『そうよ、そうよ』係のモブ令嬢、推し令嬢の婚約破棄に乱入します!
「今ここに、ナターシャ・トンプソンとの婚約破棄を宣言する!」
今まさに第一王子であるダニエル・テゼルがパーティーの最中に、公爵令嬢のナターシャ・トンプソンに婚約破棄を突きつけた。
ナターシャはその場に崩れ落ち、紫のドレスの中で涙を流している。
――あ、私、「そうよ、そうよ」と言う係のモブ令嬢だったんだ。
侯爵令嬢のハンナ・ディーンは、前触れもなくそう気づいた。
前世のハンナが病床にいたとき、気晴らしにと娘が持ってきてくれた『トロピカルラブストーリー』というタイトルのライトノベルの中に転生していたようだ。
主人公の男爵令嬢アリスと、第一王子のダニエルとの身分違いの恋を描いた物語。
その中でハンナが一番好感を持てたのは、アリスではなく、一途にダニエルに思いを寄せるナターシャだった。癇癪持ちなのが玉に瑕だが。
そんなナターシャが今、まさに窮地に追いやられている。
ハンナはいてもたってもいられず、クリーム色のドレスを翻し、ナターシャとダニエルの間に割って入った。
「ちょっと待ちな!」
いつもナターシャのあとを金魚の糞のようについて回り、「そうよ、そうよ」と言っているハンナが怒った顔で見上げてくるものだから、ダニエルは目を丸くして驚いた。
ハンナは膝をつき、泣いているナターシャの肩を抱いた。
「こんな男、やめた方がいいよ。あんた、若くて綺麗なんだから、他にいい男はいっぱいいるよ」
ナターシャも驚きのあまり、泣くのをやめ、ハンナを見た。
ハンナはナターシャの背を撫でる。
「こういう男は、戻ってきたとしても、また他の女に入れ込むよ。そのたびに振り回される人生でいいのかい?」
ナターシャは青い瞳をぱちくりさせ、ダニエルを見上げた。ダニエルは口をパクパクさせ、言葉が出ないようである。
ハンナはため息をつき、今度はダニエルを見上げた。
「あんたも、奇をてらったんだろうけどね、滑っているよ。見てごらんよ、周りの顔を」
ダニエルは周りを見回すと、みな引いた顔で見ていた。
「ひとりの女の子を、こんな大勢の前で吊るし上げるような真似して、恥ずかしくないのかい? それに、あんたの立場はナターシャのおかげであるようなもんじゃないか」
「なに?」
ダニエルは不愉快そうな顔だ。
ハンナはそれを鼻で笑った。
「あんた、そんな簡単な計算もできないのかい? こんなバカが未来の国王だなんて、今のうちに国を出ておいた方が利口かもしれないね」
ダニエルの顔が真っ赤になり、ハンナに手を伸ばした。
「あんたの後ろ盾は公爵家の一派だろう。婚約破棄したら、それがごそっといなくなるんじゃないのかい?」
ダニエルは青い瞳を丸くして、ハンナを掴もうとした手を止めた。ハンナはダニエルの横で呆然としているアリスに言った。
「それとも、アリスの家に、公爵家に負けず劣らずの後ろ盾ができるのかい?」
ダニエルはアリスを見た。アリスは男爵令嬢である。公爵家と比べるまでもない。
ハンナはナターシャの手を取り、立ち上がった。ハンカチを渡す。
「ほら、涙を拭いて。せっかく綺麗におめかししたのにね。台無しだよ、まったく」
ナターシャは涙を抑えるようにして拭いた。
「わたくし、これからどうしたらいいのか……」
ハンナは笑った。
「あんたは幼いころから、お妃になるために育てられたから、そうなるべきだと刷り込まれているだけだよ。まずは、他の男に目を向けるべきだ」
「他の男?」
ハンナは遠巻きに見ていた人だかりに目を向けた。
「ずっとあんたを心配していた男がいるよ。前から熱い視線を送っていたけど、あんたは気づいてなかったようだね」
ハンナはひとりの男性を手招きした。それはハンナの兄であり、ディーン家の次男、マーティンだった。
「手始めにマーティンと出かけてみればいい」
マーティンは突然話を振られ、驚いたようだったが、ナターシャにお辞儀をした。
「よろしければ、明日の午後にでも、ご一緒にお茶をいたしませんか?」
ナターシャは驚いた様子でハンナを見た。ハンナがうなずくので、ナターシャはわずかに顔を赤くし、俯きがちになった。
「……あの、ええ。ぜひお願いします」
遠巻きに見ていた人たちから拍手が沸いた。それにダニエルが慌てた。
「待て! お前は俺の婚約者だろう?」
「何都合のいいこと言っているんだい。今さっき、あんたが破棄したんでしょうが」
それにどこからともなく笑い声が聞こえてくる。ダニエルの顔が真っ赤になった。
娘を心配した公爵がそばにきた。ハンナはそれを振り返る。
「公爵もかわいい娘をバカな男に嫁がせるより、手元に置いて、侯爵家次男を婿養子にした方がいいんじゃないかい?」
公爵は苦笑し、怒り顔で飛んできた国王に言った。
「娘の婚約破棄について、話しましょうか。陛下」
「気を静めてはくれないか、公爵」
公爵は微笑み、恭しく広間のドアに手を向けた。肩を落とした国王と公爵は広間を出ていく。
「ハンナ!」
今度はハンナの父である侯爵がわなわなしながらこちらに駆けてくる。
「あ、お父様」
「お父様じゃない! お前はいったい何をしているんだ!」
ナターシャは侯爵とハンナの間にかわいらしく首を横に傾げながら入った。
「あまりハンナをお叱りにならないで。わたくしを助けてくださったのだから……」
「ナターシャお嬢様……」
侯爵は毒気を抜かれたようでため息をついた。
ハンナはそんな侯爵に微笑む。
「そんなに怒らないでよ。ナターシャとマーティンが上手くいけば、マーティンは公爵家の婿だよ。むしろ褒めてほしいくらいだよ」
「ハンナ!」
侯爵の怒りの声が広間に木霊した。
ナターシャとマーティンはお互い顔を見合わせ、苦笑した。
ダニエルの存在に興味を失くし、もはや誰一人として見向きもしない。
途方に暮れたダニエルは、隣に立つアリスに目を向けた。
「退室しようか……」
「ご勝手にどうぞ。それから、今後、わたしに関わらないでいただいてもいいですか?」
アリスはかわいらしく首を横に傾げて言った。ダニエルは目を丸くする。
「なんで……?」
「ハンナ様の言葉で、わたしも目が覚めたんです。これから先、苦労しそうだなと思ったんで。それじゃあ、お元気で」
アリスはピンクのドレスを揺らしながら去っていった。
「待て、待ってくれ、アリス!」
それを追いかけていくダニエルの後姿を、ハンナは呆れたように見つめていた。




