第四十五話『仕事はじめの出来事』
タークは気が気でない。
【カララニニア鉱掘業】で研修に励むタークにあてがわれた部屋は一応一人部屋だが、ベッドと机がギリギリ入るスペースしかない。
四歩で往復できるクソ狭いその部屋の中を、タークは狂ったように歩きまわっていた。
――エコが帰ってこないのだ。
タークは昨晩、研修が終わってから近くのホテルにあるエコの部屋を訪ねた。夜も更けきった遅い時間というのにエコは帰っておらず、日が昇るまで粘っても帰ってこない。
心配で心配で、ホテルのロビーにエコが帰ってきたら知らせるよう頼みこんだが、一日跨いで今日になっても音沙汰なしだった。今しがた再び訪ねたが、やっぱりエコは帰っていない。
タークは深爪しそうなくらい爪を噛み、捻挫しそうなくらい足をそわそわばたつかせた。タークは頭の働く限りありとあらゆる事態を想像したが、それを社長に話したら、一発殴られこう言われた。
「バカ野郎、エコちゃんほどの魔導士が、そんじょそこらの何でもないヤツに殺されるかよ。大方祭りで男友達でもできて、楽しくやってんだろ。年頃だし」
……そしてタークのおめでたい頭に、新たな心配事が増えたのだった。
タークの眠れぬ夜が明け、日の出を見ながら寝こけそうになっていた頃。ようやくエコが帰ってきた。
「タークただいま~! ごっめんごめん、心配して何回も部屋に来てたんだって? お祭りで仲良くなった友達と一緒にいたんだよ」
エコが心底申し訳なさそうに言う。目を赤く腫らしたタークが、肺にたまった暗い気分を、盛大に口から吐き出す。吐ききってから、視線をエコに向けた。
「友達が出来たのか?」
「うん。連れてきてるの、はいっ、ジェンキンス君」
「どどどどどどうも、ジェンキンス・クレメンスです」
「あ?」
辺りの空気が凍りつき、タークの眉間に皺が寄る。
タークが睨み殺さんばかりの形相でジェンキンスを見たが、ジェンキンスはあまり動じなかった。そういったものを読む力に欠けているらしい。
「は、はじ、初めまして。タークさん、よろしく」
ジェンキンスがおどおどと手を差し出す。タークが無言でジェンキンスの手を握りしめ、上下に振った。
「い、いたいいたい、痛いです」
「よろしく。ジェンキンス君、とやら……エコとはどういう成り行きで? ことと次第によっては」
「じゅ、ジュースを……、ジュースを買っていて、ううう、う嬉しそうにしていたから、これは……」
さすがのジェンキンスもタークの怒気を感じ取り、萎縮した。しかし、次の瞬間、あまりにも不用意な事を言ってしまう。
「これはい、い、い、いけるなー、と思って」
「殴る!!」
口より先に、タークの手が出ていた。
「すみませんでした」
頬を腫らしたジェンキンスが、申し訳なさそうに謝罪した。
「いや、却ってすまんな。事情を聞いてみりゃ、お前も被害者じゃねえか」タークが頭を下げる。
「いっや~、あれがナンパってやつだったのか」エコは頭を掻く。
ジェンキンスの事情はこうだった。ジェンキンスは冗談の通じないタイプの人間で、吃りのクセも相まって友達によくからかわれる。エコを杜撰な手段でナンパしたのも、全て悪友の筋書きに従ってのことだったのだ。
祭りの途中でエコも悪友の紹介を受けたが、ノリが軽いだけで悪い人ではなかった。
悪友曰く、
「まさかああ上手くいくとは思わなかった、いや、ジェンキンス君もガールフレンドの話したら火照っちゃってさあ、まずは玉砕だとおもって(笑) エコちゃん可愛いから、絶対断られると思ってたんだけど(笑)(笑)」
……とのことだ。
「お祭りがあんまり面白くって、夜通し騒いで、朝から寝て昼から準備手伝って、それを二日……、ごめんね心配かけて。一回戻ろうとしたんだけど……」
そこまで喋った途端、エコが「あっ!」と声を上げた。
「そうそう! そのセミ祭りの会場が、なあんか見覚えあると思ったら例の樹教の『森殿』だったんだよ! でさあ、フィズンとハルナさん探したらいるわけ。びっくりしちゃったよ」
「ほー? まあ原生林だもんなあそこは。セミも沢山いるわな……。それにしても、」
タークが一度黙る。そう、セミ。セミというものは、羽化すると……。
「うるっせえな~~」
今トレログ市内では羽化した『ジュウイチネンゼミ』が溢れ、猛然と鳴き騒いでいる。その圧倒的な音量は、窓を開けていると普通の会話ができないほどうるさい。
一刻も早く交尾して子を残さないといけないという都合上、『ジュウイチネンゼミ』たちはなるべく自身の声を多くのメスに聞かせようと、静かなところへ移動しては声を張り上げて鳴きまくる。
個体によっては知恵を使い時間帯をズラして鳴くことで住み分けをしようとするらしく、鳴き声が完全に収まるのは深夜の二~三時間だけという有様だった。
こんな事情だから、トレログ市は内市・外市を問わず、どこもかしこも喧騒に包まれていた。
【十一年祭】もまだまだ続いていて街中でパレードの様な事をしているし、相変わらず難民は怒涛の如く入ってくるし、セミは大量にいるしで、近年まれに見る大混乱であった。
そして更に、もう一日か二日すれば、ジャイアント・ゴーレムの採掘が解禁になる。
採掘業各社の採掘権を示すタグ・マーキングは終了しており、後は独自のタイミングで一気に採掘を始める手筈だった。
「今の時期に羽化しちゃったら、セミはどうなるのかな……」
エコがふとつぶやく。今は夏ではない。セミたちは気温の上昇を感じ取り、本来出てくるべきではない時期に出てきてしまっている。もしも羽化の周期がこれで狂ってしまったら、この一代で絶滅もありうる。
「セ、セミに関しては、今回のように、こうして温度変化を探知して出てきているから、心配は要らないとぼ、ぼくは思う」
「どちらかと言えば『ミッグ・フォイル』じゃないか? 『ミッグ・フォイル』によってこのまま季節が捻じ曲がっていくようなことがあれば、かなりの生物が絶滅する可能性がある」
「とんでもないことだね……。改めて、この『ミッグ・フォイル』は」
「人間もただじゃおかんな。難民のことももちろんだが、農作物がとれなくなる事で食糧難になる」
「そっか……」
すでにあちこちで腐った植物を見てきたエコも、その事態を想像して怖くなった。食料……人間の食べ物は、大多数が植物から出来ている。
いや、鶏、大型かたつむり、豚といった畜肉、卵、乳……、それら全てが、植物によって育まれ、生きて、生物の骨肉となっている。
つまり植物が死ねば、ありとあらゆる生命が餓死する。生命のドミノの最初の末端部に存在するのが、植物なのだ。
「ターク、そう言えば仕事の方はどれくらい進んでる?」
エコが思い出したように、タークに話を振る。
「ああ、ウチの会社に関しては終わってるよ。解禁になったらぞくぞく倒すってさ」
――――――
誰かが階段を降りてくる音がして、マコトリが目を開ける。と言っても寝ていたわけではない。退屈しのぎに目を閉じて、今までの事に思いを馳せていただけだ。
「コトホギ……?」
マコトリは瞬時にその誰かが地下牢の扉の前に来るまでの時間を逆算し、そのタイミングに合わせて立ち上がった。
地下牢のドアは、外からなら簡単に開く仕掛けになっている。ドアノブが捻られ、歯車が動き、直後に閂が持ち上がる硬い音がして、重たいドアが開いた。開いたのはやはり、コトホギだった。
「マコトリ! ……やっぱりここか……。また兄さんが入れって命令したの」
呆れ気味に、コトホギが言う。
「うん。最近は、ちょっと口答えするだけでも入れられるよ。なんだか苛立ってるらしい」
「兄さん、また仕事がなくなったのかな……。偏屈屋め」
「仕事? ギギルにそんなものある訳がない。ゴーレム魔導士なんてこのトレログには掃いて捨てるほどいるわ。そんなら、ふつうはもっと性格の良い奴に頼るよね」
マコトリが吐き捨てるように言う。コトホギは苦笑した。辛辣な言葉だが、異論は挟まない。事実そうだからだ。
「父が死んでから、あの人のわがままを止める人が居なくなってしまった。私の言うことを素直に聞く兄さんじゃないし」
「マスター・イルメヤンはなぜギギルなんかにアタシを渡したのかな……。全部知ってたはずなのに」
マコトリがこぼす。コトホギは、話が見えないので沈黙した。その訳知らず顔を見て、マコトリが目を丸くする。
「……気がついて無かった? ギギルは、昔っからアタシのことが好きなんだよ」
「はあっ? あの、ギギル兄さんが?」
それを聞いた途端、マコトリの口から閉じる力が失われ、顎がだらっと垂れ下がる。
「コトホギ・シュターンのおニブさん。――あなた本気で言ってるんですか?」
マコトリがからかうように言うと、コトホギが絶句したまま、こくこくと頷く。
「マ~~ジ~~か~~。い~やぁ~~、察しの悪い人っているもんねぇ。アンタといいヒキウスといい。……あんなにわかり易い例も、他にないだろうに」
言いながら、マコトリはコトホギが過去に何度も自分に惚れた男性を無視し続けてきた事実を思い出す。
「いや~、だってえ、興味なくって~……」
コトホギの恋愛感は、「好きだ」と面と向かって言われても理解できないほど鈍い。いくら興味がないと言っても、流石にもう少しわかりそうなものだが……。
反対にマコトリは、初対面の相手でも目を見れば大体の感情がわかる。もちろん確実ではないが、八割ぐらいは的中するものだ。恋愛の色というのは、知らず知らず目の奥に映る。マコトリはそれを見分ける術を知っているに過ぎない。
「それで、なんでマコトリに恋をしてる兄さんが、マコトリに意地悪するわけ? 理屈が通らないよ」
「理屈なんか通るわけない。ギギルは卑屈で恥ずかしがり屋で、例えるならプライドの高い14歳みたいなヤツなの。アタシがずっと好きで、今はこうしてマスターにもなったから、さっさと【ヨページュ】しようって言えばいいのに」
マコトリの口から、ためらいなく直接的な単語が出る。コトホギも赤面こそしないが、困ったような顔になってマコトリをたしなめる。
「マコトリちゃん、そういう表現は……」
「生娘じゃあるまいしなによ。ギギルは、アタシをラブ・ゴーレム扱いしようとしない、いや、することの出来ない、そういうタイプのクズ。今まで彼女も出来たことない生男の事、【ヨページュ】自体はしたいに決まってるじゃない。だからアタシは何度か、このまま気持ち悪い関係でいるよりさっさとアタシを使えってギギルに提案したのよ。でもあのクズめ、頬を赤らめて必死に否定するの。アタシ、そういう男が一番嫌い」
ラブ・ゴーレムであるマコトリにとって、性行為に及ぶことは何の恥ずかしさも伴わないものだ。だが、人間の男にとってはそうではない。性交に及ぶまでに幾つかの段階を踏まないと、そこにたどり着けないのが昔から変わらぬ人間の性なのかもしれない。
ラブ・ゴーレム達の活動によってそうした行動に対しての気恥ずかしさは随分なくなっていたが、まだまだ割り切れない人間もいる。
「一番ムカつくのは、アイツはただ単にアタシが厚意で【ヨページュ】しようかって持ちかけてるのを、よりにもよって『まごころがない』って断るのよ。…………ふ、ざ、け、る、な、と。アタシがアイツの事を嫌いなのは、何回も口に出して言ってるし、あからさまに態度にも出してるでしょう? だあから、だからこそせめて! ひとときの満足感でも味わわせてやろうと思って、嫌だけど勤めとしてなら【ヨページュ】ぐらいするよってこっちから言ってんのに! それをまるで理解しようともしないでそういう事言うもんだから――あああ、ああっ!! ――――あのクズ!!」
マコトリは話す内にどんどん熱く、ヒステリックになっていく。コトホギは黙って聞いている。同時に、必死に頭を働かせていた。マコトリを生かすための方法……。
マコトリの状態は、かなり危ない。幼い頃からゴーレムの世話をしてきたコトホギには、マコトリの言動からそう予想する。
ゴーレムが自分の感情をセーブできなくなるというのは、かなり深刻な事態だ……。この状態になってから三ヶ月、いや二ヶ月……いままで世話をしてきたゴーレム達も、それほど永くはなかった。
生きている限り、ゴーレムの意識には永遠に記憶が蓄積され続ける。
ゴーレムにとっての死とは、過去に縋りついて、離れられなくなること。つまり、現在から逃げ出すことだ。
死んだゴーレムは肉体こそ残るものの、人格は二度と戻らず、持ち主不在の肉体は破棄される。
マコトリはただでさえ作られてからの時間が長く、その分、縛られる過去の量も多い。過去の量は経験量でもあるが、同時に死亡リスクの量でもあった。
ストレスを伴う現実からの、完全なる逃避行動――――。過去の量が多ければ多いほど、ゴーレムの意識は、思い出に逃げ込みやすくなる。
辛い現実から逃げ、楽しい過去の思い出に浸る……。ゴーレムの死は、人間で言う痴呆症と似た状態かもしれないと、コトホギは考えている。
マコトリがそれに気づき、どうしようもなくなって実行してしまうまでに、そう時間は残されていないようだ
。
強く、美しく、気高く――、以前職場である【カララニニア鉱掘業】に連れて行ったときも、社員全員に好かれたマコトリ。
コトホギが知っている『ラブ・ゴーレム』の中でも、もっとも肌理細かな肌を持ち、整った形の爪を生やすマコトリ。
父イルメヤン・シュターンが、生涯をかけて愛したマコトリ。
――それが兄であるギギル・シュターンによって死の淵に立たされている……。それは、コトホギにとって辛いことだった。
だから、私がマコトリの命を救う方法を考えなければいけない。
でも、今すぐにその方法は考えつかない。
いい方法が考えつくまで、マコトリを少しでも長生きさせないと。
……その為には、マコトリにこれ以上ストレスがかからないようにしなければ。――少しでも、少しでも。
コトホギはそう考えたから、マコトリの話を聞いている間、……せめてずっと笑顔でいた。
――――
遠くトレログの【内市】では、セミたちが威勢よく鳴き続けている。太陽は天上遙か彼方から照りつけ、人々の足元に墨で書いたかのような濃い影を落としている。雨を忘れてしまった大地が、癇癪を起こしたかのように砂塵を撒き散らしている。空に浮かんだ雲は底が暗い、分厚い積乱雲だった。
その大地に、一条の線が引かれている。その線は、近づいてみれば石を並べただけの粗末な点の集まりに過ぎない。事実それは、単なる目印として並べてあるだけのものだ。
そこまでが、【石の町トレログ】の境界魔法陣の及ぶ範囲なのだ。
その外側……。石の並びのすぐ後ろに、屹立する岩山の群れがあった。凄まじい質量を持つ寸胴の肉体に不格好な手足をつけた、いわば、人間型の鉱山。『ジャイアント・ゴーレム』と呼ばれている存在。
その頭部(に見える部分)には、個体ごとにさまざまな色のペインティングが施されている。これが『タグ』だ。
先遣隊によって個体に付けられる『タグ』の色は、それを競り落とした会社の色に塗り分けられ、それぞれ番号が振られている。人々はこの『タグ』と目印にして、倒すゴーレムを決めるというわけだ。
線を挟んで反対側で、タークとエコを含む数百人が待ち構えている。あの線は境界魔法陣の限界範囲であると同時に、『ジャイアント・ゴーレム』禁猟区の内側と外側を分けるボーダーラインでもある。次の一歩を踏み込んだゴーレムから、討伐、及び採掘が可能になるということだ。
岩山の群れと人の群れ。その大きなかたまり同士が、石で出来たちっぽけな線を挟んで睨み合っている。
辺りは静寂に包まれ、太陽が照りつける『じりじり』という音ならぬ音だけが、地面から立ち上っていた。
それから、およそ三十秒後。
先頭に立つ、頭を緑色に塗られた一体が重い足を振り上げ、ゆっくりと踏み降ろした。その足跡が、内側に着く。……わっという歓声が上がった。
――――
「上がれ上がれ上がれ!! 次の一歩までにあと六人上がれーー!!」
「ハンマーを忘れるなよ! 次のエモノはあそこの206番、高さは16レーンだ!」
「……落ちたぞーーーーーーっ!!!!!! ヘッドエイク!!」
「うわあああああああああーーーーーっ!!!!」
……どんっ!!!!
地面に何かが墜落する重い音は、人々の耳にやけにはっきりと聞こえた。およそ13レーン程の高さから土の大地に落ちたそれは、じたばたともがき苦しんだ後、突然動かなくなる。
……タークは10レーンの高さから、それを見下ろしていた。
「見るな見るな。見ても得になりゃしねえよ」
「分かりました」
タークは上にいる先輩の言葉を聞いて、再び視線を上に戻した。
「それより急げ。早いとこ肩までいかねえと……、歩かれるぞ」
「はい」
『ジャイアント・ゴーレム』は、一日あたりおおよそ四キロレーンほど移動する。時速にして、170レーン程度だ。
当然動きもほとんどなく、歩数も十分に一歩程度だが、もしクライミング中に歩かれると振動で振り落とされてしまう恐れがある。振り落とされた顛末は、先程の通りだ。
タークは『ジャイアント・ゴーレム』の体表面に出来た出っ張りに手をかけると、左足を使って体を持ち上げる。そしてまた次の出っ張り、『ホールド』を探して手を伸ばす。タグ・マーキングの際に『マーカー』と呼ばれるベテランのクライマーが最善のコースに印を付けてくれているので、タークのような『労働者』は、それに沿って登っていけばいい。
しかし核を破壊するためのハンマーを始めとする重たい採掘具を持ってのクライミングは、肉体に非常な負荷を強いる。タークも体は頑丈な方だが、体力に余裕は無かった。
「くっ、……ふう」
岩壁の途中で、片方の手を細かく振って休む。辺りにも同様の岩山がひしめき合い、エコがいるであろう南側の岩場は見えなかった。その後タークが『ジャイアント・ゴーレム』の肩に立つ頃には、他の『労働者』たちはすでに核へのアタックを開始していた。
「遅くなりました」
「おお、来たか。いや、遅いなんてことはない。ゆっくり行こう」
年配の男がタークをねぎらう。
「そろそろ歩くぞ。みんな何かに掴まれ!」
別の男が叫ぶ。それに応じて肩の上に立つ数人のメンバーが道具を身につけ、岩にくっついた。
「くるぞーーーーっ!!」
タークが辺りを見回す。周りの『ジャイアント・ゴーレム』たちが、続々と一歩を踏み出してゆく。見当もつかないほど重いであろう巨体が、バラバラのタイミングで一歩踏み込む。その度に、微振動が起こった。
緊張感漂う数十秒が経ち、タークはいきなり浮遊感に襲われた。はらわたが浮かび上がるような、金玉が縮み上がるような、感じたことのない恐怖が電気のように全身を駆け抜けていった後……、
凄まじい振動が来た。
「ぐううううっ」
落下する恐怖からタークが我知らず声を漏らし、渾身の力を持って岩肌にしがみつく。振動は激しいが、傾きはそうでもない。しかし、脳裏に先程落ちた人の叫びと激突の音が蘇れば、タークの頭は振り落とされないことでいっぱいになった。
凄まじい衝撃の後、その余震が静まる頃、タークはようやく我に返って立ち上がった。すると他のメンバーはとっくに身を起こし、準備をし終えている。
「ターク! はっはっは。平気か? 最初は皆そんなもんだ……。だがいつも落ち着いてるタークも人間だってことが分かって、俺はかえって嬉しいぞ! はっはっは!」
最年長の先輩がそう言って笑うと、あとのメンバーも朗らかな笑い声を立てる。
「いや、面目ありません」
タークがそう言ってアタックに加わると、ますます大きな笑い声が起こった。
「昼までに終わらせんぞ~~~。くれぐれも安全第一でな!」
先輩が声を掛けると、一同から大きな同意の声が上がった。やがてそれはアタックの時に歌う「ハンマー・ソング」と呼ばれる威勢のいい歌になる。
その後『ジャイアント・ゴーレム』が六歩歩くまでに、その討伐は終わった。
――――
「みんな、お疲れさま~!!」
「うおっス」
「うぉ~~~す」
「ウィス。ありがとざっす」
「あっす~~~」
コトホギが笑顔を振りまき、疲れ果ててゴーレム採掘から帰ってきた労働者達に軽食と水を配り歩いている。時刻は夕暮れ時。
「お疲れさま。お疲れさま。あれっ、エコちゃん」
「コトホギ~~~~~、水、水ちょうだい」
「はい」
ふらついて歩み寄ってくるエコに、コトホギが手に持ったお盆を差し出す。エコはそこから大きなゴブレットを掴み取ると、中身を一気に飲み下した。
「…………ぶあぁ~~~~~~~~ぁぁぁぁ!!! ぐはっ、……ふーーーーー」
「ふふふっ。疲れたでしょ?」
エコからゴブレットを受け取り、コトホギ。続いて軽食を渡す。麦粥のようなものだ。
「ありがとう! や~~~、は~~~~……社長と一緒につぎつぎ回ってさあ。へとへとだよ」
「そうかあ。あ、タークさん」
「水もらえるか」
エコの後ろからタークが姿を現す。コトホギがゴブレットを手渡した。エコはお盆からスプーンを取り上げ、麦粥に口を付ける。
タークは半分ほど水を飲むと、エコにせがまれて残りを渡した。
「研修と比べ物にならないしんどさだな……。明日は何時から?」
タークが尋ねる。コトホギが答える。
「タークさんはお昼からだね。……エコちゃんは? 聞いてる?」
「んぐっ、んぐ……。あっ。……わたしは朝から。また社長と……。いや、大変、たいへん」
麦粥を水で流し込んでから、エコがうんざりした様子で言った。一日中魔法を使い続けて、さすがのエコも疲労の色を濃くしている。
「みんな!!! おつかれーーーーーーーっ!!」
そんな中、入り口の方からいきなり大音声が鳴り響いた。社長の声だ。
「「「「お疲れさまで~~~すっ!!!!」」」」
エコ、ターク、コトホギ、その他全ての視線が一気に社長に集まり、社員一同が声を揃えて社長に挨拶を返す。社長は、エコに向かってまっすぐ歩み寄ってきた。多少うんざりした様子のエコだったが、社長はやにわにエコの右腕を掴み上げて細い体を引っ張り起こし、また大声で叫ぶ。
「これがエコちゃんだ!!! 魔導士様だ!!! 俺は今日一日エコちゃんについて、南の岩場のゴーレムを倒してきた!!!」
社員たちから拍手と歓声が上がる。エコは特に感動した様子もなく、社長に掴まれていない方の手で、後頭部を掻いた。疲れ果てて眠いらしい。
「エコちゃんは元気がない! ……当たり前だ! みんな、エコちゃんが今日何体のゴーレムを倒したかわかるか!!」
社長が叫ぶと、辺りは静まり返った。社長はコトホギの方を向き、「コトホギ! 何体だと思う!!?」と大声で言う。
「うぅん゛~~~~~~、…………十?」
コトホギが、少し多めに見積もった数を答える。少しの沈黙。社長の口角がニンマリと上がっていく。エコは眠そうに目を瞬いた。
「っははあ……。驚くなよお~~~~ぅ? …………南の岩場のゴーレムは、」
「全滅した!!!!!」
社長が今日一番の大声で叫ぶ。一瞬の間が空き…………、
大歓声が、起こった。
そこにいた社員全員が大声を張り上げて喜び合い、社屋の中がまるで沸騰したかのような大騒ぎになる。男たちは次々にエコに殺到し、喜びのあまりエコのを担ぎ上げ、胴上げを始めた。
「ばんざ~~~いっ! ばんざ~~いっ! ばんざ~~~いっ!!」
なすがままにされるエコも、もみくちゃにされながら笑っている。やがて倉庫から酒樽が持ち出され、瞬く間に酒宴が始まってしまった。
「おまえら~~~!! 明日も仕事だぞ~~!! ……ゴラッ!! エコちゃんに飲ませんな!! エコちゃんの分は、俺に任せやがれ!」
社長は口ではみんなを止めながらも、差し出された酒杯を次々に空けてゆく。
その後ようやく胴上げから開放されたエコが、タークに歩み寄ってきた。
「おつかれさま~~~~~。ターク、わたし眠い……」
エコが、目を擦ってタークにもたれかかってきた。エコの体が火照っている。眠気も限界らしい。
「じゃあ、悪いけど先帰るか。社長に言ってくるわ」
タークが社長にその旨を伝えると、許可はアッサリと降りた。
――――――
夜道。【カララニニア鉱掘業】の社屋からエコの泊まっている部屋まで、タークはエコをおぶさって歩いていた。
「……エコ、南の岩場が終わったって言ってたが、何体ぐらいの『ジャイアント・ゴーレム』がいたんだ?」
タークはそのへんの事情がよく分かっておらず、眠いであろうエコに、あえて聞く。
「う~~~ん、……次々やってたから途中で数、忘れた……。お昼頃、二十三までは数えたけど……そこから十は倒したと思う……」
「げっ……!」
眠そうな声でエコが言い、遅らばせながらタークが驚いた。タークは今日、ベテラン四名新人二名、全六名のチームで動いて、朝の解禁から夕暮れまで(間に休憩は挟んだものの)ほぼ休みなく動き続けた。
……それでも、タークたちが倒した『ジャイアント・ゴーレム』は全部で四体。エコは一人で、その十倍近い数の『ジャイアント・ゴーレム』を倒していたというのだ。タークは改めて、エコの魔法の凄さを実感した。
「すごいな……。社長が自慢するわけだ」
タークが背中の温かい重みに向かって言う。しかし返答はなく、ただ小さな寝息が漏れているだけだった。
セミの鳴き声もだいぶ収まってきた、トレログの夜の街路にて。爽やかな夜風が、エコの髪を優しく撫でていった。




