モテたくない人に捧ぐ。化け物とのバラッド
熱狂的読者を作り、エロ教団をつくる野望をもつ男・巨大棒です。
私の野望も、あと一歩です。←どこがだよ。
私、長いこと、ざっくり言ってしまえば、特異な価値観の中に暮らしていたのでしょうね。それに、時代や環境もよかったのかも知れません。
大志をもって屁理屈こねて小説家気取ったり、エキセントリックな芝居したり、分かったふうなアートしたり。それらいずれかの手段使えば、何となく異性に不自由することはなかったんですが……。
でも、普通の環境でも、似たようなパターンあるでしょ?何かに本気になった姿をそれなりに見せる機会があったり、得意分野でリスペクトされる環境があったんではないでしょうか?
でも………ここ数年……。
歳のせいなんですかね。
ま、人付合いをほとんどしてないんで、そもそも分母の数が少ないんですが、火遊びができない暗黒時代になってます。
最近、「モテようと思ったら、共感させるべし。」みたいな風潮ですね。
あるいは、見てくれがいかにモードの最先端でカッチョイイか?……ま、これはイターナルでしたね。でも、興味ないし、生き方で遊べない人の遊び方だと思ってました。
共感なんて、クソくらえだと私は思ってます。
平均点とりたくはないし、平均点とろうとしてるおネェちゃんなんか興味ないです。
何か、別に順位がつくものじゃなくていいんですが、突き抜けてる、常人じゃない化け物になりたいし、化け物と付き合いたい。見てくれがどうだろうと、オブジェとして見栄えがよかろうと、つまんない奴と遺伝子交換したって、面白くない。
それなら、単純な性衝動は、プロにまかすか、自分で処理したほうがいい。
ま、価値観が本末転倒してる正道の社会人には難しいかも知れませんが、アウトローな人たちには、まだ十年前位までは、その価値観ありましたね。
「エンドレスワルツ」の阿部薫と鈴木いづみだって、共感なんかお互いしてないはずですよ。お互い自分が一番だし、ジャンル違うし、でも、お互い、相手を化け物だとリスペクトして相方にしてる訳でしょ。特殊な愛として若松孝二に描かれてたけど、特殊でもなんでもない。
私も、意識したことなかったけど、そうやって羨望や敬意を媒介にして、本気にしろ火遊びにしろ、異性間交遊をしてました。
無収入で、無職で、朝顔洗ったことのない私でも、途切れることなく、何となく男女のドラマのある季節を作ることができてました。
ただ、なんだろ。
今、仕事なくて警備員してるんですが、そんな日常に見える環境とか、空気見てると…………。
共感ごっこか、ビジュアルや経済力の付加価値しか、羨望の媒介になりえない社会構造になってる気がします。……化け物が求められない。又は、「化け物だという認識を皆が共感しなければ化け物ではない」という構造が出来上がってる気がします。
価値観の多様化だなんだ言われ始めてから、逆にそういう均一化は加速度的になされたような気がします。
…………ま、もうあんまりモテなくていいや。←セックス教団の野望はどこ行った?