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エコ魔導士  作者: 中村 尽
旅情編
17/67

第十五話『大変な一日:後編』

 視界を塞いでいた水の幕を開いたソリャ・ネーゼは、その光景を見て絶句した。



 ……景色が変わっている。


 さっきまでそこは、人の手によって草を短く刈り込んだ芝地だった。しかし驚いたことに、今そこにあるのは人よりも背の高い草花が青々と生い茂る深い草原……。


(小娘はどこに行った?)


 ソリャ・ネーゼは、慌てて周囲を見回す。エコが何をしたのか見当も付かないが、見失ったことだけは確かだった。


 ソリャ・ネーゼは、視界の右端にふとなにか動くものを捉える。瞬間的にそちらに顔を向け、焦点を合わせた。


 それは、蛇行しながら近づいてくる、大きな土の盛り上がりだった。


「チッ!!」


 ソリャ・ネーゼはひとつ舌打ちをして、土の盛り上がりに向けて杖を振る。すると、ソリャ・ネーゼの目の前に丸く大きな魔導盾が浮かび上がった。

 エコの作った土の盛り上がりがソリャ・ネーゼの眼前に到達すると同時に膨れ上がり、爆発音とともに石と粘土の塊を飛び散らせる。その大半は魔導盾に弾かれて四方八方に飛び散る。同時に大きな太鼓をでたらめに叩いたかのようなけたたましい連続音が、草原に鳴り渡った。


 ソリャ・ネーゼがにやり笑う。


「やるねェ……。面白くなってきた。んん?」


 気付くと、周囲の草木がいつの間にか大きく成長して視界を塞いでいる。

 ――まただ。この一瞬で伸びたとでもいうのか?


 状況が一変して、自ら課した『椅子から動かない』という条件が、急に重くなってしまった。


 こちらも身を隠せればいいのだが、これでは動くことも出来ない。一方的に場所が知られている状況は、分が悪いとしか言いようがない。しかしソリャ・ネーゼの過剰なプライドが、その場を離れることを許さなかった。



「フレイム・ロゼット!!」



 土の魔法が来たのとは、反対側から叫び声。振り返ると、直径一レーンもある大火球が、周囲の草を焼き切りながら猛然と迫って来ている。


「大きいね。これが本来の威力か」


 先程見たのと比べれば、倍以上の大きさの火球。だがソリャ・ネーゼは慌てることなく、杖をかざしてぶ厚い水幕を下ろす。


 そこに火球がぶつかると、水の幕が激しい音を立てて一気に蒸発し、発生した大量の蒸気が辺りを白く覆う。


 大火球は水の幕にぽっかりと大穴を開けたものの、それだけで完全に消し止められ、ソリャ・ネーゼには届かなかった。


 ソリャ・ネーゼは目を瞑って片方だけ口角を上げ、余裕の笑みを見せる。



「全力でこの程度――」



「フレイム・ロゼット!!」




 またもエコの叫び声。ソリャ・ネーゼは顔を上げ、もう一度火球の来た方向を向いた。全く同じ位置めがけて、全く同じ大きさの火球が、全く同じ角度で迫って来る。


 ――小娘のくせに、このレベルの魔法が連発できるというのか……!?


 ソリャ・ネーゼは驚きながらも冷静に呪文を唱え、水の幕を同じ厚さに張り直した。



 さっきと同じように幕と火球がぶつかり、蒸発し、蒸気が立ちこめ……。幕に大きな穴を開けて、火球は完全に消し止められた。



 ――しかし先ほどとは違って、そのすぐ後ろに第三の火球が隠れていた。



「なんだって……!!??」


 さっきの叫び声は二発目のものではなく、三発目のものか……! 二発目のものは多分、一発目が蒸発する大きな音に紛れて聞こえなかったのだ。



(――餓鬼と思って舐めすぎたか……!!!)




 燃え盛る大火球が、ソリャ・ネーゼの目前に迫る。水の幕をもう一度張り直す時間は、すでに無くなっていた。





――




 ラゾを縛り上げようと二人の男がラゾの身体に手をかけた時、広間の反対側から何かが飛んできて、男達の足元を照らし出した。


 松明だ。


「なんだ……? おい、そこの三人見て来い」


 赤く日焼けした顔中傷だらけの男が簡潔に命令すると、チノとヨズの脇に居た三人の男が、それぞれ松明を構えながら松明の飛んできた方に向かう。


 全員の意識がそちらに集中した。全員が黙り、空気に緊張が漂う。



 もう一本、松明が飛んで来た。また同じ方向からだ。三人の男が警戒し、身を固めた。そして少し時間を置いて、何か重いものが空を切る、低い音が聞こえた。




「ぎゃあっ!!」




 鋭い悲鳴が、静寂を破った。三人の男のうち、一人が倒れた。頭から血をどくどくと流し、身体を激しく痙攣けいれんさせている。



「うわああっあ!!」



「ひぃ……!! っっぐがっ」



 倒れた男の左右に居た二人の男が縮み上がる。そして、その内一人の首に何かが勢いよくぶつかり、骨の砕けるこもった音と共に、その場に倒れ込んだ。即死だ。


「なんだ!! 何が飛んできた!! ……まさか!! あの少女か!!??」



 顔中傷だらけの男が喚き声を上げる。ラゾは痛みで意識がはっきりせず、何が起こったのかよく分からない。いきなり男が二人倒れた? …………死んだの?



 それから間隔を空けずに、また何かが空を切る不気味な音がする。身構える暇もなく飛んできたそれが最後の一人の脛にぶつかり、重い音を立てて脛骨を粉砕する。



「あぎゃあああぁあ!! いてえ! ヒイ!! いてえよおぉ!」



 脛を砕かれた男は地面に倒れ、脛を抑えて泣き喚いた。顔中に傷のある男が叫ぶ。


「何がぶつかったんだ! 言え!」


「石だ……。ひ、ひいっ」

「石だと……! 投石か!?」


 顔中に傷のある男はラゾの陰に臥せ、後の二人とクイスも、ヨズとチノを盾にしてしゃがみこんだ。



「出てきやがれ……! でなきゃ、こいつ等を殺す!!」



 腹ばいになった顔中に傷のある男が、ラゾに剣を突きつけて叫ぶ。


 すると、暗闇の奥からゆっくりとタークの姿が現れた。

 左手にこぶし大の石、右手には両端がループ状で、真ん中に受けが付いた紐を下げている。それは、シカ狩りに使うスリング(投石器)だった。



「てめえ、てめえは……俺の仲間を……二人殺しやがったぁあ~~!!」


「ああ。そうだな。かかってこいよ」


 タークは挑発したが、顔中に傷のある男は冷静さを欠いていなかった。


「あほが――。武器捨ててこっちこい! 分かるだろ……? なッ」


「わかったよ……」


 あわよくば剣で決着をつける流れにならないかという当てが外れたタークは、石と紐をその場に捨て、腰に差した剣を鞘ごと地面に落とした。そして両手を挙げる。


「これでいいか? 今行くぞ」



 そう言って、歩き出す。十歩ほど歩いたところで、「そこで止まれ! 這いつくばって手を後ろで組め」顔中に傷のある男が命令する。


 タークは苦い顔をして指示に従った。その少し後ろで、脛の砕けた男がうめいている。



「てめーもおんなじ目に遭わせてやるよ」



 顔中に傷のある男はタークに近づき、少し離れたところで立ち止まると、足元に落ちた大きな石を拾い上げる。

 顔中に傷のある男は、それをタークの頭めがけて力いっぱい放り投げた。


「ぐっ!!」


 石はタークの右側頭部に当たって跳ね返り、少し遠くに落ちた。タークのターバンに鮮血がにじむ。次の石は外れたが、その次は背中に当たって、タークの肋骨にひびを入れた。


「ひひっ、ざまあみろ!!」また投げる。今度はタークの頭に命中した。

「ぐが!」タークがたまらず声を上げる。




 ラゾは絶望した……。タークが三人倒したものの、彼らにはまだ、ヨズ達に剣を突きつける見張りが二人と、チノとヨズを盾にしてまだ後ろにしゃがんでいるクイスと、タークに石を投げていたぶる、リーダー格の男が残っている。



 クイスは裏切り、タークは人質をとられて、何も出来ず嬲り殺しにされている。だめだ、もうだめだ……。


 そう思った途端、――ヨズとチノの後ろに立っていた二人の男の服が、何の前触れも無くいきなり燃え出した。

 二人の男は驚き、飛び上がった。



「あちい!!うわっ!!」

「うわあ、火だ!! 魔法か!?」



 炎に包まれた二人の男が、転がって必死に火を消そうとしている。クイスが慌てて、二人が落とした剣を拾っていた。


 ラゾは何が起きたのかすぐには分からなかったが、少し考えて分かった――。




 チノだ。火起こしの魔法を使って見張りの二人の服に火を点けたのだ。不意を突かれて、見張り達は完全にパニックに陥っている。ならば、チャンスは今しかない!


 ラゾは立ち上がってヨズとチノの腕を取ると、二人の手を引いて駆けだした。



「タークさん!!」



 顔中に傷のある男が仲間の悲鳴を聞いてうっかり振り向いている間に、タークは起き上がって上着の袖からナイフを取り出し、顔中に傷のある男に突進していた。

 顔中に傷のある男は反応しきれず、タークの体当たりをそのまま受ける。二人が一緒に倒れこんだ。タークだけがすばやく起き上がると、タークのナイフが男のわき腹に突き立っていた。



「ぐおおおおわあっっ!!! おっ! おまっ! えっ!!」



 顔中に傷のある男が倒れたまま闇雲に剣を振り回す。滅茶苦茶に繰り出された斬撃の内、一筋がタークの足首を断ち切る。タークは堪らずしりもちをついた。

 顔中に傷のある男はそのまま跳ね起きると、鬼のような形相でタークを睨みつける。


「死ぃ、ねっ!!!」


 顔中に傷のある男が手に持った剣を振り上げ、タークめがけて力いっぱい振り下ろした。


 タークは歯を食いしばって、無意識に腕を前に出して剣を防ごうとしていた。

 しかし、生身の腕では到底防げないという事を、タークはよく知っていた。不思議なことに、タークには剣の動きがゆっくり見える。



 タークには、これから起こることが完全に理解できた。


 振り下ろされた剣は両腕を骨ごと断ち斬りながら俺の頭を捉え、頭蓋骨を割って、脳をえぐる。

 そうしたら、……あっ、死ぬな。

 まあ、それも仕方が無い。殺すこともあれば、殺されることだってある――――そういえば、外のエコは大丈夫かな? 



 自分でも驚くほど冷静に思考するタークの瞳に、こっちに必死に走ってくるクイスの姿が写った気がした。クイスは足を挫いているから、走れるわけがないのに。



「やめろォッ!!」絶叫とともにクイスが飛び込み、顔中に傷のある男の横合いから体当たりをかける。


 男はたまらず、剣を手に持ったまま横倒しに倒れた。そして倒れた拍子に、剣を取り落とす。剣はタークの腕を掠めて、地面に突き刺さった。




「!!!」


 タークは咄嗟にそれを抜くと、顔中に傷のある男の首すじを掠めるように剣を振った。

 喉笛に一文字の筋が入り、圧の掛かった太い血管から、勢い良く血が吹き出して、喉笛に大穴が空いた。

 同時に肺にあった空気が外に開いた気道の狭い隙間を通り抜け、暗い洞窟の内部に、この上なく場違いな涼しい音色を響かせた。…………





――





 エコは、三発目の命中を見届けることもせず、四発目の『フレイム・ロゼット』を投じていた。



 辺りは『グロウ』によって伸びた背の高い草が茂っている上、濃密な水蒸気が立ち込めていて視界が利かず、ソリャ・ネーゼがどうなったのかもよく分からない。


 しかし、エコは確かな手ごたえを感じていた。そして五発目の『フレイム・ロゼット』を作ろうと思ったとき、エコはようやくマナを使いすぎて窒息しそうになっている自分に気が付き、詠唱を中断した。


「ぐっ、ウ……ッッ!! ぐばァーーーーー!! ハアー!! ハア!! ハァ! ハァ!! はあ……、はあ、はーっ、ぐっ、は、は……は…………??? っっ!!!」



 エコは激しい息切れに襲われて呼吸を整えている中、突如として現れた高熱に驚き、反射的に頭上を見上げる。


 そこにはおよそ十レーン四方に渡って広がる、赤い炎の天幕があった。




「うぅ、そっだっっああ!!」



 エコの頭上を覆う炎の天幕が、微風に煽られて貴婦人のスカートのように優雅に揺らぎながら、地表へとゆっくり降下してくる。エコを蒸し焼きにするつもりだ。

 エコは咄嗟に『ウォーターシュート』の水の玉を放ち、徐々に覆いかぶさってくる天幕に幾つかの穴を開けた。


 そのお蔭で天幕がかぶさって来た時に火達磨ひだるまになることだけは避けられたが、辺りを包む途轍とてつもない熱気に喉を焼かれ、呼吸困難がますます酷くなる。

 それでも必死になって息を整えつつ、焼け焦げた地面の上を転がるようにして、脇の草地へ逃げ込む。



「ふー、ふー、ふっ、ふ、ふ、ふ、ふふふふふふ……。ふうーーー」



 深呼吸を不敵な笑いに変えたソリャ・ネーゼは、先ほどまでの余裕の表情とは対照的な真剣な顔つきで、椅子から上半身を乗り出して草地に転げ込んだエコを睨み下ろしていた。ソリャ・ネーゼの視点は、いま地表五レーンの位置にある。


 ――ソリャ・ネーゼの身体は、椅子ごと宙に浮かんでいた。





 やはり生きていた……!! 驚いたことに、ソリャ・ネーゼは椅子に乗ったまま空中にいる。つまり、さっきの『フレイム・ロゼット』はそうして躱されたらしい。



 エコは地面に膝を突いたまま、ソリャ・ネーゼを見上げた。



 最初に、詠唱不備の『フレイム・ロゼット』。次に、身を隠すため使った広範囲の『グロウ』。全力で使った『クレイ・ルート』と、間髪入れずに撃った四発の『フレイム・ロゼット』。そして、激しい息切れのまま、咄嗟に放った『ウォーターシュート』……。



 エコは愈々いよいよ呼吸が続かなくなり、ろくに身動きが取れない状況にあった。草地に逃げ込んだもののそこで動けなくなり、地面に這いつくばって喘ぐ。


 ソリャ・ネーゼが、杖を振りかざして渦巻く風の帯を作った。

 それは「ぶーん」という激しい振動音を立てながら、杖の先端からリボンのように垂れ下がった。次第に細く、長く。



「ふ、ふ、ふっふふ、ふふふふ。ふうー!!」


 ソリャ・ネーゼが呼吸を整えながら不気味に笑い、右手に持った杖を軽やかに振る。その動きに合わせて風の帯が鞭のようにしなり、唸りを上げてエコに襲い掛かった。



「うあ、わ、――――――!!」



 エコは、必死になってそれを避けた。姿勢を低く保ったまま草の間を転がり、自分でもわけの分からないまま、土の上を四つん這いになって必死に逃げ惑う。


 風の帯が空を切る音とともにエコの服や髪を掠め、それは激しくうなる風の渦に寸断され、巻き添えを食う周囲の草木同様に、ズタズタに寸断されて空中へ舞い上がった。

 


 エコは夢中で逃げ惑い、ハチの羽音にも似た不吉な音が近づく度に、必死で地面を転がり回った。そしてついに、草地が切れて固く踏みしめられた土の地面に出てしまった。



 だが幸いソリャ・ネーゼとの距離も開いて、風の帯が届かない地点まで逃げ切れたらしい。ソリャ・ネーゼの椅子がゆっくりと垂直下降して、草地に隠れてエコから見えなくなる。



 丸くなって転がっていたエコは、未だに苦しい呼吸をこらえてなんとか起き上がり、重い足取りでソリャ・ネーゼの反対側へと逃げ出した。


「どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どう……!! あ ……」


 エコは必死に頭を回転させて、驚くべきことに……自分が杖を持っていないことに気付いた。 さっき草地を転げまわった時、うっかり放してしまったらしい。



 ……もはや万策尽きた。力の差は圧倒的だ。どうやっても勝てない……。後ろから、草を掻き分けてソリャ・ネーゼが近づいてくる音がする。


「ひっ」

 エコは恐怖に駆られ、音のする方向から逃げ出した。だが、もう息が切れて走ることができない。エコはすでに、体力も気力も使い尽くしている。それでも、エコは必死になって逃げた。すると後ろからいきなり、風の帯がうなりを上げてエコを襲った。



「ぎゃああぁっ!!」



 エコの背中に、強い衝撃が走る。少し遅れて、生暖かいものが背中を濡らす感覚があり、更に遅れて、激痛がじくじくとにじみ起こる。エコは堪らずうずくまり、顔を苦痛に歪めて後ろを振り返った。


 エコのすぐ後ろにソリャ・ネーゼが立っている。纏った黒いドレスは薄汚れて、ところどころが焦げていた。


「はぁ、はあ、はぁ、うううぅぅはああぁあ! ふふ……これで私の勝ちだ……!!」


「う、う……」



 ――完敗だ。ぜんぜん歯が立たなかった……殺される!!


 恐怖がエコの頭を支配し、目から涙があふれ出る。それが恐れからくる涙か、それとも悔し涙なのか、エコ本人にも分からなかった。



「お前、一体何なんだ……? 魔法に形も与えられない低級魔導士なのかと思えば、あんな火の魔法を立て続けに使って……。まさか、私が椅子から下りなきゃいけなくなるとはね……。さあ、名字を教えなさいよ。言わなきゃ殺すわよ」


 ソリャ・ネーゼはエコにとどめを刺そうとはせず、杖を突きつけてエコを問い質した。だが、エコは恐怖と負けたことの悔しさで頭がいっぱいで、答えることが出来ない。


「う、うぅ……うぐう~」


「泣いてんじゃない。教えなさいよ、ネーゼ家に匹敵する名家の出と見たわ。でなければ、お前程度の歳で……」


「名字は、本当に無いんだってば……。わたしは、師匠に作られたマンドラゴラだよう~……」


 エコが、大粒の涙をこぼしながら答える。ソリャ・ネーゼは話の内容がよく理解できず、妙な顔つきになる。


「マンドラゴラァ……? あァ……? 何言ってんのあんたは。嘘にしても――」


「嘘じゃないよぉ……! うぐっ、ひいぃっ、わたしマンドラゴラだよぉ~……!! おうっ。信じてよ~~……、うぐぁぁあん」


 ソリャ・ネーゼが不快感を露わにエコを睨みつける。エコはすっかり泣き出してしまい、まともな受け答えが出来なくなってしまった。

 ソリャ・ネーゼの感情は怒りの峠を通り越して、さらにその先にある呆れすらも通り過ぎ、最果てにある混乱の極みに達した。しばしの沈黙。草原にエコの泣きじゃくる声だけが響く。


「――私はあんたを、ミルフルール家とか、あるいはアロリー家とか、クンプト家とか……、その辺の末娘かと踏んでたんだけどねえ……。本当に違うわけ。名字が無いってどういうことなのよ。もう、泣いてちゃ訳が分からない……ちゃんと説明しなさいよ」


「違うよ……。ぐひっ。わたしは魔法生物だから、ぐふっ、名字なんか知らないよぉ~……おぉおおおぉうあああぁん」



 ソリャ・ネーゼが肩を落とす。膝を突いて赤子のように泣きじゃくる目の前の少女を、どうしていいか分からなくなってしまった。

 魔法生物で、マンドラゴラで、名字が無くて、――――あれだけの魔力と尽きることのない豊富なマナ貯留量を持ちながら、いざ追い詰めてみれば殺す価値もないほど無様な姿で泣き喚く、プライドの欠片もない小娘――? わけが分からない。……こうなったら、あれしかない。



「いい加減にして泣きやみな!! こっちへ来い!」

「!! ……ああぁぁーーーーん」


 怒鳴られてますます泣き喚くエコを、ソリャ・ネーゼは土のむき出しになった地点まで無理やり引きずって行った。草陰に落ちていたエコの杖を拾い上げてエコに手渡すと、涙と鼻水まみれの汚い顔で不思議そうにこちらを眺めるエコに向かって言い放つ。



「いいか!! これからあんたに審判の雷を落とす! 手加減なしだ。直撃したら間違いなく死ぬ! あんたは、その場から動かずに魔法で防げ!! ――これはテストだ! 言っておくが、逃げだしたらその場で殺す!!」


 エコはいつの間にか泣き止み、ソリャ・ネーゼの言う事をしっかりと聞いていた。杖を両手で強く握りしめ、泥で汚れた袖で顔をごしごし拭うと、先ほどまでの泣き顔とは打って変わって、真に覚悟を決めた者だけが持つ、豪胆な面構えになった。


「使う魔法はなんでもいい! ……雷は、私がこの杖を振り下ろしてから、きっかり一分後に落ちてくる……。――――わかった? エコちゃん」


 エコは無言で頷いた。ソリャ・ネーゼは、ふと、あの時は自分もこうだったのかな、と思った。審判の雷試験は、ネーゼ家に伝わる成人の儀で行う、ネーゼ家の力と覚悟を試す通過儀礼だった。ネーゼ家の魔導士は、この試験をクリアして始めて一人前として世に出される。本当は失敗しても死なない程度の雷を落とすのだが、今回のこれは話が違う。



 ――さて、その訳の分からない力を見せてみな。“ただの”エコとやら――ソリャ・ネーゼは、笑顔で杖を振り下ろした。




 エコはゆっくりと立ち上がり、くっ、と顔を前に向けると、瞼を半分下ろして焦点をぼかし、呼吸を整えて、深い集中状態に入った。


「天に光、地には種。穏やかなる緑の息吹よ、いざ風の求めに応じて眼を開け。青に生じて黄に慈しむ、緑は命。いまや大地に愛満ちて、今こそ遥か天上を仰がん。光明めがけて命のままに、その万緑のかいなを伸ばせ! 『グロウ』!!!」


 

 エコが一言一言いちごんいちごんを力強く、はっきりと発音して魔導詠唱を行う。

 するとエコの足元に、みずみずしい双葉が芽生えた。かと思えば、それはみるみる内に葉の茂る若木となり、エコの身長を追い越してさらに成長を続け、2レーン、3レーン、4レーン……枝葉を広げながらぐんぐんと育つ。……エコは知らない間に微笑んでいた。


(なんだあれは……。あれが先刻の、瞬く間に草原を繁茂はんもさせた魔法か……!)

 ソリャ・ネーゼは戦慄していた。こんな特異な魔法は、未だかつて見た事が無い――――。



 瞬く間に、木が成長していく。数十秒にわたる激しい葉擦れの音と幹の軋む硬質な音が止まった時、エコの目の前に10レーンを超える見事な大木が立っていた。



 エコは構えを解き、育ち上がった大木に抱きついた。大木をねぎらうかのように幹をぽんぽんと二回叩くと、そこから五歩下がって地に臥せる。

 ――その瞬間、すさまじい光とともに大木の幹を雷戟がほとばしった。熱で一気に膨張した空気が立てる激しい雷鳴がほぼ同時に轟き、更に一呼吸遅れて、腕を組んで立っているソリャ・ネーゼの横を、一陣の風が爽やかに吹き抜けて行った。瞬間、世界が音と色を失う。





 


 閃光で白く眩んだソリャ・ネーゼの眼界がやがて色覚を取り戻すと、黒く焼け焦げた木の幹にエコが抱き着いて、ほほを寄せて泣いているのが見えた。


挿絵(By みてみん)



 行政魔導士ソリャ・ネーゼはそれを見届けると、少し微笑み、踵を返して去っていった。





 やがて洞窟の方から、エコを呼ぶみんなの声が、かすかに聞こえてきた。



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