どこまで舐められる?
初めに断っておきますが、お食事中の方、この先を見るのは後にしましょう。エロいコラムを見ながら、そもそも、携帯を弄りながらのお食事はお勧めしません。お行儀よくしましょう。
こんな戯れ事は、暇で暇でしょうがないときに見るようにしましょう。
私のお上品なコラムを見る人には、私の様に上品になっていだだきたいと思っているので、勝手にお願いします。
……で、うんこやチンコの話なんですが……。
前作あたりで、放尿する女性の姿最高!ビバ、ビバ!と宣ったのですが、別に私はスカトロさんではないと思います。 たしかに、排泄欲と性欲は紙一重な部分があると思うのですが、排泄されたものを嗜好するとなると、相対的な性への好奇ではなく、物への愛着となり、フェチズムの心理になると思います。極端な話し、うんこならば誰がしたものでも御馳走だとなります。
ま、フェチズムの詳しいことは岸田秀でも読んでもらうとして、純粋にノーマルな人が、好きな相手のどこまで許容できるかという話しです。
「あなたのうんこなら、食べれると思う」
昔同棲してた人に言われた言葉ですが、ま、前後のシチュエーションがあるとは言え、流石にちょっと引きました。
うんこさえ愛おしくなるものなのでしょうか?
思うに、女性は瞬間的な性愛にリミッターが外れます。性愛だけではありません。瞬間的な感覚や感情を爆発及び制御することに長けています。でないと、出産なんて出来ないでしょう。
その逆に、男の感覚は持続性に向いています。その男女の相違を理解しないといけないのでしょうね。でないと、うんこさえ愛していたのに、何で愛想尽かすことができるんだ?という「?」から一生逃れられなくなります。
何の話しでしたっけ。
あ、そうそう。
だから男が望む愛は、性愛のリミッターの上限ではないのです。俺のこんなチンコを愛してくれた。俺のうんこさえにも愛着をもってくれた。……確かに嬉しいし、官能も満たされます。でも、そこに永続性を見出だすことが出来なければ、大の大人は満足しません。あくまで、一時の娯楽なら楽しいでしょうが、濃いプレイをしたからといってパートナーとして最適ということではないのです。
ま、何だかんだエロトークしといて、私の相方など、チンコの一つも舐められません。そして、うんこ舐めれると宣言した娘と一緒になっていたらどうだっただろう。と少しおセンチになった巨大棒でした。
でも多分、いい大人になってからも、うんこ舐められたら、確実にドン引きですね。