第四十七話『 “山” 』
「社長、どうしたの……?」
エコが心配そうな顔をする。社長の顔は、夏の紺碧の空よりも青い。
「二日酔いだ!! はっはっは、気持ち悪い!」
顔面蒼白の社長が、元気の無い声で言う。ただしこの場合の『元気の無い』とはあくまで『社長としては元気がない』という意味であり、常人と比べれば十分元気そうだ。
「昨日の夜はどんだけ呑んだの?」
「まあ、大体樽みっつくらいか? そこで記憶が飛んだから後は知らん!」
「社長……死んじゃうよ」
エコが呆れる。【トレログ】で主に呑まれている酒は麦芽と果汁で作る度数の低いものだが、社長の呑む量は人智を超えていた。
「樽みっつってさあ、一樽20パクトくらいは入ってるでしょ……そんなに呑めるもん?」
「数字で聞くとすごい量だと思うが、別に呑んでるとそんなことは……。お、すまん、ちょっと吐いてくる」
社長は平然とそう言って、トイレに向かって歩いて行った。体が左右にふらふら揺れている。大丈夫かなあ、とエコがつぶやく。
「社長の呑みは異常だよ、いつか体壊すと思うんだけどな~」
「あ、コトホギ」
エコの背後に、いつのまにかコトホギがいた。コトホギは社長の背中を心配そうに見送ると、エコに向き直る。
「いつもあーやって、嬉しい時は死ぬほど呑むの。でも平気。吐けばケロッとしてる」
「嬉しい時? 昨日そんなに嬉しかったのかな」
エコが意外そうに、コトホギを見た。
「エコちゃんの働きが思ったよりすごくて、びっくりしたんだって」
コトホギがぱっと笑顔になる。
「ええ~? 照れちゃうじゃん」
エコも満更でもない様子で、照れながら微笑んだ。
「今日も社長と一緒だね」
コトホギがエコに尋ねる。エコはうん、と頷き、「また、ひたすらゴーレム、ゴーレム、ゴーレム……」と零した。
「ねーエコちゃん。どうやって倒してるの? 男の人たちがチームになって、やっとやっと倒せるジャイアント・ゴーレムを」
「社長が望遠鏡でゴーレムの核の場所を教えてくれるから、その指示通りに火の魔法使ってるだけだよ」
「……それだけ?」
コトホギが心底意外そうに首をかしげる。
「……それだけ」
「げ~ろげろげろげろげろ~~…………」
エコがオウム返しで相槌を打つと、奥にあるトイレから、なるべく聞きたくない音がした。
――――
「歩くぞーーーーーっ!」
熱線射す荒野に、今日も勇壮な男の声が轟く。
地上およそ28レーン。見下ろせば、地表に立つ人間は豆粒ほどの小ささに見える。
ゴーレムを登る作業員達が叫び声に呼応して各々体を固定し、筋肉を緊張させて衝撃に備えた。本来であればジャイアント・ゴーレムのゴツゴツした体表のそこかしこにあるくぼみ(これには、待避所としてマーキングがされている)に身を寄せたいところだが、今度のゴーレムは体が大きいためにそうしたポイントが少なかった。
天地を揺るがす程の凄まじい振動が収まった後、作業員達は顔を上げ、頂上を見た。
すると、一人の男が早々と岩壁を登っている姿が見える。
作業員の一人が、感嘆の声を上げた。
「タークのヤツ、なんであんなに立ち上がりが速いんだ?」
見ればタークはいち早く頂上に手を掛け、そのまま登り上がっていってしまった。
今やタークは、誰よりも早く壁を登る。誰もいない頂上に上がったタークは荷物から採掘に必要な道具を取り出し、準備を済ませる。その間に、他の作業員たちも続々と登頂してきた。
「ふう。核はあっちか」
タークが床に書いてあるマーキングを目で辿り、呟く。
エコは今頃、どこでゴーレムを狩っているのだろうか?
タークは毎日、エコの討伐報告を聞く度…………自分でも驚くことに、ほのかな対抗心を抱くようになっていた。
もちろん、ただの人間である自分とエコの能力に差が出るのは仕方がないと理解しているし、納得もしている。
しかし、面白いものだ。頭でする納得と心でする納得とは、同じようでも全く違うものらしい。タークは知らず知らずの内に、笑っていた。
タークの心は熱く燃えていたが、頭の中はむしろ、いつもより鮮明に冴えていた。体中に活力がみなぎり、得体の知れない力が充実しているような感覚がある。
自分でも意外だった。まさかあのエコに対して、対抗心を燃やす自分自身を発見するとは……。
ほんの子どもだと思っていたはずのエコが、いつの間にか成長したものだ……そう感慨に浸る間もなく、同時に焦りも感じる。自らを追い越し、遠くに行ってしまうエコに対して。
考えている内、核にたどり着く。タークは腰のベルトから鶴嘴を取り上げると、隣のゴーレムを見上げた。
「これは一体、誰がどうやって倒すんだろうな…………」
タークは今、全高37レーンという大型ゴーレムの頂上に居る。ジャイアント・ゴーレムの平均的な身長はおよそ18~24レーンで、そう考えるとこの個体はその中でも圧倒的な大きさを持っている。
そのタークが、隣のゴーレムを見上げたのだ……。
超大型ジャイアント・ゴーレム、通称、『“山”』。
一体、この名は誰が名付けたのだろうか……しかしこの安直な名はその安直さ故に、そのものの印象をずばり表していた。
マーカーが測量して割り出した高さは、実に83レーン。タークが居るジャイアント・ゴーレムの、更に倍近い大きさである。高さが倍ということは、厚みと横幅も倍ということになり、すなわち容積は実に八倍……。
ジャイアント・ゴーレムは大きくなればなるほど、歩行のスピードが遅くなる。それは習性というより、単に重量の問題だ。
通常のゴーレムで十分に一歩、タークの居るゴーレムは三十分に一歩、“山”に至っては、一時間に一歩という有様だった。しかしあまりにも重いその一歩は、その度毎に周囲の地盤を捲り返すが如き、激しい地割れを起こすのだ。
その地割れは岩や地面のみならず、周囲のジャイアント・ゴーレムすら飲み込み、地に沈めてしまう。
すでに巻き込まれて死んだ者も出ているということだ。【トレログ】に富をもたらす者として好かれているジャイアント・ゴーレムだが、そこも“山”に関しては、全く違っていた。
町に与えるであろう損害はまともなジャイアントの比ではなく、もしあれに境界魔法陣を成す内壁を破られては、町はひとたまりもない。
「……関係ないっちゃ、ないけどな」
しかしそれは、よそ者のタークが心配してもしようがないことだ。タークは、ひとまず“山”の事を忘れることにした。いちワーカーであるタークに、“山”をどうにかすることは出来はしない。このジャイアントゴーレムを効率よく終わらせることが、今タークが出来る最善の仕事だ。
タークは、鶴嘴を頭上に振り上げる。後ろから、“山”を見上げる仲間たちが歩み寄ってくる。振り下ろした鶴嘴が核とぶつかり、激しい音を立てた。
――――
「エコちゃん、どうした? 今日調子悪いな」
社長は相変わらず青い顔を、心配そうに中央によせた。それとは対照的に、エコは真っ赤な顔をして、激しく呼吸をしている。トレログの街からかなり距離をおいた、傾斜地の草原。
「ぜーーっ、ぜーーっ、ぜーーっっ……。社長……」
「昨日はこんな程度じゃあ息切れはしなかったろう? 大丈夫か?」
エコは暗い面持ちになって、「ごめん、今日は……」と口ごもる。
「わたし、太陽が出てないと魔法が弱くなるんだよ。力が入らないっていうのかな? 息切れも早くなるし、全力出ないの」
エコが肩を回して、空を仰ぐ。エコの頭上には、一面の曇天が広がっていた。
「そうだったのか。じゃあ今日はこのあたりを適当に流すとするか」
「ねえ社長、そういえばなんだけど、あとどれくらいゴーレムを狩れば、終わりなの?」
そう問うと、社長はうーんと考え込んだ。エコはさらに追い討ちをかける。
「もう数はほとんどいないじゃん。それに今朝コトホギに聞いたら、ウチの会社が競り落としたジャイアント・ゴーレムはもう狩り終えたって言ってたよ」
「あのなあ……。コトホギにはまだその辺がわからないんだけども、仕事ってのは義務の部分と使命でやってる部分があるんだ。また、そうでなくては回らないんだ」
「義務と使命?」
社長は少し呆れ顔になって、エコに言い聞かせるように語った。
「コトホギが言ってる、競り落としたゴーレムを狩ればOKというのは、視野が狭いよな。この仕事の目的はあくまで、トレログの町をゴーレムに壊されないようにするってことにある。他社との競合ばかりを見ているから、大目的を見失ってやがる」
「どういうこと?」
「コトホギは他社の仕事は他社の仕事、ウチの仕事はウチの仕事だと思ってやがるんだな。ちがうちがう、われわれの業界全体にある仕事を、いろんな会社が創意工夫を凝らして分担してるんだ。セリなんてのは、儀式的な金のやり取りに過ぎない。約束と決意表明さ。ウチではこんだけのジャイアントを倒してやる! ……ってな」
「はぁ~、なるほど」
仕事の意味をそういうふうに考えたことがなかったので、エコは関心した。そういう考え方があるのか、と、新しい目が開いたかのような思いがする。
「ところがだ、今回は話がちょっと違ってな? 【アバラトルルゴーレム】という同業者で一番でかくて一番雑な仕事をする会社があるんだが」
「あはは、一番雑な仕事」
エコが思わず笑う。しかし社長は、つられて笑いはしない。
「そこがあれを競り落としたのよ……」
社長の指が立てられ、彼方にそびえたつひときわ大きなジャイアント・ゴーレムを示す。それは他でもない、あの“山”という名を与えられた個体だった。
「あそこもなあ、でかいだけあって採掘兵器もいろいろ持ってるし、作業員にはベテランも多いんだが」
社長がふーっと息をつく。
「だが?」
エコが話の続きを促す。
「とにかく雑なんだよ…………。同業者からすれば、とてもまともに計算してるとは思えない仕事の取り方をするんだ。あそこの社長は友人だが、付き合う分には豪放磊落で面白いやつだけど、仕事はいただけねえな。だから、分けて考えることにしてる。喧嘩になっちまうんでその話題には触れないことにしてよ」
「ふうーん。それがなんで、担当じゃないゴーレムをたくさん狩らなきゃってことになるわけ?」
エコは考えたが、それでもやはり社長の言っている意味が分からなかった。すると社長はふん、と鼻を鳴らし、すこし説教くさい口調になって言う。
「そこまでが義務の仕事、やらなきゃいけない仕事だ。しかし、我々の使命はジャイアントを町に到達させないことだ。……するとな、全体の仕事を、早いとこ終わらせなきゃいけない。……見ろよ、あの猛烈なでかさのゴーレム。いままで見たこともねえ」
社長がエコの後ろに指をやる。
「あれかぁ……」
エコも同意した。かなり遠方にあるはずなのに、手前にいる別のゴーレムより大きく見える。熱気で揺らぐ切り立った岩山の様な巨体が、足下の地割れで僅かに傾ぐ。それでもバランスを崩して倒れないのは、あまりにも重いその質量のせいだろう。僅かに遅れて、エコの耳にも重低音が響いてきた。
「“山”っていうんだっけ」
「アバラトルル一社であれが落ちるとは、どうしても思えねえ。それは、ほかの社も同様に考えてる。あんだけでかいと、やり方から変えにゃならん。……いや、そもそも競り落とすような類の仕事じゃねえんだあれは。すでにアタックして死者が出てる。……うちのマーカーに調査はさせてるが……、どうやら核の数が一個や二個じゃねえらしい」
「核が複数個あるの?」
エコが驚く。そんなことがあるのだろうか。
「そうだ。しかも難所ばかりな……」
社長が暗い面持ちで応え、それきり、何か考え込んでしまった。頭の中でゴーレム討伐の段取りを立てているらしい。
「要は、“山”がかなり危ないからその前にほかのどうにかしておこうってことかぁ~……。あっ! 社長!!」
心底うれしそうな顔をしたエコが、指をぴんと伸ばして東側の空を指す。雲間を貫くまばゆい光が巨大な柱となって、天井から打ち下ろされていた。
その光は地表に反射し、明るくエコの笑顔を照らし出す。
「あっち側晴れてきたよ! いーーーーけーーーるーーー気ーーーがーーー、してきたーっ!!」
エコは指差していた両腕をそのままぐんと空に向けて掲げ上げ、胸を張って声を張り上げた。周囲から一斉に驚きの目が向けられる。社長もすこし驚いたが、すぐ豪放に笑いだした。
「そーんじゃ、予定通り進めねえとな。ここがひと段落ついたら、エコちゃんもタークと一緒に一回休みを取らせるようにするよ。準備をしてから、“山”に挑むとしよう」
「よーーーーっし! まっかせといて!」
エコは元気よく返事をした。
――――
【トレログ】市内某所。
「ようやくだよ、ようやくだ」
暗い室内で、誰かがそう語った。
「ようやくだ、ようやくだ」
別の誰かが同意した。
「ついに彼らの故郷、彼らの母の生まれたところに、彼らは帰ることが出来るよ。お土産を沢山もってね」
「どれだけのお土産を『彼女』に渡せるだろうか……。問題はいつやるかだね」
「沢山持っていけるようにしないとね。沢山、沢山。『彼女』に元気でいてもらわなきゃ。彼らが生きていくためには、『彼女』が必要なんだ」
「我々も運がいいよ、彼らの気持ちをこうして理解することが出来、恵まれたお土産を渡せる立場にある。きっと、彼らにとっても幸福だろう」
暗い室内に、何人かの人が集まって言葉を交わす。口調が似通っているのには、共通する原因がある。暗く静かな部屋に、時折笑い声が起こる。
「人間たちに、気づかれないようにしなくっちゃいけないよ。我々を警戒されたら、あっという間にやられてしまう」
「そうだね、それはすごくよく分かる。よし、解散しよう。人間に気が付かれたら元も子もない」
「元も子もない。いい言葉だ。いままで使っていて、こう感じたことはなかったけど、とってもとっても、いい言葉だ」
「とってもとっても。とってもとっても。ようやくだ。元も子もない。慎重にやろう」
「ああ、ようやくだ。慎重にやろう」
意見はまとまった。後はタイミングだけ……。会合はそう結論して解散した。
【厄災生物】、『キメリア・カルリ』。彼らはただ生きていた。生きているに過ぎない。
人間たちと、同じように…………。




