第四話『タークの憂い』
――タークがエコと暮らし始めてから、2か月あまりの時が経った。クレーターの中、草原と湿地と畑と小さな家があるだけの居心地のいい生活に、他者の干渉は今の所全くない。
タークを追いかけていたしつこい追手達もこのクレーターに来てからは一度も姿を見せず、タークはのんびりとエコとの暮らしを楽しむことが出来た。
エコは人の世話をするのが好きなようで、タークの好きな料理を作ったり着古した服を繕ったり、何かとタークのために行動した。タークはそれを申し訳なく思っていつもエコに恩返しをするのだが、そんなものではとても返しきれないほど、エコはタークを第一に考えて世話を焼くのだった。
ある時タークがタバコ好きだと知ると、エコはすぐさま畑にタバコの苗を植え、『グロウ』という植物を急成長させる魔法を使ってあっという間に収穫して、ものの2週間で簡単なタバコを作ってしまった。
これにはタークも驚いた。礼を言って早速1本吸ってみると、久しぶりのタバコの味に舌がしびれる感じがして、思わず声が出た。隣にいてタークの顔を覗き込んでいたエコが、それを聞いて満足げに笑っていた。
タークがせめてもの礼にとうさぎを何匹か捕ってくるとエコはそれをタークの好きなミートパイにして出し、そのお礼をしようとタークが家じゅうのナイフを研ぐと、よく切れるようになったナイフでエコがタークのお守りを作る。
こうしたエコとタークの恩返し合戦は、まるで終わらないキャッチボールのように二人の間を行ったり来たりしていた。
家の仕事もエコがほとんどやってしまうので、タークは暇な時間を主に本を読んで過ごす。
最近、『魔法生物概論』『マナ読本』『魔導草本学特論Ⅰ』『生活用魔法入門』などを読み終わって、今は『ガーデニングをしよう』を読み始めたところだった。
……一緒に生活をしたり本を読むうちに、タークは次第にあることに気が付いていた。
エコは、どうやら普通の人間ではないらしいのだ。
ある日タークが思い切ってエコにそのことを切り出すと、エコは「そうそう、わたし、マンドラゴラだよ」と当り前のように答えたので、タークは拍子抜けしてしまった。
タークは『魔導草本学特論Ⅰ』の、マンドラゴラについての記述を読み返した。
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マンドラゴラは極めて強力な毒性を持つ一年草である。少量の摂取でも幻覚、幻聴、痙攣、麻痺を起こし、場合によっては死に至る。ごくごく微量ならば媚薬、鎮痛薬、睡眠薬としても使用できるため、媚薬として素人が使用し、死人が出るケースが少なくない。
また個体によってマナ貯留量に差があり、薬効にも差があるため、専門の魔導薬士によらなければ使用は控えるべきである。
人間型をした根には恋愛成就、多産、魔よけの力があり、15センチレーンを超える大きなものになると50万ベリルもの値が付くこともある。
マンドラゴラの叫び声を聞くと死ぬ、または石化するという伝承があるが、実際に聞いた者はおらず、真実は不明である。また伝承が真実であれば、そうした人がいた場合は死ぬか石化しているだろう。よって、この問題についての回答は未だに得られていない。
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「15センチレーンで大きい」となっているが、エコの身長は1・5レーンぐらいある。つまり普通のマンドラゴラとも違う、何らかの術によって巨大化した個体らしい。この本にもこれ以外にマンドラゴラについての記述はないので、タークには詳しいことは分からなかったが、魔法生物については『魔法生物概論』に詳しく載っていた。
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魔法生物とは、マナを使った魔法力によって誕生した全ての生あるものを指す。
人間が創造するために人間に類似する外見的特徴(二足歩行、器用な五本指の手、髪の生えた頭部)を備えることが多い。
繁殖力を持つ場合もある。現にハーピィ族や小人族、ヴィナーヤカ族などは個体数を増し、人間と共存している。
今では彼ら異人族の人権が認められているため、『魔法生物』と言った場合には彼ら種族として確立した者を含めないことになっているが、学問的には記載が許されている。
とはいえ、魔法生物と言えばほぼ全てが一代限りの生物である。なぜなら、複数個体(種として存続するには200体以上の個体が必要だとされている)創造される魔法生物は少なく、しかも生殖能力を持つものはほとんどいないため、種として定着することが滅多に無いからだ。
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タークは考える。おそらくエコは一代限りの魔法生物だろう。エコに生殖能力があるのかは知らないが、他にエコのような個体が何体もいるとは考えにくい。となると、エコはただ一人、『エコ』という一種族なのだ。
タークには、クレーターの外に多くの同じ種である人間がいる。その中の誰かと結婚して子供を作ることも出来る。――そしてその子供はまた結婚して子孫を残し、命を繋いでいく。
しかしエコには、その可能性が始めからないのだ。この世界に存在する命の輪から投げ出されている。色々と調べるうちに、タークは師匠が何故出て行ったのかなんとなく分かる気がした。
――きっと師匠はエコと一緒に暮らしている間に、自分のしたことが恐ろしくなったのではないか……?
最初は、ただの興味だっただろう。興味があるから巨大なマンドラゴラを作って、魔法や家事を教え、そして一緒に生活をした。でもそのうちに、自分のしたことが恐ろしくなってきたはずだ。
結局、エコは人間ではない。子供も作れない。エコを生んだ責任が、自分には取れない……。いずれエコは老いて、そのまま死んでいくだろう。そして、『エコ』という種族はそのまま絶滅する。
恐らく師匠は、そんな場面に直面したくなかったのだ。
その後タークはエコが陸海月を狩りに行っている間に、命がけ(エコから、師匠の部屋の床にはどんな魔法陣があるか分からないから危ないという話は聞いていた)で師匠の部屋を見に行った。
机の上にエコに関する研究の資料が無造作に積まれていた。タークの思ったとおりだった。
少しエコにうしろめたい気もしたが、考えても仕方がないことなので、タークはとにかく一番上の資料を手に取り、表面の埃を払って読み始めた。
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マンドラゴラは一年草。よってエコも恐らく短命だろう。今までの研究で作ったレーン・マンドラゴラ(大型のマンドラゴラ)は、いずれも2~4年で枯れた。しかしエコは生後5年経つ今も成長を続けている。その成長速度とサイズから推測すると、恐らく寿命は10年ほどだろう。
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――ここまで読むと、タークの動きが止まった。肩が小刻みに震え出し、タークの頬を一筋の涙が流れ落ちる。これには本人も驚いた。
右端に書かれた日付から、この資料は去年書かれた物らしい。つまり今、エコの年齢は6歳。余命はあと4年……。あと4回春を迎えたら、春風とともにエコは死んでしまう。
――――ならば、せめて…… 一緒に居てやりたい。
不意にそう思って、自分でもびっくりする。エコとまだ出会って2ヶ月しか経っていないというのに、タークの中でエコの存在がこんなにも大きくなっていたのだ。
タークは戸惑った。感じたことの無い気持ちを相手に、どう立ち回っていいか分からない。少し焦った後急に師匠の資料に続きがある事を思い出して、戸惑いを誤魔化すようにして、再びページをめくった。
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いままでのレーン・マンドラゴラはマンドラゴラが大きくなったに過ぎないただの植物だったが、エコは違う。
安定した自意識と知性を持ち、魔法まで習得した。もうそのへんの魔導士ではエコに敵うまい。エコの成長力は竹林のように早く、さらに師匠が俺ときている。
だから、なおさら寿命については頭の痛い問題だ。なにか方法はないものか。
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師匠も同じ気持ちだったのだ。
師匠がいなくなったのはきっと、エコの寿命を延ばす方法を探すために違いない。魔導士である師匠になら、タークには想像もつかない方法が見つかるかもしれない。
そう思うと、タークの気持ちが少し軽くなった。エコ曰く“すごい魔導士”だという、エコの師匠。タークは千人の味方を得たかのような頼もしさを感じた。
「頼むぞ、師匠。それまでエコのことは任せろ」
タークはそう独り言を言うと、資料を戻して師匠の部屋を出た。
――
「エコ、ちょっと聞きたいことがあるんだ。俺は今日、師匠の部屋に入ってお前の資料を見た」
タークが陸海月狩りから帰ってきたばかりのエコに言う。不意打ちを食らったエコは、靴の泥を落とす手を止めて驚いていた。
「え、なに? 師匠の部屋に入ったの? ……わたしの資料?」
エコはそんなものがあったのか、と言いたそうな顔をしている。
「そう。お前は魔法生物だろ? 師匠が作った。だから、きっと研究資料があると思って探したんだ。探すまでもなく、机の上に置いてあったが」
「そうなんだ。わたしは師匠の部屋にはほとんど入らないから……。ふーん、何て書いてあった?」
タークは腹を決めた。エコが傷つかないように話そうと思っていたが、ここから先の話をするには、エコの寿命に触れないわけには行かなかった。
「エコは今の自分の年齢を知ってるか?」
自分の年齢を知っているなら、寿命のことにも気付いている可能性が高い。エコのことを思うとタークは心が締め付けられるような気分になったが、言わずにはいられなかった。タークの心配をよそに、エコは普段と全く変わらない調子で答えた。
「んーと、6歳だね。10歳で死ぬって師匠が言ってたよ」
「……そうだ。師匠の資料にも書いてあった。……それでもいままでのマンドラゴラは2~4年で、エコは長いんだって。でも……、どういう……感じなんだ? あと4年で、死ぬことが、分かっているって」
タークは急にこみ上げてきた嗚咽をこらえながら、できるだけ平静に喋ろうとした。エコはタークの様子がおかしいのに気付き、心配そうに言う。
「どういう感じって? ターク、大丈夫? お茶飲もうよ」
エコはそう言ってお茶の準備を始める。タークは、溢れてくる悲しみを懸命に抑え込みながら椅子に座った。エコがお茶を淹れてくれている少しの間、タークはずっと自分のことを考えていた。
タークはつくづく、自分は自己中心的な人間だ、と思う。
いままでの人生で、これほど他人の気持ちを酌量しようとしたり、他人を気遣ったことはなかった。
自分さえ良ければ、それでいいと思っていた。他人の気持ちを先に考えることなど、しようともしなかった。いや、突き詰めればエコのことさえ、ただの自己満足なのかも知れない。
エコのことを本当に考えたならば、寿命の話を切り出すのも、もっとタイミングがあったはずなのだ。さっきのあれは、本当は…………ただ、自分の興味本意で聞いただけだったのではないのか?
(――エコは、どうしてこうも俺に気を遣ってくれるのだろうか。俺はエコに返せるものなど何も無い。俺が他人に何かするとしたら、なにかしらの見返りを期待している時だけだ。だが、エコにそんな様子は無い。時々エコの気遣いが、俺の心を痛めることがある。今までどうしてかと疑問だったが……。きっと、俺はエコのことが羨ましいんだ。ああして、見返りを求めずに他人に世話を焼くことが、自分には出来ないから……)
エコが、目の前にそっとお茶を置いた。
春に作ったというカモミール・ティーの甘い香りが、タークの鼻を通り抜けて、胸の奥まで染み込むように広がる。
タークはエコに礼を言うと、熱いお茶を飲み下した。知らないうちに冷え切っていた体に心地よいぬくもりが注がれ、気分が少し落ち着く。タークは、改めてエコに寿命のことを尋ねてみることにした。
「エコは、自分の寿命が分かっていて苦しくないのか? ……俺だったら取り乱すよ。もう少しで死んでしまうと分かっていたら」
一呼吸置いてから、エコが答える。
「そう……。わたしは苦しくないよ。それに短いとも思ってない。……でも最初に師匠に聞いた時はびっくりしたなあ。去年ね、去年のちょうど今頃、師匠が突然『エコ。君の寿命はあと5年だ』っていうんだよ。でも、その時も短いとは思わなかった」
「なぜ?」
「なんでか、わたしにも分からなかったの。師匠から人間は70年は生きるって聞いてたし、犬や猫だって10年よりは長生きするでしょ? だから、年数で言えば短いけど……。でも、なんとなく違うなーと思って。でも、そのあと読んだ本で偶然、この気持ちをうまいこと表現してくれる言葉に出会ったの。主人公のセリフだったんだけどね」
そう言ってエコは一旦言葉を切ると、一口お茶をすすった。こんな話をしている時でも、エコは落ち着いている。時に幼さすら感じるほど子供っぽい性格のエコだが、この時はむしろ、タークよりも少し大人びて見えた。
「――『命は長さじゃないですよ』」
小さな声で呟くように言ったその言葉は、不思議とタークの耳にはっきりと届いた。タークはしばらくの間、息が詰まって言葉が出なかった。そのままエコが続ける。
「その主人公はね、重い病気を持ってて、それで死んじゃいそうになるの。でも、その人が病気になったことで、いままで仲が悪かった家族の気持ちがひとつになっていくのね。その主人公が、沢山血を吐いて長生きできない事を悟った時言ったセリフなんだ。ターク読んだことある?『園』って本なんだけど」
珍しくもない、有名な本だった。タークも読んだことがあるが、そんなセリフは読み飛ばしていたのだろう、全く記憶になかった。ただ、主人公の病気が肺結核だったことは覚えている。人によって視点が違うものだ。
「だからね、わたしは普段別に『あと4年で死ぬなー』なんて考えたりしないよ。とにかく、生きる実感ていうか、楽しみばっかりで。今はタークいるし、幸せだよ。師匠もそろそろ帰って来るだろうし」
師匠と聞いて、タークは師匠が出て行った理由を思い出した。
「そうだ! 師匠の資料の最後に、エコの寿命がなんとかならないかって事が書いてあったんだ。師匠がなんで突然いなくなったのかは、きっとエコの寿命を延ばす方法を探しに行ったんだと思うんだ。だから、師匠がその方法を持って帰って来るまで、俺はここに居たいと思う。いいか?」
タークがそう言うと、エコはとても嬉しそうな顔になった。弾んだ声で言う。
「ほんと!? そっか、そうだったんだ! わたし、師匠に嫌われたんじゃないかって、それだけがずうっと気になってたの。それに、もしかしたらタークもいきなりどこかへ行っちゃうんじゃないかと思って……。考えないようにしてたんだけど。ありがとうターク! 嬉しい! 師匠が帰って来ても、ずっと居てほしいくらい」
「そうだな。帰ってきたら師匠にも聞いてみよう。ただ、師匠と俺が合うかな」
「きっと平気よ。なんだったら、わたしがすぐそこにタークの家を作ってあげる」
「魔法陣は苦手なんだろう? まして建築用の魔法なんて難しそうじゃないか」
「わかんなかったら師匠に聞く! あ、でもタークが師匠に嫌われたら教えてくれないかも?」
「ははは、やっぱり俺と師匠の相性次第じゃないか」
タークとエコはしばらく笑い合い、それから他愛ない話をして、おいしい夕食を食べた。そしてもう1回お茶をして、タークは蛍玉の明かりの下、いつも通り本を読んで眠った。
タークの夢には師匠が出てきた。気難しそうな人だったがすぐにタークと打ち解け、仲良くなった。タークは夢の中でもずっと、笑っていた。