エロ文化復興計画 〜路傍のエロ本〜
私も不惑一歩手前の年齢になりました。それでも未だ迷うことばかりで、人生の羅針盤も狂いっぱなしです。
数々の港を未ださ迷い、港湊に女を待たせ、百の港をもつプレーボーイを気取っていたのですが、最近、どの港も上陸許可がおりません。
………さて本題です。
私の世代がギリギリだと思うのですが、昔この国のサブカル界には、エロ文化がありました。あくまでサブですが……。
でもそこには、サブゆえの気概があり、メインカルチャーにはない実験的な面白さ、採算を度外視したダイナミズムもありました。
映画で言えば、東宝などのメジャー会社に入ることができなかったけれど、映画へのパッションを押さえられない者達が新たなレーベルや配給会社を作り、スポンサーを見つけ、エロ映画なら撮らせてもらえることとなり、エロ映画は、そんなパッションの受け皿となっていました。
出版界にもそれはありました。数多溢れていたエロ本ですね。食えなくなった物書き崩れやアナーキストのパッションの受け皿として、エロ本は機能を果たしていたと思います。
商業主義にあぶれたり、マスコミを席巻するマルキズムを真っ向否定する民族派、マルキストでも濃すぎる人達なんかの発言媒体として、エロ本は機能していました。
ねぇちゃんのケツ載せといたら広告取れるし、二頁は好きなこと書いていいぞ的なノリがありました。映画も、絡み三回入れたら文句言われなかったと聞いたことがあります。
そして、それら媒体を通じ、悶々とした性欲と共に知的好奇心や思想欲に飢えた青少年にささやかな教養と情報を供出しました。
日教組教育に教養を感じられなかったアウトローにとっての教科書にさえ、エロ本はなっていたと言えるでしょう。←それは言い過ぎか……
エロ本で荒木のぶよし(字が出せない)の構図美を知り、ピンク映画時評で至極の邦画を見つけ、団鬼六の言葉から愛を真剣に考えたという青春期を送ったという人も少なくないでしょう。
……………いや、少ないか…………。
だが、バブル崩壊以降、サブカルはただのマイナーになりさがりました。
メジャーの対抗軸やアウトローの鬱憤の受け皿という気概はなく、奇をてらった需要に応えるだけの、ただのエロになりさがったように私は思います。……確かに、不惑一歩手前で堂々とエロ本買わないんで最近の事情は疎いんですが……。頑張ってるのはエロ漫画の快楽天くらいですかね←読んでんのかよ。
とにかく、「売れたらいいじゃん。ヌケたらいいじゃん」
その言葉がエロ本やエロ映画にも席巻したら、そこには文化どころかペンペン草も生えねぇぜ。性欲を売り物にしているだけで、それはつまり、堅気のくせにヤクザさんの土俵に入り込んでいるということだぜ!アウトローでも何でもなく、そんな商売を素人がやるのは「アウト」だと思う今日この頃です。←上の句と下の句でテンション不一致。
……ま、エロ本ライターが生活考えて組合作ったりする時代なんだから、気概や文化や教養なんて、求められないんでしょうな。