第三十一話『貴婦人と巨大カタツムリ』
北風が打ち下ろす冬の街道に人影はまばらで、険しさを増してきた道の両脇にはごつごつと尖った岩が並んでいた。傾斜はまだそれほどきつくないが、もうしばらく行くと旅人には有名な難所がある。【石の町トレログ】に行くためには、前方にある巨大な峰々を越えなくてはならないのだ。
雪山の道程に備え、旅人達は皆一様に重装備をして歩いている。大きなリュックサックにテントを巻き付け、分厚い外套を纏う者。丈夫な登山靴にスパイクをつけ、雪氷で滑らないように対策する者。耳まで覆うたれつきの毛皮の帽子に、分厚いオーバーズボンを穿いている者。
その中にあってエコとタークは、目に見えて軽装だった。エコはマフラーと毛皮の帽子を着ていたが、上着はそう重くないオーバーコートを普段着の上に重ね着しただけで、荷は着替え少々と水と食料のみだった。
「あ、昨日タバコの新しいのが出来たよ。はい」
「おっ、いつもすまんな。……このあいだ普通のタバコを吸ったんだが、これが全くダメだったよ。エコのタバコに慣れたみたいだ。これが一番美味いよ」
「そ、そう? 照れるよターク」
早速エコの作ってくれたタバコを吹かして歩くタークも、いつもの外套の下にセーターを着込み、手袋と下着を冬用にしてあるだけで、やはり荷物は少ない。
「結構寒くなってきたね……。わたし、寒いの苦手だなー」
「山に登ったらまだ寒くなるが、大丈夫か? 無理そうだったら引き返すからな」
「ええー!? どこまで?」
エコが信じられない、といった調子で返す。
「【ハロン湖】までだろうな」
「嫌だ、来た道をまた、また! 引き返すなんて……。がんばろ、ターク」
「なめてると死ぬぞ。俺だって冬山を越えたことはないし」
「でも、とーにーかーくー。がんばろ、がんばろ、がんばろ~」
エコはタークの側に寄るとばしばしと肩を叩き、それから一層元気よく歩き始めた。しばらく歩くと道の傾斜が緩やかになり、まばらに草が生え始める。谷の影を抜けて、南側の斜面に差し掛かったのだ。その時、エコが後ろから近づいてくる大きな生物の気配に気づき、振り返った。
「うわぁー、ターク!! なんかすごいの来た!」
「ん?……、ぁ…………!!!…………!!!」
二人の背後から人間の小走り程度の速度で近づいてくるのは、1頭の巨大なカタツムリだった。
全長4レーンほどある体に白亜の甲殻を載せた『足無し牛』と呼ばれる大型のカタツムリが、腹足を滑らかに波打たせながら静かに走って近づいてくる。良く見れば甲殻の中身は空洞になっており、中に人が乗っている様だったが、遮光ベールがかかっているために、乗り組んでいる者の顔まではうかがえない。
それは外見だけ見れば確かにカタツムリそのものだったが、ひとつだけ大きな特徴があった。それは角の部分に入り込んだ、大きな虫の存在だ。
1匹1匹の大きさが30センチレーンはあろうかという巨大な芋虫が『足無し牛』の角に入り込んでパンパンに膨らまし、なお奥に潜り込もうとでもするかのように、その緑縞の体を懸命に脈打たせている。まるで緑色の心臓が角の中にふたつ搭載されているようだった。
やがてそれはエコの隣に並び、ゆっくりと速度を合わせてきた。エコがきょとんとした顔でそちらを見つめると、殻の中から聞き覚えのある人の声がした。
「もし違ったら、ごめんあそばせ。そこのあなたは、もしかしてエコちゃんじゃない?」
「はい? あ、ちょっとターク!?」
突然名を呼ばれたエコは、うろたえて隣にいるはずのタークに声をかけようとして、いつの間にかタークが遠くにいることに気付く。道を外れて斜面の下にいるタークを見ると、青ざめながらしきりにエコに向かって首を振っている。その間に殻の内部にかかった日よけのベールが開かれ、そこに腰掛ける貴婦人の姿が現れた。
「ふーん、髪型は変わってもやっぱりエコちゃんじゃない。久しぶりね。お元気?」
「……ああ! こんにちは! ソリャ……ネーゼさん?」
全身に黒い衣装を纏った女性は、親しげにエコに微笑みかけた。それはかつて洞穴前の草原でエコと激しい戦いを繰り広げた、『行政魔導士』ソリャ・ネーゼその人だった。
エコはそんなにこの人物と親しいとは思っていなかったため、少なからず驚いた。ソリャはタークの方に顔を向ける。
「……あのお兄さんはなぜあんな遠くに逃げてしまったのかしら。私、嫌われてるの?」
「さあ……。普段はああいう感じじゃないんですけど……。ターク、この乗り物が嫌いなのかも」
「蝸牛車がお嫌いとは?……一流の職人に誂えさせた私の自慢の子だというのに」
遠目にタークを見ながら、すこし気分を害したらしいソリャが呟く。
「この乗り物、蝸牛車って言うんですか? こんな大きなカタツムリ初めて見ました! 虹色に光ってとっても綺麗」
白亜の甲殻を眺めて、エコがしみじみと言う。見る角度によって、色が様々に変わる。
「すごいでしょう? この虹色の輝きは餌の違いよ。草に牡蠣の殻を混ぜたものを食べさせて大きくするの。充分大きくなったら『ロイコクロリディウム』を入れて、操れるようにするのよ。長距離の旅をするには必要ね」
「ロイコクロリディウムってなんですか? わたし、初めて聞きました」
耳慣れない単語が出てきたのでエコは一瞬首をかしげ、すぐにそれについて質問する。
「まあ、そんなことも知らないの? この子の目に入ってる寄生虫よ。魔導士が直接蝸牛車を操ることは出来ないから、特別製の魔法陣で作ったロイコちゃんを入れて、間接的に蝸牛車を操るのよ」
「へー……。色々な魔法がありますね」
「……やっぱり貴女って変わってるわねえ。こういうことくらい学院の初等生だって知ってるのに。習ってないの?」
ソリャが不思議そうにエコに尋ねる。エコはあっけらかんと答えた。
「わたし、魔導学院には行ってないんです。師匠に直接魔法を教えてもらったので」
エコは、魔導学院の存在をミモザに聞いて知っていた。魔導士は普通、町々にある魔導学院を卒業しているものらしい。ミモザにしてもソリャにしても、当然、当たり前のように学院を卒業している。
「……師匠に作られた魔法生物か。前にそう言っていたわね。……ところで貴女、少しお時間くださらない? お話しましょうよ。私、旅の途中で退屈なの」
「いいですよ。話ってなんでしょう?」
「雑談よ」
ソリャは蝸牛車の速度をエコの歩行に合わせ、気の向くままに雑談を始めた。タークは更にエコたちと距離を置いて、おどおどと後方に付いて来ていた。こんなに意気地のないタークを見るのは初めてだったので、エコは時々後ろを振り返っては忍び笑いしていた。
「へえ! ソリャさんとゼイゼリリさんは知り合いだったんですか! 驚いた」
「そうよ。まあ家と仕事の付き合いが半々といった関係性ね。そういえばおじさまも、エコちゃんの話をしてたわよ。最後は仕事が忙しくなっちゃって、別れの挨拶が出来なくて残念だったって」
「へー……そうだったんですか。ふふふ、なんだかいろいろあって面白いですね。これからどこに行かれるんですか?」
「とりあえずイルピア市に向かうところ。仕事でね」
「じゃあわたし達とは方向が違うんだ。わたしとタークはトレログ市に行くところなんです」
「ふぅーん……。あ、エコちゃんにちょっと聞きたいことがあったんだけど」
「なんでしょうか?」
「この間エコちゃんと魔導戦をしたじゃない? あの時に私が腰掛けていた椅子のことよ。最近、あれが懐かしく思えてしょうがないのよ。出来たら譲ってもらいたいんだけど、今どこにあるのかしら?」
「……はい? なんですって?」
「覚えてないの? バックボードがこう反り返ってて肘掛けは焙り曲げた木で……、表面にはニスのようなものが塗ってあったわ。足は細くてまっすぐの……」
ソリャが椅子の説明を始める。しかしエコは、そんな椅子があったことさえ全く覚えていなかった。しかしあの場所にあった椅子ということは、恐らくタークが作ったものだろう。
エコがソリャにそう伝えると、ソリャは「あのお兄さんが? そうなの……。じゃあちょっと聞いて来てくれないかしら?」と言い、エコをタークの元へ遣わせた。
「どうした?」
青ざめたタークが、駆け寄ってきたエコに尋ねる。
「……ターク、だいじょぶ?」
「大丈夫だが、できるだけ近づきたくない。どうした? ……あの女は洞穴で因縁つけてきたあいつだよな」
「うん。ソリャ・ネーゼさん。天才なんだってさ。で、そのソリャさんがタークに椅子のことを尋ねたいって」
「……椅子?」
エコはタークに、ソリャが椅子を譲ってくれと言っている旨を伝えた。
「どうしよっか? あの椅子は置いてきたからありませんって言う?」
「……まあ事実そうだしな。悪いが言ってきてくれるか」
エコは再びソリャの元へ駆け戻り、今相談した内容を話した。
「うぅ~ん、やっぱり……。でもいい椅子だったのよね。あのお兄さんが作ったのだったら、新しく設えて貰おうかしら。そうね。この近くに少し大きめの村があるから、そこで作ればいいわ。お礼もするわよ。さあエコちゃん、そうお兄さんに伝えてきて頂戴」
エコはまた戻って、タークにその旨を伝えた。
「椅子作り……? 断ってくれ。俺はちゃんとした職人じゃない。それに、もう現場からはとっくに遠のいたんだ。急ぐ旅だしな」
「……だそうです」
エコはソリャの元に戻って、その通り伝えた。しかしソリャはこういう時、あっさりと引き下がるような人間ではなかった。
「なんですって? 私の依頼を断るつもりなの? 無理よ、ふふふ。報酬は宝石で70万ベリル相当を約束しましょう。そう言って頂戴」エコは再び、険悪なムードが漂いつつある二人の間を走った。
「なんだ、あいつは偉そうに……。――『俺ごときを買いかぶるな。そんなに高額な報酬をとるほどの仕事は出来ないし、重要なのは報酬ではなくて、腕と時間の問題だ』と伝えてくれ。悪いな、何度も走らせて」
そして対するタークも、強情だった。ソリャに対する不信感も手伝って、到底依頼を引き受けるような態度ではない。
そんなわけで、エコはそれから二人の間を何往復もする羽目になった。エコを通して言い争いをするソリャとタークは次第に互いの距離を忘れてにらみ合い、次第にエコの存在を忘れて、言いたいことを言うようになった。エコは息を切らしながらも、必死に二人の伝令役を務めた。
「決して買いかぶっているつもりはないし、報酬はあくまで無理を言っていることへの侘び代と、誠意を伝えるためのものだわ。何もお金である必要はないから、とにかく作って、それからの話だと伝えなさい。こっちから折れるつもりは毛頭ないわよ」
「とにかく作ってからの話だと? 何様だあいつ……。そもそもこっちには要求を呑む理由も、それだけの義理もない。話すだけ無駄なことだ。とにかく断る。これで終わりだ。そう言って来い」
「こっちから折れるつもりは無いって伝えたのに……まだそんなことを言ってるの。私に依頼された時点でもう遅いのに。ふふふ……じゃあ、こう言って頂戴。『行政魔導士の徴収命令』だってね」
「知るか!! 強権を発動したって街でもない場所で通用するか!! 『断る』、もうこれだけ言え。何を言われても『断る』だ」
エコは息を弾ませながらソリャの元へ戻り、感情的になってきたタークの物言いを、少しやわらかい言葉遣いに直して伝えた。
「んー、もう駄目か。これ以上何を言っても意味無いわね。まだるっこしい」
ソリャはそう言うと蝸牛車を止めて白亜の甲殻から降り、あくまで毅然とした態度のまま、厳しい目つきでソリャを睨むタークの方へと、ゆっくり歩き出した。二人の間の距離が近づくにつれ、周囲の空気がぴんと張り詰める。エコはまた喧嘩になるのではと思い、気分が落ち着かなかった。
「……椅子に恋をするということ自体は、そう珍しくはないわ。でもそういう椅子を作ることが出来る作家はそうそういるものではない」
ソリャが腕を組んで睨みつけるタークに向かって、微笑みながら言う。
「そんなことは知らん。俺たちには時間がない。先を急ぐんだからな……。それに俺は椅子の作家などではない。ただ食うためにやっていただけのことだ」
「才能の開花は、置かれる状況とは無関係に起こること。恵まれた環境で得るべくして得る才能もあれば、望まないことに花開く才能というものもある。でも、どちらも才能には違いないのよ。才能を持つものは、それに見合う仕事をしなければならないわ。それを天命というの」
眉間に深い皺を寄せつつ、タークがため息とともに言う。
「論点がずれすぎてて話にならんな。この話はもう終わりにしてくれ。俺はエコとの旅路を急ぐ」
だがソリャの表情は全く変わらず、落ち着いた態度を崩さないまま、また話し出した。
「……あなた、エコちゃんがどれほどイレギュラーな存在か分かってるの? エコちゃんには市民権がない。『師匠』と呼ばれる人物に作られたということは、エコちゃんは本来、その人物の元を離れてはいけないのよ。有り体に言えば、今のエコちゃんは野生の『人間もどき』だわ。それがばれたら捕まるわ」
「なに……?」
思わぬ方向からの口撃を食らってタークが驚くと、ソリャはにやりと笑った。
「もし貴方が魔導士なら魔法生物を保有する権利を得ることも出来るけれど、そうした手続きはなさっていないようね……。どう考えても貴方は魔導士には見えないしね」
ソリャは意地悪く微笑みながら、畳み掛けるように言う。返答に困って黙り込んでしまったタークに、更に追い討ちをかけた。
「時間時間とさっきから言っているけれど、そんな立場のエコちゃんがトレログ市に入ったらどういうことが起こるのか考えてらっしゃる? 境界魔法陣が張ってあるような都市には、入るに当たって必ず身元検査があるわ。タークさんはすんなりと入れるでしょうけど、エコちゃんは無理よ。身分証明がなければ事情を説明しても審問にかけられるでしょうし、場合によっては引き受け人が見つかるまで拘束されるわよ。それを解くための手続きにどれほどの期間がかかるかは、私にも分からないわ。……私は魔法生物の問題に当たっている執行官だから、エコちゃんに魔導士としての身分を証明する『マナ板』を発行することが出来るの。――椅子と引き換えにね?」
勝利を確信した……そんな表情だった。タークもすっかり参ってしまい、俯いて、引き続き黙りこくる。
ソリャの物言いは居丈高だったが、内容は至極もっともだった。確かに以前別の町に入ったとき、そうした審査を受けたことがある。行政魔導士の簡単なチェックだけだったが、魔導士のやることなので何を調べているかはまでは分からない。
「……本当に身分証明証を発行してくれるのか? 俺はお前を信頼していないぞ」
「頼むわよ。私はね、お兄さんの才能が気になってるの。資材と施設、その他必要なものは必ず揃えるわ。報酬も確約しましょう。……少し待っていてね」
ソリャは蝸牛車に取って返し、1枚の羊皮紙を持って戻ってきた。
「誓約書よ。私のサインはもう入っているから、貴方はこれを読んだ上で納得して、サインなさい」
タークは、誓約書に用心深く目を通した。行政魔導士らしく、ソリャの作った文面には僅かな抜けもない。そこには、椅子と引き換えに報酬を渡すこと、椅子作りに必要な全ての費用をソリャが負担すること、その間の二人の生活をソリャが保証するという事などが、流麗な文字でしっかりと記載されている。
「わかった。引き受けよう……これでいいか」タークは署名をした誓約書を、ソリャに返した。
「良し。じゃあ、この先のY字路を左に行ったところにある村へ先に行って待っているわ。では失礼」
ソリャはそのまま蝸牛車に乗り込むとエコに微笑みかけ、それから何か呪文を唱えて一気に蝸牛車の速度を上げた。蠢くロイコクロリディウムの蠕動運動が一層激しくなり、それに伴って蝸牛の腹足が激しく動きだす。
そうしてその滑りを帯びた巨体が、滑るように走り去っていった。後には日の光を浴びてきらめく、粘液の跡だけが残っている。
「結局どうしたの? ソリャさん怒ってなかった?」
エコがタークに駆け寄って聞く。エコには先ほどの会話がよく聞えていなかった。いかにも心配そうに、タークの顔を覗き込む。
「ああ……。悪かったなエコ。あんなに走らせて……。すまんが、結局椅子を作ることになったよ。何日か時間を貰うが、いいか?」
「もちろんいいよ。タークが椅子作ってるの見てるの、結構好きなんだー。手馴れてるよね」
「――そんなことはないよ、熟練の職人と比べれば俺などは、素人に毛が生えたようなもんだ。熟練の職人は、もっともっとすごいんだ……」
タークは遠くを見ながら言った。脳裏には懐かしい工房の風景と、熟練の家具職人だった工房長と、その娘――シェマの姿が浮かんでいた。
――
広い空間だった。
「こっちよ」……ソリャにそう言って案内されたのは、山の斜面沿いにある村の中で一番大きい、ドーム状の建物の内部だ。そこには椅子作りに必要なありとあらゆる道具が揃えられ、材木も各種十分な量が用意されている。中には珍しい動物の革や焙って曲げることの出来る蔓などもあり、挙句の果てには手伝いをするための職人まで控えていた。
「急いで準備させたからこの程度だけど、不足な分は仰って。すぐに送らせるから」
「……十分すぎるよ。すごい設備だな……。例の椅子は、ナイフとありあわせの材料だけで作ったんだぞ」
「そう? あっちに寝泊りする施設もあるから、存分におやりなさい。食事は運ばせるわ」
「ああ……、じゃあとりあえず始めるか」
タークがそう言って、新品の作業台に向かって歩き出す。エコはその後について行こうとした。
「だめよ、エコちゃんは一緒に来なさい」その肩をソリャの手が掴む。「え?」エコは驚いてソリャの方を振り返った。
「貴女はこのままでは生きていけないわ。こっちいらっしゃい」
有無を言わさぬ調子でソリャがエコに言う。エコは大人しく従うことにして、タークに手を振りながら工房を出た。
そのまま村の中央にある広場に連れて来られたエコは、きょとんとした様子でソリャの顔を見つめる。ソリャはエコの顔をきつい目つきで見ながらこう言った。
「タークが椅子を作っている間、貴女には魔法が何たるかを教授してあげることにしたわ。魔導士としてあれだけの力を持つのなら、魔法の扱いや常識について知っていてもらわなくてはなりません。知識がなくては、責任感を持つこともできない。知らないことは恥なのよ。貴女に恥を晒されると、それは私達魔導士全員の恥になるの。そうならないために、エコちゃんには私が稽古をつけてあげます。まずは魔法に形を与えられるようになってもらうわよ」
エコは少しだけ戸惑ったが、すぐに事情を飲み込んだ。エコ自身、旅に出てから自らの世間知らずを痛感している。【ハロン湖】でも、もしミモザや宿の主人といった親切な人たちが居なければ、エコは礼儀も知らず、無知なままでいただろう。今あの時のことを振り返ってみると、無知だった自分がいかに素っ頓狂な行動をしていたかが改めて分かり、その場で燃え上がりそうなほど恥ずかしくなる。
「思い当たることでもあった?……じゃ、まずは『フレイム・ロゼット』を使ってみなさい」
「え? よく名前を……」エコは驚いた。確かに戦闘中、エコは魔法の名を叫ぶ。しかし、ソリャが聞いたのはそれっきりのはずだ。あれから3ヶ月以上の時間が経っているというのに……。
「馬鹿にしてるの? 普通、聞いたことをそう簡単に忘れるわけがないでしょ。いいから早くやりなさい」
成程、天才とうたわれる人物は『普通』の基準そのものが普通と違うらしい……。(先が思いやられるなあ)そんなことを思いながら、エコは全力で『フレイム・ロゼット』を詠唱し、地面に向けて放った。