伯爵様の花嫁探しを引き受けたら、条件が全部私でした
こんばんは!短編書いてみました、ぜひお読みいただけるとうれしいです。
「雨の日に、排水溝を見ても怒らない方……ですか?」
書きかけの紙から顔を上げると、向かいに座ったオルディス伯爵は、真剣な表情でうなずいた。
「できれば、そういう方がいい」
「あの。奥様に望む条件をお伺いしているのですけれど」
「そのつもりで答えている」
そうなのですね。
では、きちんと書き留めなくては。排水溝を見ても怒らない方、と。
わたくしはミレイユ。男爵家の三女で、二十三歳になる。
王都の叔母様の家に住み込み、一階にある縁談仲介所を手伝い始めて五年。これまで、いろいろなご希望をお聞きしてきた。
領地が近い方。年齢の近い方。大切な犬を三頭、連れて嫁いでもよい方。
けれど、排水溝についてお伺いしたのは初めてだわ。
「差し支えなければ、理由をお聞かせいただけますか?」
「雨が降ると、水の流れが気になってしまう。外出中に足を止めることもあるので、嫌がられるかもしれないと思って」
「ああ、そういうことでしたのね」
それなら納得だ。
ラウル・オルディス伯爵は、ご領地の橋や水路の改修にも、ご自分で足を運ばれる方なのだ。
先月も、縁談のご相談で伯爵様のご領地を訪ねた帰り、道に水が溜まっているのを見つけて、馬車を止められた。
わたくしも降りて傘を差しかけたのだけれど、伯爵様は背がお高いでしょう。腕を伸ばしていたら、今度はわたくしの頭が傘からはみ出してしまって。
結局、伯爵様が傘を持ち、二人で水の流れる先を眺めたのだった。
「あの日は、あなたまで付き合わせてしまったな」
「いいえ。詰まっているところも分かりましたし、帰りにいただいたお茶も美味しかったですわ」
「そう言ってもらえると、助かる」
伯爵様の口元が緩んだので、わたくしまで嬉しくなってしまう。
濡れた髪が額にかかって、いつもより少しだけ幼く見えたことも覚えているけれど、それは言わなくてよいことね。
「では、ほかのご希望は?」
「菓子を等分しなくても、気にしない方がいい」
「等分、ですか?」
「私は甘いものがあまり得意ではない。私の分も食べてくれる方なら、ありがたい」
思わず、目の前のお皿を見てしまった。
先ほど伯爵様に促され、苺のお菓子をいただいたのだ。
「それで、いつもわたくしにくださっていたのですね。無理にお出ししてしまって、申し訳ありません」
「いや。あなたは二つあると嬉しそうだから、それを見るのも楽しみだった」
……まあ。
そんなに分かりやすい顔をしていたのかしら。
ささっとお皿を脇へ寄せると、伯爵様が小さく笑った。
初めてお会いしたのは二年前。
仲介所の雨樋が壊れて困っていたところに、通りがかった伯爵様が声をかけてくださった。それ以来、ご領地に住む方々の縁談を叔母様がお預かりしている。
最初は、ちょっぴり怖い方だと思っていた。
口数が少なくて、何を考えていらっしゃるのか分からなかったのだもの。
お付き合いが続くうちに、言葉を選んでお話しになるだけなのだと分かった。こちらが話すときにも、途中で遮らず、最後まで聞いてくださる。
叔母様をお待ちの間、わたくしが書類を整えるそばで、本を読んでいらっしゃることもある。以前は何かお話ししなくてはと焦ったけれど、今では、その静かな時間も好きだった。
「それから、黙っていても気まずくならない方」
続いた言葉に、ペンを止めた。
雨の日も、お菓子も、お茶を飲みながらゆっくり過ごす時間も。
なんだか、わたくしのことに聞こえてきてしまう。
いいえ。落ち着いて、ミレイユ。
当てはまるからといって、わたくしを望んでくださっているわけではないでしょう。
もしそうなら、花嫁を探してほしいなんて、わたくしにおっしゃらないもの。
「ご年齢や、ご身分についてはいかがですか?」
「年齢は近い方がいい。家同士で話し合う必要はあるだろうが、爵位の高低にはこだわらない。それから……結婚後も続けたい仕事がある方なら、応援したいと思っている」
紙に、ぽとりとインクが落ちた。
ああ、いけない。ペン先を止めたままにしていたわ。
伯爵様は二十八歳。わたくしとは五歳違い。
実家は裕福ではないけれど、一応男爵家の出自である。
それに、仕事も続けてよいとおっしゃるのは……いいえ。考えすぎよ。
「ミレイユ嬢?」
「はい!承りました。ご希望に合う方を、お探しいたしますね」
にっこりと微笑んで、書類を揃える。
お引き受けしてから、少しだけふうっと息をついた。
伯爵様にふさわしい方を、探さなくては。
それがわたくしの仕事なのに、今日は、少しも張り切る気持ちになれないのだ。
***
「ミレイユ、代わりましょうか?」
伯爵様がお帰りになると、叔母様が隣の部屋から顔を出した。
「何をですか?」
「伯爵様からのご依頼よ。気が進まないのでしょう」
「そんなこと……」
「伯爵様に奥様ができたら、寂しい?」
書類を揃える手が止まった。
叔母様はその手を見て、わたくしの隣に腰を下ろした。
いつから好きだったのか、よく覚えていないけれど。
伯爵様がいらっしゃる日は、朝から楽しみで。
玄関でお声が聞こえると、髪に乱れがないか確かめてからお迎えに出たし、お帰りの際には、次はいついらっしゃるのかお聞きしたかった。
わたくしからの用事もないのにお呼びするなんて、おかしいでしょう。
だから、毎回聞かずに我慢していたのだけれど。
「……寂しいです」
「そう。では、私が」
「少し、考えさせてくださいませんか。まだ、お引き受けしたばかりですから」
伯爵様のお役に立ちたい気持ちも、ちゃんとある。
ご結婚が決まれば、笑ってお祝いできるかもしれない。
そう思ったのだけれど、叔母様はわたくしの顔をじっと見ていた。
「無理をして、お相手まで困らせてはいけませんよ」
「はい。それは、もちろんです」
大切なお客様の大切な縁談だもの。
わたくしの気持ちで、振り回してよいはずがないわ。
***
一週間後。
わたくしは三人の方の書類を並べ、伯爵様のご希望を確かめていた。
「こちらの方は、ご実家の農園の管理を手伝っていらっしゃいます。こちらの方は読書がお好きで、静かに過ごせるお相手をお探しです。それから、こちらの……ソニア様は書店を継いでいらして、ご結婚後もお店を続けたいとおっしゃっています」
「以前、あなたが教えてくれた店の方だろうか」
「ええ。ご存じでしたら、お話も弾むかもしれませんね」
ソニア様は明るくて、話を聞くのもお上手だ。
伯爵様と好きな本についてお話ししているところも、簡単に思い浮かぶ。
あの方なら、伯爵様がお返事を考えている間も、にこにこと待っていらっしゃるでしょう。
自分で想像しておいて、胸が苦しくなった。
伯爵様のお隣に、ソニア様がお座りになるのね。
「……よろしければ、ご意向をお伺いしてみましょうか」
ちゃんと笑えているかしら。
伯爵様は書類から顔を上げると、わたくしの手元をご覧になった。
「今日は、お茶を飲まないのか?」
「あ。考えごとをしておりました」
「私の縁談のことで?」
カップに触れると、すっかり冷めていた。
まだ飲んでもいないのに、去年の渋いお茶の味を思い出してしまう。
あの日は、互いに想い合っていたお二人の縁談が、家同士の事情でなくなってしまった。
もう少し何かできたのではないかと、店を閉めたあとで泣いていたところを、書類を届けに来た伯爵様に見つかったのだ。叔母様はお客様のお見送りに出ていた。
事情を話すと、伯爵様は黙って聞いてくださって、それから脇の茶器と湯の入ったポットに手を伸ばされた。
淹れていただいたお茶は、びっくりするほど渋かった。
思わず顔をしかめたわたくしを見て、伯爵様も一口お飲みになり、同じ顔をされたのよね。
お茶を失敗したと気づいて、淹れ直そうとなさった伯爵様の袖を、わたくしはつかんでしまった。
このままで大丈夫です、と。
お茶のこともあったけれど、本当はそばにいてほしかった。
その方の花嫁を、わたくしが探している。
うまくできると思ったのに。お祝いできるつもりだったのに。
ソニア様にお声をかけてから、やっぱり嫌ですなんて、言えるはずがないわ。
深呼吸をしてから、口を開いた。
「伯爵様。申し訳ありませんが、担当を叔母に代わってもらってもよろしいでしょうか」
伯爵様が、驚いたように目を見開く。
「何か、無理をさせただろうか」
「いいえ。わたくしの都合なのです。まだ皆様にはお話ししておりませんので、叔母から改めて……」
「ミレイユ嬢」
呼ばれて顔を上げると、灰色の瞳と目が合った。
「差し支えなければ、理由を教えてもらえないだろうか。私が困らせたのなら、知らないままでいたくない」
そういうところが、好きなのだわ。
わたくしが大丈夫だと言えば、それで済ませてもよいのに。
「……よい方をご紹介できても、喜べそうにありません」
言ってしまった。
伯爵様が黙ったので、わたくしは慌てて続けた。
「伯爵様がいらっしゃるのを、いつも楽しみにしていたのです。ご結婚なさったら、こうしてお茶を飲むこともなくなるでしょう。それを考えると、寂しくて……ですから、わたくしではだめなのです」
言い終わる頃には、顔が熱くて仕方がなかった。
これでは、好きですとお伝えしているのと同じではないかしら。
いえ。同じね。どう考えてもそうだわ。
「……私も、楽しみにしていた」
「え?」
「ここへ来る日は、朝から仕事を早く片づけていた。あなたと話す時間が減ると、残念だから」
お顔を見つめていると、伯爵様は困ったように眉を下げた。
「母に、妻とどんな暮らしをしたいのか考えてみろと言われたんだ。一緒に出かけて、帰りにお茶を飲んで。話をしたり、黙って本を読んだり。それで、あの条件を伝えた」
伯爵様が、机の端にある条件書をご覧になって、笑った。
「全部、あなたと過ごした時間だったな」
心臓がどきんと跳ねた。
「それは……わたくしに似た方を、お探しだったということでしょうか」
期待してしまう。ああ、どうか、わたくしに期待をさせないで。
膝の上でぎゅっと手を握った。
伯爵様は紹介の書類を静かに閉じた。
「あなたに似ていればいいのかと聞かれると、違うと思う。その方とまた一から親しくなりたいのではなく、あなたと過ごす時間を増やしたいんだ」
「わたくしと?」
「ああ。いったん、私の依頼を取り下げてくれないだろうか。あなたのことを知りたい」
「それは、問題ないのですけれど、わたくしを知りたいというと……」
「仕事を離れたあなたとも、会ってみたいということだ。あなたが親切にしてくれるのは、仕事だからだと思っていた。他の相談者にも、いつも熱心だろう」
伯爵様は一度言葉を切って、閉じた書類を脇へ寄せた。
「それなのに、あなたといるときのことを並べて、同じような暮らしがしたいと頼んだんだな。……無茶なことを言っていた」
「お仕事だからというだけで、お帰りになるのを寂しく思ったりは、いたしませんわ」
思わず答えると、伯爵様が顔を上げた。
ああ。こんなことまで言うつもりではなかったのに。
「それを、先に聞くべきだった。あなたと過ごしたいのに、ほかの誰かを探してくれと頼むなんて。困らせてしまったな」
嬉しい。
今すぐそうお伝えしたいけれど、あまりに急で、言葉が出てこない。
だって、ほんの少し前まで、お別れするような気持ちでいたのよ。
「……伯爵様。わたくし、お願いがあります」
「何だろう」
「お仕事ではなく、お休みの日に、一度ご一緒してくださいませんか?」
伯爵様の目が、少し大きくなった。
「もっと、あなたのことを知りたいです。仲介所のお手伝いをしているわたくしではなくても、一緒にいて楽しいと思っていただけるか、知りたいのです」
「ぜひ、ご一緒させてほしい」
迷わずお返事をいただけて、ほっとした。
それからようやく、わたくしは自分からお出かけに誘ったのだと気づいた。
なんて、大胆なことをしてしまったの。心臓がうるさい。
「今度の日曜日は、空いているだろうか」
「はい。仲介所もお休みですから」
「では、十時に迎えに来るよ」
うなずいてから、日曜日まであと何日あったか、指を折りそうになってしまった。
***
伯爵様から叔母様へ、花嫁探しのご依頼を取り下げるとお伝えいただいた。まだどなたにも打診していないことを確かめ、叔母様は紹介の書類をしまわれた。
お帰りを見送ってから日曜日の約束を報告すると、今度はにっこり笑っていらっしゃる。
「日曜日、晴れるといいわね」
「……まだ、お仕事中です」
「ええ。だから、書類を片づけているでしょう?」
叔母様のお手元を見ると、本当にきちんと片づけていらした。
言い返せないので、わたくしも自分の机に戻ったけれど、その日の仕事はなかなか進まなかった。
次は何のお菓子を、と考えかけて、違うわ、お出かけするのよ、と思い出してしまうのだもの。
そして、日曜日。
「お待たせいたしました」
二階の居間へ入ると、叔母様とお話ししていた伯爵様が立ち上がった。
今日は淡い水色のドレスを選び、髪もいつもより丁寧に結ってある。
おかしいところはないはず。鏡で何度も確かめたのだから。
けれど、伯爵様はわたくしを見たまま、何もおっしゃらない。
「あの……?」
「よく似合っている。そう言おうと思った」
「まあ。ありがとうございます」
待っていればお返事をくださる方だと、知っていたのにね。
今日は、なんだか落ち着かないわ。
叔母様に見送られて街へ出ると、伯爵様が腕を差し出してくださった。護衛の方が少し後ろを歩いてくださる。
そっと手を添えたけれど、近い。いつもより、とっても近くて、なんだか良い香りがした。
これで普段どおりお話しできるのかしら。
「どこへ行きたい?」
「東の市場へ。手袋を買いたいのです」
「では、そちらへ行こう」
露店を覗きながら歩くうちに、少しずつ緊張も解けてきた。
手袋のお店では、鼠色と淡い黄色のものを並べていただいた。
仕事に使うなら、鼠色ね。汚れが目立たないし、今持っているドレスにも合う。
でも、黄色も可愛いわ。手元が明るく見えるもの。
「そちらが気に入ったのか?」
「はい。けれど、お仕事には少し……」
「休みの日に使うのはどうだろう」
そうね。今日のように、お出かけするときに。
また、ご一緒してくださる日もあるかもしれないし。
黄色の手袋を選んで代金をお支払いすると、伯爵様が包みをご覧になった。
「来週の日曜日も、会ってもらえるだろうか。屋敷の庭に、ちょうどその手袋と同じ色の薔薇が咲いているんだ」
「はい!ぜひ、拝見したいです」
「では、今日と同じ十時に迎えに来る。その手袋を着けてきてくれると嬉しい」
「もちろんですわ」
少し大きな声になってしまった。
伯爵様が嬉しそうに笑われたので、わたくしも笑ったけれど、気が早いと思われなかったかしら。
包みを鞄にしまいながら、今日のドレスにも合うかしら、と考える。次お会いする日曜日は、どんな装いにしようかしら。
その先のお店では、伯爵様が胡椒の利いたチーズの薄焼きをお買いあげになった。
「こういったお菓子は、お好きですのね」
「ああ。甘くないものなら、よく食べる」
「知りませんでした。今度は、こちらをご用意しますね」
「では、いつもの菓子を譲れなくなるな」
「わたくしのお菓子は、すこし大きめのものにしてしまおうかと思いますわ」
きっぱりお伝えすると、伯爵様が声を上げて笑った。
わたくしもつられてしまう。
伯爵様の好きなものを知れたのが、とても嬉しい。
***
昼食のあと、運河沿いを歩いていると、伯爵様が石橋をご覧になった。
「気になりますか?」
「先月、修繕したと聞いていてね」
橋のたもとには、下へ降りる階段がある。
どうぞ、と言いかけて、少しためらった。
今日はまだ、わたくしとお話ししていてほしい。
けれど、足を止めても怒らない方がよいと、おっしゃっていたでしょう。
怒ってはいないけれど、見に行かないでくださいとお願いするのは、どうなのかしら。
「ミレイユ嬢?」
「あの。橋は、また今度でもよろしいですか?今日は、もう少し一緒に歩きたいです」
「もちろん。どこまで行こうか」
すぐにこちらへ向き直ってくださったので、少し拍子抜けしてしまった。
「あちらの木陰まで。長椅子がありますから」
「では、あそこで休もう」
並んで腰掛けると、風が頬を撫でた。
今日のお出かけは楽しい。次も楽しみだし、できればその次も、お会いしたい。
だからこそ、聞いておきたいことがある。
「伯爵様。先ほどは、わがままを申し上げました」
「橋のことか?また行けばいいので、気にしていないよ」
「ありがとうございます。けれど、少し不安だったのです。伯爵様に合わせていられるわたくしだから、お気に召していただけたのではないかと」
伯爵様はわたくしの方へ身体を向けた。
きちんと聞こうとしてくださっているので、わたくしも膝の上の手を見つめるのをやめ、お顔を見上げた。
「今日は、橋よりわたくしを見ていてほしかったのです」
なんだか、子どものようなわがままだと、呆れられてしまうかしら。
でも、いまお伝えしておくべきよね。
「それから、疲れて、うまく笑えない日もあるでしょう。最初の条件どおりには、できないかもしれません」
「それなら、今日のように言ってほしい。気づかないこともあるから。笑えない日なら、前にもあっただろう」
「お茶を淹れてくださった日ですか?」
「ああ。何と声をかければいいか分からなくて、茶まで失敗した。それでも、帰りたくなかったんだ。あなたが袖をつかんでくれたので、そばにいていいのだと、ほっとした」
わたくしは、ぱちりと目を瞬いた。
ご迷惑をおかけしたと思っていたのに。
伯爵様も、そばにいたいと思ってくださっていたのね。
「翌日も気になって、会いに行く用事がないか書類を探したんだが……」
「もしかして、あの、もう頂いていた書類をお持ちになったのは」
「そうだ。確認が足りなかった」
伯爵様が気まずそうに目を逸らした。
くすくすと笑ってしまう。思い返して、目の奥が熱くなった。
あの日も、わたくしを心配して、会いに来てくださったのね。
知らなかったわ。二日連続でお話しできて、嬉しいとばかり思っていた。
「ミレイユ嬢。あの日も今日も、私はあなたに会いたかった。橋のことで遠慮させたのなら、すまない。今日はあなたと出かけているのにね」
膝に置いていた手に、伯爵様の手が触れた。
「私は、あなたが好きだ」
灰色の瞳でまっすぐに見つめられると、照れてしまう。
今度は、わたくしもきちんとお伝えしなくては。
「わたくしも、好きです。花嫁を探してほしいとおっしゃったときは、悲しかったです。わたくしではないのだと思いましたから」
「すまなかった」
「でも、今日、ご一緒できてよかったですわ。来週のお庭も、楽しみにしております」
重なった手を握ると、握り返してくださった。
それが嬉しくて、ついつい、お顔が緩んでしまう。
「次だけではなく、その先も会ってもらいたい。いずれ、結婚も考えてもらえるだろうか」
「はい。わたくしも、そのつもりでお会いしたいです」
伯爵様が子どものように、無邪気に笑った。
こんなに嬉しそうなお顔、初めて見たかもしれない。
「……ミレイユと呼んでも?」
「はい。わたくしも、ラウル様とお呼びしてよろしいですか?」
「もちろんだ」
呼んでみると、ラウル様が笑ってくださった。
それだけのことなのに、わたくしは照れくさくて、つないだ手へ目を落としてしまう。
しばらくして、散歩中のご夫婦がこちらへ歩いてくるのが見えた。
慌てて背筋を伸ばすと、ラウル様も気づかれたようで、ゆっくりと手を離された。
「そろそろ、戻ろうか」
「はい」
差し出された腕に手を添えて、立ち上がる。
お迎えに来ていただいたときより、今の方が緊張しているかもしれないわ。
帰り道は、もう少しだけ、ゆっくり歩いていただこうかしら。
***
三か月後、両家の話がまとまり、わたくしたちは婚約した。
あれから、何度もお会いした。
薔薇を見に伺った日は、ラウル様のお母様にもご挨拶をしたし、うちの両親が王都へ来たときには、一緒に食事もしていただいた。
結婚後の仕事についても相談し、仲介所を手伝う日を決めて、続けられることになった。
今日は伯爵邸で、両家揃ってのお茶会だった。
食事の好みまで似ていると分かったお父様たちのお話が弾み、わたくしたちは、先に庭を散歩させていただくことにした。
あの日見た黄色い薔薇は見頃が終わっていたけれど、庭師の方が植え替えた花壇には、小さな白い花が咲いている。
ラウル様と東屋の長椅子に腰を下ろしてから、わたくしは鞄の中の封筒を取り出した。
「こちら、叔母様からいただいたのです」
中の紙を広げると、ラウル様が少し困ったお顔をされた。
「……まだあったのか」
「もちろんですわ」
雨の日の排水溝。お菓子。静かに過ごせる方。
わたくしの字で書かれた条件書には、あの日落としてしまったインクの染みも、そのまま残っている。
「これは、しまっておいてくれないだろうか。何も考えていなかった自分に、何か言いたくなる」
「では、大切にしまっておきますね」
「捨てるつもりは、ないんだね」
「ありませんわ」
丁寧に紙を折りたたみ、封筒に戻すと、ラウル様はとうとう笑われた。
わたくしにとっては、嬉しいことも書いてあるのだもの。二人で過ごした時間を好きでいてくださった、その証でしょう。
「これからは、わたくしに聞いてくださいね。こうしたい、ということがあるのでしたら」
「ああ。では、今聞いてもいいだろうか」
「はい?」
封筒を鞄にしまって顔を上げると、ラウル様がわたくしの頬に触れた。
「口づけをしても?」
……確かに、聞いてくださいとは申し上げましたけれど。
すぐにそんなことを聞かれるとは、思っていなかったわ。
東屋は生け垣に囲まれていて、お屋敷の窓からは見えない。
庭の小道にも、今は誰もいなかった。
「一度だけでしたら」
小さく答えて、目を閉じる。
唇が触れて、すぐに離れた。
あら。もう?
……一度だけでは足りない。そう思ってしまった。
ラウル様が身を離される前に、きゅっと袖をつかむ。
「どうした?」
「あの。条件を変えてもよろしいでしょうか」
「どのように?」
優しく聞かれる。
なんだか言いにくいけれど、ちゃんとお答えしなくては。
「……もう一度、していただきたいです」
ラウル様が、ぱちりと瞬いた。
それから、口元を手で覆って、少しだけ横を向かれる。
「あの、ラウル様?」
「すまない。嬉しくて、どういう顔をすればいいか分からなかった」
まあ。わたくしだけではなかったのね。
ほっとして笑うと、ラウル様も笑って、わたくしの背へ腕を回された。
つかんでいた袖を離し、今度はラウル様の肩に手を添える。
こんなお願いをする日が来るなんて、あの条件書を書いていたときには、思いもしなかった。
今度はわたくしからも少し近づいて、目を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
おだやかな、ふたりを描きたくて、かいてみました。
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