第三十九話『土食い男』
「すっごい威力……これが『忌み落とし』……」
エコは岩壁にぽっかりと開いた穴を眺めた。
冷え固まったマグマが、熱を内包したままもくもくと煙を上げている。岩の一部が熱でガラス化し、所々で星のように光っていた。
「乱暴だな」
トアは先ほどまで森だった、切り株の群落を見て言う。
一瞬で出来た森は、一瞬で消えた。
運良く直撃を避けて幾つか残っていた木々も『フラン・フレット』の余波ですっかり燃えてしまい、もう一本も残っていない。しかしエコの『グロウ』の余韻なのか、一部の切り株からは蘖が芽生え、めげずに緑の葉をつけていた。
「酷えな……」
タークが、血の池に沈んだ死体を調べる。
ふたつの遺体は、痛々しい傷跡を全身に負っていた。死因は恐らく出血のしすぎだろう。大穴の開いた腹部、千切れた腕に砕けた骨、内臓も潰れてしまったらしい。
即死してもおかしくない損傷を受けながらも生きてここまで辿り着いたのは、傷口が雪で冷やされ、出血を留めていたからだろう。
しかし動いたせいで体温が上がり、そこから一気に血を失った。
この二人は、はたしてどのようにあの雪崩から脱出したのだろうか。
偶然はじき出されたのかもしれないし、どこかで流れが止まったのかもしれない。あるいは途中で大怪我を負い、それによって生まれた魔力を使って脱出したのかも知れない……。
タークは色々と推察したが、いずれにせよ二人は死んでしまったのだから、あまり意味のないことだった。
「よし。こうなったらさっさと山を降ろう。ますます暑くなってきた…………幸いというかなんというか、雪崩のおかげで随分とショートカット出来たらしい」
タークが見上げると、雪崩が起こった頂上付近はずいぶん高いところにあった。
「方向分かるの?」
「あっちに下れば、街道に出るはずだ」
エコが質問し、トアが答える。
歩き出してしばらくは、三人共無言だった。
「そういえば、二人はなぜ山越えをしてるんだ? 時期的に危ないじゃないか」
岩場を抜け、平らな地面に足が着いてから、トアが切り出す。
「止めておくべきだった。散々危険な目にあってしまって、ここからも危ないし――」
「質問に答えてないじゃん、ターク。わたしたちはね、えっと、なんだっけ? 『石の――』なに?」
「『石の町トレログ』? ああ、あの……。エコは入れるのか? 通行に証明書が必要だろう、保護者なしの魔法生物は」
トアが心配する。『保護者なしの魔法生物』というのは、平たく言えば『人間もどき』のことだ。
「んー、アレがあるから大丈夫だと思うよ。……あっ!!! ちょっと待って、もしかしたらターク! アレ流された荷物に入ってたかも!」
エコが目を見開いて叫ぶ。雪崩で流された背嚢には、食料やロープ、ランプなどの他に、必要な品物を詰めていた。それどころではなくて忘れてしまっていたが、ソリャに貰った身分証明書――、『マナ板』をそこに入れていたかもしれない。
「アレ? ああアレか……。身につけてなかった?」
なんでもないことのようにタークが言う。慌てたエコはちょっとした日陰に入り、荷物をひっくり返して『マナ板』を探すことにした。トアが和やかな表情で荷物を漁る二人の姿を見つつ、さり気なく周囲を警戒する。
「あった!!」
「やっぱりエプロンの内ポケットか。エコはよくそこにもの入れるよな」
「大事なものは失くしたくないからね」
エコとタークが安心していると、気になったトアが覗き込んできた。
「それはなに?」
「こないだソリャさんって人に作ってもらった、魔導士の身分証明書だよ」
エコが笑顔で答えた。その名を聞いて、トアが顔をしかめる。
「ソリャさん? ソリャ・ネーゼか?」
「よくしってるねえ」
トアの緊張に気が付かないエコが、のん気に感心する。
「知ってるさ。幸い、出会ったことはないが……」
トアは空を仰いだ。
「できれば一生会いたくないな」
――私の命を狙う敵だから。後にそう続けそうになったが、トアはそれを言わないでおくことにした。
――
エコたちが越えた雪山の、東側にある村の役場の、行政魔導士特別執務室。
「………………私らが信号弾の位置についた時には、既にその地点で大規模な雪崩が起こった跡がありまして……」
「それで?」
高そうな椅子に頬杖をついて、ソリャ・ネーゼが即座に問い返す。
報告する若い男の行政魔導士は、ソリャの冷たい視線に射止められ、竦み上がった。
「でっ、ですから追跡は不可能と……」
「何度取り逃してると思う? ………………これで4回め。【ハロン】から4回追い詰めた。……5回めはいつなの? 『リリコ・ラポイエット・フォイル』で国中が混乱している。“トア”ひとりで逃げるのは訳ないこと…………」
「もう、も、も、も申し訳ありません!!!」
返事に窮した行政魔導士が、たまらず声を張り上げる。
「うるさい。――――もういいよ……。寄り道をした私も悪かった。捜索は山の反対側中心に。以上。下がれ」
「了解致しました! 失礼致します!!!」
若い男の行政魔導士は、そう叫ぶと脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。
ひと拍置いて、行政魔導士ソリャ・ネーゼがため息をつく。
「ふう。…………男どもはやはり、使いものにならない……。とんだ貧乏くじを引かされたもの。上の者に対しては卑屈で、下の者に対しては居丈高、それでいて仕事に繊細さの欠片もない。……面倒がって闇の魔導士を雇うとはね……。死んでくれて、却って良かったのかもしれないな……」
ソリャはそう毒づくと、椅子に深く身を沈めた。この椅子のバックボードは、ソリャの背中のカーブに合っていない。不快感は増すばかりだ。
「“トア”を逃がすわけには行かないな……。あれを逃すと……」
ソリャは椅子を回転させ、窓の外を見た。垂れ下がった氷柱が日光を受けて水銀色に輝き、先端から光の雫が滴っている。
『ミッグ・フォイル』による、突然の夏。白い山岳に入道雲がかかる景色は、正常のものではない。
この状態は、果たしていつまで続くのだろうか? いままでの例で言えば、『ミッグ・フォイル』の効力は永続する。しかし、ここまで顕著に気候を変えた『ミッグ・フォイル』などまるで前例がない。
このまま常夏になるのか、冬に夏が挿入されるのか、季節が逆になるのか、気候のめぐる法則が変わるのか、全てが分からないままだ。
この先世界にどういった混乱が起こるのかは、ソリャにも予想がつかなかった。……ただ、何か恐ろしい出来事が起こる予感がした。
ソリャは、美しい瞼を伏せる。肌色の奥、薄く青い血管が透けて見える。
「あれを逃すと……、また戦争になる」
窓に向かってそうつぶやくと、そのままゆっくりと目を閉じた。
――
――――夜。エコとタークは、山裾の開けたキャンプ地で野営していた。雪圧で穴の空いたテントを広げ、夜露をしのいでいる。
トアとの別れは、あっけないものだった。
「私は街道に出る訳にはいかない。行政魔導士達に追われる身だ」
雪山を降りた後、トアはあっさりとそう言い放つと、ろくに別れの挨拶もできないまま茂みの中に消えてしまった。
その潜伏技術は呆れるほど見事で、トアという存在はなんの余韻もなくエコ達のもとを離れ、どこかへ行ってしまった。
――――きっとトアが生きていくために自然と身につけた技術なんだろうな……。
エコはそう感じて、ちょっと悲しくなった。
『リリコ・ラポイエット・フォイル』の発生から、3日経っていた。
うだるような暑さは日が落ちても静まることがなく、日没後は湿気の多い熱帯夜となった。
冬眠していた者たちが慌てて目覚め、変わり果てた世界に混乱しながらも、乏しい食物を求めて山をさまよい歩いている。
エコとタークは今日だけで4回、そうした生物――空腹の熊や大蛇、危険とされる魔法生物たち――と遭遇しては、退治していた。
沸き起こる蚊や蝿の一群が辺りを忙しなく飛び回り、春を待っていた蕾がやるせなく腐り落ちる。
そんな混乱の中人間たちだけは、いつものように悩んだり困ったりしながら、忙しそうに動き回っていた。
タークは言う。
「冬が突然、夏になっただけだ」
二人は考えた末にそういうシンプルな答えに行き着いて、いつもの様に道を歩き、休憩して食事を作り、日が暮れそうになれば野営地を探して眠るという生活に戻っていた。
(もう少しで、大きな町に着くのか……。タークは明日にも着くって言っていた。……どんな所なのかな? 【ハロン湖】の宿場町の何倍もの大きさって言われても、想像もできない)
テントに開いた穴の向こうに、輝く月の姿が見える。エコは考え始めて寝つけなくなり、ただ横たわっていた。一日中歩き通しで体は石のように重たいのに、体が火照って眠ることができない。
(師匠は見つかるかな。手がかりだけでも見つかるんだろうか……。もし会ったら、なんて言い訳しよう? 家で待ってろって言われてたもんなぁ)
先ほど師匠のことを考え始めてから、エコの頭はますます冴えてしまっていた。考えてみれば、もう一年以上も師匠と会っていない。
エコが産まれてから、師匠はずっとエコと一緒にいた。時々出かける事はあったが、師匠は長くても数週間で帰ってきた。エコは師匠と離れてすぐの、不安で仕方がなかった頃の事を思い出す。
(……タークが来なかったら、わたしは今もあの家にいたのかな。今思うと、あの家の周りには何にも無かった。新鮮な感動も、緊張も、わくわくする冒険も。今思うと、信じられないくらい何もなかった)
その後もエコの思考は、まとまらないまま続く。ふと、外で見張りをしているタークのことが気にかかって、少し外に出てみることにした。
汗まみれの体を半回転させ、薄い綿布を滑り落としながら身を起こす。木と木の間に渡して半開きになったテントの隙間から体を出すと、焚き火がほのかに灯っており……、そこにタークの姿は無かった。
「またかっ」
エコは全く驚かない。
タークは時々こうしていなくなり、エコに隠れて何かしている時がある。それが何なのかもエコには見当はついていたが、まだ事実確認はしたことがない。どうせ眠れないので、試しに突き止めてみることにした。
それにはタークに気づかれないように後を追う必要がある。少し考えて心当たりを思い出したエコは、足音を立てないようにしながら、タークのいるであろう方向へと向かった。
野営地から少し離れた崖の下。エコが思った通り、タークはそこに居た。
真っ暗な闇の中で、棒のようなもので何かを削り取っている。
その崖は粘土質の地層がむき出しになっている場所で、下は浅い沢になっている。野営に入る前に二人で沢の水を汲んだ時、タークはこの崖をじっと見つめていた。
エコはかくれんぼ気分で、タークの様子を物陰からそっと覗く。
タークは太い枝でしきりに崖引っかき、削り取ったものを手で掴んで口に運んでいる。
エコの予想したとおりだった。案の定、タークはエコに隠れて土を食っていたのだ。
「ターク」
エコが闇の中から唐突にタークの名を呼ぶ。タークは心底驚き、狼狽しつつ振り返った。その拍子に足を踏み外し、沢の中に尻もちを搗く。
口に先ほどの粘土を付けたまま、タークは驚愕の表情で物陰から現れたエコの姿を認めた。
「エエ、エコ?」
「なんかやっぱりかって感じだけど、実際見るとびっくり。なんで土食べてんの?」
「土? は? なに?」
「いや、ばれてるって。口、口」
エコがタークの口元を指差す。口元には粘土の塊が付いている。タークも当然、言われてすぐ気がついた。よく分からない汗が吹き出す。
「とりあえず、水から上がったら? 冷たそう」
エコがずぶ濡れのタークを見下ろして言った。
――
くすぶっていた焚き火を大きくして、タークが濡れた服を着たまま乾かす。薪を追加しつつ、エコがタークに喋りかける。
「察してはいたんだよ。【ハロン湖】出てからかな、なんか、たまーにタークがいないな―と思う時があって、確信は持てなかったけど、何か食べてきてるっていう感じは……。それが土だと思ったのは、タークがたまに土をじーっとみてたからかな」
タークはエコからなんとなく顔をそらして、下を向いている。僅かな沈黙を挟んでから、ぼそぼそと話しだした。
「理由が自分でも分からないんだよな……。【ゲイス・ウェア】で死にかけて以降、妙に土が食いたくなる瞬間があるんだ。食ったところで別に美味いと感じるわけではないのに、体が求めてるというのか……、食うと妙な満足感がある」
「ふーん……。でも、なにも隠れて食べなくっても良かったのに! わたし、嘘吐かれるとか隠されるとか、そっちの方が嫌だな。言ってよ」
「……土食いたくなるなんて言ったら、いらない心配させるかと思って……悪かったよ」
タークが率直に謝る。
「そういうもん? そんなに気にしてるわけじゃないからいいけど。ねーねーターク、土ってどんな味なの? あそこの粘土はおいしかった? 料理にも使えるかな」
「美味いわけじゃないんだってば」
エコが興味しんしんに聞くと、タークが即答した。
――
エコ達のいる野営地から半日ほど歩いたところに、周囲を木々や蔦に覆われた、人気のない洞窟があった。
ナマズの口に似た洞窟の入り口はすぐに下り坂になっており、じめじめとした内部は、それなりの広さがある。
その入口付近、床に敷いた枯れ葉の上に、一人の男が座っていた。男は目を閉じていたが、寝ているわけではない。かすかな物音を聞き分けると、暗闇の中で目をぱっと見開く。視線を入り口の方に向け、同時に脇に刺さっている抜き身の剣を握った。
息を潜めて様子を伺っていると、一人の男が歩いて向かってくる。その頭にまっすぐな角が生えているのを見ると、男は嬉しそうに声を上げた。
「トア! 無事帰ったか」
トアの顔が、蝋燭の僅かな明かりに照らされる。トアは、ああ、と軽く返事をしてから、壁際に置いてある粗末な椅子に腰掛けた。
「……キツかったよ。行政魔導士の動きが早くて」
「そうか。……皆死んだんだな」
男の問に、トアは悲しそうに頷く。
「私を庇って逝ってしまった。ポセムワなんか、ひどい殺され方をしたよ。……途中で『仲間』の魔導士に会ってな」
「仲間の魔導士?」
男はそのまま聞き返した。
「名をエコといって、どうやら親に捨てられたらしいんだ。その親を探して旅をしてるそうだが、きっと親は見つからないだろう。たとえ見つかったとしても、多分…………」
「ああ。そうかもしれない」
成り行きを想像した男が、遮るように言う。トアはそれを意に介さず、言葉を続ける。
「もしそうなったら、きっとエコは我々の力になってくれる」
トアの目が大きく開かれ、そこに炎が灯った。
「魔導士が加われば心強いな。オレ一人じゃ心もとないし」
男も同調して頷いた。
「エコ……。いずれ引き入れてみせる」
トアの瞳に映る幻の炎は、まだほんの種火に過ぎない。それでもトアはその炎をそのまま消してしまうことはできなかった。
その炎は、小さくても眩しく、とても暖かい。トアはつい、その炎を大切に守り、育てていこうと決意してしまった。
トアは無意識のうちに、指で唇に触れていた。思い出すのは、人工呼吸をした時に触れた、エコの唇の柔らかな感触……。
それを思い出す度、幻の炎はトアの胸中に燃え広がっていった。




