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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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楽市楽座の猿狩り

 南近江の石寺の市は、日本で唯一の楽市楽座の市だった。

そこでは、座に加わっていない者でも、何の免許も誰の許可もなくても、

売りたい者が、売りたい物を、売りたい時に、売る事ができた。

その日本に一つしかない石寺の楽市楽座には、

座に加わることのできない者、商才に覚えのある者、

また戦火に家を田畑を焼かれ故郷を追われた者などが、

周辺の国々から、富を、職を、糧を求めて押し寄せていた。

石寺の市は、多くの商人が集い、通りには数多くの露店がひしめき合うように立ち並んで、店先にはありとあらゆる品物が所狭しと並べられていた。

市の通りは、そんな市の品々を物珍しそうに眺める町人や、骨董品の目利に没頭する豪商、煌びやかな髪飾りを手に取り髪に添えてうっとりと満悦の笑みを浮かべる娘達が行き交い、活気に満ち満ちていた。


 どいて、どいて、どいて!!

そんな人込みで溢れ返っていて前へ進むのも一苦労な市の通りを、

一人の子供が身をよじり人の波を掻き分けて、必死に前へ前へと進んでいた。

「待て!!猿!!」

「この泥棒猿!!」

 その後ろからは、先を逃げる幼い子供を『猿』と呼び、

心底から楽しそうに微笑みを浮かべて追いかける数人の子供たちがいた。

 嫌じゃ、捕まりたくない。痛いのは嫌じゃ!!


 その子供たちの様子は、ただの追いかけっこなどとは違っていた。

朝から逃げ回っているのは決まって『猿』で、他の子供たちはいつも『猿』を追い回していた。

そして『猿』を捕まえれば、その度に小さな背中に何度も平手打ちを喰らわして、三十を数えては、また『猿』を逃がして追いかけていた。

そのまるで『狩り』のような遊びを子供達は、『猿狩り』と言って愉しんでいた。

『猿』はその遊びを止める事もできないで、ただただ逃げ回るのが精一杯だった。


 少しでも速く。少しでも遠くへ。

『猿』は、涙を浮かべながら通りを駆け抜け、

通りを行き交う大人たちの足下を潜ってすり抜けると、

目の前にポッカリと暗闇の口を開いた路地があった。

「そこじゃ!!おったぞ!!」

 徐々に背中へと近づく子供たちの声。

『猿』は、もう無我夢中で市の店屋と店屋の合間の薄暗い路地裏へと逃げ込んだ。

水たまりを飛び越え、石畳の階段を駆け上がり、

乱雑に放り捨てられた桶や竹籠(竹カゴ)を蹴飛ばし、

息つく間もなく、二つ三つと曲がり角を駆け曲った時、

放り捨てられたムシロと荒れた竹林が目に映った。

『猿』は咄嗟とっさに筵を拾い上げると、竹林のヤブの陰に隠れて筵に包まった。

近づいて来る子供たちの足音。

荒く上がった息が収まらない。

激しい動機が鳴り止まない。

呼吸と共に波打つ肩と筵。

見つかるな。見つかるな。

筵を掴んだ手に力が入る。


「こっちじゃ、こっちに逃げたぞ。」

 四人分の子供たちの足音が、『猿』の耳元のすぐ側に止まった。

『猿』は身を強張らせて、僅かな気配も消すために口を押さえ息を止めた。

「どこに行った!!くそ!!」

 さっきまで全速で走っていた『猿』の息は上がったままで、

息を止めれば、瞬く間に顔は紅く染まっていった。

 息が…苦しい。

それでも、今大きく息を吸うわけにはいかない。

 もう少し。もう少し。

『猿』は、人差し指に歯を立てて、必死に息を止め続けた。

「右じゃ。」

 誰からともなくそう言うと、子供たちは一斉に駆け出した。

 よかった。

気が抜けるのが先か、『猿』は我慢が出来なくなって、大きく息を吸い込んで、

大きく揺れた筵がガサリと音を立てた。

「おったぞ!!」

 せっかく遠ざかっていた足音が一斉に止まる。

 バレた!!

筵を跳ね飛ばして、再び逃げ始める『猿』。

子供たちは慌てて向きを変え、『猿』を追いかける。

今度は、邪魔になる大人たちも障害物もない。

その差はみるみる縮まって、

後を追う子供が『猿』の首元を掴むと乱暴に引き倒した。


「捕まえた!!」

 乱暴に倒された『猿』を四人の子供たちが取り囲む。

「今回も亀松丸様の勝ちじゃなぁ。」

「フン、次は負けんぞ。」

「流石は亀松丸様。」

 倒れた『猿』の事など気に留める様子もなく、

三人の子供たちは、口々に『猿』を捕まえた亀松丸の事を称えた。

そして、「さぁ、立て。」と、三人の子供が『猿』を無理やり引き立てて、着物を引き剥がすと、

得意げに笑みを浮かべた亀松丸が、『猿』の背中に平手打ちを喰らわせた。

「一つ!!」

 子供たちの無邪気な声と共にパンと乾いた音が響いた。

「二つ!!」

 乾いた音と共に『猿』の背中に真っ赤な手形が浮き上がる。

「三つ!!」

 子供たちの笑い声と『猿』の泣き声。

「四つ!!」

 涙を流し、身を捩っても、両腕はしっかりと捕らえられていた。

「五つ!!」

 そして、五つ目を数えて、ようやく平手打ちは終わり、『猿』は放された。

「もう夕方じゃ、次で最後じゃな。

特別に百まで数えてやるから、鐘五ツまで逃げるのじゃ。

そのかわり、捕まったら、俺ら四人全員から五つずつ平手打ちじゃ。

よいな。」

 『猿』に拒む事などできなかった。

亀松丸は『猿』の答えを聞く前に、大声で、「一つ、二つ、」と数え始め、

『猿』は再び市の人込みの中に逃げ出して行った。


《虚実考察》


 石寺の市について

楽市楽座と言えば織田信長を連想しますが、日本で初めて楽市楽座を実施したのは石寺の市と言われています。

場所は現在の滋賀県安土町石寺。

米原から京へと向う中山道と観音寺城からの大手道が交わる石寺には、

今も歴史を感じさせる古い家屋が建ち並んでいます。

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