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エコ魔導士  作者: 中村 尽
世界編
42/67

第三十七話『冬の夏』

 ぽたり、ぽたり。



 頬を伝う水滴の感触で、エコは目覚めた。








 ざぁぁぁぁあああーーーーーーー……




 さらさらさら





 どどどどどど…………――――









 水の流れる音がする。








 ぴし……ぴり……ちりちり……







 ぱき、ずしっ……………………どんっ!!!!!









 何かが崩れる音がする。







 体をねじって横たわるエコの周囲には、毛布、シーツ、洋服、体拭き……とにかく手持ちのありとあらゆる布が無造作に散らかっていた。どうも、寝ている間に剥いでしまったらしい。




 寝汗で髪を乱したエコが、顔をしかめて身を捩る。エコの全身を、たまらない不快感が包んでいた。湿気てぬかるんだ空気が、雪洞じゅうに立ち込めている。



挿絵(By みてみん)



 エコは落ち着かない様子で右へ、左へと繰り返し寝返りを打ち、不快な空気から逃れようと、懸命にもがいた。しかし、いくら足掻いてもそれが振り払えるのは一瞬のことに過ぎず、すぐにまた不快な空気がエコにまとわりついてくる。



 にじみ出る汗が皮膚を湿らせ、べたつく肌に触れる毛布の感触が鬱陶しい。とうとうエコは我慢できなくなり、不快感の正体を声に出した。




「…………あ゛っつぅうーーー…………!!」





 一旦口に出してしまうと、ついに我慢の限界が来た。エコは溶けかけた雪面に腕をついて半身を起き上がらせ、額に張り付いた髪をかき上げる。背筋を汗が伝う、くすぐったさを感じた。


 エコはしばらくぼーっとしていたが、やがて汗でびしょ濡れの自分に気がついた。考えてみれば当たり前のことだ。こんな暑さの中、マフラーを巻き、オーバーを着込んで寝ていたのだから。

 早速マフラーを剥ぎ取ると、二重になっているボタンを外しにかかる。



 エコの声を聞きつけて、雪洞の入り口にパンツ一丁で立つ人物……、満面に困惑を貼り付けた、タークの顔が振り返る。




「…………エコ、何が起こったんだ?」

「??」




 タークはどうやら、外の景色を見てそう言っているらしい。

 エコは起き上がって暑苦しい着物を次々と脱ぎ捨て、下着姿になってタークの隣に駆け寄った。雪洞の外は、失明しそうなほど眩しい。思わず一瞬目をつむり、恐る恐る開いてゆく。




「うっっわ………………っ!!!」






 そこに広がっていたのは、崩壊する白銀の世界だった。




 大量の雪解け水が集って出来た激流に、次々と崩落する雪塊が飲み込まれていく。


 急峻な流れは所々で川になり、滝になり、分厚く積もった万年雪をどんどん溶かしこみながら、我先にと下界へ下ってゆく。



 この雪山で悠久の時を過ごすとばかり思っていた氷の粒たちが、喜び勇んで水や霧や雲になっては、その度に風を巻き起こす。そうして起きた強風と水蒸気と水しぶきとが、嵐となって山間を駆け巡っていた。





 エコは続いて天を見上げる。





 視界を覆う紺碧の大空には入道雲のくっきりとした輪郭が浮かんでおり、それは日の光を反射して、白と空色の美しいコントラストを作り出している。底面に黒い影を落とすあの雲の真下では、きっと暴風雨が起こっているに違いなかった。


 降り注ぐ太陽光は極めて強く、濡れたエコとタークの髪をあっという間に乾かしてしまう。エコの目にほんの一瞬直視しただけの光が焼き付いて、瞼の裏に紫色の影を残した。









 真冬の雪山は、とても暑い。





 地表を覆う白い雪が太陽の光を散乱させ、それが持つ熱も同時に、四方へとばらまいている。上下左右から容赦無い日差しを浴びせられて、エコもタークも、総身たちまち汗まみれになった。





 しばらく二人で変わってしまった世界を眺めた後、顔から噴き出る汗を拭いつつ、タークが言う。


「おはよう、エコ。とにかく、生き延びられたらしいな……」


「わたしたち、なんで死にかけてたんだっけ…………?」

 エコは足元に落ちていた雪を拾って脇の下に挟み、ひとときの涼を得る。





「「なんなんだ一体…………」」




 二人は同時に呟いた。






――――







「しかし……外はかなり危険だな」

「うん」




 生き延びたはいいものの、二人の旅路はむしろ危険性を増していた。タークとエコは一旦雪洞の中に入り、状況を整理して今後の相談をすることにした。




「この雪洞もいつまで保つかわからん。すぐに荷物を纏めるぞ」

「わかった」




 季節が反転してしまったかのようなこの日差しと暑さのせいで、雪も、凍土も、氷河も、…………積み上がった雪が圧縮されて岩盤のように固くなった永久氷床までもが、ものすごい勢いで溶け出している。


 その結果、山全体が溶け崩れていると言ってもいい程の大崩落が、ありとあらゆる場所で連続的に起こっていた。この雪洞も、いつ天井が崩れてくるか分かったものではない。二人は相談しながら、旅の荷物を纏めていた。




「このコートとか、どうしよっか?? 荷物にはなるし、暑苦しいし」




 雪洞の中はまだましだったが、直射日光とその照り返しを全身に浴びせかけられる雪洞の外では、身の危険を感じるほど暑い。オーバーコートなど、見たくも触れたくもない。





「捨てていこう。…………何が起こったか分からないが、一刻も早く山を下って人里に出るべきだ。できるだけ身軽にした方がいい」


「ほんとにね。何が起こったの? 熱があったからよく分からなかったんだけど……タークもわたしも、あと少しで死んじゃうとこだったね」

「まったくだ……。今は真冬だぞ。寒さで死にそうだったんだ。それがどうだ。……寝て起きてみたら、夏の真っ盛りよりも暑いぐらいだ。あんなに寒かったのに……」




 そこまで言ってから、タークがふっ、と笑う。

「……とにかくエコ、生きててよかったなあ」 

「そうだねー、ターク。お互いさま」


 エコも笑って返した。



――――






 二人が雪洞を出て数時間後。エコとタークは、過酷な暑さに息も絶え絶えになりながら、なんとか山を降りようとしていた。


 使うはずだったルートは今や雪解け水の大河と化しており、二人はその大河に沿って、かよえそうな道を探し探し歩いた。



「エコ、気をつけろ……。この辺には、足元に土も岩もないところがある! はまって岩の裂け目に落ちたら、絶対に助からないぞ」

「ふぇ~~、すごい地形。雪のない雪山ってこんな感じなんだ……」



 岩盤がぶつかってせり上がった様な、ごつごつとした山道。道幅は狭く左右は切り立っており、どちらも険しい斜面になっている。更にそこへ、急激な気温の変化に戸惑いを隠しきれない風が、嵐のように吹き付ける。


 照りつける太陽と流れだす永久凍土、いまや大河と化した氷河。雪山は大きくその様相を変え、矮小な人間などはお構いなしに、冷気によって封じられた白い外套を脱ぎ去ろうとしていた。


 一歩間違えてこの奔流に巻き込まれれば、間違いなく死ぬだろう。二人は命からがら、山を降りる道を歩いていた。






 崖を避けて稜線を歩き、沢山ある頂上のひとつを越えると、目の前に広い斜面が現れた。日陰になっているその斜面にはまだ雪がほとんど溶けずに残っており、そこで人と人とが争っていた。




 最初に気がついたのは、タークだった。



「なんだか騒がしいな」

 エコはそう言われて耳を澄まし、入り交じる音の中に喧騒と悲鳴を聞き取った。

「……ただごとじゃないね」



 二人は走って、声のする方向に向かった。





――






「死ね!! 『フランフレット』!」


 片腕のない魔導士が叫ぶと、少し離れた所にいる黒い服を着た男に向かって熱線が放たれる。宙に糸を通したかの様に真っ直ぐで立体的な線を、黒服の男が身を捻って避けた。

 片腕のない魔導士は、ほくそ笑むと同時に大口を開けて叫ぶ。


「おい! クラン・ブルージュ!」

「ほいさ! 『フィゴストリンガーズ』!!」


 叫びを向けられた少女は、両手を左右に振り出すと、片腕のない魔導士に呼応して魔法を使った。少女の両手の平から火で出来た5本の朱い線が現れ、先ほどの熱線の上を滑るように奔る。それはすさまじい勢いで黒服の男に向かい、今度は避けきれなかった男の肩を、鋭く切り裂く。


「…………っ」

 黒服の男が鮮血を滴らせる。赤い血が雪面に落ちたが、しかし足元の雪は今更のように赤く染まっていた。辺りには、黒服の男を庇って逝った者達の死体が、折り重なって倒れている。



「あたしたちの共同攻撃は、避けようと思っても避けられないだろ? アジジカントとあたしのコンビからは逃げられないよ♪」



 クラン・ブルージュと呼ばれた少女が、楽しそうに笑う。少女は、アジジカントと名を呼んだ男の肩にまたがり、肩車をされている。見れば少女の両足は、太ももの途中までしかない。


「大人しく死ねよ。我々に目をつけられた以上、生存はさせない」


 アジジカントとその上のクラン・ブルージュが、黒服の男に向かって再び魔法を唱え始める。


 黒服の男は足元に重なった遺体の群れを悲しそうに一瞥すると、赤い雪面を蹴って駈け出した。



「クラン・ブルージュ、脚を狙えよ!!」

「ほいさほいさ!『ヒエロゥフェッロ』!!」


 クランが叫ぶと二人の前方に六芒星の文様が浮かび、そこから無数の氷片が発射された。氷片は黒服の男の動きを予知しているかのように飛び、寸分の狂いなく、男の脚を捉えた。


「くあっ……!!」


 両脚に無数の氷片が突き刺さると、黒服の男はたまらず雪面に倒れこんだ。クランとアジジカントが、それを見てふふ、と笑う。




「これで終わりだね、アジジカント・エルレソペ兄ちゃん。暑いよ~、早く帰ろう、フスコプサロのお屋根にさ」

「そうだな、妹とはいえ義兄弟、クラン・ブルージュ・アンベリア。どうも『ミッグ・フォイル』らしきこの天候、耐え切れずに雪山が爆発しそうだ」


「あっ、てゆーかねえ、今思い出したけれど、あの黒い服着た『人間もどき』は生け捕りにする予定じゃなかったの?」

 クラン・ブルージュが下を向いて言うと、アジジカントが上を見上げた。


「だっ!! やばい、殺しちまうところだった!! やはし性に合わない仕事を引き受けるもんじゃねーな。ま、クライアントの行政魔導士なんか、裏切ったっていいんだがよ」

「報酬もったいないから捕まえようよ。行政魔導士たちをここに呼んだればいいんしょ?」

「そうだ。信号弾で!」


 二人は荷物から黒っぽい玉を取り出して封を切ると、雪面に落とした。やがてその玉から、虹色の煙が立ち上る。

「これでよしっと。さっそく誰かやってきたけど、あれはだれ? 兄ちゃん」



挿絵(By みてみん)




 クラン・ブルージュがそう言って、アジジカントがそっちを見やる。走って近づいて来ているのは、少女と男の姿……つまり、エコとタークだった。


「知らない人だ」

「ならいいか」



 虹色の煙が、時々チカチカと発光しながら、もわもわとたなびく。クラン・ブルージュとアジジカントは、エコたちを無視して、黒服の男に歩み寄ってゆく。






「ターク、どっちが悪い人だと思う!?」

「どちらかと言うとあの魔導士だ!! 人を沢山殺している!!」

「急がないと、あの人も殺される!!?」


 エコたちは、相談しながら魔導士に向かって走った。エコは走りながら、魔導士の前方に『ウォーターシュート』を放つ。ふたりの魔導士の目の前で、水弾が弾けた。




「やる気らしいよ」

「ああ」


 眼前に着弾した魔法の水しぶきを浴びて、クランとアジジカントの目が据わる。明らかに敵対する様子を見せたエコに向かって、二人は魔法を唱え始めた。エコも足を止め、詠唱に入る。両者の距離は、20レーンほど開いている。



「『フランフレット』!!」

「『フレイム・ロゼット』!!」


 相対する魔導士達から、ほぼ同時に魔法が放たれた。『フランフレット』の熱線と『フレイム・ロゼット』の火の種が空中でぶつかり合い、干渉して大爆発が起こる。

 エコの『フレイム・ロゼット』の方が弾速が早かったために、爆発はどちらかと言うとアジジカント達の近くで起こった。



「なんだってェの!!!??」

「うわっ!! 熱い!!」



 熱と火の粉の嵐をその身に受けてうろたえた隙に、爆炎をかき分けてタークの屈強な肉体が飛び出してきた。


「おら!!」


 踏み込みの余勢を駆って、タークがアジジカントの顔面をしたたかに殴りつける。



「ぎょぐけっ」

「うわあ!」



 一撃で気絶したアジジカントの体が倒れ、肩に乗ったクランがバランスを崩して落ちる。ゆっくりと近づいてくるタークを驚愕して見上げると、両手で必死に後ずさり、声を上げた。




「や……やめて! 殴らないで!」

「おい!! あれをやったのはお前たちなのか」



 タークは、そう言って赤い雪面を指差した。折り重なって倒れている死体の数は、およそ20体超。


「――――そうだよ」

「なぜだ!!!!」


 クランが具合悪そうに答え、タークが叫ぶ。


「あっ、うっ……」


 半泣きになった少女が竦みあがった。エコも近づいてくる。怯えて、口が走る。

「い……依頼でした。アイツを捕らえろっていう!!」



「あの、黒い服の?」

 今度は、タークでなくエコが聞いた。


「そ、そう! あの男は、すっごく悪いやつなんだって。人間の敵なんだって!! 行政魔導士からの依頼なんだから。私達がやったのは、悪いことじゃない!!」

「ふざけるな!!!」

 タークが怒鳴り、脚のない少女の、軽過ぎる体を掴み上げる。


「だってあいつら、『人間もどき』なんだよ!!??」

 殴られまいと、半べそをかいた少女が声を張り上げる。しかしタークの怒りはますます膨れ上がり、怒号となって溢れた。



「それだけが理由なのか!?」



「う……」


 続けて怒鳴ろうとするタークを制して、エコが冷静な声で話す。


「あなた達、楽しんでる様に見えたよ。たとえ相手が誰でも……、人でも、魔法生物でも、獣たちでも……、喜んで命を奪うのは変だと思う」

「…………」


 少女はそれきり、表情を固めて何も喋らなくなった。少女を下ろし、倒れている男共々ロープで拘束すると、エコとタークは黒い服を着た男の元へ向かった。





 少し離れた所にいる黒い服を着た男は、使い物にならなくなった両足を引きずって、その場から離れようと懸命にもがいていた。しかし腕の力だけでは、この斜面を僅かに登ることしか出来ない。エコ達の足音に気が付くと、死を覚悟した表情で振り返る。その額には、明らかに『人間もどき』と分かる一対の触覚が生えていた。




 エコは敵意が無いことを示そうと、両手のひらを胸の前にかざして近寄る。



「平気だよ、敵じゃない。わたしもあなた達と同じだよ」


 語りかけつつ、労るように両足の傷を診た。脚の背面いっぱいに、三角に尖った小さい氷の刃が刺さっている。


「大丈夫…………? すごく痛そう」


 できるだけ優しい口調で話しかける。

 その『人間もどき』が言葉を解するか不安だったエコだが、心配要らないらしかった。


「あなた? …………たしかに、その、髪の色……。黒髪のあなたも?」


 黒服は、エコの背後に立つタークを指差した。タークも魔法生物なのかと聞いているのだ。


「いや、俺は違うが……しかし危害を加えはしない」


 黒服は、二人の目をじっと見つめた。


「信じた…………頼みたいことひとつある。私、ある方を護っている。その方、あそこに……死体の山の中にいる。気絶させて、なんとかやり過ごそうとした……。でも行政魔導士が来たら、死体は確かめられ、あの方も殺されてしまう。なんとか…………あの方を……あの方を…………」


 必死に話す男の目には、もはや生気が宿っていなかった。焦点がどこにも合っていない。エコはそれを見て、悲痛な気持ちになる。黒服の男の腕が伸びてきた。その手をエコが握る。



「分かった、守る。約束だよ」

「ありがとう……」



 エコに握られたその手から急に力が抜け、ぶらん、と垂れ下がる。エコとタークは数秒間の黙祷を捧げ、背後にある死体の山へ向かった。







――酷い死体ばかりだ。さっきの男と同じように脚の背面に無数の氷片が突き刺さった者、全身に電気が走ったような焦げ跡がついた者。背に酷いやけどを負った者もいれば、腕や脚を切り落とされた者もいた。


 タークが汗まみれになりながら遺体を掻き分け、ようやく5体目の遺体を押しのけると、そこに唯一生命の息づく肉体が見えた。


「……この人に違いない」

「……ねえターク、足音が聞こえない? 誰か来るよ。それも、一人じゃない」

「さっきの狼煙のろしか。あの二人の仲間かな……。あの二人を人質にとって、なんとかならないか」


 さらりと物騒なことを言うターク。エコは思わず微笑した。


「ふふっ。ひどいこと考えるねタークは。うん、でも戦わなくて済むならいっか。そーしよう」



 ひとまずその『人間もどき』を置いておくことにして、タークが先ほど拘束した二人を、死体の脇に引きずって来た。殴られて気絶したアジジカントも、もう目を覚ましていた。


「何をするつもりだ……、こ、殺すのか? 俺たちを?」


 アジジカントはすっかり怯えてしまい、タークを負け犬の眼で見上げた。


「さあて、どうかな。楽しみだろ?」


 タークは笑って、本気か冗談か分からない事を言う。


「なんでもするから殺さないでくれ! やだぞ、死ぬのなんか!」

「死は意外と近い所にある。あの死体みたいに」

「やめ……あぐ……ううっ……」


 恐怖に震えるアジジカントは、遂に泣き出してしまった。少し楽しげなタークを見て、エコは半ば呆れていた。

 

「これから来るのは行政魔導士だっ! あんたたちなんか、あのクソいけ好かない連中に、殺されてしまえばいいんだ!」

 今度はクランが喚く。


「行政魔導士?」

 エコが反応した。行政魔導士といえば、……あのソリャ・ネーゼの様な人物が来るのだろうか? それが複数人来るのだとすれば、今のエコに勝ち目はない……。エコの頬を、暑さによる発汗とはまた違う汗が伝う。全身を少し緊張させ、戦いに備えた。




 足音と人の気配がいよいよ近づき、次第に日の当たるようになって来た斜面の下から2名、斜面の後ろの稜線の影から2名……。計4名の魔導士が、エコたちを挟撃する体制で接近してくる。


 エコとタークは死体の山の脇に陣取り、必死に頭を働かせていた。この状況を切り抜けるにはどうすればいいかを……。






「貴様ら、これはどういう状況だ」



 斜面の下から近づいてくる二人の内の一人が、高圧的な物言いでエコとタークを問い質してきた。その顔には、明らかな敵意が覗いている。




「説明してもらおう。その二人は、行政魔導士からの正式な依頼で『人間もどき』の駆除を頼んだ魔導士だ。その二人を拘束しているとなると、貴様達のどちらかも魔導士だろう。行政魔導士に逆らうと、ろくな事にならんぞ」



 押し付けるような詰問をしつつ近づいてくる行政魔導士が、四人の中でもっとも偉いらしい。エコたちを囲う包囲網が、徐々に狭まる。彼らは、すでに魔法を使う準備ができているらしかった。




 緊張の中、エコが口を開いた。


「目に余る振る舞いをしていたので、止めたんです。見てください、この死体の山。笑いながらこんな風に人を痛めつけるのは許せません。同じ魔導士として」



 真に迫る口調だったが、行政魔導士は一笑に付した。

「それがどうした。最悪の害獣だからな。『人間もどき』が人に与える被害を顧みれば、笑いも起こるよ」

「……!!」



 あまりに心ない行政魔導士の発言に、エコは全身の毛が逆立つような激しい怒りを覚えた。一体、どれほどの……どれほどの身勝手さがあれば、人はここまで傲慢になれるというのか。


 エコは一瞬我を忘れ、もはや直ぐ目の前と言っていい程の距離にまで近づいてきた行政魔導士に飛びかかりそうになった。






……誰よりも激しい怒りを抱いた肉体が自身のすぐ脇に存在するなどとは、夢にも思わなかった。






 突然、遺体の山から黒い影が飛び出した。高圧的な行政魔導士は、驚きで一瞬身を固める。恐るべき敏捷性でその行政魔導士に跳びかかった黒い影は、とっさに魔法を使おうとした行政魔導士の右腕を抜いた白刃しらはで切り落とすと、首に向けて激しい頭突きを放つ。行政魔導士は首を貫かれて、あえなく絶命した。


 見ればその影の頭部には、鋭い一本角が生えている。行政魔導士の首を貫いた角は、顔面ともども血でしとどに濡れていた。




挿絵(By みてみん)





「“トア”だ!!!! “トア”が出たぞ!!!」





 隣りにいたもう一人の行政魔導士が叫ぶ。そのまま素早く詠唱に入り、背後にいる二人の行政魔導士と共に、“トア”に向かって一斉に魔法による攻撃を行った。



「うぎぁあっっ!!」

 全ての魔法――稲妻、石弾、強風を体に食らった“トア”が悲痛な叫び声を上げる。強風によって加速した石弾は“トア”の体にめり込むほど激しい勢いで打ち付けられ、稲妻は顔面を直撃、皮膚に黒い焦げ跡を走らせた。



“トア”は白目を向いて、その場に崩れ落ちた。



「な――」



「なんてことするの!!!」

 エコの怒気が頂点に達する。

「お前たちも、これ以上文句があるようなら……」


 先ほど死んだ者の次に偉いらしい行政魔導士が、またも高圧的な態度で迫る。


 エコは激情のままその魔導士を睨みつけ、詠唱を始める。タークは懐に入れた小刀に手をかけ、背後の二人に斬りかかることにした。血なまぐさい戦いが始まろうとした――――――その時だった。







――――ぐぼっ







 その場にいた者達、全ての足元から…………不吉な音がした。


「な んだ…… ?」

「あ……」


「うわっ……」


「――――!!!」

「まずい!!! エコ!!!!」






 日照りでもろくなった雪面が、人々の重みによって層ごと剥がれて……。

 動き出した雪の塊が、静止していた雪の層を巻き込んで…………。

 最初は小さな動きだったものが、連鎖し、次第に膨れ上がって――――。






 崩れ落ちた。


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