー?」
そこにもうひとり、シャワーを浴びてきたラブ・ゴーレム、カムラルが加わってきた。特有ののんびりとした口調で、話の輪に加わる。
「ほーほーほー、ついにわたし達にお声がかかりましたか」
ウブスナが手紙の内容をもう一度伝えると、カムラルはのんきにそう言った。
「カムラル、ゴーレム狩りに行ったことある?」
ヒキウスが興味深そうに、カムラルの顔を覗き込む。
「あるわけないじゃありませんかヒキウスさん~。わたしは【内市】から出たことすらほぼないっつーのに。昨年製ですよわたし~」
カムラルが手のひらをぱたぱたと振りながら答えた。四人の中では、カムラルが最も新しい。生まれ順で言えば、最年長はウブスナで製後二十一年、続いてヒキウスが製後十三年、クシガリ五年、カムラルは昨年作られたばかりだ。
年齢で言えばウブスナが最年長ということになるが、人間で言う年齢とラブ・ゴーレム達の持つ年齢の概念とでは、著しい差異が存在する。
ラブ・ゴーレムの中に存在する年齢という概念は『設定年齢』といって、『自分自身が何歳の設定で作られたか』ということが全てだ。
彼女達の『設定年齢』は、ウブスナが三十から四十歳、ヒキウスが十五から十七歳、クシガリは二十代前半、カムラルは十八から二十歳といったところだ。
ラブ・ゴーレム達は設定に従って年齢、性格、外見などが決められ、それは生涯変わらない。
経てきた年月は知識や経験として保存されるものの、経験を元に性格が形成されていく人間と違って、その為に彼女らの性格や振る舞いに影響は出ない。
『アイデンティティ』や『個性』と呼べるものは彼女らにも存在するが、それはあくまでも“ラブ・ゴーレムとしての”という括弧つきだ。
「ねえ、わたしたちがゴーレム狩りに呼ばれたのって、マコトリ姐さんの代わりだって話ですけど、本当なんですか~?」
カムラルが言うと、マコトリの名に反応してクシガリの眉がつり上がった。
「ええそうよ、アイツはゴーレム狩りによく参加してたからね。コトホギさんとも仲がいいし、なにかと特別扱いされてるのよ」
「そうそう。今回に限ってマコトリ姐さんがおやすみ中だから、コトホギさんを通して協会から依頼があったって感じかな」
質問に答えていないクシガリの発言を補足するようにそう答えたのはヒキウス。カムラルが、今度はウブスナの方を向いて尋ねる。
「マコトリ姐さんって、ウブスナ姐さんより先輩だって聞いたんですけど~、本当ですか?」
「ええ、マコトリ姐さまが作られたのは、わたくしよりもうんと前よ。事細かには知らないけれど、マコトリお姐さまはラブ・ゴーレムの中でもかなり初期の作品だと聞いたわ」
ウブスナは笑顔になって言った。
「そっかー、すごいんだね、マコトリ姐さんって」
「古いからって、ギギルさまに逆らう権利はないわよ」
カムラルが素直に感心し、クシガリはふんっと荒い鼻息を吐く。ウブスナが更に言葉を継いだ。
「マコトリお姐さま、お具合悪そうだったわねえ……。余計な心配をかけないためにも、わたくしたちが頑張らないとね。コトホギさんのお立場もあることだし。このまま“山”なるジャイアントが街に接近すれば、境界魔法陣が壊れてしまうかもしれないっていう話だから」
「えーーーっ、それホント!!??」
ヒキウスが急に大声を出す。
「お客さんに聞いたのよ。結構、事態は重くなってるみたい」
「境界魔法陣が壊れるって……。いつの間にそんなにやばい事に」
クシガリも身を乗り出して驚く。カムラルだけが、一人ぽかんとした様子だ。
「分かんなそうな顔してんなカムラル! 境界魔法陣が壊れるってことは、魔物が【トレログ】に入ってくるってことだぞ! 作物は病気になったり荒らされるだろうし、人を襲うヤツもいるし……、入ってくる小型の魔物に釣られて大型の魔物が入ってきたら大変だよ! 街がなくなるかもしれないんだぞ!」
「げっ、それはやばい! お客さんが減る!!」
カムラルが驚き、遅れて焦りだす。ウブスナが変わらぬ様子で頷いた。
「ええ。わたくし達の大事なお客さん方を不幸にするわけにはいかないわ。でも、わたくし達の働き次第でそれが抑えられるかもしれないのよ。仕事を空けなければならないのは、常連さん達に悪いけれど……、人間の方たちを危ぶめるものを、わたくし達で力を合わせて、退けましょう」
ウブスナが眉を寄せて述べる。
ウブスナ、ヒキウス、クシガリ、カムラル……。不朽かつ強靭な身体を持つ四体のラブ・ゴーレムたちの表情が、きつく引き締まった。
……
第六日目
内容
“山”アタック第二作戦発動。脚部“中核”へのワーカーアタック(ラブ・ゴーレムによる)。
成果
なし。
被害
なし。
備考
“山”歩行速度、さらに上昇。『トレログ外壁』及び境界魔法陣の崩壊まで、およそ五日。
……
第七日目
内容
ラブ・ゴーレムによる脚部“中核”へのワーカーアタック、および魔導士による遠隔魔法攻撃。
成果
なし。
被害
『大弩』二十三基が消耗によって使用不能。修理には一週間ほどかかる見通し。
備考
『トレログ外市』より、住民の避難開始。ラブ・ゴーレムのアタックによって、脚部の“中核”が露出。
……
第八日目
内容
ラブ・ゴーレムによるワーカーアタック、および採掘兵器による攻撃、および魔導士による遠隔魔法攻撃。
成果
なし。
被害
“山”の歩行により、境界魔法陣の一部が破損。『大弩』十二基が消耗によって使用不能。修理は見送り。
備考
なし。
……
第九日目
内容
ラブ・ゴーレムによるワーカーアタック、および採掘兵器による攻撃、および魔導士による遠隔魔法攻撃。
成果
なし。
被害
なし。
備考
なし。
……
そして迎えた、第十日目。トレログの荒野を、一陣の熱風が吹き抜けていく。
濃密な砂塵に巻かれた“山”の巨影が、荒野の谷を塞いでいた。この十日間、人間の力をことごとく撥ねのけ、自然のなすがままトレログの街を荒野に還さんとする巨人。ただただ巨大な存在が谷間に屹立している姿は、神々しくも、禍々しくも思えた。
ジャイアント・ゴーレムの歩行速度は、トレログの街に接近するごとに早くなっている。まるで赤子が二本足で歩くことを覚えていくように、ジャイアント・ゴーレムの歩行も次第に危なげなく、確実なものにっていく。その結果かつて一時間に一度だった歩行は、今では十五分ごとに一歩の頻度で行われるようになった。
熱風が、もう一度吹く。辺りを包んでいた砂塵が押し流され、“山”の前方、およそ1200レーンの地点にある、魔法陣を彫刻した石材によって構築された高い壁……『トレログ外壁』の姿があらわになった。
【石の町トレログ】の正四角形の境界魔法陣……“山”の進路に位置するのはその四つ角の一つにあたる、とりわけ頑強に作られた部分だ。
だがしかし……、高い壁とは言ってもそれは人から見ての話で、頑強とは言っても、それは通常の自然災害に耐えられる程度のことに過ぎなかった。
歩くだけで地盤を捲り返すほどの質量を持つジャイアント・ゴーレムが接触すれば、きっと人が砂山を踏み潰すがごとくに、なんの意外性もなく粉砕されるだろう。
もはや作業員のみならず、熟練のワーカーやマーカーたちでさえも、ただただ“山”の歩行を眺めていることしか出来なかった。
“山”の歩行――熟練ワーカーでも岸壁に掴まったまま耐えることができないほどの激震――がかつての四倍もの頻度で行われるようになった今、“山”に登ることが出来るのは、あの四体のラブ・ゴーレム達ぐらいのものだ。
成果の上がらない魔導士たちの攻撃に望みがなくなり、頼みにしていた採掘兵器もほとんど破損して使えなくなった。生身の人間である彼らに出来ることは、もう無くなったといっていい……。希望がかかるのはただ一つ、ラブ・ゴーレムたちによるアタックだけという状況だった。自然、衆目は彼女たちに注がれる。
「クシガリ姐さん、使える鶴嘴持ってない?」
「ううん、こっちのは全部ダメになった。ヒキウスなんか随分前からずっと素手だ」
“山”の中腹、折れた鶴嘴を持ったカムラルとクシガリが、むき出しになった“中核”越しにヒキウスを見た。
「おらおらおらぁーー!! ……あ~っ、硬い~~っ!」
ヒキウスは裸の拳で繰り返し繰り返し“中核”を殴り続けている。石と石とがぶつかるような硬質な音が、断続的に響き渡る。だが普通の岩なら一撃で砕くほどの威力を誇るラブ・ゴーレムの拳でも、“中核”にはかすり傷一つつかない。
ウブスナ、ヒキウス、クシガリ、カムラルの四体は、五日前に参加してからというもの、夜も休むことなく“中核”への打撃を続けていた。深い竪穴の底にあったはずの“中核”がむき出しになっているのは、彼女らがその膂力をもって周囲の岩盤を削り尽くしたからだ。
四人が集中して“中核”への打撃を加えられるようになってから丸三日ほど経過したが、“中核”にはひとかけらのヒビも入っていない。“中核”は硬すぎて、折れ曲がるほどの勢いで鶴嘴を叩きつけても、表面に爪痕すら残すことが出来ないのだ。
「硬すぎでしょう~……。ほんっと、何なのこれ」
ため息とともに、カムラルが言う。カムラルはどんな時でも、のんびりとした口調を崩すことはない。
「もしかして……これ、単なる打撃じゃあ壊れないんじゃないのかしら? ……どうしましょう」
「だとしたら酷いね! ……あそこに見えるのが境界魔法陣の端っこでしょ? もう時間がないよ……。ここで止めなきゃ街が踏み潰されちゃう!」
「マコトリなら、何か知らないかな? ゴーレム狩りの名人なんでしょ」
「でも“中核”ってものは、新しく出てきたんでしょ~? 協会の人もこんなに硬いのは初めてだって。噂の姐さまでも知らないんじゃ~ないですか~」
「マコトリお姐さまがどこにいるのかも分からないし、ないものねだりしてる状況じゃないわ。とにかく、手段を考えてみましょ。……ここのをたとえ壊したとして、まだ胸と頭に一つずつあるというのですからね。大変よ」
それから、何時間もの時が経った。“山”の歩行は揺らぐことなく、何も変わらず繰り返された。
四体のラブ・ゴーレム達も、砂埃にまみれながらなりふり構わず攻撃を続けている。だが“中核”を破壊するどころか一筋の傷を入れることにすら至らず、そしてついに……。
「ターク、壊れるね……」
「ああ」
数百人の人間が、息を潜めて見守る中――、未曾有のジャイアント・ゴーレム“山”のつま先が持ち上げられ、石積みの壁の縁に、ゆっくりと触れようとしていた。
高さ12レーンほどの外壁は、隅々まで美しい彫刻と宝石で飾られた石の壁であり、下段を支える太い柱は、巨大な石英を巧妙に組み合わせて構成されている。
トレログ外壁は建造物というより芸術品と言ったほうが適切なのではないかと思えるほど、細部に至るまで職人たちによる細工で埋め尽くされた、脅威の建造物だ。しかも彫刻や彫金といった細工は、それが自然の力で摩耗するよりも早いペースで更新され続ける。
言ってみれば、街の職人全員参加の合作だ。
人間の文化は、芸術は、こんなものまで作れるのだ。……そういう誇りが、この街の境界魔法陣なのかもしれない。いや、まさしくそうに違いない。
内壁を構成する、巧妙に組み合わされた色とりどりのモザイクタイル。
外壁と内壁をつなぐ、手入れの行き届いた美しい並木道。
外市、内市に整然と並ぶ、工夫の凝らされた家の一棟一棟。
それらは職人たちのたゆまぬ努力、画陣魔導士の発想と魔力、たくさんの人々の思いや労働の力がなくては成り立たない。そしてその要素一つ一つが、【石の町トレログ】そのものを作り上げている。
境界魔法陣は人間の作った縄張りであり、ヒトにのみ作れる高度な文化を象徴するモニュメントであり、また同時に、自然の力に立ち向かうための祈りを込めた、巨大な護符でもある。
そして今、“山”の右足が、容赦なくそれに触れた。外壁に、“山”の持つとてつもない重みがゆっくりとのしかかる。――常識外れの質量を押し付けられて、たちまち基礎の下の土が沈み、柱がバランスを崩して倒れた。
次いで美しい彫刻の施された瓦礫が、砂埃を撒き散らしながら、激しい音と共に崩れ落ちていく。はめ込まれていた大量の宝石が、まるで大粒の涙のように七色に煌めきながらこぼれ落ちた。
そしてそれら全てをもと来た大地に還そうとでもするかのように、“山”の巨大な脚が踏みつけていく。その凄まじい衝撃は壁伝いに波及し、壁の左右およそ50レーンもの範囲に渡って、石壁をほろほろと崩れさせていった……。
人々は息を飲んで、その光景を見つめていた。深い絶望から、涙する者もあった。悔しさのあまり、熟練のワーカー達が拳を大地に叩きつけた…………。
これが、【石の町 トレログ】の堅牢な境界魔法陣が崩壊した瞬間の出来事だった。
その時――――
エコとタークは、“山”の足元にいた。
“山”の起こした砂埃に巻かれ、二人の姿は周囲から見えていない。
エコが、オレンジ色の眼差しをまっすぐに上に向ける。高い“山”の頂きは、麓からではとても見えない。切り立った崖のような脚部には登頂補助具と呼ばれる足場が設置されており、それは木の幹を這い登るアリの行列のように、岩壁を点々と登っていた。
「ターク、行こう」
エコがそう言うと、タークが応じて頷いた。もう、こうなったらエコを止めることは出来ない。タークは深く呼吸をした。心臓が高鳴っていたが、頭の奥は冷静そのものだった。
熱風がまた吹く。砂塵が風に巻かれ、吹き流れていく。そしてそれが収まった時、――エコの右脚が、一つ目の登頂補助具にかかった。




