京極高延の昔語りー北近江の下克上ー
ついに京極家は二つに割れた。
父上のやり方に我慢の限度を超えた家臣や豪族たちは、鎧兜に身を包み手に刃を持って儂の下に集い、
父上や弟のいる清瀧寺には父上のやり方に賛同する家臣たちが、同じく槍刀を持って集まったのだった。
このままでは京極家は潰えてしまう。
しかしそうは分かっていても、もう儂には止めようがなかった。
父上は、京極家再興のためには儂が邪魔だと、潰すしかないと腹を括ったのだ。
そうなっては儂も、生き残るためには父上と戦をするしか道はなかった。
そうして始まった戦は三ヶ月ほどで呆気なく終わった。
儂が言っていた通り、最早京極家には家臣や豪族たちを抑え込む力はなかったのだ。
父上と弟の下に集まったのは京極家に古くから仕えた家臣ばかりで、残りの国中のほとんどの豪族たちは儂の下に集まった。
こうなっては差は歴然。
ロクに戦う事も出来ずに父上と高吉は尾張国へと逃げ延びたのだった。
そして、父上が言っていた「家臣や豪族どもの言いなりになっておれば、いずれ京極家は奴らの喰い物にされてしまうわ!」という言葉もまた、現実味を帯びようとしていた。
いくら身内同士の戦とはいえ、命懸けで戦った者には褒美をやらねばならん。
しかし戦いで勝ち取った領地も、元々は父上の土地、京極家の土地。
結局、儂にとってこの戦で得た物は何もなく、この戦で所領のほとんどを失った。
こうして京極家は名ばかりの守護大名に成り下がったのだった。
その二年後、死期を悟った父上は北近江国へと帰って来た。
今や同じく儂も死期を感じるから分かる。
父上は生まれ故郷の土に環りたかったのだ。他所の土地で死ぬのが怖かったのだ。
しかし、父上と共に尾張国へと逃げ延びていた高吉は北近江国に帰っては来なかった。
おそらくは幼き頃よりずっと儂の陰口や父上の愚痴を聞かされていた高吉に、儂と和解するという考えはなかったのだろう。
結局高吉は、あの元服の時に父上から譲り受けて、僅かに残った所領を最後の拠り所にして、南近江の六角家と同盟を結んだ。
そして、自分こそ北近江の正当な主、北近江守護であると、今度は南近江の六角家と共に儂らに攻撃を仕掛けてきたのだ。
最早京極家に南近江の六角家と戦う力は残ってなかった。
高吉と六角勢は瞬く間に国境を越えて、難無く佐和山城を攻略し、今浜の街を制圧した。
最早勝敗は決した。
誰もが諦めた中で、豪族の一人、浅井亮政だけが勝利を諦めていなかった。
「北近江は南近江と違い雪が深い。
冬がくれば六角どもも戦どころではなくなるわ。
ならばそれまで、ほんの二、三ヶ月の辛抱よ。」
亮政は、残った豪族たちを纏め上げ、儂を小谷城に呼び寄せると、兵糧を運び込み堀を深くして城に籠もり六角勢を迎え撃った。
雪が降り始めるまで後二ヶ月。
六角勢も時間がないことを知っているのか激しく責め立てたが、亮政はついに雪が降るまで小谷城を守りきったのだった。
「この小谷城の頂に、北近江国守護職京極家の住まいに相応しい御殿をご用意致しましょう。」
亮政が話を切り出したのは、六角勢が引き上げた後、北近江の多くの領地を取り返した頃のことだった。
この時の薄ら笑いを浮かべた亮政の顔を、儂は今でもハッキリと覚えておる。
「北近江守護ならば領地を見下ろせる山上に御殿を構えるのが相応しくございましょう。
本丸の隣に御殿を設けましてございます。」
などと殊勝な事を言う亮政の真意は透けて見えた。
要するに儂をここに閉じ込めるという事だ。
現にこの小谷城でも浅井家やその家臣たちの屋敷は皆、麓の清水谷にある。
わざわざ暮らし辛い山上に御殿を建てるのは、儂を閉じ込め監視する為に決まりきっていた。
しかし、それが分かっていても、もう儂には亮政に逆らう力はなかった。
あれから、二十六年。
その間に亮政は没し、久政が浅井家を継いだが、
ついに儂がこの屋敷から外に出ることはなかった。
人の生は短い。
儂が生まれてから六十四年。
弟と争うようになって二十八年。
この屋敷に閉じ込められてから二十六年。
一日一日は長くても、こうして振り返ればなんと短いものなのか。
そして、間もなく儂も死ぬだろう。
そのとき、この京極家はどうなってしまうのか。
儂はそればかりが気がかりでならん。
儂の子の高成は久政に飼い慣らされておる。
その高成が跡を継げば、もう京極家は浅井家の家臣に成り下がってしまう。
それならばいっその事、京極家再興の為に、高吉に跡を継いで貰うか。
儂も父上も高吉も道は違えど、皆京極家再興の為に戦ったのじゃ。
そうだの。
今、京極家の主に一番相応しいのは、京極家の命運を賭けて儂と戦った弟の高吉じゃ。