第三十二話『魔法、フレイム・ロゼット』
挿絵で手間取りました。
「もう、たったこれぐらいで呼吸を乱れさせてどうするの! はい立って、深く息を吸うの! まだ何も形になってないんだから急いでやりなさい!」
エコがソリャの元で修行を始めてから、6日の時が経った。
タークの椅子作りは、まだ終わらない。タークとエコはここに来て以降完全に分かれて生活していたので、エコはタークの動向を知らない。
それに今、エコにそんなことを気にしていられる余裕は、全くといっていいほど無かった。
その理由は他でもない、ソリャの指導が思った以上に厳しかったからだ。
朝起きて魔導学院で行う基礎的な部分の勉強を3時間、そのまま魔法の修行を2時間、呼吸法の修練を4時間、それからやっと昼食で、食後もすぐに魔法の修行を行い、それは時として日が沈み切ってしまうまで行われることもあった。
ソリャはあまり眠らない性質らしく、その後遅くまで魔法と魔導士についての歴史や最近の動向、世界中で起きている出来事などについての話をする。エコが耐えられなくなって途中で寝てしまうと流石に諦めてそのまま眠らせてくれたが、周りの人の話を聞くに、その後更に自らの行政魔導士としての仕事をしているらしい。
睡眠を怠るとたちまち集中力が無くなってしまうエコにとって、ソリャは怪物に見えた。
「はー、はー、はぁーーー。……『フレイム・ロゼット』!!!」
『魔法に形を与える』とはどういうことか。魔法にはいくつかの段階があり、それは『魔法の次元が違う』という風に表現される。
たとえばソリャ・ネーゼの魔法は、布のような質感を持っている。火炎を絨毯のような形にして覆いかぶせる『火のカーペット』や、水の幕を張る『水のカーテン』などがそれだ。
同様に、実力ある魔導士は必ず火や水といった現象を独自のイメージで捉えており、それを正確に表現するだけの魔力を備えている。
ソリャ・ネーゼは魔法を説明するとき、こんな風にエコに語った。
「人は皆、自分の中だけの世界を持っているもの。私とエコちゃんの世界は全く違う光が射し、全く違うものが息づいて、全く異なった香りが立ち込めているはずよ。魔法というのは、その世界の一端をこちらに持ってくる行為なの。表現の一方法に過ぎないといってもいい。自分の世界を表現する方法は人によって違うわ。服を作る人もいるでしょうし、音楽を奏でる人もいるでしょう。今、タークは椅子作りによって自分の世界を表現しようとしている。それと全く同じで、私たち魔導士は魔法によって自分の世界を表現する人種なのよ。私の中の炎のイメージは、赤く燃え広がる絨毯なの。でもあなたの持つイメージは違うはず。エコちゃんの持つ炎の象徴はなにかしら? それを思い浮かべながら詠唱しなさい」
エコの放った『フレイム・ロゼット』の火球が焼け焦げた地面にぶつかり、爆着の炎を上げる。ここ数日の訓練で、その熱量は以前よりもはるかに増している。しかし、未だに魔法に明確な形を与えることには成功していなかった。
今放ったものを含めて、エコは今日だけで102発目の『フレイム・ロゼット』を放っている。6日前から数えて通算1341発目だ。師匠の下で修行していたときも、その後自分で行っていた魔法の練習でも、せいぜい1日50発程度しか『フレイム・ロゼット』を使ったことは無い。
「まだまだだめねぇ。這いつくばってる場合じゃないわよ。貴女にはまだ『ウォーターシュート』と『クレイ・ルート』があるでしょう! もっとも得意な魔法にすら形を与えられないままでどうするの?」
「はあっはあっ、はぁっ、はっ……はいっ!……立ちます!」
エコは立ち上がり、ふらつきながらも何とか呼吸を整えると、『フレイム・ロゼット』を唱えて地面に放った。
その一連の動作の間、エコは自分の持つ『フレイム・ロゼット』のイメージを出来るだけ明確に保つことに集中していた――――エコの持つ魔法のイメージは、野山に育つ草花の姿だ。
地に根を下ろして立ち、少しでも多く光を受けようと懸命に枝葉を広げ、美しく色鮮やかな花弁をつけ、果実を実らせて多くのものに豊穣を与える……。
エコはそんな植物たちの姿が好きだったし、何よりも尊敬すべき存在だと考えていた。自らの体が植物の要素を引き継いでいるということもあって、その強さが自分の魔法にも宿って欲しいと、いつも思っていた。
結局、その日もエコの修行は実を結ばなかった。ソリャはエコを無責任に慰めたり褒めたりしない代わりに、不当なことで叱りもしなかった。ただ淡々と必要な事柄について教えてくれるだけだ。
日が落ちてからソリャの話を聞くことが、エコは好きになっていた。いつも最後はこらえきれなくなって眠ってしまったが、エコはいつも、夢の中でソリャに聞いたことを思い返していた。
――こうして『自分の中の世界』が、どんどん広がっていく。エコには、それが楽しくてしょうがなかった。
タークに連れ出され、ヨズ達やミモザに出会って、こうしてソリャにも様々なことを教えてもらうことが出来る。
旅に出るまでの自分は、今の自分と比べても矮小な存在だった……と、エコは思う。あのクレーターの狭い世界の中でなぜ満足していられたのかが、もうエコ自身にも分からない程だ。
エコはあの場所で、日陰に生える植物のように生きていた。師匠を待つという境遇に疑問を抱いたことも無ければ、退屈な日々を送る自分を省みることも無かった。
日陰に生えた植物とは違ってエコには歩くための足がついていたが、そのことにずっと気がついていなかった。タークに腕を引かれるようにしてエコは日のあたる場所に足を踏み出し、歩く楽しみ、学ぶ楽しみ、自分が育っていく楽しみを知った。……心地よい疲労感に包まれて布団の中で眠るエコは、そんな幸せを噛み締め、人知れず涙を流した。
「『ミッグ・フォイル』を知っている?」
翌朝のソリャの朝の講義は、こんな言葉から始まった。エコが知りません、と答えると、その返答にすっかり慣れてしまったソリャが、むしろ安心したように言う。
「そうか。よかった、これを知らなきゃ魔導士じゃないわ」
これは、ソリャの口癖だ。
毎日のように聞かされているセリフだが、エコは最近、むしろこう言われるのが待ち遠しくなっている。このセリフが出た後には、ソリャは必ず新しいことを教えてくれるからだ。
それに、ソリャは決して無駄な話はしない。必要な話だとソリャが言うからには、それは絶対に知っていなければならない知識に違いなかった。
「『ミッグ・フォイル』というのは、魔導士が使える究極の魔法なの。今は使われていない言葉で、「万の虹」という意味だと言われているわ。その名の通り、発動した時に空を数多の虹が覆うの」
「へぇ~……」
「へー、じゃないのよ。貴女の師匠はそんなことも教えなかったの? この間起こった『ミッグ・フォイル』は5年と4ヶ月前だから、エコちゃんももう産まれてるはずじゃない」
「ふぅーん、そうなんですか」
エコがとぼけた相槌を打つ。
「……まあ確かに、『エクストラ・ターミネンス・フォイル』は夜中に起こったからねぇ。虹を見てなくて
も仕方ないか。『エクストラ・ターミネンス』っていうのは、その『ミッグ・フォイル』を起こした人の名前ね。そんなに目立った功績を残した人ではないけれど、長年地道に魔法薬の研究をされた方よ。その『ミッグ・フォイル』では、西のほうに新しい森林が出来たわ。優秀な薬草が生い茂る資源に満ちた森で、町ひとつ分の広さがあるそうよ」
「森が? すごい! それって、わたしにも使えるんですか?」
エコが聞くと、ソリャは押し黙った。少し不機嫌な調子で口を開く。
「知らないと恥をかくというのは、例えばそういうことよ。もしもそういうことを他の魔導士たちの面前で言ってしまったら、貴女は心から軽蔑されるでしょうね」
「え?」
エコには全く何が悪かったのか分からなかったが、まずいことを聞いてしまったということだけは分かった。
しかし、まずいことを言ったとは分かっていても、なにが悪かったかまでは分からない。こういう状況になることこそ、“無知”の怖いところだ。
「……『ミッグ・フォイル』は、いわゆる魔法とは似て非なるものよ。『その人が生涯発した言葉全てが、ミッグ・フォイルの詠唱である』と言われているわ。…………『ミッグ・フォイル』は、術者が死ぬことによって発動するの」
「あ……っ!」
エコは漸く、先ほどの自分の発言がどれほど浅はかだったかを自覚した。それほどの魔法を、よくも軽々しく「わたしにも使えるんですか?」などと言えたものだ……身の程知らずにも程がある。
恥を知って小さくなっていると、ソリャがまた話し始めた。
「エコちゃんに使えるかは、私にも分からないわ。いいえ、誰が『ミッグ・フォイル』を発動するだけの資格を持っているのかは、本人を含めて誰にも分からないの。資格を持った人が何らかの理由で死んでしまった時にだけ、『ミッグ・フォイル』が発動するの。だから『ミッグ・フォイル』については、「使った」ではなく「起こった」と表現する」
「そうなんですか……」
壮大すぎて、エコには実感がわかない。なんとなく凄そうなことは分かるが、想像もつかない話だ。
ソリャもエコの声色から、それを感じ取ったようだった。
「天災のようなものよ。でもとにかく、考えられないほど大きな規模で、限りなく特別な効果を持った魔法が発動することだけは確かよ。地形どころか、時として世界の法則を変えてしまうくらい大きな『ミッグ・フォイル』が起こったこともあったという話だわ。…………ふふ、これを聞いたら驚くでしょうね。あの【ハロン湖】も、『ミッグ・フォイル』によって出来たのよ。辺りに水源など何も無く……乾いた岩山だけが続く、荒野だった土地に」
「えええっ!!!?」
エコは驚き、自分が見てきた【ハロン湖】の光景を出来る限り思い出した。
記憶に新しい【ハロン湖】周辺の地域は、水源に溢れて木々がひしめき合うような、瑞々しい土地だった。
大地は肥沃で作物はよく育ち、それでいて魔物は少ない。活気を持った人々が忙しなく往来する通り際にはいつも当たり前のように季節の花が咲き乱れ、緑の隙間を通り抜ける心地よい風は、片時も止むことが無かった。
「たった30年前には、あそこに人など住んでいなかった。むしろ下にある【ヒカズラ平原】の方が栄えていたくらいだわ。あんなに魔物の多いところに……。それでも、水の無い土地よりはまだましだったんでしょうね。それが『ハロン・クンプト』という方の『ミッグ・フォイル』よ。三大導家『クンプト家』出身の地質学の権威でいらっしゃって、土の魔法で右に出る者はいなかったそうよ。あの辺りの土地に足繁く通って研究をしていらっしゃったから、特別な思い入れがあったんでしょうね」
「じゃあ『ハロン・クンプト・フォイル』って言うことですか」
「そうそう。後世まで名の残る業績は数あれど、『ミッグ・フォイル』に名を残すことは、魔導士最大の誉れ。全魔導士の憧れだわ」
「魔導士の憧れ……」
エコが呟く。しばしの沈黙。少し神妙な面持ちになったソリャが、薄い唇を開いた。
「……市民の中には、そこまで大きな働きをしていない魔導士たちが手厚く保障を受けたり権利の面で優遇されたりするのはおかしいという者もいるけれど、その時点で彼らは、大きな勘違いをしているのよ。社会への貢献という意味で言えば、単純な恩恵……例えば境界魔法陣や薬品研究といった事業だけでは、確かに市民が働くのとそう成果が異なる訳ではないわ。でもね、魔導士の中から『ミッグ・フォイル』が起こることを考えに入れると、市民達の働きなどたちまちものの数に入らなくなるの。たとえ何十年に一度の出来事とはいえ、彼らに荒野を湖にするようなことが出来ると思う? 【ハロン湖】だけではなくて、他にもいくつもの重要な土地が、『ミッグ・フォイル』によって作られているのよ。…………死の砂漠を広範囲にわたって緑化した、とてつもない『ミッグ・フォイル』すらあるのだから」
「そうなんだ……。地形を変えるほどの力か……」
エコが感心してため息を吐く。一度目の当たりにしてみたい、と思った。
「昨日、魔法には次元があるという話をしたわね。今日は、その話の続きをしましょうか」
ソリャはそう前置きをしてから、魔法次元の話を始めた。
「まず第一段階、ただの魔法。次が、魔法に形を与える第二段階。その次は?」
エコは急に質問され、思わずうろたえた。ソリャは時々、唐突にエコをテストする。エコがそれに答えられないと、その後修行が一層厳しくなる。
エコは必死に頭を働かせた。あまり悩むと不合格である。整理の追いついていない頭の中をかき回して、やっとのことで何とかそれを思い出し、答えた。
「第三段階、魔法に特別な性質を与える!」
「そう。エンチャントとか魔法特殊効果とか呼ばれるものね。段階が進むにつれ、術者の個性が強く現れてくるわ。ちなみに第二段階から第三段階に進むまでには17年の修行が必要とされているわ。では、次は?」
「最終段階、魔法の発動範囲の増大!」エコはすぐに答える。
「そこよ。私は確かに、魔法が術者の周囲を覆い尽くすほど広範囲になる『場の魔法』を最終段階と言ったわ。でもね、それは一般論に過ぎないのよ。最先端の魔導学では、本当の最終段階は、もうひとつ上の次元だと言われている。これまでの各段階の特徴全てを包括した魔法で、規模も果てしなく大きい。それに伴って極めて大量のマナを消費する。この段階はなんでしょう?」
「全段階の特徴を包括していて、規模が果てしなく大きい? それに伴って大量のマナを消費する……? 『ミッグ・フォイル』ですか」
エコがすぐに答えたので、ソリャの表情がほころぶ。
「正解よ。『ミッグ・フォイル』こそ、魔法の最終段階だと言われているの。その代わりマナの消費が増えすぎて、死に際にしか発動することが出来ない……と解釈されているわ。マナ切れの究極形ってことね。ただ、術者の死と『ミッグ・フォイル』の発動、どちらが先なのかは未だに論が割れているところよ。エコちゃんはどう思う?」
「見たことが無いから、分かりません」
「そうね。私もその意見に賛成するわ。分からないものは分からないでいいのよ、その時が来ればいずれ理解できることだから。魔法段階の理論だってね、便宜上そう分けてあるって言うだけであって、本当にそのようになっているのかなんてこと誰にも分からないのよ。……そうだ」
ソリャは何か思い出したように、椅子から立ち上がった。そして後ろの棚から、鉢植えを取り出す。鉢植えには土が盛ってあるが、何も生えていないように見える。
「次のテスト。これに何の植物が植わっているかを、魔法を使って調べなさい。どんな手を使ってもいいわよ」
「? 分かりました」
エコは少し違和感を感じた。ソリャがわざわざ「テスト」と口に出すことはこれまで無かったし、大体のテストは質問によって行われており、こういった形式のものは初めてだったからだ。
しかし、テストの内容自体は簡単だった。エコはすぐに『グロウ』を使って植わっている植物を成長させる。ひょろりと伸びた茎から蕾が生まれ、紫色の可憐な花が開いた。
「スミレですね」エコが答える。ソリャはゆっくりと眉をひそめた。
「…………やっぱりだめねえ。……エコちゃん、この魔法は、人前で軽々しく使っちゃいけないわ。ふーー……」
ソリャが深刻なため息を吐く。
(何かまずいことをしたらしい)エコは何がいけなかったのかを懸命に考えたが、明快な答えは得られなかった。エコが再び頭をフル回転させて考えていると、ソリャがもう一度口を開く。
「私もこの前まで知らなかったんだけど、この『グロウ』って魔法は……、【禁呪】だったわ」
エコは凍りついた。ソリャは半目になってしばらくエコを見つめた後、改めて口を開いた。
「それじゃあ、盛りだくさんになってしまうけれど、事のついでに【禁呪】についても教えましょう」
ソリャがそう言って時計を見る。
「朝の学習時間は終わったけれど、今日はこの話まで終わってから魔法の修行に入りましょうか。……【禁呪】というのは、体系化された魔法の中でも、特に生命に対する危険性を指摘されたものよ。【禁呪】を使っていることが判明したら、行政魔導士によってただちに拘束を受け、【魔封じの焼印】を禁点の6箇所全てに押されるわ。…………中でも『グロウ』は、ふたつの理由で使用が禁止されている」
ソリャはエコに向かって握り拳を突き出し、人差し指と中指を立てた。
「ひとつには、植物を信仰対象とする【樹教】の魔導士が、植物を自然の流れに逆らって成長させることが樹教に対する愚弄だと言い出したから。そしてもうひとつは、マナ使用量が多すぎて下手に使うと術者が即死するからよ」
「へっ……? 即死?」
思いもよらない回答に、エコがあっけにとられる。ソリャが冷たい視線をエコに向けた。
「エコちゃん、貴女どうして、生きてるの? ここ何日間か貴女を観察していたけど、『フレイム・ロゼット』だと14発の連射で息も絶え絶えになるじゃない。……マナの貯留量としては、そんなに多くない方よ。でも『グロウ』のことを調べていたら、何人もの大魔導士がこの魔法の使いすぎで命を落としてるって記録が見つかったわ。……それも、今エコちゃんが軽くやったみたいに、草に花を咲かせた程度での話よ。私と戦った時、貴女は草原を広範囲にわたって成長させたり、何も生えていないところに突然大木を生やしたりしたわよね。……なのに、どうして生きてるの?」
エコが遠慮がちに尋ねる。
「話がよく分からないんですけど……。『グロウ』が【禁呪】? それも、マナの消費が多いって……。わたし、『グロウ』を使って息切れしたことなんてほとんど無いですよ……。日常的に使っていたし……。実際はなんか違う魔法、とか……そういうことはないですか?」
「んー、魔法ってものは定義が曖昧だから、なんとも言えないわね。……ただ、誤解を招くことは確かよ。『グロウ』って名前も一緒だし、同じ魔法だと誰しも思うでしょうね。【禁呪】の使用は放置すると大問題に発展する恐れがあるから、罪の中でもかなり重いものになっているのよ。出来るだけ使わないようにしなければいけないわね、少なくとも、他の魔導士の前では」
ソリャはエコの目をじっと見ながら、真剣な顔でそう言った。その目線を受け止めているエコも、事の重大さをおのずと飲み込んだ……。
――――
タークの椅子が完成したのは、それから2日後のことだった。
出来るだけ早く旅立ちたいタークは当初2~3日で椅子を完成させてソリャに渡すつもりだったが、ソリャが手伝いに置いていた職人二人は、そんな生半可な仕事を許す男達ではなかった。
ソリャお抱えの職人である二人の男は、自らを手伝いと称しながらも、その実態はタークの指導係であった。
最初こそその事実に気付いて憤っていたタークだったが、教育熱心な二人の的確な助言と確かな技術を見せ付けられると、次第に自ら指導を仰ぐようになっていった。
8日間で17脚もの椅子を作ったタークだったが、二人の職人からソリャに見せる許しを得た作品のはその内3脚、ソリャが認めるほどの出来栄えに達したのは、更にその中の1脚きりだった。
「うんうん、このバックボードの弾力がいいわね。塗装の仕上げも悪くないわ。高さもぴったり。今回はこれで及第点をあげるわ」
ソリャが嬉しそうに仕上げ剤が乾いたばかりの椅子にもたれかかり、座り心地を確かめている。げっそりとやつれたタークがそれを見下ろして、溜まっていた不平を述べようと呼吸を整えていた。
「おい……聞いてないぞ、ソリャ・ネーゼ。椅子を1脚作るって話だったはずだろ……。あんなに沢山作らせやがって……。……眠くて死にそうだ」
「甘いこと言わないで頂戴。3日前まで貴方が作っていたのは、ただ足の付いた台に過ぎないわ。知っている? 椅子は人が座るためのものよ」
ソリャが当然の様に言う。タークは痛いところを突かれ、表情をもやっと濁らせた。
「それが正論だから性質が悪い…………たしかに、俺はそこんとこを全く分かってなかったってことがようやっと分かったよ……。親方と兄貴は?」
「さっき発ったわ。機材を運びにね」
「もう一度礼を言いたかったのにな……。あの二人がいなければ、俺は下らないものを作って満足するつまらない男だったってことに気がつけなかった……おい、ところでエコはどうしていた!? 元気にしてたんだろうな」
ハッとしてタークが聞く。エコとタークは、かれこれ1週間もの間会っていない。作業中もずっと気がかりでしょうがなかったのだ。
「修行を終えて休憩してるわよ」
「なんだと、修行? ……エコはのんびりしてるって話じゃなかったのか!」
タークが、態度を荒げてソリャに詰め寄った。だがソリャはするりとそれをかわし、何とは無しに話題を切り替える。
「してたわよ。のんびりと、修行をね。……貴方は大したものだわ。あの二人も発つ前に貴方の上達ぶりを褒めていたけど、あの二人の手伝いがあったことを考えに入れても、この椅子の出来は確かにいいわよ。……でも、エコちゃんの才能の伸びには到底敵わないわよ。…………8年かかる修行を1週間で終わらせたわ、あの子」
「8年……?」タークが眉をひそめる。
「そう。魔導学院課程8年分。魔法生物だけあって、覚えの早いこと。……これであの子は魔導学院修了と同等の実力があると認める。これで『マナ板』の発行が可能になるわ」
ソリャが話し終わると、遠くからタークの姿を認めたエコが、全速力で走ってきた。
「ターーークーーー!!」
「エコ!」
エコは全力でタークに駆け寄ると、おもむろにタークの両手を握った。
「ターク、見てて見てて!!」
「ん?」
タークが驚いている間にエコはくるっと振り返り、杖を広場の何も無い空間に向けて振り上げると、おもむろに詠唱を始めた。
「いっくよー、『フレイム・ロゼット』!!」
エコが元気良く唱えると、杖の先に小さな火の玉が現れる。それを見たタークが、疑問符を浮かべる。
「ん? 小さくなってない?」
「これは、種なの!!」
エコがそのまま力いっぱい杖を振り下ろすと、火の玉は目にも止まらぬ速さで撃ち出され、むき出しの地面に当たる。その瞬間、着弾点から轟音とともに凄まじい熱波が沸き起こった。
熱波の源たる大火球が、ごうごうと音を立てながら燃え盛る。その熱量は、つい先日までの『フレイム・ロゼット』とは比較にならないほどだ。
まるで生きているかのように脈動するその火球の中から、おもむろに2枚の葉が伸びてきた。かと思うと、葉の数は次々と増え、燃え盛りながら風に揺らめく。
その後次第に垂れ下がってきた葉が地面を広範囲にわたって焼き尽くしながら八方に広がると、今度はその中心から蕾のついた茎が伸びてきた。
熱芯。
炎の蕾と茎は葉よりも更にすさまじい熱を放っているらしく、離れて立っているタークも、思わず顔をしかめた。
(一体、花が開いたらどうなるのだろうか……)タークはすこし期待をしたが、しかし固く締まった蕾が開きかけたところで植物はその成長を止め、すぐにただの炎となって、ウソのように掻き消えてしまった。
「どう? すごい??」笑顔のエコが振り返る。
「ほー……。大したもんだ。すごいことになってるじゃないか……」
言いつつ、タークがエコの頭を手のひらで撫で回す。エコは嬉しそうに笑った。魔導士でないタークの目にも、それが今までの『フレイム・ロゼット』とは全く別のものだということが理解できる。まさしく「進化」と言っていいほどの変化が、エコの魔法に起こったのだ。熱気といい迫力といい、ただの火球だったときの『フレイム・ロゼット』とは格が違う。
ソリャがどういう経緯でエコにこうした指導をしてくれたのかは分からなかったが、タークには椅子作りを命じられたことすらその口実だったように思えた。
タークはソリャ・ネーゼの方を向いて、率直に頭を下げる。それは単純な感謝の表明だったが、ソリャは驚き、目を見開いていた。




