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第二章

とろりとした暗闇。光の無い空間。

それでいて、その部屋にいる青年だけがぼんやりと姿を浮かび上がらせている。

彼は、結わっている黒髪を解いた。自由になった髪が肩の辺りをさらりと流れる。


そこに、鋭い光の一閃。


闇の中に漆黒の髪が一房踊った。

彼は、手に持った小刀を鞘にしまいながら、静かに封の呪文を唱える。

黒い筋は黒い闇に溶けていく。


しばらく、不思議な協和音が響き、

――その後は、何も無かったかのように暗闇に静寂が訪れた。


++++++++++


妖怪と聞くと何を思い浮かべるだろうか?

人を惑わす物の怪。

人を食う鬼。

人を脅かす邪悪なもの。


だが、現代の妖怪は違うらしい。

――少なくとも、碧海の前にいる彼女は。


「何なのです? この部屋は?」


彼女は、形の良い眉をひそめて、部屋を見回した。

言葉の端々に非難の響きを含んでいる。

だが、その腕は、小さな子供の肩に優しく添えられ、

幼く見える子供は、すがるように白いスカートにしがみついていた。

これだけを見たら、幼稚園の先生に苦情を言いに来たお母様と言った風情である。


だが、容姿の点で言うなら、人間とはズレがある。

白くふちの広い帽子から見える長い髪は、木漏れ日のように少し緑を含んでいるし、

爪も長く、これも深い緑だ。

ひっそりとした森を思わせる静かな瞳には瞳孔が大きく、人間よりは小動物に近い。

そして、何よりの違いは、その大きさだ。

人間と比べるとものすごく小さい。

具体的に言うなら……リカちゃん人形くらいの大きさくらいである。


碧海は、部屋に不似合いな大きなテーブル

――スペースは、ほとんどこれで埋まってしまっている――に、

彼女達を乗せ、自らはイスに座って目線を合わせた。

すると、彼女は眉をピクリと動かし不機嫌な顔を作った。


「何なのですか? この結界はっ? 

私の子供が、なにか悪さをするとでも思っているのですかっ!?」


ヒステリックに語尾を高くして、彼女は部屋の隅を指差す。

そこには、昨夜彼が自らの髪で作った結界の依代があった。

碧海は、困ったようにポリポリと頬を掻く。


「……いや、これは念のため……というか」


煮え切らない彼の返答に、彼女は目をつりあげる。

そして、息を胸いっぱいに吸い込んだ。


――これは危ない。なぜなら彼女は……


「私の子供をっ!侮辱っ!!」


すでに耳をふさいでも耐え切れない大音量。そして、とどめの一発。


「するなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


梢を震わす風のような澄んだ声から一変。

太い男の声に豹変し、鼓膜を破壊するような音が炸裂する。


――彼女の種族は、やまびこ。

呼びかける人間の声に対して、どんな所でも届くような声でそっくり答える。

そのため声を変えるのはお手の物。大声を出すのもまた然り。

呼びかける声を力の糧にして、山道に迷った人間を助ける、山の精霊だ。


よろよろと立ち上がる碧海に、彼女は冷たい視線を送る。


「最近の人間は、ろくでもないヤツばかりだとは思っていたけど……」


彼女は、優しく自らの子をなでながらため息をついた。


「でも、仕方ないわね。頼る人間なんて、あなたのほかにはいないわ」


大声を出してストレスを解消したらしい彼女は、ふっきれたように砕けた言葉使いになる。

近所には多大な迷惑をかけただろうが……今は何とか乗り切れそうだ。

碧海は、後の事は考えない事にして、まだジンジン痛む頭を抱えながら、

先を促すように彼女を見つめた。


「……一週間で良いわ。この子を預かって頂戴」


「一週間ですか……」


「本当はもっと預かってほしいんだけどね。でも、この子が心配だわ」


彼女の子供は話が分かっているのかいないのか、

澄んだ緑色の瞳は、無表情に開いて母親の顔を見つめている。


「まだ、産声期を迎えていないの」


「へぇ……」


産声期とは、やまびこにとっては一人前になるための第一歩だ。

すなわち、声を出せるようになり、やまびことしての仕事ができるようになる事を意味する。


(……てことは、騒音騒ぎはこれ以上起こらないって事だな)


碧海は、顔に出さないように、内心安堵のため息をついた。


「分かりました。任せてください」


彼女は、まだ信用してないらしく、値踏みするように碧海に視線を送る。

碧海は、居心地が悪いので話を変える。


「一週間何をなさるんですか?」


「新しい住処を探すの。私たちが住む山には、なかなか人間が来なくなってね」


彼女の瞳に静かに波が立った。


「ねぇ。山と言ったら、『やっほー』よね? 常識よね?

最近は誰も言わないのよ?信じらんないっ!

迷った時に、誰が助けてあげてると思っているのよ!?

今では、やまびこはただの音の反響に成り果てているわ」


――また危なくなりかけている!

碧海は慌てて、相槌を打つ。


「そうですよね! 『やっほー』ですよ。

『やっほー』こそ、山の価値ですよ。登山の心意気ですよ。

俺はちゃんと言っています!」


……無論、口からでまかせであるが……

その言葉に、彼女はうっすらと涙を浮かべた。


「まだこんな人間がいたなんて……!」


彼女は、碧海に――正確には、彼の頬に抱きついた。


「ありがとう! あなたみたいな人に、私たちは救われているのだわ!」


涙で輝く緑色の瞳と漆黒の瞳。

彼らは、見つめあい……――


(ていうか、どんな展開だよ? これ)


最初の態度から一変して、周りに小花を散らす彼女。

碧海は、営業スマイル――内心は苦笑――を浮かべた。


「では、一週間。お預かりします」


「よろしくお願いします」


彼女はペコリとおじぎした。

そして、我が子をもう一度優しくなでてから、ふわりと宙に浮かんだ。

子供は、相変わらず空虚な瞳を動かしただけだった。


碧海は、窓の外の後姿を見送りながら、ふと思い当たった。


(確か、やまびこって、山彦と書いて『山の男』って意味じゃなかったか?)


彼は、彼女の輝く笑顔を思い出し、首を横に振った。


(……いや、なにかの思い違いだ。きっと)


彼はそれ以上の考えを放棄して、ポツンとテーブルにたたずむ子供に笑いかけた。


「坊主、一週間ヨロシクな」


やまびこの子は、それには反応せず、窓の外をじっと見つめていた。

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