表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エコ魔導士  作者: 中村 尽
旅情編
15/67

第十三話『洞窟暮らし』

 昨晩の宴は、夜も更けて瞼の閉じかかったチノがごきげんに歌っていたラゾの裾を引っ張って、それでお開きとなった。



 翌朝エコが目覚めると、先に起きていたタークが丁度火を起こしそうとしているところだった。昨日からの雨はまだ降り止まず、洞穴から見える景色はもやがかかったように霞んでいる。だが、昨日に比べ雨脚は大分弱まっているように見えた。


「タークおはよう~。やろうか?」

「おはよう。そうだな、しけっててなかなか点かん」

 タークが身体を掻きながら言う。

「どうしたの? 痒いの?」

「なんか、蚊が居るみたいでな。寝てる間に何箇所か食われた。火を点ければ居なくなるだろう」

「OK」

 エコが手をかざすと、太い薪からたちまち赤い炎が上がった。エコはそのまま手持ちの水で顔を洗い、寝癖の付いた髪を梳かし始めた。火をつけたばかりのタバコをくわえたタークが、それを見て疑問をぶつける。


「……昨日もバンダナしたまま寝てたが、なんで外さないんだ?」

「えっ」

 エコはぎくりとして固まる。

「濡れてただろ。そういえばエコがそれをとったの見たことないな」

「えっ、あぁ……、あんまり晒すもんでもないかなぁ……、と」

 エコの顔が急に赤くなる。タークはいよいよ分からない。

「? 何を」

「……これって、きっとわたしだけなんだよね。今まで見た人、全員付いてなかったもんね」


 エコは意を決したようにバンダナの結び目に手をかけると、そう言いながら結び目をほどき始めた。タークが興味深そうに見ている。バンダナが解けてはらりと落ちると、エコの頭頂部が露わになる。そこに、何か異物感のある緑色のかたまりがあった。

「んん?」

 タークが身を乗り出してよく見ようとする。エコは恥ずかしそうに顔を背けて、少し後ろに身を引いたが、タークは何んとも思わず、遠ざかったエコの頭を追って更に顔を近づけた。

「なんか生えてるな。……なんだこれ」



挿絵(By みてみん)


「蕾だよ~。近い! 近い!」

 エコが手を出してタークを遠ざける。

「蕾……? マンドラゴラの?」

 タークがやっと首を引っ込めると、エコがバンダナを結び直して答える。

「うん。……恥ずかしいからあんまり人には見せたくないんだけどね……。タークには、いいや。隠すのも無理だし……」

 エコが頬を赤らめる理由が全く分からないタークだったが、後から考えて納得した。蕾というのは、植物の生殖器なのだ。

「ところで、あー、ラゾたちをどうするかだが」

 タークは、もはや彼等を『人間もどき』と呼べなくなっていた。親密になりすぎたのだ。



「そだ! ターク、それね、みんながヨズたちのことを知らないから簡単に駆除とか食べるとかって話になるんだと思うの! だからね、ヨズたちのことを知ってもらえればいいんだと思うんだ」

「ふむ。確かにそうだな。ということは……」

「三人に言葉を教えるの! それで、道具の使い方とか人間のことを教えて、それを仲間にもどんどん教えてもらって……。そしたらもう、『もどき』じゃなくて『人間』でしょ?」

「うむぅ。確かにそれはそうだが――」

「コミュニケーションだよ! 人間となんにも変わんない仲間同士だって、お互い分かればいいわけ。昨日の歌と踊りを見て、わたしそう思ったんだ」


 エコが興奮してどんどん喋る。タークは、いい案だとは思うがいささか理想的過ぎると思った。エコが思うほど、彼等の置かれている境遇は、単純ではない――。




 『人間もどき』誕生の背景には、階級制度がある。この世界には、大きく分けて王家おうか導家どうか、市民の階級が存在する。

 王家と導家は、魔導士の血を色濃く受け継ぐ上流階級で、ほぼ全ての魔導士がこの階級に位置し、権力をふるう。

 なにしろ、魔法無しではこの世の中は成り立たないのだ。エネルギー、産業、治安の維持、防衛など、都市社会システムの根幹は、すべて魔法に依存している。


 そんな魔導士達にとっては、市民などものの数には入らない。市民が苦しもうが死のうが大して問題はないし、大局的に見ればどうでもいいことだ。

 市民の安寧や幸福のために労力を割くよりも、魔法の研究を進めた方が都市の機能が発達してよりよい世の中になる、というのが、魔導士達の基本的なスタンスだ。そもそも魔導士という人々は自分の欲求に率直に従う者が大多数を締めており、もとより他人事には無関心だという前提もある。



 そして、『人間もどき』を作り出すのは、その中でも特に利己的な魔導士達だ。厄介なことに、丸裸で捨てるように放り出されてなお生きていけるような完成度の高い魔法生物は、かなり・・・強力な・・・魔導士・・・でなければ・・・・・創造できない・・・・・・。つまり、人間もどきを蔓延はびこらせている魔導士というのは、まさに権力の中枢にいる実力者達なのだった。



……つまり市民も『人間もどき』も、俯瞰して見れば共にそういった魔導士の被害者なのだ。捨てられた『人間もどき』の被害を受けているのは市民だけだし、『人間もどき』を駆除する人々も市民階級だ。唯一、国の命令で『人間もどき』の駆除を行う行政魔導士だけは導家どうかの人間だが、彼等はただ義務でやっているだけで、根本的解決をしようなどとは全く思っていなかった。




 要するに『人間もどき』を取り巻く問題の根幹にあるのは、「市民のことなど知るか」という上級魔導士の高慢な態度なのだ。当然エコはそんなことを知る由もない。エコにあるのは、ただ仲間である『人間もどき』を助けたいという衝動だけ。


 そう考えたタークは、言葉を選びながらもエコの提案が現実的に不可能であることを分からせようとした。



「……しかしエコ。それには問題点があるぞ。まず、言葉を教えるのはそんなに簡単じゃないってことだ。赤子だって、話せるようになるまで2、3年はかかるだろ。……さすがにそこまで長時間は付き合ってられない。次に、言葉を話せても彼等が一目で『人間もどき』だと分かる以上、まともに話を聞いてくれる者はいないだろう。すぐに行政魔導士が来て殺されてしまう。そして、彼等が他の『人間もどき』に言葉を教えるというのもどだい無理な話だ。『人間もどき』はいろんなところに居て、集めて教えるわけにはいかないからな。教えたとしても一部だろう。……根本的解決にはならん」



 黙って話を聞いているエコの表情が、みるみる硬くなっていく。タークはそれに気が付かず、自分でもよく口が回るな、と思いながら話し続けた。話が終わると、しかめっ面のエコがひん曲がった口を開いた。


「タークらしくない。わたしだって、全部がそうすんなりいくなんて思ってないよ。問題点がいっぱいあるからって、すぱっと諦めるのがタークなの? 根本的解決にならないから何にもしないっていうのは、諦めが早すぎるよ」


 エコにそう指摘されて、タークは目の前が急に暗くなった気がした。どうやらタークは自分でも気付かぬ間に、エコに大した考えはなく思いついたことをただ喋っているだけだ、と思い込んでいたらしい。タークは自分が嫌になった。


「大事を解決するには、まずは小さな事から始めなきゃ。たとえばね、あの子たちが『人間もどき』って呼ばれるようになる前に「誰か」がこうして行動を起こしていたら、あの子たちはもうちょっと生きやすかったかもしれないの。でも今までそういうことは無かったみたいだよね。これはわたしたちが、今からその「誰か」になろうって話なの。それに」


 エコはそこで一旦言葉を切り、身を乗り出してタークの目をじいっと見つめた。


「あの子たちと色んなこと話せたら、きっと楽しいよ」


 エコが花のように笑って言った。タークもふっと微笑む。

「……実は俺も、あいつらが生きていくためにどうすればいいか考えた。呆れるほど単純な考えだが、聞いてくれるか」

「なになに?」

「それはな――――」






 賑やかな声を聞いてクイスがようやく目を覚ますと、他の五人は焚き火を囲んで食事をしていた。

「うおあ、兄貴ぃっ! そこは起こしてくれよ!」

 クイスが跳ね起き、焚き火を挟んで反対側に居るタークに抗議した。ヨズたちが驚いて振り向く。

「食い扶持が増えやがったか……。しょうがねえな、おらっ」

 タークが本気とも冗談ともつかない態度でクイスに堅いパンを投げつける。

「うわおっ、ひどいよ! あ、エコちゃんおはよう。ヨズとチノもおはよう。……ラゾさん、おはようございます」


 クイスが次々と挨拶をする。ヨズとラゾとチノも「おはよう」と返す。エコが早速教えた言葉だ。クイスのあからさまな態度の違いは、明らかにラゾに心ときめいていたからだったが、タークはあえて触れないことにした。

 昨日の夕食の時と同じように、ヨズがエコにいろいろなことを聞く。エコはそれを、言葉の説明もしながら丁寧に答える。ラゾとチノも、脇で必死に聞いていた。


 クイスがタークの方を見て口を開いた。

「兄貴たちはこれからどうするんだい? 僕、行き場がなくってさ」

 だから連れてけということらしい。

「俺たちは、しばらくここで暮らすことにした。ラゾたちに言葉を教えるんだ。あと、俺たちの持っているもので使えそうなものを全部譲って、使い方を教える」

「えっ、そうだったのかい? なんでまた」

 クイスがなぜそんな奇特なことをするんだ、と言いたそうな顔をしている。

「エコと決めたんだ。できることはしてやりたいと思ってな。別に特に急ぐ旅でもないし。――長くて1ヶ月ぐらいか。だが、人手が足りないんだな。――おまえ、ラゾに惚れてんだろ。一緒にどうだ? 役に立たなかったら追い出すが」


「ちょっ、兄貴、お見通しかい? 嫌だな~、まだそんなんじゃないけどさ、美人じゃないか。僕にももちろん手伝わせてくれよ。エコちゃんには借りもあるしさ」

 クイスは照れるでもなく、あけすけと言ってのける。そしてそのまま、ラゾの方に目をやった。すると、目が合ったラゾがクイスに笑いかけた。

「ふふふ、決まりだ。役に立ってみせるよ、僕は」

「うん……。がんばれよ」

 分かりやすい奴だな……。タークは呆れたが、黙っていた。 









挿絵(By みてみん)


――――――――――――――――――――――――――――――――――


タークと旅に出てから4日目。洞窟暮らし1日目。




 一日中雨。朝、タークと話し合って、わたしとタークでヨズたちに言葉を教えることにした。クイスも手伝ってくれるらしい。やったね!


 一番話せるのはヨズだけど、ラゾも少し分かるみたい。チノはぜんぜん分からないらしい。どうやって教えるか迷ったけど、まず日常会話から教えることにした。

 あいさつ、お礼、ものを頼むとき、あとは簡単な単語を少しずつ教えた。三人とも熱意がすごい。これなら、きっとすぐ喋れるようになるんじゃないかな。というか、今日の時点である程度しゃべってた。


 クイスが雨の中外に出て、魚や木の実を採って来てくれた。それと、濡れた丸太を持ってきて砕き、乾いた部分から薪を採っていた。クイスって、実は結構すごい?


 ヨズとチノがスカーレットを気に入って、餌をあげたり遊んだりしていた。スカーレットも二人に懐いているみたい。わたしよりも……くやしい! 








――タークと旅に出てから6日目。洞窟暮らし3日目。




 朝は雨が降っていたけど、昼ごろ止んだ。

 魔法の練習をしていたらチノとラゾが興味深そうにじーっと見ていたので、簡単な魔法を教えてあげた。そうしたら、チノがいきなり火起こしの魔法を発動させたから、本当にびっくりした。

 ラゾも何回かやったら一回だけ使えたけれど、チノは何度試しても全然不発にならない。褒めたら、すごくうれしそうに笑っていた。笑ったチノは本当にかわいい。

 あと、タークがヨズに武器の使いかたを教えていた。ヨズはもう、タークが難しい言葉を使っても、大体の意味を汲み取れるらしい。タークも感心していた。


 外が晴れたので、クイスがまたどっさりと食材を採って来てくれた。珍しいキノコや大きな魚までいて、料理のし甲斐がある。ラゾとチノも料理が好きみたいで、食べ物の名前を教えるとそれを歌にして、料理をしながらうれしそうに歌っていた。







――タークと旅に出てから8日目。洞窟暮らし5日目。



 晴れ。朝ごはんを食べた後、クイスが寝るためのちゃんとしたシェルターを作るというので、みんなで手伝った。みんなでやっても丸一日かかる大仕事だった。でも、お陰で全員が入って眠れる、屋根と壁つきの素敵な家ができた。それにしても、クイスの多能っぷりには毎日驚かされる。食材採りのかたわら材料をコツコツと集めて、調理台や竈なんかも作ってくれた。お陰で今では立って料理ができる。

 タークは、椅子とか小さな机とか、家具を作るのが得意だ。故郷ではそういう仕事をしてたらしい。


 まだ5日目だというのに、気付くとヨズたちは日常会話がほとんど問題なく話せるようになっている。単語の覚えもすっごく早い。

 きっと、ヨズたちもずっと言葉を話せるようになりたいと思ってたんだろうな。そうじゃなきゃ、いくら頭が良くってもこんなに早く覚えられないよ。


 タークとヨズはすごく仲良くなって、一緒にチャンバラをしたり椅子を作ったりしている。わたしはラゾとチノと一緒になにかすることが多い。自然と担当が分かれたみたいになった。

 チノとラゾは料理と魔法に興味があるようで、ヨズはどちらかというともの作りとかチャンバラが好きみたい。相性ってやつかな?



 今日はクイスだけじゃなく、タークも食材採りに行った。二人とも食べきれないほどの木の実や野草や魚やウサギを採ってきたけど、それよりもタークとクイスがムキになって張り合っていたのがすっごくおかしかった。思い出すだけで吹き出しそうになる。



――――――――――――――――――――――――――――――――――


「俺の捕ってきたウサギを見ろ、エコ。でかいだろう? しかも3匹だ。それにこれは、自然薯だ。折れてしまったが、十分な量が採れた。アケビも採ったぞ、あとはアキビルだ。いい香りだろ」


「エコちゃん僕の方がすごいぞ、まずキノコでしょ、このキノコは名茸めいじだよ。美味しいので有名なシメジだからね。あとタヌキノチャブクロとか、ヌメリイグチとか、とにかく沢山。後は見てくれよ、この魚を。でかいだろ、マスだぞ。しかもちゃんと人数分ある。これは珍しい野草で、イロカショウガとダスノエッヂだよ。買ったらうんと高級品だよ。大体、兄貴より量が多いだろ? 僕の方が後に出たのに」


 採集から帰ってきた二人が、籠いっぱいの収穫を争うようにエコに見せてくる。クイスが量にケチをつけたので、タークがむっとする。


「馬鹿やろう。俺はウサギ狩りのために最初に罠を作ったんだぞ? その時間、お前は採集してたんじゃないか。ウサギを捕ってきてみろ、お前なら帰ってくるのが夕方にはなるだろうよ。キノコで満足しやがって。そもそも、量の勘定にウサギを入れてねーだろ。ほれ、これを載せりゃお前のより目方は多いぞ」


 タークがそう主張すると、クイスも負けじと言い返す。


「兄貴、言いたかないが自然薯を途中で折るなんて素人だよ。自然薯はひいばあちゃんより優しく扱えって言うだろう。それに、兄貴は罠を作ったかも知れないけど、僕なんか釣りだよ? 罠の倍は時間がかかる釣りをして、それでも尚この量だ。それに、ラゾさんの料理の練習になるように色んな食材を採って来たんだ。気遣いが違うね」

「ふふふ、あははは! 二人ともなに意地になってんの? あははははは!!」


 エコは二人の子どもじみたやり取りを見て、可笑しくなって笑った。すると、名前を呼ばれたラゾが、不思議そうな顔をしてこっちを向いた。

「? エコ、クイスさんたちはなんの話をしてるの?」


 さすがにここまで複雑な話となると、ラゾにはまだ理解できないらしい。エコが説明する。


「二人の採ってきたもの、どっちがすごいかだって! ラゾはどっちだと思う?」

「うぅーん……。タークさんかな。量が多いから。でもクイスさんは種類が多いし……」

「タークだけに沢山採ったってことね?」


「ぶフゥッ! タークさんが、沢山って……!! うふふっ、あははははは!」

 エコの冗談を聞いてラゾが明るく笑い出すと、他の三人もつられて笑う。しばらくそうして笑いあい、クイスとタークの勝敗は結局うやむやになった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ラゾはちょっとのことで笑うから、見てるこっちもつい笑ってしまう。面白いからいいけど。魚に串を打つ時に、「串を駆使して」って言ったら、また大声で笑っていた。

 毎日が充実してて、本当に楽しい。二人暮らしも賑やかだと思っていたけど、六人暮らしはもっと賑やかだ。家族ってこんな風なのだろうか。






――タークと旅に出てから11日目。洞窟暮らし8日目。


 クイスが足に怪我をしてしまった。どうやら、クイスはこのところがんばりすぎて疲れが溜まっていたらしい。食材を採りに行ったときちょっとした崖から滑り落ち、足首をひどくひねっていて、真っ赤に腫れて見るからに痛そうだった。全然そんなそぶりを見せないけど、たぶん相当疲れてたのに無理したんだろうな。

 タークも、クイスに頼りすぎたって謝っていたけど、クイスは全然気にする風でもなく、冗談なんか言って相変わらず調子が良かった。でも、しばらくは歩けそうにないってしょげてもいた。落ち着いて治せばいいよね。クイスおつかれさま。


 そんなことがあったので、その日はそんなに遊んだりすることもなく、クイスの寝ているそばで、みんなで座って縫い物をしたり、ナイフで食器作りをしたりしていた。タークは椅子を改造していた。いろいろおしゃべりをするうち、ヨズとわたしはちょっと前に出会っていたことが分かった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――



「言おう言おうと思ってたんだけど……。ヨズってこの前、わたしの焼けちゃった家に来た子だよね?」

 エコがヨズに聞く。前から気になってはいたのだが、なんとなくタイミングが掴めず、言い出せなかったのだ。


「はい……。やはり覚えていらっしゃいましたか。月の僅かな明かりだけだったので、ぼくもあの時エコさんのお顔がはっきりとは見えていなかったのですが……。兄のことがあったので今まで言い出せずにいたんです……。大変な失礼を致しました」


 ヨズの言葉遣いはやけに丁寧になっていた。タークは今後のことを考えて、知っている限り丁寧な言葉を教えたらしい。ヨズ自身も丁寧語のほうがしっくり来るらしく、小さいなりをしていつもこんな言葉遣いだ。

 

 兄? 誰のことだろう? エコは頭をひねった。兄のことって――ああ!

「あれお兄さんだったの! わたしにぶつかってきた人だよね!?」


 横で聞いていたタークが、おお、と小さな声を上げた。

「はい。兄は人一倍、人間に対して不信感が強かったもので……。ぼくがエコさんに触られそうになって、ぼくが殺されるのではないかと早合点しまして、本当に……あの時はとんでもないことを致しました。どうかお許しください」

「あの時はごめんなさい」

「ごめんなさい」

 ヨズがそう言って頭を下げると、聞いていたラゾとチノまでもがエコに向かって頭を下げた。急に謝られてエコは驚き、なぜかいたたまれない気持ちになった。

「わあわあわあ、やめてやめて、そんなこと! そういうつもりで言ったんじゃなくてさ! ぜんっぜん気にしてないんだから、怪我も無かったし」

「それで、あの男はどうしたんだ……?」

 タークが恐る恐る尋ねる。その後起こった恐ろしい出来事を思い出して、エコも唾を飲んだ。

「死にました……。姉を庇いまして、一人魔獣に立ち向かったのです。ですが、あれほどの魔獣ですから、いともあっけなく……」

「そうか……」


 話について来れないクイスだけが、終始ぽかんとした顔をしていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――




 生きていたら、そのお兄さんとも話してみたかったな……。ヨズたちと喋るのはとても楽しいもの。


 その後聞いたところでは、ヨズたちが言う兄弟とわたしたちが言う兄弟の意味は、全く違うらしい。ヨズたちは出会った仲間同士で小さなグループを作って行動するそうで、そのグループを「兄弟」と呼んでいるのだとか。だからヨズとラゾとチノの間には血のつながりはないそうだ。

 







タークと旅に出てから12日目。洞窟暮らし9日目。




 疲れた……。大変な一日だった。


 無我夢中だったから、なにがあったかよく思い出せない。何から書いていいかわからない。今日の出来事を一旦思い出して、整理しよう。今日あったこと………………。




――――――――――――――――――――――――――――――――――



 エコはそこまで書き終えると一旦鉛筆を置いて、大きなため息をついた。

「今日あったことか……」そして目を閉じ、一日の出来事を思い出そうとした。だが頭がまとまらないうちに、エコの瞼が眠気に抗えなくなってくる。エコはそのまま机に突っ伏して、穏やかな寝息を立て始めた。


 

「うぅ、はあ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 エコが寝てしまった後暫くして、足首に切り傷を負って早めに寝ていたタークが、苦しそうに目覚めた。

(なんだ……? 疲れがとれん。熱もある……。足のケガのせいか? まずいな)


 水を飲むために起き上がってシェルターから出ると、焚き火のそばで椅子に座ったまま眠っているエコに気が付いた。近づき、肩を叩いて起こす。

「エコ、寝床で寝な」

「ぅう~~ん……。……わかった……」

 エコは立ち上がって日記をしまうと、よろよろとシェルターに入っていった。


 タークは息苦しさを感じ、焚き火の脇にある見張り用の寝床に寝ることにした。すぐ脇には、クイスが寝るのに使っている別の小さなシェルターがある。クイスは、どうも一人で寝たい性分らしい。


 タークは苦しかったが、焚き火を強めてお湯を飲み、エコの作ったタバコを何本か吸ってから寝床に入った。毛布の中で耳を澄ませると、今日の騒動でタークが殺した六人の男の墓がある辺りで、鈴虫がしきりに鳴いているのが聞こえた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ