多夫多妻マンセー
某サイトにブログとしてダラダラ書き綴っていたエロコラムを順次、何かに発表させていただきたいと思い、このサイトを発見しました。
多分、エロコラムというジャンルなどないんで、エッセーかな?と思ったのですが、今後、確実にアダルト色が強くなるんで、官能小説とさせていただきやす。……、ま、ペンネームからして十八禁ですね。
で記念すべき第一回のテーマなんですが……
べつに、スワッピング推奨ではありません。
男でも女でも、一人だけのパートナーで生涯平気だという人は、本気でいるのだろうか?というお話です。
社会構造がもたらした、いくつかの貞操観念があり、浮気や二股をかけることは、背徳であるとされています。では、その貞操観念では、どこまでがセーフ?3Pはアウト?
好きという漠然とした感覚を同時にもつなんて、生物なら当然ですよね。そして、より強い種をより多く残したいと思うはずで、その相手を限定することは、高等生物として理不尽ではないですか?自らの世代で進化を否定する驕りにも感じられます。
また、強い種の概念も麻痺している男女が多い。
より餌を捕ってくる(人なら稼ぐ)雄が強いというのは間違いです。生物なら、より相手を発情させ、生殖行為の機会をより多く作れるものが、いい遺伝子をもつものです。
だが、きちんと本能を信じて発情せず、経済観念や倫理観、美的感覚など、後付けの雑念を本能だと勘違いして、社会構造は成り立っています。
さて、本題に戻ります。
たった一人の相手で、自分が要求する異性の存在価値を満たせる者など、いるわけがないと思います。
それが例えば些細な性衝動であれ、逆にきめやかな時めきであれ、生涯に複数感じるのは当然だし、それが数えるほどしかない抑揚のない人生には面白みも糞もありません。
そこで、人はそれらが同時進行しないようにして倫理を遵守しています。既婚者やから、彼氏がいるから、好きな人がいるから、云々。
ここで、ツッコミたい。
じゃあ、今という概念をどうお考えですか、と。
目に見える森羅万象の物は物理的にあったとしても、それがあると感じた時点では、わずかではあっても時間を経過させているわけです。
今なんて時間は、観念の中にしか存在できないのです。
だから、浮気を非難する意見に私は何ら説得力を感じません。
あ、でも、それでもちろん相手が不快に感じるなら、私はそもそもそういう方とは恋愛的な接点をもちません。性格や性癖の不一致も嫌ですが、倫理観の不一致というのも難儀です。国際結婚みたいなものですから。
まずは挨拶代わりに倫理観をあ〜だこ〜だ言ってお茶を濁しましたが、今後、色々なエロカルチャーを検証(ただし、独断と偏見)、構築していきます。
以後、お見知り置きを。