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エコ魔導士  作者: 中村 尽
世界編
41/67

第三十六話『ミッグ・フォイル ~雪飾りの女王~』

――――――最近は、昔のことばかり思い返すよ。








……私はもともと、南の国で生まれたんだよ。


(腕を見せながら)


 肌が黒いだろ? あんたには分かってたかも知れないけどねえ……。この肌色が珍しくて、魔導学校じゃあさんざんからかわれたもんだよ。悔しくって泣いたっけね……。あの頃は、私も少女だった。




挿絵(By みてみん)




 ……若い頃、戦争があってねえ。そりゃあ大きな戦争だよ。魔導士の戦争は恐ろしいもんだね。次の瞬間何が起こるのか、誰にも分からないんだからね。



 敵方のとっても強い魔導士を罠にはめて倒したと思ったらそいつが起こした『ミッグ・フォイル』で形勢が逆転したり、魔法のとばっちりで大怪我した魔導士は『忌み落とし』の要領で魔力が跳ね上がるしで。


 あの戦争だけで、何度『ミッグ・フォイル』が起こったことだろう……。

 空を虹が覆い尽くす光景は綺麗だったけど、その度にみんなで息を潜めて成り行きを見守ったもんさ……。



……私だって、魔導学院の生徒だったのが泥沼化した戦地に動員されりゃそこで大怪我だってするし、それが元で魔力が強くもなるよ。

……あの時はわけもわからず、沢山、人を殺した……。ごほ、ごほっ。本当、あの時を思い出すと謝っても謝り切れないくらい、やりきれない気持ちになるよ。




……戦争の終わりはあっけなかったよ。当時一番強かった王家おうかの長が死んで……。とんでもない規模の『ミッグ・フォイル』が起こった。




 今でも夢に見るよ、激戦地のど真ん中に幾条もの赤い星が降って来て、敵も味方も無く溶かしちゃったのさ。……天が怒ったかのようだった…………。




 あの方は平和を愛する魔導士だったらしいが、頭ん中じゃとんでもないことを考えてたんだねえ。戦いに、うんざりしてたんだろうかね。私達の味方だったのに、自陣にまで隕石を降らせるもんだから……私の戦友も沢山死んでしまったよ。大地は焼け野原。

 その時は敵も味方もなく、互いを助け合ったっけ……。あんまり酷いもんだから。




……今じゃヒカズラ平原のあの辺りもずいぶん緑が戻ってきてるらしいけど、あの『ミッグ・フォイル』で出来た窪みはそのままだそうだねえ……。






 私は運よく生き残ったけど、その戦争で腕と足をなくして、後はただ呆然としていた。何もする気が起きなくて。眠れないんだ。目をつぶると戦場で見た光景ばかりを思い出してさ。





……そんなある時の事だった……いつもの様にぼうっとしていた時、急に頭痛が来て…………その時ふと、頭の中が何かでいっぱいだってことに気がついたんだ……。


 じっと考えて気がついたの。戦争で私が殺めた人たちが、私の頭の中におしくらまんじゅうしていたんだよ。

――――それからいよいよ眠れなくなってね、悟ったよ。この人達をきちんと弔わないと、故郷に帰って安心するような日は来ないってね。




 それからエレア・クレイの魔導学院で35年教えた。罪滅ぼしになるかと思ってね。でも頭の中の人たちは、そんなことでは全く黙っちゃくれないのさ。




 何でかと思ったねえ……。





 平和のための魔導デザインや魔法陣術をずっと学生に教えてさ、そのお陰で世の中も大分豊かになったってのに、まだ許してくれないのか……。と思ってねえ。でも気がついてなかった。私の中の亡者達は、ただただ故郷に帰りたがってただけだったってことに。




 戦争で私が殺したのは、敵勢力の歩兵達だった。




 殲滅部隊にいたもんだから、魔法の使えない歩兵達を、火の魔法でただひたすら焼き殺すのさ。



……人の焼ける、鼻を突くような匂いが嫌でねえ。少しでもマシになるようにと、カルセノオンなんかの強い香水を好んでつけてたもんだよ。

 戦地に風呂なんか無かったからね。仲間達もフードを被ったり、薬草の入ったロングマスクをつけたりして各々対策をしていたよ。戦争だから嫌なんて理由じゃ止められないけど、それでもやっぱり嫌だったねえ。



(少しの沈黙)



……お茶を淹れてくれないかい、紅茶の新しいのがあっただろ……。そう、それそれ。のどが渇いちゃったよ。もうちょっと聞いてくれる? 私はこの話をしないと、役目が終わらない気がするんだよ……。ありがとう。…………そうだね、どこまで話したっけ…………



 そうか、戦争のところだった。ああそうだ。その私が殺した歩兵達は、みんな北の貧しいところから徴兵された兵士だったんだよ。

 私は40年越しに、やっとそのことを知ったのさ。頭の中の人たちはきっと故郷に帰りたがってるんだってやっと考えられたのはその時。




……ああ……これが私のすべきことか、とすっきり思ってね。悟ったというか、すっぽりと考えがはまるんだよ。これしかない、と……



(窓辺を見る)



 今日はやけに冷えるねえ……。ああ、いいよ。薪をもう少しくべてくれるかい。冷気が足元から這い上がってくるかのようだ……。





 そうだね、こんな土地だからまずかったんだろうね。凍てついた土地に生まれて、貧しいがゆえに彼らは戦争で出稼ぎをするしかなくて。……そうしなけりゃ、家族が養えなかったんだろう。





……そんな人達を、私は焼いたんだよ。




(目から一筋の涙)






 飢えと寒さしか知らないような人達だったのに……。それをあんなに熱い目に会わせて、本当にむごいことしたねえ……。



 後悔ばかりしてもしようが無いから、私はその人達に許してもらえるように、北の地をふつうに住めるような所にしたかったんだよ。



 ひどい気候と餓えで凶暴になった魔物、それがこの土地の住みにくさのもとだったねえ。





 それでも何とか小さな境界魔法陣を張って、少しは住み良くなったけど、最初は小さくて人の少ない街だった……。ふふ、中央の人たちにゃ、笑われたよ。あんな土地に境界魔法陣を張る必要はないって、はっきり言う人もいたんだよ。

 なんの生産性も将来性もない首都から離れた土地に、私みたく実績のある画陣魔導士を配するのが惜しかったんだろうね……でも頭の中の人達が、少し喜んでくれたような気がしたの……。





 うれしかったよ。





 ずーっと私に恨み言ばっかり言っていた人達が、やっと褒めてくれたんだもん。許してくれるとも思ってなかったのに、あんなに喜んでくれるなんてねえ……。私はそれから、もっと頭の中の人達に喜んでもらえるように精一杯働いた。境界魔法陣に手を加えて農地が開けるようにしたり、魔導学院から優秀な魔導士を斡旋してもらったり、凍り付いた海を渡れる魔導船を開発したりね……。頭の中の人達は、どれもとっても喜んでくれたよ。……その度に幸せな気持ちになった。



 あの頃が一番楽しかったかも知れないね。街の人と協力して、少しずつ街が発展して……。



……でも、そのうちに体調が悪くなってね。私みたいに肌の黒い人は、北に来ると骨が弱るのさ。……日の光が弱すぎるからね。あんたみたいに色白なら問題ないんだけど、私みたいに肌の黒い人はね……。死んじゃうほどではなかったんだけど。




(何かを思い出したように)




…………真っ白な子がいるらしいね。テテオソの村に……あれ……なんて名だったか……。忘れっぽくなっちゃって、このごろちっとも人の名前が出てこないのよ。あんたによく似た名前だったね……、知ってるかい?




 確か……。





(イラが答える)




 ああそうだ、そんな名だった。イラ、あんたは物覚えがいいね。――そう、普通かい? たいした物だよ。あんたも才能に溢れた子なんだから、もっと自信を持っていいんだよ。





……話の続き? そうか、どこまで話したっけ……。ああそうね、境界魔法陣のことか。結構苦労したのよ。『境界魔法陣は土地と調和させよ』って言うじゃない? だから氷を使うアイデアはすぐに出たわ。



 戦時に負った怪我のお陰で、この湖を雪と氷で覆って、その上に町を作ることも出来た。でも、その境界魔法陣のデザインをしたせいで私はこの町から離れられなくなったわ。私が居なくなったら氷が解けて町が沈んでしまうもの……。




(ノックの音)




 なに? ……そう。避難が終わったの……。じゃあ私も安心して逝けるわね。ごめんね、イラ。話の途中だけど、あなたも街の外へ出て頂戴。あなたは本当によく私のお世話をしてくれたわ。



 境界魔法陣を引き継ぐことが出来なかった私の責任なのよ。私が死んだら、この町はやがて水底みなそこに沈んでしまうでしょう。出て行きなさい。いままで本当にありがとう。ちゃんとしたお礼が出来なくってごめんなさいね。





……じゃあね。









――







 イラは、老婆を残して家を出た。



――老婆の名は、『リリコ・ラポイエット』。彼女は路頭に迷っていたイラを拾って、世話係として重用してくれた大恩人だった。自らのすさまじい外見を顧みずこうして今際の際まで傍に置いてくれたことにも、イラは心から感謝していた。




 そしてその感謝の気持ちに比例して、イラはとてつもない罪悪感に襲われていた。老婆を殺したのは、ほかならぬイラ自身だったのである。





挿絵(By みてみん)





――――人生の転落は、家から追放される前にすでに始まっていた。イラは三大導家のひとつ、『ネーゼ家』の四女としてこの世に生を受けた。


 しかしイラが産まれたときには、辺りは悲しみに包まれていた。イラを産み落とすと同時に、イラの母が息を引き取ったのである。イラが初めて見た人の顔は、眉を落として悲しみに沈む、父親の表情だった。





 そんな父親の腕には、イラより先にひとりの女がいだかれていた。……それがイラの双子の姉、ソリャ・ネーゼである。



 姉が父の腕に抱かれ、せわしく泣きわめいて自分の存在を天地に知らしめている……不思議な事に、イラはその光景を今でもはっきりと思い出すことが出来る。






 生まれた順番が、そのまま二人の順位だった。

 ありとあらゆる全てのことが、やる前から決まってしまっていた。


 万事において鈍遅どんちなイラは、万事において天才であるソリャの影に隠れ続けた。



 双子であるにも関わらず二人の唯一の類似点は顔の造作位のものだ……と、誰もが口を揃えて評価する。


 それでもいい……と、イラは自分に言い聞かせ続けた。変えられない運命のようなものが、姉と自分を隔てているのだと。根本的な人間としての作りが、どこかで二人を分けているのだと。







 ソリャは優しい姉だったが、時にイラを激しくなじることがあった。




 そんな時、イラにとっては聞き取るだけで精一杯なほどの早口で的確な正論をまくし立てる姉に対して、彼女はむしろ尊敬を抱こうとした。


 度々抱く嫉妬や敗北感をもイラは押し込め、必死に愛や喜び、満足感へと変換していた。


 ねじ曲げた感情を持ったまま、イラはただひたすら姉に付き従った。一人で行動して失敗を重ねるよりは姉のサポートをしていたほうがまだいいと、イラは学習していたのだ。



 それでもいい……。それでもいい……それでもいい……。


 イラは常に自分を押し殺してきた。感情を捻じ曲げて、無理やり自分を納得させてきた。そうしなければ、イラはきっと気が狂っていただろう。一切の価値を見いだせない自分自身を見放してしまっていただろう……。


 







 イラは恋をしたことがある。




 

 男は父の弟子に当たる人物で、いつもイラの隣の決まった席で食事を摂った。彼はしっかりした体躯の青年で、とても頼りがいのある優しい男だった。イラの目を、曇りのない眼でまっすぐ見つめてくれた。


 仄かな熱は胸にしまったままにしていたが、食事の時間になるとイラはいつも忍んでその男のことを見つめたものだった。しかし男は、いつまで経ってもイラの視線に気付いてはくれなかった。


 ある時、イラは男の視線の先を追ってみた。すると男の視線は、いつもイラを通り過ぎ、向こう側を見ていた……。




 彼の視線が注がれる先は、イラを挟んでふたつ先の席に座る、双子の姉ソリャ・ネーゼだった。




――――こんなエピソードには事欠かない。似たような出来事を、イラはいつでも50コほど思い出すことが出来る。そして思い出すほど、胸が苦しく、たまらない気持ちになった。








 イラとソリャは、やがて魔導学院に入った。飛び級をするほど優秀な姉と違う学年になったのは、イラにとって幸いだった。

 イラはようやくソリャの付属物ではなく、一人の人間として自我を確立することが出来たのだ。学院にいる時だけ、イラは自分自身になれる。

 学業の成績はどれをとっても姉に遠く及ばなかったが、イラはもうソリャと自分を比べようとすらしていなかった。



 だがそんな状況でも、ソリャに抱いた暗い感情は無くなったわけではない。イラ自身気づかないまま、心の奥底で、埋め火の様に熱を保ち続けていた。







 そののち数年経って、二人は同時に成人になる。









『審判のいかずち』。








 ネーゼ家に伝わる、大人と認められるための通過儀礼イニシエーション。ソリャは巨大な水の天幕を張って、難なく雷を受け止めた。








…………イラは全身全霊を込めて魔導盾を張ったが、僅かに魔力が及ばなかった。







 儀式に失敗して、イラは大きなショックを受けた。失敗したこともそうだが、――――――なにより悲しかったのは、周りで見ていた人々が、誰ひとりとして失望したり悲しんだりしなかったことだった……。



 まるでイラなどそこにいないかのように、周囲の人々はソリャ一人を褒め称えた。………………実の父でさえも………………!!






 ネーゼ家にとっては、天才である姉さえいれば良い。イラに期待するものなど、一人として居はしない。期待をしなければ、落胆しないのが道理というものだ…………。


 イラにも、そんなことは分かり切っていたはずだった。しかし、理性がいくら自分を説得しようとしても、荒れ狂う心中に次々と沸き起こる悔しさを、姉への賛辞にすり替えようとしても………………。






 ずっと前を走り続ける姉を羨ましく思う自らの本心を抑えることなど、もはや出来はしなかった。






 爆発した感情が凍りついた心の蓋を溶かし、雫となってまなじりに姿を表た。イラの滲んだ視界にはただ一人、憐憫れんびんの眼差しでこちらを見る、姉の姿があった。







――噴き上がってきた感情の奔流に、イラは素直に従った。もう、だまって姉に追従する自分ではない……!!



 イラは泣きながら、すさまじい形相で姉を睨み返した。



 イラの胸中を焦がすのは、それまで十数年間封印してきた姉への嫉妬と対抗心。我知らずして姉を睨みつけていた彼女は、この時初めて身もだえするほど強烈な熱意が自分の中にあることを知った。




――そして、その熱意に身を任せて生きてやろうと、強く決心したのだった。








 それからのイラは気が違ったように姉を敵対視し、姉を超えようと躍起になった。


 まともな方法では、絶対に姉に追いつくことは出来ない。しかも『審判のいかずち』試験に落ちたイラは、家から教育を受ける権利を失っていた。そうなった時、イラに出来ることは限られていた。






 イラはまず、全身に刺青を施した。優秀な小人の彫師を大量に雇って、体中ありとあらゆる場所を魔導の文様で埋めつくした。それは表皮に留まらず、口腔粘膜、大陰唇、直腸内膜、食道内膜といった粘膜上皮や骨組織の表面にまで及んだ。




 血肉を切り開いて骨に文様を刻みつける……。その筆舌に尽くし難い激痛の最中にも、姉に追いつくためならばという狂気を孕んだ情熱が、絶えずイラの胸中に滾っていた。







 爪を生やすと魔力が少し落ちるという発見をした後には、爪が生えてくるたびに剥がす様になった。



 ピアスを付けると魔力が増えると知った次の日には、100を超える穴が体中に空いた。



 ふとした思いつきで全身の毛を剃り上げ、魔導の文様に剃り込んだ。






 とにかく、魔力の上昇を図るために、ありとあらゆる手段を講じた。その異常な研究の結果人間離れした姿になった娘を、軽蔑した父は、ついにはイラを勘当すると言い出した。



 そんなことはイラにはどうでも良かったが、家を追放されたことは痛手だった。






 刺青を彫るのにもピアスを着けるのにも、莫大な資金がかかる。そうした金は、全てネーゼの家から出ていたのだ。


 多方面で驚異的な才能を発揮する姉に追いつくためには、一刻の猶予も無い。イラにまともな金策をしている時間は無かった。そしてやむなく入ったのが、『フスコプサロの会』である。





『フスコプサロの会』――表向きは身体障碍者に対しての福祉活動を行っている団体だが、裏の顔は深く暗い闇の中にあった。




 それは、闇の依頼を請け負う魔導士集団という顔だ。


 それもまともな魔導士たちではなく、才能無き者たち、世間に疎まれし者たちが寄り集まって『忌み落とし』を始めとする外法によって強引に魔力を上げ、密漁や強盗、密輸などの非合法の仕事を金で請け負う……という、まるで落ちぶれた魔導士の吹き溜まりのような、救いようのない集団だった。




 イラにも、ネーゼ家に生まれた誇りがある。そのためそんな下等な会には入りたくはなかったのだが、苦悩の末、ソリャへの恨みが誇りに勝った。

 それに、イラも十分疎まれ者だったのだ。今更汚けがれたところで、惜しむような身の上ではない。




 イラはそんな集団の中にあっても、この上なく特異な存在だった。研究の成果とも言える高い魔力も相まってイラはすぐに注目を集め、『フスコプサロの会』最強の魔導士、『スンラ・クンプト』に声を掛けられる程になった。



 イラは驚いた。クンプト家といえば、ネーゼ家と同じ三大導家のひとつだ。そんな人物が、こんな集団のトップにいるとは……。スンラ・クンプトという名は聞いたことがなかったが、イラは興味がなかったのでそれ以上詮索はしなかった。もしかしたら、その人物はただクンプト姓を名乗っているだけなのかもしれない。

 箔をつけるために名家の名を騙る……。別に珍しいことではないし、自分もそう思われていても不思議はない。そんなことでさえ、イラにとってはどうでもいいことだった。






 そうして最年少でスンラ・クンプト直属の魔導士の一人となったイラ・ネーゼは、『フスコプサロの会』での最重要任務を任されるほどになる……。それは、――――先ほど家に残してきた老婆『リリコ・ラポイエット』の暗殺だった…………。








(リリコ様は、こんな私に対して、自分の孫のように愛情を注いでくださった。醜く、怪しい私の外見にも興味を持ってくれて……。彫り込んだ文様を、美しいとまで言ってくださった。そんな人物を殺めて、私はなにを得ようとしているのかしら……?)



 イラは激しい後悔と苦悩と自己嫌悪を抱えたまま、世捨て人のようにおぼつかない足取りで歩いていた。誰もいない静かで白い街の中、さくさくというイラの足音だけが聞こえる。何も考えず、何も考えられずに歩いていた。


…………どれくらいの時間がたったのだろうか。いつの間にか街並みは途切れて、イラは町の外にある何もない雪原に足を踏み入れていた。郊外に避難している住民の中から一人の男がこちらに走ってくる。





「イラさん!! リリコ様はどうされたのですか!?」


 イラは哀しい表情で言う。

「リリコ様は、もうじき身罷られます。死期を悟って、私を逃がされました。――まもなく『ミッグ・フォイル』が起こるでしょう。それが町を生かすものであることを願うしかないのです」


「ああ……」

 男は、がっくりとひざを折って四つん這いに倒れた。



「あれほどお優しい方が亡くなられるのか……。皆に知らせれば、泣きわめきましょう。じきに分かってしまうことですが。……イラさんは、今後町にお残りになって頂けるのでしょうか? 我々としてはそのほうが心強いのですが」

 イラは首を横に振った。

「それは出来ないのです……申しわけないのですが。やらなければならないことが御座いますので」



 男はうなだれたが、やがて立ち上がった。

「残念です。それでは、私は戻って皆と相談を」

「私はもう少し、ここで町を見ています。そして発ちます。身勝手で、本当にごめんなさい」

「いえ。今までありがとうございました」


 男は深々と頭を下げ、それから振り返って歩き去ってゆく。



 イラはじっとその場から動かず、真白く輝く雪と氷の町、『シャンターラ』を眺めていた。時が止まったかのように静かで何もない数時間が過ぎ去った後、一筋のしんとした波が世界を走り抜け――――――――







『ミッグ・フォイル』が起こった。


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