第三十三話『カナリヤと小人』
――フスコプサロの会。
身体障害者の人権の確保と福祉活動の実行を目的として作られた、営利を目的としない民間組織である。世界各地で先天性後天性を問わない身体障害者への福祉活動を行い、場合によっては身元引き受けを会で行ったり救貧院を併設したりして、身寄りの無い者や極貧生活を送る孤児などを救済している。
独立自治をモットーとするこの会には、有志の魔導士が主催する、各地の依頼を請け負うための部署がある。主に境界魔法陣の補修手伝い、魔物の討伐依頼、魔法薬の納品依頼などを行っており、福祉団体らしくアフターケアが充実していると巷では好評だった。
そこに所属する魔導士『カナリヤ・ヴェーナ』は、この秋に【ツィーリィ・セフィーア】の魔導学院を卒業したばかりで、まだ魔導士による講習と実地研修を済ませていない見習い魔導士だった。西の暖帯地方に配属され、研修に励む日々が続いていた彼女は、その輝く美貌から知らず知らずの内に注目を集めていたが、本人にその自覚はなかった。
そんなカナリヤが彼女を目撃したのは、【芸術の町イルピア】での魔導基礎講習に出席しようと【フスコプサロの会】の所有する研修所兼事務所に時間ギリギリで到着した時のことだった。
(んっ!?)
視界の端で彼女を捉えたカナリヤは、思わず、もう一度振り返ってしまった。そして二度目にそちらを見た時に、汗をたらしながら階段を登っていたその女性と目が合ってしまう。その瞬間、カナリヤの体にしびれが走った。
(いけない、失礼だ)
カナリヤは咄嗟にそう思ったが、しびれた体が言うことを聞いてくれない。失礼ついでにそのまま体ごとそちらに向き直り、大きな目をぱっちりと見開いてまじまじとその女性を眺める。その女性もその場で立ち止まってこちらを見下ろしていたが、やがてぷいっと顔を逸らして、そのまま2階へ上がって行ってしまった。
カナリヤは全身にこれまで経験したことのないような充実感を感じ、しばらく体を動かすことが出来なかった。思わず呟く。
「…………なんて可愛い……」
しばし茫然と立ち尽くし、やっと気が付いたときには、カナリヤは講習に遅刻していた。
――
「えー、今ね、今述べました通り、魔導士のですね、魔導士の力というものは、肉体のですね、肉体の力と反比例する性質を備えているわけですね。えー、つまり、えー、こういう事で。魔導士の力は《虚ろな力》とよく言われるわけですね。えー、それに対して、え、肉体のそのものの力を《実際の力》と言いましてね、これを合わせて《虚実》という訳です。《虚ろな力》、すなわち《虚力》を高めるには、《実際の力》、つまり《実力》が邪魔になるということですね。そのため魔導士は運動を控え、肉体を鍛えない様にするという訳です」
「……ねえねえあなた。さっき上に行く階段のところで、とても可愛い小人を見たの。あなたあれが誰だか存じない?」
「はあ……?」
先ほどの女性が気にかかって講習どころでないカナリヤは、たまらず隣に座る禿頭の男性、『ビルガルグルン・ラップバーン』に、声を潜めて話しかけた。ビルガルグルンはカナリヤと同時期に入ってきたくせに、持ち前の人懐っこさとずけずけとものを聞く図々しさで、組織の事なら何でも知っているほどの情報通だ。
「小人……が2階に上がって行ったあ? ってことはそれは、『ネママ・ネメルリム』じゃないか」
ビルガルグルンはよく通る低い声で言った。ネママ・ネメルリムといえば小人の身ながら強大な魔力を持つ、『フスコプサロの会』でも選りすぐりの魔導士の一人だ。
「えー、つまりね。魔力をね、魔力を高めるために先人たちがしてきた数多の苦労は、如何にして《実力》を落とすかということに費やされてきたのが歴史なのですね。えー、そのね、手段としては色々ありますが、肉体を痛めつける修行というものは中でも沢山ありました。えー、特にね、太陽を見つめ続けて目を潰す『カリヤアロリ法』が有名ですね。これは、『太陽の力を取り入れて魔力とする』という理屈で行われましたが、その実態は実は『忌み落とし』に違いなかったということなのです。その創始者カリヤ・アロリは、この方法によって視力を失った代わりに、当時猛威を振るっていた魔獣『暴虐竜エンペラ=カイム』を封じるほどの魔力を得たのですね。そしてですね、同時にね、同時にこれは、『忌み落とし』という人為的な肉体破壊の創始だった訳なのです」
講習は続いていたが、カナリヤの耳にはビルガルグルンの話しか入って来なかった。それにこんな内容は、とっくに【ツィーリィ・セフィーア】の魔導学院で聞いて知っていることだ。
「ネママさんとおっしゃる……。わたくし達より上位の魔導士ということかしら?」
「無論。だがつい最近、仕事を失敗して上とひと悶着あったらしいぞ。それが元で、あまり大きい仕事は任されてないんだってさ」
「ネママさん……。お会いしてお話したいなぁ……」
ビルガルグルンが振った話題に、カナリヤは全く乗ってこない。拍子抜けだったが、ビルガルグルンはここ1週間の研修でこの夢見がちな女性の対応に慣れ始めていた。
「会ってどうするんだ? 彼女は人を突き放した性格だぜ」
「見つめるだけでもいいの。わたくし、人形を集めるのが趣味でしょう?」
カナリヤはそう言ってビルガルグルンに同意を求めて来た。しかし、カナリヤのそういう話を聞いたのは、正真正銘これが初めてだ。
「初耳だよ。人形集めか……。それで彼女の容姿に一目惚れしたと?」
「話の分かる人ね。そうよ、その通り。でもね、ただの一目惚れとは違うと思うの。見た瞬間、私の胸に電撃が走りましたのよ。これは、運命的な出会いに違いないでしょう!」
「えー。魔力を得るために自らの肉体を省みない魔導士というものが、『忌み落とし』の発明によって沢山出たわけですね。彼らが良く破壊した部位は、四肢です。中でも腕を落とす人が多かったようですね。教科書に載っているような昔の肖像画を見ますと、片腕のない魔導士がとても多いです。有名どころでは、『クーム・コッツェ』、『リスカイラ・クンプト』、『プラバリィ・アルカ』、また『ソージャ・ネーゼ』『アリエ・ネーゼ』の姉妹などでしょうか。これは現在でも有名な魔導士達ですね。悪い事に彼ら程有名ではない魔導士たちも、多くが『忌み落とし』をする時期があった訳です」
「あはは……そうかい。しかしヴェーナさんともなれば……小人ぐらい屋敷にいたろ?」
乾いた笑い声で調子を合わせてから、ビルガルグルンが聞く。ヴェーナ家は、かなり優秀な魔導士の家系だ。そんな名家となれば当然、家事をやらせる小人族を大勢雇っている。
「ええ、もちろん。彼らのこともとても好きで、小さなころはよくお洋服を縫ってあげたりしたものよ。でも、ネママさんからは……。なにか別のものを感じるの。なんだろう? いてもたっても居られない気持ちですわ……。体の奥が熱くなるの」
カナリヤは身を震わすほどの興奮を覚え、頬を赤らめながら体を揺すって悶えた。その振動に合わせて肩にかかるほどの亜麻色の髪が肩先を滑りって柔らかく揺れ、白い指先では大理石で出来たような爪が光を反射して輝いている。
(美しいな)
ビルガルグルンはただその姿を見て、ぼんやりとそう思っていた。
「えー、ここでですね。ここで問題になったのは、そうした魔導士達が市民階級の者を使って通り魔的に『忌み落とし』の実験をしたことです。えー、このために、先天的ではない、同情すべき境遇の身体不自由者が都市部に溢れました。勿論そうした方々は生活に著しい支障が出てしまいます。そこで、我々『フスコプサロの会』がそうした身体不自由者の保護、および生活支援の活動をするために設立されたのです。そこから発展して色々な依頼を請け負う仕事の斡旋所としての活動を展開し、今に至ります。はい、これで今日は終わりです……。えー、次週はですね、これからの身体障害者支援の方法とそのための魔導士のあり方について、話したいと思います。えー、じゃあね、皆さん、お疲れさまでした」
――
ネママ・ネメルリムは貝のように白くて艶やかなカウンターに腰かけ、数枚の依頼書に目を通していた。
(これもダメ、これもダメ……。なんだ、殺しばっかじゃないか)
ネママはそこから殺人の依頼が書かれた紙を寄り分けて、候補から外していく。
「これくらいか」
そうして除かれた数十枚の紙をカウンターに置いて、ネママはそこから飛び降りた。大して高くはないカウンターだが、それでもネママの身長の3倍ほどはある。小人族は運動能力が高く体重も軽いため人より動作が遅いということはないが、人間大の施設で過ごすとなると、人間以上に疲労がたまる。何しろ地上5階にあるこの階に登ってくるまでに、自分の肩の高さまである崖のような階段を120段もよじ登らなければならないのだ。
そのため、ネママはこの施設に来る度に出来るだけ多くの仕事を持って帰るようにしていた。なぜカウンターが1階に設置されないのか……。と、ネママはいつも思っていた。
行きの辛さに比べれば、ただ飛び降りていくだけの下り階段は天国のようなものだ。ネママは軽やかに階段を下って行った。ただ閉口するのは、階段を行き交う同僚たる魔導士達から常に好奇の視線を向けられることだ。こればかりは、いつまで経っても慣れる気がしない。
ネママがやっとのことで1階に降りてくると、突然後ろから声をかけられた。
「あのー、失礼ですけど……」
高く涼やかな声を聞いて振り返ると、今朝見たのとと同じ亜麻色の瞳がそこにあった。
「ネママ・ネメルリム様ですか?」
「そうだよ。何?」
「私はカナリヤ・ヴェーナ。見習いの魔導士ですわ。実はわたくし、ネママさんに申し上げておきたいことがありまして、このような無礼を働きましたの」
(仰々しいな)
ネママは思ったことをそのまま表情に出して、眉根を寄せた。その態度が、隠すことなく声色にも出る。
「だから、なによ。……」
カナリヤを睨みつけたネママだったが、カナリヤの曇った眼には、怒った表情もただの可愛い顔としか映らない。
「わたくし、先ほどネママさんのファンクラブを作りましたの」
カナリヤが笑顔で言った。カナリヤの突拍子もない一言に、ネママは耳を疑った。思わず、聞き返す。
「は? なに言ってんだ……? ファンクラブ? 私の?」
疑問符だらけの質問を返すと、カナリヤは一層、嬉しそうに笑った。まるで大輪の花が開いたような笑顔だ。
「ええ。先ほどから協会中の部署に声をかけて、そうしたら会員が80名ほど集まりましたわ。突然のことで驚かせてしまってごめんなさい。非公式ですが、一応、私がファンクラブの会長ということになっておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします……」
カナリヤが当然のように言い、恭しく頭を垂れる。ネママも思わず、ほんの少しだけ会釈してしまった。
「ちなみに、」
カナリヤが体を開いて後方に手をかざすと、後ろから禿頭の男性が現れた。ビルガルグルンは、ネママを見て頭を下げる。
「彼が副会長を務めることになっております」
「ビルガルグルン・ラップバーンです。以後、よろしくお願いします」
ビルガルグルンは、静謐な峡谷に反響してこちらに届いているような、低く安定した落ち着く声でそう言った。
――――それは空気を細かく震わしながらネママの小さな耳に届き、高貴な波の客人を迎えた鼓膜の門番は喜びの鐘を衝いて、奥にある蝸牛 (鼓膜の内部にある渦巻き状の器官。リンパ液で満たされており、この内部にある感覚毛が震えることで音を感じる)に愉悦の知らせを送る。
「あ、ああ……」
それを聞いたネママの体は、しびれていた。




