第四十六話『フスコプサロの日々』
飛んでますが前の話から続いてます。
第三十三話『カナリヤと小人』
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忘れた人のためのあらすじ
カナリヤとビルガルグルンは『フスコプサロの会』のみならい魔導士。カナリヤはある日偶然見かけた小人のネママ・ネメルリムに一目惚れします。
そして勝手に『ネママファンクラブ』なる会を作って会長に就任し、押しに弱いビルガルグルンを副会長に仕立ててしまうのでした。
ある晴れた秋の午後、『フスコプサロの会』イルピア支部にて。
「みなさん、ごきげんようっ!!!」
休日の静謐な会議室棟に、場違いに明るい声が響いてきた。
「……では! これよりだい17回! 『ネママファンクラブ』の定例会議を始めます!」
……そう元気よく叫んだのは、カナリヤ・ヴェーナという少女だった。
カナリヤは滑らかにきらめく亜麻色の髪を揺らしつつ、大きな瞳にたっぷりと光を蓄えて、会議室の長机に並んで座る十数名に視線を配る。
その女神のような笑顔は、周囲に希望をもたらす眩さを持つ。臨席している『ネママファンクラブ』の幹部たちも、その可憐さに思わず見とれていた。
「はい」
そんな中、カナリヤの左隣に仏頂面で座っている男、ビルガルグルン・ラップバーンが静かに手を挙げる。
「早い! とてもいい事ですけどいきなりなんですか、ではビルガルグルン副会長!」
「なぜ週に五回も会議をする必要があるのか、ということを聞きたいんです」
ビルガルグルンは極めて真面目な顔でそう言った。
「良い質問ですが、ご自分でお考え遊ばせ。まだ会議のテーマすら決めていないのに。非常識よ?」
カナリヤの返事はにべもない。
「そうだそうだ! カナリヤ会長の言うとおり!」
「回数が少ないくらいだ!」
周りの幹部が囃し立てる。イルピア支部に発足した『ネママファンクラブ』はわずか三週間で会員が百名を突破し、その数は増え続けている。しかし……
(カナリヤ目当ての機嫌取りが……!)
ビルガルグルンは知っていた。ネママファンクラブ百十三名の会員、そのほとんど全員が……最近出来た『カナリヤファンクラブ』の会員だということを。
カナリヤは自分の持つ魅力について、あまりにも無自覚すぎる。
単なる外見の美しさのみならず、人当たりのいい性格、明るい表情ときれいな声、つややかな髪の毛、日陰者にも分け隔てなく接する態度…………どこをとってもカナリヤは男性にとって魅力的に映る女性だというのに、自身にファンクラブが出来るなどと夢にも思わない粗忽者の一面もある。
いまビルガルグルンの目の前に座っている『ネママファンクラブ』副副会長と副副副会長も、カナリヤのファンだ。
しかも、副副会長が『カナリヤファンクラブ』の副会長で、副副副会長が会長らしい……ややこしい!!
ビルガルグルンは、一度下げた手をすぐにもう一度挙げた。
「はい! またですの? ビルガルグルン副会長!」
「今日の議題に移る前に、もう一つ聞きたいことがあります。なぜわざわざこの会を作る必要があったんでしょう? カナリヤ会長。――ネママさんはめったにここには訪れないし、来ても依頼書を持っていくだけで、すぐに居なくなる。それに普通ファンクラブというのは、音楽家や俳優のファンが集まって出来るものでしょう。それをなぜネママさんに対して……」
ビルガルグルンが問いただすと、カナリヤは一瞬驚いた後、少し呆れたような表情を作った。
「はい? あぁ~~~。――ねえビルガルグルン。この間ネママさんに会って、どんな印象を受けましたか?」
カナリヤはちょっとめんどくさそうに考えたあと、ビルガルグルンに問題を投げ返した。
あべこべに質問を返されたビルガルグルンは、それでも真面目に少し考え、答える。
「ツンケンした人だなと」
ビルガルグルンが正直な感想を述べると、カナリヤはあからさまな呆れ顔になった。
「そうですか。ん~、いいですか、小人さんたちというのはまず、普通はもっと大人しくて、ああもとんがった態度をとらないものですわ。むしろ、とれないと言ったほうが正しいかもしれないね。長い間【導家】の召使いとして扱われてきた小人族という種族は、幼いうちからそう教育されているから」
「たしかにそうですね」
ビルガルグルンが頷く。ビルガルグルンの知っている小人族の人々は、常にびくびくして、自信のない態度をとる者が大多数だ。ビルガルグルンも、小人族のそのおどおどとした態度は好きになれなかった。
「でしょう? でもそのせいで小人族の地位が向上しないというのが、わたくしの持っている考えなの。彼らは体が小さいからあまり食べなくてもいい。――そういう理由だけで、雇われても賃金は安いし、立場はとても低いという実情がある。おかしくありません? 二十年勤めたベテランでも、小人だという理由だけで新人の使用人よりも扱いが軽いくらいなのよ。これはとんでもない事だと思いませんこと? 不遇でしょう」
「……お話、よく分かります」
だんだんと話を理解してきて、ビルガルグルンの声が小さくなる。
「だからね、わたくしはネママさんのことを応援して、ネママさんに小人族の代表になってもらいたいの。ネママさんは優秀な魔導士だし、人を引っ張っていくだけのエネルギーのある人ですわ。だけれど、小人一人じゃあ色々なことに障害があるでしょう? だからこういうファンクラブを作って、ネママさんの後援が出来たらいいなって思ったの」
ビルガルグルンは驚いた。
カナリヤは何も考えていないお嬢さんだ……ビルガルグルンはカナリヤの言動や態度から、勝手にそう思っていた。しかし話を聞いてみれば、これはなかなかおもしろい試みかもしれない。
たしかに、魔導士が集まるこの会でファンクラブを作れば、魔導士の間で話題になる。そして、ネママの事を知りたがる者が出てくるだろう。
それが目的だとすれば、会員の性質よりも大事なのは数の方だ。同志数名が集まる会より、有象無象百名を集めたほうがより目立つ。
そう思うと、カナリヤが自ら会員を集めていたのも自分の魅力を十分に理解した上での行動かも知れない、とビルガルグルンには思えてきた。
もしもそうだとすると……、カナリヤは、意外に侮れない人物なのかもしれない。
「会長! 実は私も同じ想いであります!」
やにわ、副副会長が叫び声を上げる。幹部連中の視線が「抜け駆けかよ」とでも言いたげに副副会長を見上げ、それを皮切りにつぎつぎと立ち上がって、我先にと後に続いた。
「……僕もです! ずっとそう思っていました!」
「私はそんなこと考えたこともなかったけど、全くの同感です!」
「確かに小人族は不遇すぎる! ネママさんを応援しましょう!!」
合わせて、周りの会員達がこれみよがしにカナリヤを褒め称え始めた。こうなるともはやビルガルグルンの存在は虫ほどにも扱われない。ビルガルグルンは大した理由もなくいつもカナリヤと一緒にいるので、カナリヤファンクラブの連中からは疎まれているのだ。
しかし、ビルガルグルンはそんなことはまるで気にせず、すなおに反省してカナリヤを見直すことにした。そして先ほどの無礼を詫びる意味で拍手を送ろうとした、その瞬間――。
「……ごめんなさい、ほんとのこと言うと全部今考えたんだけど。実はファンクラブを作ったのは、カナリヤさんとお友達になりたいな~と思っただけなの。えへへ。でも、今後はその方針で行きましょうね」
カナリヤはそうのたまった。
―― 二週間後 ――
「……なんだこりゃ」
ネママ・ネメルリムのつぶやきが、石造りの床や壁に吸い取られていく。しかしその疑問はなんの解答も得られないまま、ただ空間に散らばって消えていった。今その手には、一枚の紙が握られている。
ネママがその紙を見つけたのは、まとめて受けた依頼を全て片付け、久しぶりに『フスコプサロの会』イルピア支部にやってきた矢先だった。
何でもない紙切れだったが、一瞥した途端『ネママ』という文字が眼に飛び込んできたので、思わず拾ってしまったのだ。
ネママは確認の意味で、今一度、紙面に目を通してみる。
今週の議題
・第17回:ネママさんとの接し方について考える
・第18回:どうすればネママさんと仲良くなれるか?
・第19回:『ネママ非公式ファンクラブ会員の手引き』作成会議
・第20回:ネママさんプロフィール情報まとめ
「……なんだこりゃ」
そして思わず、もう一度つぶやく。しばし呆然と立ち尽くしていると、周囲を歩く魔導士達の囁きが耳に入ってきた。
「……あ、ネママさんだ……」
「おお、あれがうわさの……」
ネママの背筋に悪寒が走る。うわさ? うわさってなんだ……? まさかあの気が違った女、本気だったのか……?
そう思った次の瞬間、今まさに脳裏をよぎった女が、ネママを見つけて声を上げた。
「あっっ!!! ネママさんみつけたっ!!!!」
「……お前……!」
女――――カナリヤ・ヴェーナが、ネママを見つけて駆けてくる。なぜか、顔いっぱいに笑顔を浮かべて。
「これはどういうこと?」
ネママは怒気を露わにカナリヤを全力で睨みつけ、両手で掴んだ紙片を遥か頭上にあるカナリヤの顔に向けて掲げた。
一方カナリヤは、まるで子供と話す時のように、ほほえみながらしゃがむ。
「それはトラップですわ。今日、ネママさんが帰ってくるのは分かってましたから。今目を通していただいたそれが、ネママさんファンクラブの今週の活動記録です。もちろん全体からすれば、たったの一部ですけれど」
「お前、本気で私のファンクラブを作ったのか!??」
ネママが、子供が癇癪を起こしたような声で怒鳴る。なかなかの迫力だったが、カナリヤは平然とこう答えた。
「ええ……。この間そうお伝えしたじゃありませんか? 私、冗談であんなこと申し上げません」
「なんだと……」
実を言うと、ネママはその時のことをよく覚えていなかった。
特にあの禿頭の美声を持つ男性が現れて以降、ネママはカナリヤの話は全く聞かずに受け答えも超適当に済ませており、その後、気がついたら宿に戻ってぼ~っとしていたのだ。
したがってその時のカナリヤの話などはすっぽりと頭から抜け落ちてしまい、思い出す機会も無いまま今日を迎えていた。
「お前、私が怒ってんの分かんないのか?」
ネママは怒気を発散しながら、カナリヤに向かって、一歩足を踏み込む。
「へっ?」
カナリヤは本気で意外そうに、素っ頓狂な声を出した。それが追い風となって、ネママの怒りを更に煽る。
「なに、勝手にファンクラブなんか作ってるんだ! 私がそんなもんで喜ぶと思ってんの?」
(あれっ? ネママさんの態度がこの間と違う……。どうしてだろう? ……ぁああ)
「ビルガルグルン!」
カナリヤが突然ビルガルグルンの名を呼ぶ。
すると途端にネママの怒気が収まり、頬にさっと朱が差す。目聡いカナリヤは、その色彩を見逃さない。
「はっはあ~。これで分かった。……ネママさん、副会長が好きなのね?」
カナリヤが全てを読み取り、心底幸せそうな笑顔になって言った。
「あ……お……」
図星を突かれたネママは、恥ずかしさと驚きで頭が真っ白になってしまった。口からは、否定でも肯定でもない、声ならぬ声が漏れる。
カナリヤは目を閉じて微笑み、優しい口調でネママにこう言った。
「大丈夫、ビルガルグルンは今日、研修に行っていて居ませんわ。そういうことなら、ファンクラブは全力をもってネママさんを応援します。……少し、あちらのテラスでお茶しませんこと? ビルガルグルンのことなど、話しましょう」
「うぐっ……、」
ネママは戸惑ったが、数十秒の葛藤の後、…………ビルガルグルンの情報を得たいという誘惑に惨敗した。
―― 三ヶ月後 ――
『フスコプサロの会』イルピア支部。半円形の壁がなめらかに湾曲してそのまま高い天井になっている、一階ダイニングホール。
壁と反対側にある南向きの面は一面ガラス張りになっており、ドーム状になった見晴らしのいい窓から、『芸術の街イルピア』の美しい町並みが見える。街の特徴的なデザインである家々の赤い屋根はこのところの雪で隠されていたが、白銀のイルピアは、それはそれで美しい。
「――そう。小さい頃から好きでね。ビルガルグルンは、生き物と一緒に暮らしたいとは思わないの?」
「見ている分には可愛いけれど、飼うとなるとね……。面倒と言うとそれまでになってしまうが」
「世話を楽しめないとねえ。心の余裕が必要だよ」
「心の余裕か……。逆に、余裕を作るために飼うっていうのもありかもな」
「あはは、それはいいかもね」
「あっ、ネママさん~!」
ネママとビルガルグルンが談笑していると、カナリヤがいつものように首を突っ込んできた。
「そんなところでなにをしてるんですかぁ~~、ぅギャッ!!!!!!!」
そしてネママの頭上でカナリヤが唐突に大声を出し、驚いたネママが上を向く。
「ほわっ!!!! びっくりしたあ!! なに!? カナリヤ」
「虫虫虫!! 虫がいるよ! 殺さなきゃ!! 殺さなきゃ!!」
取り乱したカナリヤが杖を構え、いきなり詠唱を始める。
「やめろばかっ! こりゃ私の飼ってる子だよ!!」
「はいいいぃぃ!??」
ネママがテーブルで葉を食んでいる虫を庇う。カナリヤは狼狽して、ネママに疑問をぶつける。
「虫ですよ、虫!! なんでそんなもの庇うんですか!」
「かわいいもんだよ、悪さも何もしないし。ほおら、葉っぱをずーっとちっちゃい口で食べて……。かわいいなぁ」
両腕でいかにも大事そうに虫を覆ったネママが、うっとりとした表情になって言った。幼虫は小さな顎を左右に動かし、しきりに草を食んでいる。カナリヤはできるだけそれを見ないようにし、溢れる殺意もがんばって抑えた。
ビルガルグルンが対象的な二人を見て、無言で笑っている。
小人という出自に加え、他人を拒むような態度ばかりとってきたネママには、友人と呼べるような者は少ない。そんなネママがリラックスした表情を見せるのは、カナリヤ、ネママ、ビルガルグルン――、この三人でいる時ぐらいだ。
「ねっ。かわいいだろ、カナリヤ」
「いいえ、キモいです。だめ、見せないで」
カナリヤが冷ややかな目つきで拒絶すると、ネママがむくれた。
「なんだってお前。私のキャロンちゃんを侮辱すると許さないよ」
「カナリヤ、よく見もしないで毛嫌いするなよ」
ビルガルグルンも加勢する。二人にきりりと睨まれて、さすがのカナリヤも弱った。
「ビルガルグルンまで……」
講習を終えて見習い期間が終わったビルガルグルンとカナリヤは、魔導士として『フスコプサロの会』からの仕事を受注する立場になった。ネママも相変わらず、支部に来る度大量に仕事を取っていっては、それを一気に片付けるという出稼ぎ生活を続けている。
そうして忙しくなった三人がこうして一同に会する機会は、そう多くはなかった。カナリヤはそのことを寂しく思っていたが、口には出せずにいた。
「だって、ネママさんとお話しようにも、これじゃ落ち着いて話せないじゃない……」
「ははっ、折角ビルガルグルンと一緒にいるんだから邪魔しないでもらおうか」
ネママは、カナリヤの熱心な協力のもと、すでにビルガルグルンに好意を打ち明けている。
結果、ビルガルグルンはネママの告白を真摯に受け止めたがただそれだけのことで、結局二人は恋人になることなく、普通の友人関係を続けている。
今のところ一方的にネママが惚れている形だが、ネママもそれはそれで楽しそうだ。種族の違う者同士が番になることは決してないという現実を、無意識に受け入れているのかもしれない。
「そうだ、カナリヤ。君は春の昇級試験を受ける?」
芋虫からカナリヤへと話題および視線を切り替え、ビルガルグルンがそう言い出す。
「はい、もちろん受けるわよ。あなたは?」
「カナリヤが受けるなら受けようかと思っている」
「じゃあ受けなさいな。ネママさんと同じ階にまで進んで、同じチームで仕事したいもの」
『フスコプサロの会』の魔導士部会は、階層で序列が分かれている。依頼の難易度に応じて何階のロビーで受注するか振り分けられており、当然、上の階に来る依頼の方が難しく、報酬も高い。
現在、カナリヤとビルガルグルンは一階級、ネママは四階級だ。
「そうか、そう出来るといいねえ……」
ネママが少し真面目な表情になり、そこで一度、言葉を切る。
「カナリヤ、じゃあ四階級に上がるつもりなんだね?」
ネママはカナリヤの目を見上げ、そう問うた。
「ええ、私は家を出てきたから、最終的には一番上の五階級まで進むつもりですわ」
カナリヤは臆面もなく、そう答えた。
「そうか……」
カナリヤのためらいのない解答に、ネママが少し沈んだ表情になる。
「どうしまして?」
「あんた、それは止めといたほうがいいよ。『フスコプサロの会』は、そんなにいいもんじゃない。裏では結構タチの悪いこともやっているし」
「え……っ?」
思いがけない一言に、カナリヤがあっけに取られる。ビルガルグルンが顔をしかめて、二人の会話に口を挟んだ。
「……ネママさん、そういう話をここでしないほうがいい。少し出ないか?」
「そうだね、そうしよう。カナリヤ」
「え、ええ……」
カナリヤは、戸惑いながらも首肯して席を立った。
三人が、雪の積もった冬の道を歩く。区画整理が行き届いたイルピアの町並みは閑静で美しく、所々に置かれた燭台が、揺らぐ温かい光を放っている。石畳の上は完全に除雪されており、カナリヤが歩くとブーツの底がこつこつと心地いい音で鳴った。
住宅街は静まり返っており、三人の他に人影は見えない。
カナリヤの肩に乗ったネママが、『フスコプサロの会』のことを話し出した。ネママの小さくて高い声に、カナリヤは耳を澄ませる。
「『フスコプサロの会』には、ふたつの顔がある。表の顔。裏の顔。表向きは福祉団体だけど、裏では、闇の仕事を請け負う魔導士集団なんだよ」
「なっ、……」
思いもよらない事実を耳にして、カナリヤは絶句した。
「言おうと思ってたんだけどね。私には、どうしても金がかかる夢があってさ。小人族出身の魔導士なんてものは普通の仕事が出来ないから、ここの仕事を始めたんだ。ここは誰でも入れるからね、実力さえあれば」
ネママが言うと、ビルガルグルンが話を継ぐ。
「裏の会では、窃盗初めあらゆる犯罪行為を、金次第でなんでも請け負っている。そっちの窓口は基本的に別になってはいるが、四階級から先の依頼はほとんどそれだけだ。そこまで進むと、もう抜けられない」
カナリヤは怖くなって、頭を左右に振った。カナリヤの豊かな亜麻色の髪が、ネママの横で滝のように波打つ。
「わ、私は、福祉に力を入れている会だと……、人々の幸福のために働く、そのために、魔導士の部署も必要だって……。――――なんでビルガルグルンもそんなこと知ってるの?」
カナリヤは狼狽していた。ネママはともかく、同期のはずのビルガルグルンがそんなことを知っているのはおかしい。いくら情報通とは言っても、組織にとっては不利益な情報のはずだ。
「それはだめだ、それは話せない」
ビルガルグルンがはっきりと言う。
「カナリヤ、あんたはせめて三階級で留まるか、なんならこの会を抜けてしまったほうがいい。私とビルガルグルンは、色々あってもうこの会しか居場所がないの。でも、あんたはそうじゃないでしょ」
ネママも、カナリヤを寄せ付けようとしない。カナリヤは不安げに眉を寄せ、交互に二人の顔を見た。
ネママもビルガルグルンも、カナリヤと目を合わせようとしない……その瞬間、カナリヤはとてつもない恐怖を覚えた。
まさかこの二人は、私を置いていこうとしているの――?
――置いていかれる。幼いころ、仔猫と遊んでいるうちに迷子になった時のように。魔導学院で仲の良かった友達が、スルスルと卒業していった時のように。一足先に家を出た、ませた妹のように。
そんな出来事の度に味わった、悔しいような、寂しいような圧迫感に、カナリヤは再び苛まれた。
カナリヤの目から涙が溢れる。
「そんな、そんなこと……。言わないでよ。私だって、家を出て……、ここでの奉仕活動をするのが、学生の時からの夢だったのに」
「その夢は宛が外れたね。ここでそういう美徳が通じるのはごくごく表面上だけだよカナリヤ。あんたのためを思うと、私達のことはさっさと見限って、ここを出て普通に生きていった方がいいよ。ね……。他にも福祉をやってる団体はあるだろ」
ネママが、悲しそうに、ゆっくりと、優しく、しかし突き放すように、囁いた。
カナリヤは大粒の涙を拭おうともせず、潤んだ声で話しだす。
「私……、ネママさんとビルガルグルンと仲良くなって、本当に嬉しかったの……。一緒にいるだけで、楽しくてしょうがない。こんな友達が出来たの、初めてなの……」
カナリヤが潤んだ眼で二人の目を見る。ずっと一緒にいられると思った。ずっとこの心地よさに浮かれていられると思った。この三人で、楽しく……。
揺れる視界に映る二人の顔は、カナリヤを真っ直ぐに見つめている。
「私、あなた達と離れたくない。…………どんな団体でも構わないよ。あなた達がいるなら、私だっている」
「…………それはあんたの勝手だよ」
そっけない言葉だったが、ネママの口調は優しかった。ビルガルグルンは、カナリヤの泣き顔を見まいとするかのように顔をそむけ、街の中心にある大時計を眺めた。寒いのだろう、壁面にいる数匹の壁画の獣が身を寄せて眠っている。
「ねえ、教えてよ。ネママさんはなんでお金がいるの? ビルガルグルンはどうしてここにしか居場所がないの」
「雲行きが怪しいな……」
カナリヤが懇願するように言った。ビルガルグルンは全く話す気がないらしく、話題に乗ろうともしない。確かに、言うとおり空はにわかに曇っていた。
「ビルガルグルンは話したくないようだから、私の話だけで勘弁しとくれ。私には夢があってね。そのために、200万ベリルのお金がいるんだよ。この間殺しで一気に稼ごうとして失敗したから、最近は地味な仕事ばかりしてるけど」
「夢って……?」
「『巨人薬』の調合。それを飲んで、私は人間と同じ大きさになる。そして最後には『ミッグ・フォイル』を起こして、卑屈な同胞達の目を覚まさせてやるんだ」
「そっか。そうなんだ…………」
カナリヤは、消え入るような声で呟いた。
夢。ネママさんの夢は大きい……、きっとその夢は、ネママさんだけでなく小人族全体に波及して、小人族を導く曙光になっていくだろう。ネママさんは……自分の考えていた事よりも先のことを考えている。
そして私の夢は……、たった今、幻だったと気付いた。
私の夢は、なんだろう? いや、思えば福祉の団体に入ろうという考えすら、夢というものとは関係のない、現実的な目標に過ぎなかった。
夢をなくしては生きていけない。ふと、誰かが言った言葉を思い出す。
『夢は自分勝手な理想だ。決して叶うはずのない望みだ。しかし人は、今日も自分勝手にそれを思う。夢を思わない日はない。それを思わなくなれば、人は人として生きられないからだ』
カナリヤは、そんな人の生き方が悪いとは思わない。
叶わぬと知りつつ、それでも夢を追いかける。そうした人生の繰り返しが、この世界を作っているという事実は否定出来ないから。
それなら私も、たとえバカなことと分かっていても…………。自分の理想に、忠実に生きていきたい。
……カナリヤは、そう決断してしまった。
「――――私、手伝う。ネママさんの夢に協力する。協力したいの。協力させてくれる?」
「うん、いいよ」
カナリヤが頼むと、ネママは二つ返事に請け負った。カナリヤの考えがわかったわけではない。ただ単に嬉しかっただけだ。
「ねえ。ビルガルグルンも一緒にやらない? ネママさんの夢を手伝うの」
「――悪いけど俺は駄目だよ。他にやらなきゃいけないことが、色々あるんだ」
「そっか……。残念ね。本当に……」
カナリヤは目を閉じて、悲しそうに俯いた。耳につけた金のイヤリングが落ちてしまったが、積もった雪の上に落ちたせいで、誰も気づかなかった。




