第十六話『買い出し』
「なあ、ラゾ、分かってくれよ~! あれはフリだったんだってば! あの場面で裏切ったような感じにしておけば、連中に警戒されなくなるだろ!? そうして近づいておいて、皆を助けるチャンスを伺ってたんだって!」
クイスが後ろを向いて聞こえないふりをしているラゾに向かって、必死に弁解する。
昨日『人間もどき』駆除業者に寝返りそうになったクイスを間近に見たラゾは、あれからクイスと一言も口を効こうとしない。クイスは焦り、懸命にラゾの誤解を解こうと話しかけたが、それが却って逆効果だった。
足を怪我して一日休養することにしたタークが、そんなクイスを見かねて助け舟を出す。
「ラゾよ。お前だって、あの男にクイスが体当たりを食らわせたの見てたんだろ? 一瞬でも躊躇してたら、多分俺は死んでたぞ。それぐらい際どいタイミングだったんだ。それにな、お前の後ろの男に火が点いた時も、クイスはやろうと思えばお前とヨズとチノを抑えることは出来たんだ。足を挫いているとはいえ、無理すれば走れる程度のケガだからな。第一、あの二人に火を点けろってチノに言ったのクイスだろ?」
うんうんと頷きながら聞いていたクイスが、最後に、それを言ってほしかったんだ! とでも言うように大きく頷いた。
「うんそう! チノに言ったの僕! ほらあ、おかげで隙が出来てさ、兄貴があいつを倒せたんじゃないか!」
「……でも、傷の兄貴って呼んでた」
ラゾが乱れた白い髪を華奢な肩に滑らせながら振り向き、涙で赤く張れたひどい顔をクイスに向けて言った。
「それはぁ! 僕があの連中と一緒にいた時にあの人を呼んでた呼び名で……!」
「ほら、やっぱりそうなんじゃない」
「違うってば! それも、呼び名を前のまま使わなきゃ不自然だろ?」
「武器を落として、道しるべを作ったんでしょ? 自分でそう言ってたじゃない」
「あれはっ、武器を入れた袋が途中で破けてっ! どんどん中身落ちるし、重いし、エコちゃん達がずんずん先に行っちゃって見失いそうになったから途中で放り出したんだよ! それをあいつが好意的に誤解してたんで、なんとなく話を合わせただけだよ!」
「どうかしら」
「そりゃ、ラゾが蹴られた時に助けられなかったのは悪かったけど、あのタイミングで蜂起したらすぐやられちゃうと思ってさー! あの場ですぐ殺さないことは分かってたから、黙って見てたんだよ!」
「ほー、お前意外とそういうことに頭回るんだな」
タークが真剣に感心する。ラゾはまだ納得できないらしく、また元のようにクイスに顔を背けてよそを向いてしまった。
「俺が言っても無駄かも分からんが、クイスがあのまま寝返ってもクイスに得はないぞ、ラゾ。あの強かな傷男は、クイスにあえてそういう言葉をかけることで、お前たちを動揺させようとしたんだろうからな。多分クイスが戻ったら、半殺しの目に合ってただろう。なんてったって、クイスはあいつらの意識があった時に、エコと親しげに会話して手当も言づけもせずに仲間の武器を剥ぎ、そのまま去ったんだろ? その話は全員に伝わってたはずだ。向うでは完全に、クイスは裏切り者だって事になってたはずなんだよ」
クイスがあんぐりと口を開き、尊敬のまなざしでタークの顔を見つめる。
…………さては分かってなかったな、こいつ……。火をつけたばかりのタバコをふかしながら、タークが呆れる。
ラゾは黙っていたが、タークの話をちゃんと聞いていたようだった。
その後もクイスの必死の弁解は続いたが、最終的に、ラゾはクイスを許した。
決め手になったのは、チノとヨズを盾にした後、クイスが二人を気遣って小声で笑い話をしていたという事を、食料調達に行っていたヨズに直接聞いたことだ。
しかもクイスは同時に、チノとヨズの手を縛っていた縄をこっそりと解いていたというのだ。
ラゾは二人の手を引いた時に既に二人は自由になっていたということを思い出すと、クイスに謝り、礼を言った。
なお、食料の調達には昨日の疲れの影も形もないエコと、チノ、ヨズの三人が行ったのだが、エコはある程度の木の実や野草を採ってきたものの、チノとヨズが採って来たのは食用ではないキノコと、イナゴやカエル等の小動物ぐらいだった。
三人あわせても、タークやクイス一人分にも及ばない量だ。三人は、改めてタークとクイスのすごさを思い知った。
その日の昼頃から雨が降り出し、翌日も雨が降った。
タークとクイスが二人とも足をケガして動けないので(クイスは無理して走ったため足首をよりひどく挫いていた)、その間はターク達が採ってきた食材の内、エコが日に干しておいたものやナッツ類で食いつないでいた。
もちろんエコやヨズ達が再三食材採りに出たのだが、どうしても思うように集まらなかったのだ。ヨズとチノがクイスとタークに食材採集を教えてくれとせがむと、クイスどころかタークまでもが得意げだった。
その後四日続いた長雨が漸く上がると、洞穴周辺は一気に冷え込み、まるで季節の境目をまたいだようだった。
そのころにはタークとクイスももう歩けるようになっていた。タークの体調はあの夜から何となく優れなかったが、さほど深刻というほどでもなかったので、黙っていた。今なによりも問題なのは、やがて来る冬を越すためには決定的に物資が足りないと言う事だった。
「ターク、塩が無くなっちゃったよ。この辺りは陸海月が居ないね。居たら塩がとれるのに」
「獣が居ないから毛皮も無いしな……。よし。エコ、買い出しに行こう」
「買い出し!!? いくいく、面白そう!」
そうしてエコとタークは、ここから一日半ほど歩いたところにある【ハロン湖】の宿場町に買い出しに行くことにした。
持ち金は8,300ベリルしかなかったが、タークは「大丈夫だ」と豪語した。クイスはなんとなく理由を察したが、黙っていた。
「じゃー、行ってくるねー! 茶色い袋の中に、非常食が入ってるから! 服は洗濯板で洗うんだよ! 石鹸が一緒に入ってるから使ってね! 水は大事にね! クイス、みんなのことよろしくね!」
そうして、ヨズ達の見送りを背中に受けて二人は出立した。
三、四日程度の短い旅程とはいえ、タークとエコは久々の二人旅に戻ることになった。
――
天は青く透き通り、どこを見ても雲一つ無い。
お陰でその日は、遠くの方までよく見えた。
【ハロン湖】は標高が少し高い山の上にあるので、振り返ればいつでもヨズ達がいる洞穴の辺りが見えていたが、それも歩くにつれて山の影に隠れてしまった。だがエコは、その時にはもう振り返ろうとは思わなくなっていた。
「あ! ターク、あれって、あれが、あれがそう!!??」
「おー、見えたか。《御樹》だ」
北へ向かう二人の右後方に、3,000レーン級の山影から頭を出す、《御樹》の猛々しい姿が見えた。
あまりにも遠いのでそれは青くかすんでいるが、手前の山と比べてもその圧倒的な大きさは目を見張るものがある。
ちょうど街道脇に草の生えた日当たりのいい斜面を見つけた二人は、《御樹》を眺めながら持ってきた昼食を食べることにした。
「でっけえ! でっけえ!」
エコが興奮してはしゃぎ回り、《御樹》を見て喜んでいた。見れば周りにも《御樹》目当てらしい旅人が集まっていたが、その中でもエコは、ありえないほど浮いている。
タークはすっかり慣れた様子で昼食の入った肩掛けを下ろし、食べる準備を始めた。今回の旅程は短いので、タークたちは荷物をほとんど持ってきていない。使えそうなものは片っ端からヨズたちに譲渡したので、タークとエコの持ち物は当面の携帯食と水、何着かの衣服、あとはナイフや杖といった武器類だけだった。
「うわあー、大きいー!! 大きいー!」
――気が付くと、エコと一緒になってはしゃぐ変な女がいた。
頭に緑色の丸っこい帽子をかぶり、髪は金色で、顔に見慣れないアクセサリーを付けている。その丸い顔立ちと衆目を気にせずはしゃぐ姿は見るからに幼く見えたが、身なりを見るにいちおう大人らしい。
エコと二人して、周囲の旅人から奇異の目を向けられているのに気が付かないのか?
タークはそっと目をそらして、その場に横になった。日の光を燦々と浴びて昼寝するのが、タークは昔から好きだった。薄く尾を引く雲を見上げてしばらくぼーっとしていると、エコの足音が近づいてきて、視界が突然さかさまのエコの顔でいっぱいになった。
「タークおまたせ! ご飯にしよう!」
四つん這いになってタークの顔を覗き込み、エコが言った。声が大きかったのでタークはびっくりしたが、お陰で眠気が吹き飛んだ。起き上がって胡坐をかくと、目の前には正座するエコと、――さっきの変な女がいた。
「この人はミモザ! 今友達になったの」
「よろしくお願いします、タークさん。私もこれから【ハロン湖】に行くところなんですよぉー」
ミモザと紹介された女が、深々と頭を下げる。すると、顔に付けたへんてこなアクセサリーが地面に落ちた。
「ぬわっ、あ、危ない! 割れてないよね!?」
慌てて拾い上げ、顔に付けると目のまん前に位置するであろう一対のガラス板が割れていないのを確認すると、ミモザは息をついた。
「あ、すいませんー。これが無いと不便でー。結構高いんですよこれ、そのわりに割れやすくて……」
「ミモザ、それなあに?」
「これはねぇー、『メガネ』っていうの。このガラスを通して見るとねー、薬草の名前とかが見えるんだよ。便利でしょう~」
「うそぉ! すごい! どうなってんの?」
「魔導具作るのが上手い人に作ってもらったからー、私分かんないのー。エコちゃん試してみる? エコちゃん魔導士だったっけ?」
「うん、魔導士魔導士! ――ありがと、おお!! 見える見える!!」
エコがミモザから『メガネ』を借りて足元に生えていた草を見ると、驚嘆の声を上げた。このまま二人の話が続くと置いていかれたまま二度と会話に入れない気がしたタークは、話を食事に戻そうとした。
「エコ、食事ここに置くぞ。ミモザさんは、食事どうするの?」
「あー、私も食べますー」
「? じゃあ俺の分を分けようか」
「あ、ごめんなさい! 違う違う、大丈夫です、自分の持ってますから! 一緒に食べるかどうか聞かれてるかと思っちゃってー……」
なるほどいるいる、こういうやつ。タークはミモザを、思考の遅い『天然』型だと断定した。
エコが用意したのは、籠に詰めた弁当だった。うさぎ肉の串焼き、茹でた芋、炙りキノコ、炒ったナッツと野菜の包み焼き。ミモザがのぞき込んで言う。
「すごーい、おいしそー! 私はこれー」
そう言って見せてきたのは、黒褐色の丸薬が3個と、緑色の粉だった。
「ええん?? これがごはん? なにこれ」
「『魔導士弁当』ってやつか……」
エコが驚き、タークが納得する。
「タークさんよく知ってますねえ~! これはね、エコちゃん。『魔導餓避丸』と『緑養散』っていう、旅用の携帯食だよ。まっっずいんだこれが」
「どんな感じなの? お肉と交換しない?」
エコはそう言って、ミモザにうさぎ肉を差し出す。ミモザは喜んでそれに応じ、丸薬一個と粉を少しエコに渡して言う。
「まずいから気をつけてねー」
エコは疑り深くそれを眺めていたが、えいとばかりに一気に口に入れ、二、三回噛む。すると一呼吸動きが止まり、続いて激しくむせだした。タークが水の入った容器を差し出すと、青い顔をして受け取り、必死になって飲み下す。ミモザはそれを見てのんきに笑っていた。
「ほら、まずいでしょー! でも栄養はあるのよー。味の悪さも相まって、一日ニ回しか食べなくてもいいくらいだもん」
「ごへっ、ごへえっ!! なにこれ、ごふぉっ。まずいなんてもんじゃない……。よくこんなもん食べてまで旅する気になるね……」
エコの咳がなかなか治まらない。タークが心配そうにエコの背中をさすっている。
「餓避丸って言うくらいだから、飢え死にしないってだけでありがたいんだよ~。これ、私が調合した奴だからそんなに味の悪い方じゃないけどな~?」
「え!!? これで悪くない方なの……?」
あまりのまずさに地に這いつくばっているエコが、信じられない、といった様子で言う。タークがミモザに尋ねた。
「ミモザさんは薬の魔導士なのか? 魔導薬を作る?」
タークが聞くと、ミモザは荷物から半透明の板を取り出して言った。
「そうなんですよぉー。これが私の“マナ板”なんですが、分かります? 私、師匠に薬草探して来いっていわれ――」
「師匠!? 師匠を知ってるの!?」
エコが丸薬の味も忘れて跳ね起き、ミモザに向かって鋭く聞いた。
「えっ? えっ?」
驚いたミモザが、泡を食ってしどろもどろになる。タークがエコの肩を掴んで言った。
「違うエコ。師匠ってのは師事してる人に対して使う敬称であって、名前じゃないんだ」
「へっ、え、あ……。そっか……」
少し混乱気味のエコとミモザを落ち着かせるため、タークはこれまでの経緯をかいつまんでミモザに話した。
エコの師匠にあたる人物は名前が分からず、どこへ行ったのかも分からないので探しているということ。そして、旅に出てすぐ事情があってこの付近に暮らし始め、【ハロン湖】へ行くのは冬越えの物品集めのためだということ。
タークはエコが魔法生物であることや、『人間もどき』と一緒にいることなどは念のため伏せたが、エコはそれがちょっと引っかかるようだった。
「そかー、エコちゃんたちもなかなか大変そうだね! 私の師匠はね、ダイドロ・パシェイルって名前の、魔導薬士だよ。偏屈なおじいちゃんでさあ、この目録にある通りの薬草を集めて来ないといけないんだ」
そう言ってぺらっと取り出した紙をエコが覗きこむと、タークもそれに続いた。
「むちゃな薬草ばっかなんだよ! これとか、ほら、これとか特に」
ミモザが次々と指さす。そこには《ローレルジンチョウゲの根》とか《麦の角》などと言った薬草の名が書いてあり、エコが驚く。
「うわーお、採れる時期も場所も見事にバラバラだあ……」
「エコちゃん、分かってくれるかあー! 特にひどいの、これね」
ミモザが指差した先に「入手困難」を示す赤い文字で書いてあったのは、《マンドラゴラの蕾》だった。エコとタークがはっと目を見張る。
「マンドラゴラ自体珍しいのに、まして《マンドラゴラの蕾》なんてね……。マンドラゴラは単為生殖だからさ、同一個体で増えて、受粉して繁殖をするのはその群落で何年かに一度。もし群生地を見つけても、何年かかることやら……」
ミモザが困り切った顔で言うとエコが少し身を乗り出した。
「――エコ、ちょっといいか」
エコがなにか言い出しそうな体勢に入ったのを見て、タークはすかさずエコを連れてミモザから離れた。
「今、頭の上に付いてるやつの話しようとしたろ」
「うん。よく分かるね」
「黙っとけ、それ。あんまり言いふらすことじゃない」
「え、でもミモザ大変そうじゃない……」
「マンドラゴラってのは貴重品だ。しかも蕾はもっと価値が高いらしい……、そういうものはな、人の欲を刺激するんだ。ミモザはまあ見た感じ善人らしいが、欲が絡めばそれも分からん。下手に知らせないほうがいい」
「そういうもんか~。でも、私もあまり切りたいわけじゃないんだよね。痛いから」
「よし、じゃあ今後もだぞ。お前がマンドラゴラだってのは隠せよ」
「うん」
エコとタークが話している間、ミモザは丸薬を立て続けに口に入れて、エコ同様ひどい顔をしていた。
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――おかしい。もうこんなに減っているのに。
斜面脇の岩陰に居るネママ・ネメルリムは、手に持った黒い液体の入ったビンを、疑念のこもった目で眺めていた。
ビンの中の液体は、もう底を突きかけている。ビンを傾けると、ビン底に極めて細かい魔法陣が描いてあった。ネママが描いたものだ。
「もうとっくに許容量は超えたと思っていたのに」
ネママは少し焦っていた。ターゲットに攻撃を始めて、もうニ週間が経つ。その間の攻撃回数は、すでに500回に及んでいた。もちろん全てが成功したとは思えないが、これだけ回数を重ねれば、そのうち150回くらいは成功していてもいいはずだ。
なにしろ、この魔法生物による攻撃は信頼性が低い。生み出して命令をした後、魔導士に出来ることはせいぜい祈ることぐらいだ。
ネママは深く息をすると、ビン底の魔法陣を起動させようとした。が、ふと思いとどまり、途中で止めた。吸った息を、大きなため息にして吐き出す。
「ふはぁー。うん、もうこんなちょっぴりしかないんだ。夜にしよう」
注意深くビンの蓋を締め、置いてあるリュックに戻す。
(《御樹》はでかいなあ……。いつか見に行ってみたいもんだ。私もあれぐらい大きかったら世界の見え方が違うのかな)
ネママは草陰に寝転がって、横を通る蟻の行列を見ながら身体を休めた。ここ何日かはろくに寝ていないので、小さな目を見開いて眠り込みそうになるのを必死でこらえる。
――もう少し、もう少しだ。ここで焦ってはいけない。そう考えるネママの頭上を、一頭の蜻蛉が飛び抜けていった。