落胆の溜息
北近江の軍勢が南近江に攻め入って半日が経とうとしていた。
夕闇に紛れて佐和山の城を出陣した北近江国の軍勢は総勢六千人。
北近江軍はその六千人を三つに分けた。
まず、兵千人で天神山城を取り囲み天神山城の兵を釘付けにして、残りの兵五千人は半分に割って、葛籠、高宮の城を同時に攻め立てた。
葛籠、高宮の城は守りの薄い城。各々二千五百人の兵で攻め立てれば瞬く間に城は北近江軍の手に落ちた。
そうして攻め落とした城に数百程度の守り手を残し、残りの兵を集めて天神山城の攻め手に寄せる。
およそ五千人の兵で攻め立てればいかに堅固な天神山城であっても守りきるのは容易ではない。
軍略通りに天神山城を取り囲んだ北近江の軍勢は勢いに乗って天神山城を攻め続けていた。
北近江の兵は群がる蟻のように天神山城の土塁、土塀に群がると、天も焦げよ。と火矢を打ち続けた。
その火は天神山城の城門や砦に燃え移ると、火の手に遮られ守り手の守備が弱まった。
「それ!今じゃ!!」
押し寄せる北近江軍の中から大木槌が現れた。
大きな丸太に綱を通した大木槌。その丸太に通された縄を手にした十人ほどの兵たちが城門めがけて駆け出していく。
勢いづいた丸太はドォンと音を立てて門扉に激突する。
「それ、今一度じゃ!」
侍大将の合図で再び大木槌は勢いを付け直し、二度三度と門扉にぶつかれば、門扉の閂は遂にメキメキと音を立てて割れ裂けて、今まで北近江軍の猛攻を遮っていた城門は焼け落ちた。
「一番手柄は儂じゃ!」
北近江軍がワッと城内になだれ込む。
天神山城の砦は燃え上がり曲輪は一つまた一つと北近江軍の手に落ちていた。
「これで天神山城も落ちましたな。」
天神山城の正面に張られた浅井軍の陣の中で、炎に包まれた天神山城を見上げ赤尾清綱が安堵の声を上げた。
陣の中から天神山城を見上げれば、北近江軍の松明の小さな炎がいくつも重なり波のようになって、天神山城の本丸を目指してジワリジワリと押し寄せている様子が見えた。
「六角家の援軍が来ぬ内に決着がついて一安心。
この天神山城が我らの手に落ちれば、六角家もおいそれと手出しはできますまい。」
国力で劣る北近江国が六角家に打ち勝つには六角家の隙を突くしかない。
この城攻めも、もし六角家の援軍が現れれば成功する見込みなどない、賭のような戦だった。
「やはり京に向けて兵を割いておる六角に我らと戦する余裕などないのですな。
まったく読み通り。これでこの戦は我らの勝利ですな。」
強大な六角家相手に有利に戦を進めていることに安堵と興奮を覚え、口元を緩めギラギラした目付きで早口に語る清綱に、浅井久政は冷ややかに冷たい視線を送った。
「何が読み通りじゃ。
己の都合の良い話ばかりを並べ立てて、そのようなもの軍略とは呼ばん。
もしこの天神山城が我らの手に落ちれば、六角家にとっては一大事。
上洛を取り止めてでも取り返しに来おるわ。」
「何を心配なさいます、殿。
それこそが我らの狙い所と浅野様がご説明下さったではありませんか。
六角家の上洛を阻止すれば、それは次なる将軍、義栄様にとっては大手柄。
北近江国の廃止の話しも消えて無くなる。と。」
「それこそが己の都合の良い話しと言うのだ。
もし、上洛が阻止されたぐらいで義栄様が将軍になられるのならば、とうになっておるわ。
もう十年も京におらぬ義藤様が将軍であり続けるのは、それこそが帝のご意志だと分からぬか。
帝は無用な将軍の代替わりは望んでおらぬのだ。」
分かったような分からないような顔で頷く清綱に、久政は落胆の溜息をこぼした。
この程度の事も説いて言わぬば分かるぬ者に、どうして北近江国の命運を任せる羽目になったのか。
久政は自らが北近江国の実権を失った日の事を思い出して、もう一度深く溜息をこぼした。




