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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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儂は何も悪くない

 何の思惑があった訳でもなかった。

藤吉郎はただ二人を繋ぐ縄を引き、観音寺城の片隅にある牢屋敷へと連れて行った。

猿夜叉も小野の方も無言で引かれるままに牢屋敷に足を踏み入れると、自ら狭い潜り戸を潜り抜け、窓一つ無い真っ暗な牢屋の中へと身を沈めた。


 どうしてこうなったんじゃ。

藤吉郎は二人を牢屋の中に入れると、組木格子に背を預けて、抜け殻となって腰を落とした。

時折揺れる松明の灯。時が止まったかのように感じる牢屋敷の中に居ては、まるでこれが悪い夢のようにさえ感じる。

ただ牢屋敷の外から聞こえる戦場に行く兵達の喚声が、これは現実だと重く藤吉郎にのし掛かってきた。

「のう、猿夜叉。お主、なんで命乞いをせなんだ。」

 事情は二人を牢屋敷に連れて来る途中、屋敷衆から聞いていた。

聞けば、お館様は猿夜叉が「六角家の家臣になる」と言いさえすれば命を助けたという。

「お主、六角家の人間になりたいと申しておったではないか。」

 牢屋の奥、松明の灯の届かぬ暗闇から小野の方のすすり泣く声が聞こえる。

 そうであろう。

「六角家の人間になりたい」と事ある毎に嘆く猿夜叉に、「其方は浅井に人間じゃ」と言い続けたのは他ならぬ小野の方なのだから。

しかし、小野の方が言ったからといって、猿夜叉が気をひるがえしたとも思えん。

 別に返事を期待していたわけではなかった。

ただ膨らむ疑問が口から溢れ出た。そしてそれを止める気にもならなかった。ただそれだけだった。


「約束を、したんじゃ。」

 だから、牢屋の奥の闇の中からの返事が藤吉郎の気に触れた。

「約束?」

「儂は強うなると約束した。

己に負けぬぐらい強うなると誓った。

死ぬのは…嫌じゃ。怖い。

しかしまた己に負けるのは、もっと…嫌じゃ。嫌じゃ…」

 最後の言葉は涙の中に消えていた。

しかし、猿夜叉の言葉は藤吉郎の胸に届いていた。

己に負けたくない。

それはきっと、儂が六角の兵に囲まれてた時の事を言っておるのであろう。

兵達の脅しに立ち竦み、いたぶられる儂を助ける事も助けを呼びに行く事もできず、ただ「ご免なさい。ご免なさい。」と泣き腫らした時の事を言っておるのであろう。

 何を言っておるのじゃ。死なば意味などなかろうに。



 もう一眠りすれば夜が明ける。

その時にはこの猿夜叉と小野の方の命は無くなる。

浅井の人質なのだから仕方あるまい。浅井が裏切ったのだから仕方あるまい。

 自分に言い聞かせる藤吉郎はハタと胸の片隅に湧いて出てきた思いに気付いて首を振った。

何を馬鹿げた事を言っておる。

浅井の人質なのだから当然じゃ。浅井が裏切ったから当然じゃ。

磔にされ、処刑されても当然じゃ。


 否定し、押さえつける度に藤吉郎の胸に浮かんだ思いは大きくなった。

何を血迷っておるんじゃ儂は。

ええか、藤吉郎。お主は六角家の人間になりたいんじゃろ?

昼間、大二郎殿が言っておったではないか。「藤吉郎さは屋敷衆になる」と。

藤吉郎、お主はこのまま屋敷衆になって、六角家の家臣となって、蜂須賀の小六殿を助けるんじゃなかったのか。

斎藤家と織田家の狭間にあって、今にも滅亡しそうな蜂須賀の家を守るため、儂はここにおるんじゃないのか。

 じゃから、見殺せ。

何も考えず、何もせず。朝を迎えろ。

朝が来れば他の者が猿夜叉を戦場に連れて行くじゃろう。

儂は何もせんでいい。儂は何も悪くない。

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