初恋の魔族おじさんは、激重感情をひた隠す
水の都、エルディーリヤ。
交易が盛んなこの街は、ヒューマン以外の様々な種族も入り乱れ、賑わっている。
街の南に位置するこの冒険者ギルドも、また同様だった。
「お次の方どうぞ!」
声を張ってカウンターが空いたことを知らせれば、目の前には馴染みの獣人が姿を見せた。
「やあ、ミレットちゃん」
「こんにちは、リュカさん。受注ですか?」
「うん、これお願い」
ピンと立った耳、パタパタと動く尻尾。
狼獣人の冒険者であるリュカさんは、掲示板から剥がした依頼書を手渡した。
「ランクCのコカトリス討伐依頼ですね。支給品がありますので少々お待ち下さい。その間にこちらの達成条件をご確認頂けますか?」
「はーい」
カウンターの裏へと引っ込み、支給品を保管している棚を確認する。
依頼書の支給品欄を確認して、必要なものを揃えていく。
「コカトリス、受けてくれるんだ?助かるわね」
「はい、リュカさんが。この依頼、不人気ですもんね…」
先輩のギルド員に話しかけられる。
コカトリスの生息地が遠い割に、実入りが少ない依頼なのだ。
だからこそギルドから支給品をつけて少しでも受けてもらおうとしているのだが。
「お待たせしました。こちらになります」
「ありがと。ね、ところでミレットちゃん、今度飯でも…」
「あはは、彼女さんも一緒なら」
「うーん、残念。でも、それも楽しそうだ」
リュカさんは毎度こんな軽い調子で声をかけてくる。
といっても私が彼に恋人がいると知っていて、冗談だとわかるからこそなのだが。
「ミレットちゃん趣味悪いからなあ。俺のほうが若いし、毛並みもいいのに」
「っ、あ!乗合馬車がそろそろ出ますよ!いいんですか乗らなくて」
「うわ、やべ!いってきます!」
「はい、お気をつけて」
なんとか話題を逸らしてリュカさんを見送る。
その背中が扉の向こうへ消えたところで、カウンターに大きな影が落ちた。
「本当に仲がいいなァ」
聞き慣れた低い声に、心臓が跳ねる。
顔を上げると、人波から頭ひとつ抜けるほどの大男が立っていた。
額の両脇から後ろへ湾曲する太い黒角。
その片方は、先端がわずかに欠けている。
無造作な黒髪に、金色の瞳、浅黒い肌。
無精髭の残る口元には、いつもの少し悪い笑みが浮かんでいた。
使い込まれた革の上着は、分厚い胸板と太い腕に引っ張られて窮屈そうだ。
その下のシャツも、相変わらず襟元がだらしなく開いている。
魔族の熟練冒険者、イヴァンさん。
二十近く歳の離れた、私の好きな人だ。
「次、俺のを頼むよ」
イヴァンさんはカウンターへ片肘をついて、依頼書を差し出した。
「はい!達成処理ですね」
依頼書を受け取り、依頼人の署名が入っていることを確認する。
「お疲れ様でした。ギルドカードもお預かりします」
「ああ」
ギルドカードを渡されたとき、指先が掠めるように触れる。
それだけのことで、触れた部分から熱が広がっていくような気がした。
動揺を悟られないように、受け取ったカードへ目を落とす。
記載された名前とランクを依頼書と照合し、帳簿に達成日を書き込んだ。
最後に依頼書へ達成印を押せば、手続きは完了だ。
「では、こちらが報酬になります」
用意した硬貨の入った袋とギルドカードを差し出す。
「助かる」
イヴァンさんはそれを片手で受け取ると、代わりに革の上着の内側から小さな紙包みを取り出した。
「代わりに、これやるよ」
「私にですか?」
受け取って開いてみれば、中に入っていたのは砂糖をまぶした焼き菓子だった。
私の好きなお菓子だ。
「いつも頑張ってるお嬢ちゃんに、ご褒美だ」
そう言って、イヴァンさんは片目をつぶってみせた。
胸がぎゅっと掴まれたような心地になる。
彼は時々こうして私にだけお土産をくれるのだ。
「…ありがとうございます!」
こうして優しくされるたび、勘違いしそうになる。
イヴァンさんにとっては、娘みたいな扱いだろうけれど。
私がイヴァンさんに出会ったのは五年ほど前。
歳の離れた弟が生まれ、成人したばかりの私は家計を助けるため出稼ぎのつもりでここ、エルディーリヤへ来た。
このギルドで働き始めて、まだ間もない頃だった。
「だから、どうして報酬が減るんだって聞いてるんだよ!」
ドン!とカウンターを叩く音に、身体が震えた。
目の前にいるのは、依頼の期限を過ぎて帰ってきたヒューマンの冒険者だった。
規定に従って報酬から違約金が引かれることを説明しているのだが、何度繰り返しても聞き入れてもらえない。
「ですから、受注時にもご説明いたしました通り、期限を過ぎた場合は減額対象に――」
「新人のくせに、偉そうに説教してんじゃねえ!」
男がカウンター越しに手を伸ばし、私の腕をつかんだ。
強く引かれ、身体が前へ傾く。
「いっ…!」
「バカにしやがって!」
男がもう片方の腕を振り上げる。
殴られる――と身構えたけれど、その拳が私に届くことはなかった。
横から伸びてきた太い腕が、振り上げられた男の手首を押さえている。見上げれば、後ろへ湾曲した黒い角と、鋭い金色の瞳が目に入った。
男の顔がわずかに引きつった。
「ま、魔族…?なんだよ、てめえには関係ねえだろ!」
「女子供に手ェ上げんのは見逃せねェだろ」
その人は笑っていた。
けれど、男の手首をつかむ指には、見るからに力がこもっている。
「お嬢ちゃん、説明は間違ってないんだよな?」
「は、はい。依頼書にも記載していますが、この依頼は期限を過ぎた日数に応じて報酬が減額となります…」
「だそうだ。今度はちゃんと聞こえたか」
「…チッ」
男は何も答えず、カウンター上の報酬を乱暴に掴んで立ち去った。
張り詰めていたものが切れ、膝から力が抜けそうになる。
倒れないよう、慌ててカウンターへ手をついた。
「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
先ほどまでとはまるで違う、気遣うような柔らかい声だった。
「あ、ありがとうございました。助かりました」
「いや…お嬢ちゃんも、よく最後まで言い返したな」
その言葉を聞いた途端、じわりと熱いものが込み上げ、目から溢れた。
仕事場で泣くなんて、恥ずかしい。
「ああ、怖かったよなァ」
その人は辺りを見回し、私の正面に立ったまま、少し身体の向きを変えた。
大きな背中に遮られ、周囲からの視線が見えなくなる。
「お嬢ちゃんは何も間違ってない。頑張ったな」
低く落ち着いた声で言われるたび、かえって涙が止まらなくなる。
そうして先輩やマスターがくるまで、誰にも見られないようにそばにいてくれた。
私は、たったそれだけのことでこの人に恋をしてしまったのだった。
もちろん一方的な片想いで、告白する勇気もなくズルズルと初恋を引きずって、もう五年も経ってしまった。
以前、他の冒険者と話しているイヴァンさんの言葉を、偶然耳にしたことがある。
『ガキっぽいのはごめんだな。俺ァ出るとこ出てて、色気があって、酒の強い女がいい』
冗談めかして笑う声を聞きながら、ひどく落ち込んだ。
私とは真逆だ。
悲しいことに、酒の強さだけは当てはまる。最悪だ。
それでもイヴァンさんがギルドに来たときはよく話しかけてくれるし、こうしてお土産もくれる。
たまに帰りが遅くなった日にイヴァンさんと鉢合わせると、家まで送ってくれた。
それだけで幸せだった。
…けれど、それもあと少し。
二週間ほど前、故郷の両親から一通の手紙が届いた。
そろそろ帰ってきて身を固めて欲しいという便りだった。
相手は、幼い頃から家族ぐるみで付き合いのある幼馴染だ。
彼が家業を継ぐことになり、それを機に両家の間で結婚の話が持ち上がったらしい。
真面目で、優しい人だった。
恋愛感情こそないけれど、嫌いになるようなところも思い当たらない。
彼も、私さえ嫌でなければと、この縁談を了承しているという。
イヴァンさんへの想いを除けば、断る理由はなかった。
この仕事は好きだったけれど、家族も大事だ。
不毛な想いにもカタをつけるいい機会なのかもしれない。
そうして、私は故郷へ帰ることに決めた。
最終日の仕事終わり。
離れがたくて、少しだけ帰りが遅くなってしまった。
ひとりで歩いていると、背後から聞き慣れた声に呼び止められた。
「お嬢ちゃん」
振り返れば、そこにはイヴァンさんがいた。
「イヴァンさん」
「こんな時間にひとり歩きか?悪い男が寄って来ちまうぞ」
「あはは、それってイヴァンさんのことですか?」
「はは、どうかな。送っていってやるよ」
そう言いながら、イヴァンさんは当然のように私の隣へ並んだ。
「…ありがとうございます」
イヴァンさんと並んで、夜道を歩き出す。
こうして送ってもらうのも、これで最後になるのだと思うと、いつもなら嬉しいはずの時間がひどく短く感じられた。
これはチャンスだ。
言わなければ。
このまま家に着いてしまったら、きっともう二度と伝えられない。
「あの、イヴァンさん」
「あ?」
「…好きです」
言ってしまった。
イヴァンさんの足が止まる。
「ずっと、好きでした」
怖くて顔を上げられないまま、私は慌てて言葉を続けた。
「でも、困らせたいわけじゃないんです。ただ、どうしても最後に伝えておきたくて」
「最後?」
「私、仕事を辞めて故郷へ帰るんです。だから、その、けじめを付けておきたくて」
綺麗に振られて、さっぱり帰りたい。
しばらく待っても、返事はなかった。
恐る恐る顔を上げると、イヴァンさんは酷く真面目な顔でこちらを見ていた。
「…お嬢ちゃんの気持ちは嬉しい。けど、俺みたいなおじさんより、もっと若い男と付き合ったほうがいい」
ああ、想像通りの断り文句だ。
子ども扱いされているってわかっていたのに、じくりと胸が痛んだ。
俯いた途端、腕を掴まれた。
「――とでも言うと思ったか?」
「え…」
強く引かれ、たたらを踏む。
ぶつかった先にはイヴァンさんの硬い胸があった。
「気に入らねェな。言うだけ言って、ハイさよならか」
「え、え?」
「勝手に終わらせて、自分は故郷の幼馴染と幸せになりますってか?」
「なん、で、それを」
縁談の話は、誰にもしていないのに。
背中に両腕を回されて、力任せに抱き込まれる。
心臓がうるさいくらいに暴れ出した。
「許すわけねェだろ。今さら他の男にやるかよ」
片方の手が後頭部へと滑り、強引に顔を上向かされる。
噛みつくように唇を塞がれた。
「〜~っ!」
火傷しそうなくらい熱い息にくらくらする。
無精髭がちくちくと肌を刺激して、これが夢ではないのだと思い知らされる。
思わずイヴァンさんの胸を押す。
けれどその手すら捕らえられて、太い指が私の指の間に入り込んだ。
「イヴァンさ…っ」
ファーストキスなのに、こんな路上で奪われるなんて。
息をつく間もなくて苦しい。
後頭部から首筋まで大きな手に包み込まれ、身体ごと彼の胸元へと押し付けられる。
たくましい身体の硬さと熱が、服越しに伝わってくる。
どれほどそうしていたのか分からない。
ようやく唇が離れたときには、息はすっかり乱れていた。
繋がれていないほうの手は、いつの間にか縋るように上着を掴んでいる。
「ミレット…」
吐息とともに、初めて名前を呼ばれた。
ただそれだけで、胸の奥が震える。
金色の瞳は熱に浮かされたようにぎらつき、瞬きもせず私だけを映している。
笑っているのに、何故か背筋がぞくりと震えた。
「ずっと触れたかった」
繋がった手を持ち上げて、手の甲へキスが落ちる。
顔も、唇が触れた手も熱い。
「で、でも、イヴァンさん、もっと色気のある女性が好みだって…」
「ああ?好みと惚れた女が同じとは限んねえだろ」
「…それって、つまり、イヴァンさんも、私のこと好きってことですか?」
恋人に、なれる?
期待を込めて聞いてみれば、イヴァンさんの笑みがいっそう深くなった。
「煽るなよ」
絡めた指はそのままに、親指でゆっくりと手の甲を撫でられる。
「好きなんてもんじゃねェ。ひと目見たときから俺のもんにしたくて仕方なかった」
「え…」
「街にいる日は毎日見てた。お前が誰と話して、何時に仕事を終えるのかもな。帰りが遅い日は、ちゃんと送ってやっただろ?」
偶然だとばかり思っていた。
会えてラッキーだな、なんて、思っていたのに。
「お前に寄ってくる虫も随分消した。あの狼の小僧だって、何度そうしてやろうと思ったことか」
胸がざわつく。
知らず、繋がれた手を引こうとしたけれど、指はいっそう強く絡められた。
「…怖くなったか?」
問いかける声は優しい。
それなのに、金色の瞳は少しも笑っていなかった。
答えられずにいる私へ、イヴァンさんは何でもないことのように続けた。
「悪いが、お嬢ちゃんが惚れたのはこういう男だ。諦めてくれ」
肩を抱かれ、半ば引きずられるように歩き出す。
私の足はほとんど浮いていた。
「実家帰んの、三日後だったよな」
不意にイヴァンさんが足を止めて尋ねる。
「ど、して…」
知ってるの。
その言葉は、もう一度塞がれた唇から出ることなく消えた。
唇を離したイヴァンさんが、低く笑う。
「その間、俺がどんだけ我慢してたか理解ってもらおうか」
再び肩を抱かれ、歩き出す。
「安心しろ、ちゃぁんと家に送ってやる」
どうやら私は、思っていたよりずっと悪い人を好きになってしまったらしい。
それでも、嫌いにはなれなかった。
むしろ心臓が掴まれたかのように、甘く痛んだ。
その夜、イヴァンさんは宣言どおり私を家まで送り届け、そのままずっと離してくれなかった。
家から、なんならベッドからも出してもらえず、結局荷造りも全くできないまま、出発の日を迎えた。
「ど、どうしてくれるんですか!退去日、今日なのに…!」
「だァいじょうぶだって。戻って来てからまとめればいい」
「戻って来る…?」
「一緒に住むだろ?」
「へ」
「あ、実家には俺もついてくから」
「へ!?」
何故か部屋の契約は知らないうちに延長されていて、あれよあれよという間にイヴァンさんと故郷へ向かう馬車に乗っていた。
あれ?
実家へと着いたその日の夕方。
両親は突然連れてきた大男に驚いていたはずなのに、イヴァンさんが挨拶をするやいなや、私の説明も待たず食卓へ招き入れた。
いつの間に整えたのか、イヴァンさんの無精髭は綺麗さっぱりなくなっている。
髪も服装も普段とは見違えるほど身綺麗で、別人のように人当たりのいい笑みを浮かべている。
「やだ…ミレット!こんな素敵なお相手がいるなら教えてよ!ねえ、イヴァンさん」
母に話を振られ、イヴァンさんは殊勝そうに微笑んだ。
「言い出しづらかったんでしょう。なんせ、歳が離れてますから」
「イヴァンくんなら歓迎だよ。ほら、飲んで飲んで」
「はは、ありがとうございます、お義父さん」
父とも、すっかり意気投合している。
「ママ!食べ終わったらイヴァンさんと遊んでいーい?」
「こら。イヴァンさんは今日着いたばかりなんだから…」
「構いませんよ、お義母さん。よし、野菜も全部食べたら遊ぼうな」
五歳になる弟まで、実の姉よりも懐いていた。
「…あれ?」
それから一ヶ月後。
私はエルディーリヤの神殿で、花嫁衣装を着ていた。
幼馴染との縁談はしっかり破談になり、神殿への申請も、式の準備も、気づけばすべてイヴァンさんが済ませていた。
私がしたことといえば、用意された衣装を着て、こうして彼の隣に立っていることくらいだ。
誓いの言葉を交わし、左手の指に指輪がはめられる。
その瞬間、指輪から黒い光が溢れた。
細い蔦のような光が指へ絡みつき、やがて肌の下へ溶けるように消えていく。
魔族式の婚姻契約。
一度契約を結べば、どれほど離れていても、互いの居場所を感じ取れるようになるらしい。
この形式をイヴァンさんが指定していたと知ったのは、式が始まる直前だった。
イヴァンさんは私の手を取り、指輪へ口づけた。
「これで、どこへ行っても見つけられる」
私にだけ聞こえるようにそう呟く。
あの夜と同じ、熱に浮かされたような金色の瞳が私だけを見つめていた。
「一生、逃さねェからな」
そう言って片方の口端を上げて笑う彼の手に、私は自分から指を絡めた。
最高に悪そうで、最高にかっこよかった。
こうして玉砕する予定だった私の初恋は、何故か叶ってしまったのだった。




