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エコ魔導士  作者: 中村 尽
唯一無二の四編
49/67

第四十一話『魔導世界の性事情』


【トレログ】内市。



 木目を基調としたインテリアでまとめられた落ち着いた雰囲気の部屋の中で、数人の女性がくつろいでいた。壁際に複数並ぶ扉のうちの一枚が開き、今しがた仕事を終えたらしい背の高い女性が、水浴びを終えて部屋に入って来る。

 女性は、長い髪の毛を乾かしながら、暇そうに鏡を見ている小柄なショートヘアの女性に話しかけた。


「あらヒキウス。あんたさっきから控室にずっといない? 今日は買い手がいないのぉ?」

 

 小柄な女性は、小動物を連想させる機敏な動きで振り向くと、即座に反論する。

「違うよぉっ! 予約客待ってるんだけど、来ないの! 振られちゃったのかな! えへへっ」




挿絵(By みてみん)




「そっか」


 背の高い女性はそう素っ気なく言って、ふと部屋の隅を見やる。同時に、すこしだけ顔をしかめた。



 部屋の端には、ひと際目立つ紫色の髪をした女性が、一人ぽつんと座っている。端正な顔立ちをした紫色の髪の女性は、何をするでもなくただ呆然と布張りの椅子に座って、左右で色の違う赤と青の瞳を虚空に泳がせている。


 その目は開かれているが、何かを見てはいない様子だった。心ここにあらずと言った様子で、少しも体を動かさない。

 美しいウェーブのかかった髪と陶磁器のような白い肌をもつ女性が椅子にかけてそうしている様は、さながら一葉の絵画の様だ。




挿絵(By みてみん)




「マコトリさん、最近ずっとああね。お店に出てきても、お客をとらないし」

「そうだっけ? あたし久しぶりに来たからわかんない」

「ヤバげなイキフンね」

「……。ちょっと様子見てこようっと」


 背の高い女性がヒキウスという名の小柄な女性に独り言の様に言うと、ヒキウスがそれに応じて立ち上がり、紫色の髪の女性――――マコトリの元へ歩いていった。



「マコトリ姐さ~ん、どうしたの? 最近ずっと元気ないね」


「ほっ、とい……て……アンタは優しいけど」


 マコトリは虚空に目を泳がせたまま、上の空に言う。


「優しさじゃあ、どうにもならないことだからさ……」

「そうなんだ。よーし、それじゃあ私、気にしないことにした!」


 ヒキウスはころりとそう言ったきり、元の席に戻っていった。……わずか数レーンの道程を、ちらちらと振り返りながら。





 ――ここは、老舗のゴーレム宿【ゴーレムハレム】のゴーレム控室。

 そしてここにいる女たちは皆、人間たちの性的欲求を満たすために作られた粘土人形ゴーレム


 ――『ラブ・ゴーレム』と呼ばれる存在だった。



 一人の職人の手によって最初の性人形『ラブ・ゴーレム』が作られたのは、今からおよそ50年前。


 従来のような、土や岩をそのまま使った単純なゴーレムとは全く次元の違う芸術品である『ラブ・ゴーレム』は、もともとは生まれ持った障害の為相手のいない男性や、晩年に伴侶を亡くした未亡人のやり場のない性的欲求を満たす為に作られたものだった。


 しかしその数年後……一部のマニア向け性風俗店『ゴーレムハレム』が開店すると、ゴーレム宿は瞬く間に【トレログ】の性風俗市場を席巻してしまった。



 純粋に人間の為を思って作られた“愛のゴーレム”たちは、眠らず、疲れず、性病を伝染うつさず、子どもを作ることもなく――なによりも、とても勤勉で思いやり深かった。


 彼ら『ラブ・ゴーレム』たちは、その持ち前の熱心さと明るさでもって「性風俗」という業界そのものに纏わりついていた暗いイメージをたった数十年の内に拭い取り、そこに全く新しい色を塗った。


 新しい色……。鮮烈で眩しいその色は市民たちの目にも好意的に受け入れられ、それまでのような風俗に対する負のイメージは一掃された。


 それからゴーレム宿は市民の生活に無くてはならないものとなり、過去からすれば価格破壊とも言える安価さも手伝って、今では夫婦で連れ添って利用する者も珍しくない。



 ゴーレム宿の誕生から数十年が経過した現在、主要都市の性風俗はほぼゴーレム宿のみとなり、福祉事業の一巻として整備されるまでになった。

 かつての様な娼婦が存在するのは、境界魔法陣が必要ない程度の小都市や、低層コミュニティのスラム街くらいのものだ。そして、間もなくそうした土地の性風俗も、ラブ・ゴーレムによって次第に淘汰されていくことだろう。




「マコトリ姐さん、ヤバいんじゃないの……。あれ、自死の初期症状でしょ」

「ストレス溜まってるよ、マジでヤバいって。イライラ移されないように、ちょっと距離取った方が良いかもね」


 マコトリの周りで、噂好きのゴーレム達がひそひそと話し合う。ゴーレムは肉体的には不死だが、精神を病むとあっけなく死んでしまう。人間同様、死はゴーレムの最も恐れる概念の一つだ。



「ヒキウス、マコトリさんとちょっと距離とっといたほうがいいんじゃないかな。アンタだって死んじゃいたくないでしょ」

 背の高い女性が、諭すようにヒキウスに言う。もちろん、マコトリには聞こえない程度の小声で。ヒキウスは柔らかそうなほっぺたを少し膨らせつつ、額に眉根を寄せた。

「放っておけっていうのぉ? マコトリ姐さんが困ってるのに……」

「人がいいねえ、ヒキウス。まあそうね。アハハ、あんたストレス無さそうだもんねえ。大丈夫かも」

「皮肉言ってるう? でもまあ、実際にそうなんだから仕方ないか~! マコトリ姐さ~ん!」


 ヒキウスはそう言って、再び暗い顔をしたマコトリの元へ駆けていった。



――――



 

「エコ、どうかしたか。そろそろ起きろよ」



 珍しくタークよりも長く寝ているエコに、タークが声をかけた。



 昨夜【石の町トレログ】の内壁をくぐったエコとタークは、近隣の宿に部屋を取り、そのまま倒れるように眠ってしまった。雪山越えの最中起こった様々な事件によって、二人とも骨の髄まで疲れ切っていたのだ。


 しかしタークが遅めに起きてからもなかなかエコは起きて来ず、心配したタークが様子を見に来た。エコに何かありはしないかと小さなことでも気が気でないタークは、エコの鈍い唸り声が上がるのを聞くと、心の底から安心した。


「んむ~、あ~~~~……、こんなに起きられないのはじめて……。聞いてターク、夢がとっても面白いの…………。続きが見たいから後でね…………」

「……それはいいが、フィズン達がそろそろ来るぞ?」

「……………………」


 昨夜フィズンとハルナと別れる際に、二人は翌朝【樹教】の森殿しんでんに行こうと約束をしていた。エコは植物を信仰するという【樹教】に興味を持ち、楽しみにしていたのだが……。




「んに………………ぁ……すー……」


 そのまま夢の世界へ戻って行ってしまった。タークはエコを起こさぬようにベッドサイドの椅子に腰掛け、慣れた動作でタバコを……取り出そうとして、昨日それが切れたことを思い出した。









 フィズン達がわざわざ出向いてきてくれる頃になっても遂にエコは目覚めず、タークが二人に頼んで昼食後に出発、ということにしてもらった。その後もエコは寝続け、昼前になってようやく起きてくる。それでも、まだ眠そうに目を擦っている。


「あ~~、ごめんなさい。寝すぎちゃったよ……」


「いいわよいいわよ、タークさんに旅のお話を伺っていたから」



 エコは申し訳なさそうに謝ったが、ハルナは笑って許してくれた。和やかな雰囲気の会食の後、予定通り【樹教】の森殿しんでんに向かう。




 森殿に向かう途上で、テンクラ・ハルナは森殿についてエコとタークはもちろん、フィズンにも言い聞かせるように語った。


 森殿というのはその土地で最も古い木が生えている場所のことで、土地土地とちどちにおける樹教信仰の中心地であること。

 マナは植物が生み出すために、森殿は例外なく強力な『マナ・スポット』となっていること。

 そしてハルナとフィズンは各地の森殿を回る巡礼の旅の途上だということ。


「森殿はいろいろな所にあるのだけど、ここの森殿はとっても古いのよ。私も久しぶりに来るわ」




 目指す場所は、エコ達のいる場所から見て街の反対側にあたる。そのため、四人は【石の町トレログ】で最も栄えている中心部を横断することになった。


 トレログ内市の道路には地区ごとに模様の違う石畳が引かれており、歩くものの目を楽しませる。

 石畳はそれ自体が境界魔法陣の平面構造を兼ねてもいる。トレログの境界魔法陣は正四角形を基調とした升目状で、区画と道路もそれに応じて、碁盤の目のように走っていた。



 区画をまたぐには、30分ほど歩けばいい。その度に石畳のデザインやパターンが変わり、街の様相もガラリと変化する。

 職人が軒を並べる工場こうば地区あり、露店商が立ち並ぶ繁華街あり、閑静な住宅街あり、導家どうかの別邸が鎮座する高級住宅地あり。


「また変わった! ターク、今度は何模様?」

「組木細工みたいだな。なんていう模様なんだろうなあ」

「すごいすごい! さっきのお魚みたいな模様も良かったけど、これもすてき!」



 エコははしゃぎ、色とりどり、形さまざまのタイルパネルの中から『黒しか踏まない』、『二個飛ばしで歩く』、『三角のタイルは踏まない』などの自分ルールを作って、時に人の迷惑になりながら歩いていた。




「面白いな、ブロックごとに性格が違う。建物の作りも、途中から変わったよな」

 タークがハルナに言う。フィズンはなんとなくタークがハルナに対して敬語を使わないのを不満に思っているらしいが、見た目の歳頃も近そうなハルナに対して敬語を使おうという気はタークには無かった。



「伝統的な建物は石灰岩に彫刻して作るんだけど、市街地はそうはいかないもの。あれじゃあ区画整理ができないでしょ?」

「ああ、街の外側にあった建物は、岩山をくり抜いたような、無骨なしろものだったな。ドアもついてなかった」

「あれがこの土地本来の建築様式なのよ。シロアリみたいっていうと失礼かな。でも、正方形スクエアの境界魔法陣を敷こうと思うと、広くて、平らな土地が必要でしょう。それで、住民納得の上、街の中心部だけ全部削ってならしたのよ。それだけで30年かかったって」


「30年! …………」フィズンが驚く。


「祖先が100年住んだ家を壊しても、30年かかって広大な地形を均等にならしてでも、境界魔法陣が必要だと思ったのね。でも、お陰でここはどこよりもメンテナンスが簡単で継続性のある境界魔法陣が出来たの。壊れたタイルパネルをはめ直すだけでいいから、行政魔導士じゃなくても出来るわ」



「境界魔法陣といえば、俺は【エレア・クレイ】に住んでたんだが、あそこのはどうなってたんだ?」

 タークがハルナに尋ねる。だがハルナは、申し訳なさそうに首を振った。

「ごめんなさい、私もそこまでは知らないわ。フィズン知ってる? 魔導学院で習わなかった?」


 ハルナがフィズンに目線をやって、質問を流す。

「知りません、すみません」

 フィズンは暗い顔でそう答えた。すると少し前方を歩いていたエコが近寄ってきて、「わたしこないだ習った!」と嬉しそうに話題に入ってきた。タークは疑い気味にエコに言う。


「ほんとに知ってんのか? エコは行ったことないだろう」

「知ってるよ!! ソリャさんに聞いたもん!」

 エコはまず憤慨し、それからソリャに聞いた各境界魔法陣の構造や特徴を思い出して言い並べた。




「【学術都市エレア・クレイ】の境界魔法陣は~、えーっと、『四重魔法陣』って言って、街全体を丸い陣で四重に覆ってるの。作ったのはシュティガレート・ジュムスティンていう人で、王立魔導学院の学長だって人」

「へえ、そうだったのか。まるで知らなかった」

 

 タークが相槌を打つと、エコは得意げに続ける。


「次、【芸術の街イルピア】の境界魔法陣は定幅図形の三角形で、ポピロ・コッツェっていう長がデザインしたのを、境界魔法陣工房の画家が毎日模写してどんどん広げてるんだって。このポピロ・コッツェっていう人が、あのゼイゼリリさんのお母さんらしいよ」


「あ~、そんなこと言ってたな。覚えてる、覚えてる」

「へえ、すごい人と知り合いね」

 タークが頷き、ハルナがちょっと驚く。


「あとね~、西の【ツィーリィ=セフィーア】っていう街は、街路樹と道路が樹型に張り巡らされてるらしくて、かなり複雑な形してるみたい」


「えっ!? 師匠、【ツィーリィ=セフィーア】って師匠の出身地ですよね? それに、【樹教】開闢かいびゃくの地とか……」

 思いがけないところでフィズンが反応した。




「うん、そうだよ。【御樹おんじゅ】があるところだね……。あそこの境界魔法陣は他のとは全然違うんだけどね」

 ハルナがそう言うと、エコが質問した。

「へえ~、どう違うんですか?」

 ハルナは笑って、【樹教】の伝説みたいなものなんだけどね、と前置きしてから本題に入った。




「【樹教】の聖地【ツィーリィ=セフィーア】。……その境界魔法陣は、唯一人の手が入っていない……。つまり、天然の境界魔法陣だと言われているわ」


「えっ、すごい」

 境界魔法陣は人の手によって出来たものとばかり思っていたエコが驚く。


「というか、そもそも境界魔法陣というもの自体が、【ツィーリィ=セフィーア】にもともとあった境界魔法陣を魔導士が模倣して出来たもの、らしいのよ。【ツィーリィ=セフィーア】では【御樹おんじゅ】という樹そのものがそのまま境界魔法陣としての機能を持っていて、昔から魔物のいない聖地として人々が暮らしていた土地なの。一部だけ見ると不規則で複雑に見えて、その実フラクタル構造という幾何学的な特性をもっている合理的な陣でもある……しかも最近、【球】という完璧な立体構造を持っている陣だという説が出てきたわ」


「境界魔法陣全体が、【球】? 【円】ならまだ分かるけど……どういうことですか?」


 エコが率直に尋ねると、ハルナは少し考える。もはやタークとフィズンには訳がわからず、黙って聞いているしか無かった。



「ん~~、木というのは、シュート系とルート系があるでしょ? こう……、シュートとルート全てを足して考えると、下にこうばぁ~~って広がって、上にもこうが~~っと広がって、そうするとホラ、全体としては丸い形になるじゃない」

 ハルナが身振り手振りを交えて必死にエコに説明する。


「あ~、そっかそっか、断面で見るとフラクタル図形、外観すると、球状になるってわけか」

「そうそう! ふふ、わかってくれてよかった」

 エコが納得すると、嬉しそうにハルナが笑う。


「シュートとルートって?」

 話を脇で聞いていたタークが、聞きなれない用語を聞いて口を挟んだ。フィズンも眉根をよせ、顔中で疑問を呈している。エコが回答した。


「『シュート』は植物の地上部。茎、葉、花、実、とか……とにかく地上に出てる部分で、『ルート』は根っこね。植物の根系こんけいの総称だよ。――――ところでハルナさん。全体が球になるってことは、【御樹】はS/R(シュート/ルート)比が一対一ってことですか? あんなに地上部が大きいから、ルート系の方が大きくないと倒れちゃうと思うんだけど……。それに、幹はどうなってるの? 見た感じ細いですよね」


「ああ、それがねぇ。樹教ではあまりそういう立ち入った話は禁じられてるの。御神体の詮索は良くないって……。でも、将来あれがもしも倒れたらとんでもない大災害になるから、考えとかなきゃいけないんだけどね。なにしろ人智を超えたものだし――」



 ハルナとエコはそれきり二人で話し込んでしまい、並んで歩くフィズンとタークはなんとなく気まずい空気になる。しかしタークは視線を向けるととっさに顔を背ける卑屈人間フィズンに、話しかけようという気にはならなかった。









 ブロックとブロックの間は太い幹線道路となっており、馬車や蝸牛車かぎゅうしゃせわしなく往来している。外市から続々入ってくるミッグ・フォイル難民たちだ。人混みが巨大な蛇のように波打ち、内市の中央にある役所を目指してなだれ込んでいく。

 ミッグ・フォイルの影響で照りつける日差しと押し合う人々の熱気で熱中症患者が続出し、トレログは大混乱に陥っていた。




 ……そんな喧騒を尻目に、エコたちは人気のない内市の裏側を歩いていた。途中途中、好奇心の向くままに寄り道をしつつの物見遊山半分といった気分でゆく道程は、決して森殿への最短ルートをなぞってはいない。


 しかし一行には急ぐ理由がそもそもなく、歩き方も実にのんびりとしたものだ。涼みついでに道先の露店にふらりと立ち寄ったりもする。




「すっごいきれい! おじさん、これなんですか? どうやって作ってるの?」


 エコは誰にでもすぐに仲良くなる。【ハロン湖】の聞き込みで培ったエコの雑談力は高く、また距離感のとり方も絶妙だった。エコはまるで人心の通行証を持っているかのように人の心を開かせ、その内側へといつの間にか入っていってしまう。


 そのためこうした露天商などは為す術無くエコに気を許し、二、三分言葉を交わす頃には、すでに家族や店の経営といったプライベートな話にまで及んでしまうのだった。




「へぇ~、奥さんにもう一人子供が産まれるの! じゃあ、息子くんがお兄ちゃんになるんだ」

「息子も楽しみにしてるみたいでねえ、女房の手伝いを自分からやるんだよ。昨日なんて、おとうさん、寝っ転がってるなら食器を出して、なんて命令してきやがって、変われば変わるもんだ」


 エコとおじさんが世間話をしている間、タークは棚にある商品を眺めていた。


 【石の町トレログ】は、古くから鉱物資源の原産地として有名だ。それに伴い彫金、彫刻、鉄鋼鍛冶や陶磁器などの加工技術も、他の追随を許さない。


 タークの目の前にある店に雑然と並べてある商品ひとつとっても、他の街ではなかなか居ないほどの職人芸が遺憾なく発揮されている。しかしこの街では珍しくないレベルのようで、かなりの安値で売られていた。


 夢中でモノを見ていたタークだが、その中からガラス細工をひとつ取り上げて思わず感嘆の声を上げた。



「おおおお、こまっかい細工だな~……。それにこの色。光を通すとまるで虹のような……」

 上機嫌の店主が、ニコニコ顔でタークの方を向いた。



「兄さんなかなか目が効くな。それは【湖羽透こばねすかし】って言って、世界中でもここの職人さんしか作れねんだぞぉ。まあ、こいつはまだ若造で、これにしたってまだまだの作品だよ」

「これでかよ、十分すげえけどな…………」

 タークは絶句した。どう見ても、20年は修行した者の仕事だ。


「そりゃそうだよ。もしも他の街へ行けば、そいつはたちまち脚光を浴びるだろうな。人がほって置かねえ。今は極貧だが、外へ行く気さえすればすぐに一流で食っていける程度の腕はあるわ」


「ほお……」

 タークは意味がわかって関心したがエコには分からず、

「じゃあなんで出ないの?」

 と質問する。


「他所へ行っても、金は手に入るかもしれねえが、環境を手放しちまう。トレログの環境は、腕を磨くのにうってつけだからな。職人ってやつは安定した収入と生活よりも、よりよい作品づくりを目指っていう稀有な生き物なんだ。これを作った奴も自分が食っていけるかどうかなんてまるで考えちゃあいない。ただ、ただ、ただ、いかにいい作品を作れるかよ。トレログには、そういう人間が集う。……ほら、」


 店主は店の奥にある棚から大切そうにしまってあるガラス細工を取り出して、エコ達に見せる。


「……これはずっと職人やってる人の作品だが……、見ろよこれ、もう全てを見ろ」


「うっわ……! これ本当にすごい……!」

「どれどれ……、おおっ!…………すさまじいな」



「き・っれーーいだろう~? 」


 店主が笑う。その顔は、偏見を抜きにしてもカエルにそっくりだった。タークは心の中でそう思っただけだが、

「あっはっはは、おじさんの顔、カエルみたい!」

 エコは口に出して笑った。


「やっぱりそうだろう!? よく言われるよ! がっはっは! エコちゃん、他に質問はないかい? ああ兄さん、これ、買えって意味じゃないからな。旅に芸術品は無用の長物。特にこんな細工物なんか、割れちゃうしな! でもこれをよその街に持ってくと高く売れるよ」


「見るだけにしとくよ、悪いな」


 タークは二人に呆れながらも、そろそろ寒くなってきた懐事情を思い出していた。






 ハルナとフィズンはターク達の隣で、棚に陳列されている商品を眺めている。



「どれもきれいね、フィズン」

「師匠はこういうのお付けにならないんですか?」

 うっとりした様子でフィズンが言う。確かにハルナの透き通る様な美貌には、手に持っている宝石の類はよく似合いそうだった。


「娘時分にはそんなこと考えてたけどねえ……。でも、そんなの。この道を歩こうと思った時には、忘れちゃった」

「……お金があれば買えるのになあ」


 フィズンがこぼすと、ハルナが憐れむような目でフィズンを見た。


「だめよフィズン、まだそういうことを言うの? わかんない子だなあもう。そういう事、いつまでも言うんじゃないのよ」

「だ、だって師匠。これ似合いますよ」

「馬鹿。私の活動に宝飾品がいると思うの? これから先、色んな所へ行って森だすけ、人だすけよ。行く先々で同教徒の方とか地元の協力者さんに泊めてもらったりするのに、こんな豪奢なものつけてたらいい思いさせないでしょ?」

「あっ」


 そこまで言われてようやく怒られた訳がわかったフィズンは、表情を固くして縮こまった。

「そ、そんなこと考えなかった……! いま理解しました!」


「フィズン、あなたもね、いつまでも昔のちょっと羽振りの良かった頃を思い出すのやめなさい。スラムの用心棒で食べてた頃はこんなの買うお金もあっただろうけど、今はそんなこと無いんだから。旅をしてる今は、食べ物を食べて水が飲めればそれでじゅうぶん幸せだってわかったでしょ。今までの自分と決別したいって言って、私の弟子になったんだからね君は」


「はいっ! 師匠!」


 フィズンは踵を揃えて頭を下げた。




 しばらくの雑談の後、エコが何かに気がつき、出し抜けに店主に尋ねた。


「おじさん、この辺にお手洗いある? あっちに公衆トイレがあるの? あ、ターク、じゃあちょっと行ってくるね」


「わかった、……いや、俺も行くわ」



 エコの発言で股ぐらの切迫感に気がついたタークは、ハルナとフィズンに一言述べてからエコとともに公衆トイレへと向かった。




「タークわたしさー。最近随分慣れたけど、最初の頃はお手洗いがないのが本当に嫌だったよ」

「そうだよな~、屋外で用を足すのもたまにはいいかもしれないが、出来ることなら安心できる場所でしたいな、無防備だし」


 そんな会話をしながら、タークは胸にちょっとした不安感を抱いた。


 誰でも利用できるトイレが、今まで清潔だった試しはない。かと言って所用の差し迫った身には他に選択肢がなく、エコに要らない不安を抱かせるのも嫌だったので、そのままにして置くことにした。旅慣れたタークは、今更どんなトイレでも驚かない自信がある。





 ――――――しかしその公衆トイレは、そんなタークの想像を圧倒的に超えるしろものだった。








――――――




 【トレログ】の街に、大きなものが近づいてきている。


 それはエコ達が昨日見た、臼のような胴体に太くごつごつとした四肢を備えた、二足歩行の物体だった。



 外観は紛れもなく岩そのものだ。ひどく緩慢な動作で不器用に歩を進めるその物体は、【トレログ】東側の山脈から発して、外市のさらに外側の荒れ地を少しずつ蹂躙していた。


 そしてそれらは、ひとつではない。ざっと辺りを見回せば、百は下らないという膨大な数が並んでいる。このままの進路をとれば、【トレログ】の外壁を破って建築物を踏み潰しつつ、『内市』を縦断するだろう。――――なにしろ、それらの巨人【ジャイアント・ゴーレム】は、一体一体が全高30レーンを超える巨大な物体だったからだ。




 それに相対する位置、すなわち【トレログ】外市の外壁沿いに、無数の木製ハリボテ長屋が並ぶ集落があった。



 集落には何人もの人が立ち、手に望遠鏡を持って遠くにいるゴーレムの一団を値踏みしているところだった。

 その中に一人だけ、銀髪の女性がいる。彼女は観測台の上に立ち、手に単眼鏡を持って、ゴーレムの群れを眺めていた。


「段々近づいてきたわね、社長!」

 額に手を当てて日よけを作っている女性が、台の下にいる男性に向かって話しかけた。台の下の男性はにまりと口の端を上げ、豪胆に笑う。

「ぐはははっ! この分だと、明日辺りセリで、採掘は明後日以降解禁だな! ……しかしひとつ気になるのが」

「なに? なにか心配事でもある?」

「いつもより歩く速度が早いんだよな~。……気温が高えからかな」

「そうかな~? 早いって言っても、とても遅いじゃない」


 女性は能天気に答える。確かに、よく見なければ歩いているとは思えないほど、巨人の動きは鈍い。


「大丈夫だとは思うが、こういう予感がする時は本当になにかある時なんだよな。うちも人を増やそう」

「ええっ!? また増やすの!!?」

 女性が驚いてバランスを崩し、足場から落ちそうになる。慌てて踏ん張り、なんとか台から落ちるギリギリのところで踏みとどまった。


「だよ。ほら、行って来いコトホギ! 事務兼人事部長!」

「了解! マコトリちゃんが来れない分は、なんとかするって約束だからね!」


 女性はそう言うと、台を飛び降りて元気よく走っていった。




「あれが今回の目玉だな……」

 女性が走り去った後、単眼鏡を取り上げた社長と呼ばれた男が遠方にそびえるものを見て言った。30レーンのゴーレムの群れの背後にいる、ひと際大きな一体。単眼鏡を手に下げたまま、肉眼でも余裕で見えるその巨大なゴーレムを眺め、社長は細い目を更に細めた。






――――――






 絶句。トイレから出たタークは、まさに絶句していた。




 思ったより、清潔なトイレだった。個室や間仕切まじきりこそないものの、石造りの内部にはゴミや排泄物が転がっていることもなく、飛沫が水たまりになっていることもないし、かつて見た最悪の一例の如く、便器が満パンになって蝿がたかっている光景も見なかった。


 ただ……排泄物の処理方法が、タークの予想を遥かに裏切っていた……。




 絶句するタークの耳に、エコの笑い声が聞こえてきた。



「あはははははは! あははははは!! あはははははははは!!」


 狂ったように笑うエコが、公衆トイレから出てくる。腹を抱え、目尻には涙すら浮かべている。


「ターク、おかしいねえ!! すごいわここ!!」

「見たかエコ……。豚、豚が……」

「豚居たよ豚! こんなのあるの? 豚トイレっていうのかな、あっはははははは!!」



 石造りのトイレ内の構造はこうだった。


 まず石畳のフロアーがあり、そこから奥の壁側に空いているまっすぐの堀切までは、ゆるい坂道になっている。これは清掃の際、壁の反対側から水を流してこするためだろう。堀切は文字通りただの堀切で、用便はこれをまたいでしゃがむ格好で行う。この形式自体は別に珍しくない。




 しかしこのトイレの地下には、豚小屋があるのだ。


 公衆トイレが崖際に建っているところを見ると、崖下を掘って空間を作り、そこで豚を飼っているらしい。



 排泄物は壁際の堀切から豚小屋に落ち、豚はそれを食べて処理する。そして、その豚は……。




「あの豚、まさか食用じゃ……」

「ここの人頭いいね。野菜の肥料とかならよく聞くけど、豚の餌ってのは始めて見た! くっくくく……ははははは! 確かに豚は人糞も食べるよ!」

「食用じゃないだろうな……」



 エコとタークはハルナとフィズンに合流して、再び目的地へと歩き出した。エコが今しがたの体験を二人に話すと、フィズンの表情はみるみる曇る一方、ハルナは別段驚きもしない。




「ああ、たまに見かけるね。ひどいところなんか、豚と穴の距離が近くて、うっかりすると豚にお尻なめられるの。くすぐったいんだ」


 ハルナが恥ずかしげもなくそんなことを言う。フィズンが想像して赤面した。



「……あの豚って……」

 タークがおずおずと尋ねる。ハルナはああ、と全てを察し、「食用よ」とだけ答えた。



「ああ!! ……うわあぁぁぁああ」

「昨日の晩御飯、たしか豚だったよねターク」

「言うな!!! 止めてくれよ……!!」

 エコのデリカシーのない一言に、タークは動揺を隠せない。頭を抱え記憶を消そうとするものの、消そうとするほど、むしろ思い出してしまう。

「美味しかったから文句ないでしょ。なんか問題ある?」



「あるわ!!」

 タークが叫ぶ。

「あるわよ」

 ハルナが冷静に答える。

「どんなこと?」

 エコがハルナに尋ねた。


「衛生上の欠点があるのよね。人糞を直接野菜の肥料にしたり豚の餌にしたりすると、寄生虫のサイクルが出来てしまうわ」

「寄生虫?」


 エコが不思議そうに言った。


「そ。食べ物から人体に入り、人の体の中でしか成虫になれない虫。排泄物とともに卵が排出されて、それが色々な生き物に食べられていくことで、また人の体に戻って行くの。大概悪さはしないのだけど、体中に虫イボ作ったりとか、ミミズ腫れ起こしたりする怖いのもいるみたいね」


「ふーん。蝸牛車かぎゅうしゃを動かしてるカタツムリも寄生虫を使ってるって話でしたけど、あれは?」


「ロイコクロリディウムね。あれは人には寄生しないから大丈夫よ。流石にあんな人の脳みそを乗っ取るような大層なのがいたら、怖いね」

「カタツムリはかわいそうだもんね! 生きてはいるけど、蝸牛車になったら繁殖は出来ないって言ってたよ」



 そんな二人の会話を聞いて、タークは密かに(いっそ全部のカタツムリを蝸牛車にしちまえばいいんだ)と思っていた。



――――


 その頃。ゴーレム宿、『ゴーレムハレム』にて。



「ねえ、なにがあったのマコトリ姐さん。どうしたのマコトリ姐さん。マコトリ姐さ~~~ん、マコトリ姐さん。あ、温かいおしぼりいらない?」

「うるさいわね~~~、人が苛ついてる時に話しかけんなよ~~~……」

「マコトリ姐さん、私、姐さんが心配なんだよう~~。何があったか話してよう~~~」


 ヒキウスはしつこい。いや、しぶといと言うべきか。先ほどからマコトリに何度も何度も突き放されているが、その度毎に引き下がり、またすぐに戻ってきてはこうしておせっかいを焼こうとする。


「んも~、ヒキウスに目をつけられたら終わりだよね全く……。よし、じゃあ言おう。アタシ、マスターに【スフラギス】貼られたの……」


「ふぇえっ!!!??」


 ヒキウスが、飛び上がって驚いた。


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