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『ブスと結婚とか罰ゲーム』と言われた商人令嬢ですが、結婚式で婚約者の不正を暴いたら幼馴染の騎士様が味方でした

作者: 大棗ナツメ
掲載日:2026/03/05

「なんで、お前みたいなブスと結婚しないといけないんだ。罰ゲームかよ」


 これは、1週間後に結婚を控えた婚約者の言葉である。

 決してマリッジブルーに陥っている訳ではない。

 これが、彼の通常運転なのだ。


「お前みたいな女、俺以外に拾ってくれるやつはいないぞ」

 男はさらに恩着せがましく言葉を続ける。


 エフィは唇を噛んだ。

 その顔にはそばかすが散り、背は丸まっている。

 さらに目も悪いのだからどうしようもない。

 瓶底のようなメガネは、彼女をいっそう不器量に見せていた。

 お世辞にも美人とは言えない。それは、認めよう。

 だがーー


 エフィは正面に座り、未だブツブツ文句を言っている婚約者を見た。

 ニキビが並んだ顔に、小太りの体。こちらも、決して美男とは言えない。


(お互いさま、だと思うけど……)

 もちろん、そんなことは口に出さない。

 エフィは商人の娘だ。無用な衝突は利益を生まないと知っている。


「……すみません。もし、ご不満でしたら、今からでもお断りになって頂いて構いません」

 静かに言うと、ロバートは鼻で笑った。

「断る? 冗談だろう。お前の持参金は魅力的だからな。それ以外にお前と結婚するメリットなどない」

 その言葉に、周囲の使用人たちが顔を伏せた。


 エフィはただ、淡々と頷いた。

「そうですか」

 胸は痛む。だが涙は出ない。

 もう何度、こんな言葉を浴びたか、分からない。

 仕方ない。不器量で愛想もなく、根暗な自分が悪いのだ。


 男爵邸を辞して、エフィは待たせておいた馬車に乗り込んだ。

「はぁ」

 思わずため息が漏れる。

 こちらだって、ロバートとの結婚など望んでいない。

 だが、商人である父は爵位持ちとの縁を切望しているのだ。


 エフィにとって婚約相手の容姿は問題ではない。

 問題は、その性格だ。穏やかな結婚を夢見ていたエフィ――だが、どうやらそれは幻想になりそうだ。


「あと1週間か……」

 エフィは、馬車の窓から青い空を見上げた。

「お嬢さま、少し脇に停車します」

 御者が前を向いたまま告げる。

「どうしたの?」

「騎士団です。遠征から戻って来たのでしょう」

 御者が指差した先を見ると、赤い騎士服に身を包んだ隊列が長く伸びていた。


「ああ、やっと終わったのね」

 エフィは頷く。近頃、隣国との国境での諍いが絶えず、騎士団が派遣されていたことを思い出す。

 馬車の窓越しに隊列を眺めていると、風に赤い旗がはためいた。


 その下で陽光を受けて、銀色の鎧がキラリと光った。

 エフィの目は、ひときわ背の高い青年に止まった。


(あら?)

 その瞬間、なぜか胸がざわついた

 すっと通った鼻筋に、引き締まった顎。

 金色に輝く髪は、風にたなびき、光を受けて輝いて見えた。


(……どこかで見たことがあるような)

 けれど、思い出せない。


 やがて騎士たちはエフィの横を通り過ぎ、青年の姿も視界から消えた。

 馬車は、再び走り出す。


 家に着くと、エフィ付きの侍女アンナが迎えてくれた。

 しっかり者の彼女は、昔からエフィに仕える、姉のような存在だ。

「エフィさま、今日は大丈夫でしたか?」

 アンナは、心配そうに尋ねる。

「ええ、アンナ。何もなかったわ」

 エフィは笑顔で答えた。


 その時、父・アーサーが階段から降りてきた。

「おお、エフィ。男爵の息子とはどうだ? 上手くやってるか?」

 どうやら、また商談に出かけるところらしい。


「……はい、お父様」

 エフィは微笑みを返す。

「彼は、容姿はアレだが、好青年だからな。お前にも良くしてくれるだろう」

 父は笑いながら言った。


 そう、父はロバートの本当の姿を知らない。外では誠実な好青年を装っているロバートの素顔を、まだ見たことがないのだ。


「……お父様は、今からお仕事ですか?」

 話題を変えるように、エフィは尋ねた。

「ああ、クライン伯爵家にね」

 父は、手首のカフスボタンを止めながら答える。

「そういえば……お前、昔あそこのご子息とよく遊んでなかったか?」


 エフィは記憶を遡る。

(あの子……のことかしら)

 幼い頃。そばかすを笑わず、「エフィ姉さんは賢いな」と言ってくれた少年がいた。

 だがある日突然、彼は王都へと移った。

 そして、自分は“ブスな商人の娘”になった。


 幼い頃の懐かしくも、美しい思い出だ。

 どう足掻いても、もうあの頃には戻れない。

「……覚えて、おりません」

 エフィは、短く答えた。



 翌日。

 応接間には、重い空気が漂っていた。

「今回の鉄材価格ですが――」

 父・アーサーが穏やかに笑う。


 対面にはクライン伯爵と、その息子レオンがいる。

 街で見かけたあの騎士だった。

 今日は赤い騎士服を脱ぎ、正装に身を包んでいる。


 エフィは父に呼ばれ、壁際に控えていた。顔は上げず、気配を消すように静かに立つ。


 商談は滞りなく進む。数字が飛び交い、条件が詰められていく。

 その最中――

「この条項をどう思いますか?」

 突然、エフィに声が掛けられた。


 ゆっくり顔を上げると、例の騎士がじっとエフィを見つめていた。

「御息女の意見を聞きたい」

 レオンは真っ直ぐ、エフィの目を見て言った。


「いえ、私は――」

 エフィが言いかけたが、レオンの澄み切った瞳が逃げを許さない。

「……その条項では、伯爵家に不利です」

 エフィはぽつりと呟いた。


 その言葉に、応接間の全員の視線が一斉にエフィに向いた。

(しまった! つい、うっかり……)

 発言を後悔するエフィ。

 昔なら、自分の意見を述べることに躊躇はなかった。だが今は違う。

 “出しゃばるな”と何度言われただろう。

 父が眉をひそめる。「エフィ」咎めるように、父は口を開いた。


 だが、レオンが先に声を出した。

「どの点でしょうか?」

 責める声音ではなく、純粋に、問う声だった。


 エフィは指先の震えを押さえながら、帳簿をめくる。

「違約金が、そちら側にのみ発生しています」

 そう言って恐る恐る視線を上げると、レオンと目が合った。

 その瞳は、あの頃と同じだった――“賢いな”と言ってくれたあの眼差し。


 エフィは息を吐き、続けた。

「責任を折半する条項を入れるべきです」

 その言葉に、応接間は静まり返った。

 やがて、クライン伯爵がふっと笑った。

「なるほど。確かに公平だ」


 父はエフィを見て、驚いた表情を浮かべる。

 レオンはまっすぐエフィを見て微笑んだ。

「……さすがですね」

 その一言で、エフィの胸の奥に何かが灯った。


 商談後、廊下で声をかけられた。

「久しぶり。エフィ姉さん」

 声の主は分かっていた。

 エフィはゆっくりと振り向く。そこには、昔よりずっと背が高くなったレオンの姿があった。


「先ほどは、助かった」

「偶然よ」

「いや、昔から、姉さんは誰よりも冷静だった」

 その言葉に、喉が詰まる。

「……今は違うわ」

 自嘲するかのように、エフィは笑った。

「私は、ただの――」

 “ブスな商人の娘”その続きを、言えなかった。


 レオンの声が、静かに落ちる。

「昔、泣いてばかりだった俺を叱ったのは誰だったっけ?」

 エフィは目を瞬く。

「『泣く暇があるなら策を考えなさい』って」


 そうだ、思い出した。

 貴族の子供にいじめられて泣いていた少年に、私はそう言ったのだ。


 レオンは、少し笑う。

「今の姉さんは、その時の自分に胸を張れる?」

 その言葉が、エフィの胸に突き刺さった。

 レオンは昔と変わらず、眩しいままだ。

 なのに、私は――

 弱くなったのは、顔のせいじゃない。言葉に、慣れてしまっただけだ。


「……結婚、おめでとう」

 レオンは続けたが、その声は硬く、拳をギュッと握っていた。

「……っ」

 エフィは、初めて真正面から彼を見た。

「おじさんから聞いたよ。男爵家の息子だって?」「……こんな私と結婚してくれるんだから、ありがたい話よね」

 自分でも驚くほど、卑屈で弱々しい声だった。


 レオンの瞳が、わずかに細まる。

「姉さんが選んだの?」

 その問いに、答えられない。

 選んだのか――それとも、流されたのか。

 沈黙が、静かに落ちる。


 やがて、レオンはぽつりと言った。

「もし、嫌なら――」

 そこで言葉を止める。唇をギュッと結んだ。

 婚約を聞いた夜、レオンは剣を壁に叩きつけた。

 だが、それでも姉さんの幸せを奪う資格は、自分にはないと思ったのだ。


 しばらく沈黙した後、絞り出すようにレオンは言った。

「あなたが、昔の姉さんである限り。俺は味方だよ」

 エフィの胸の奥が、熱くなる。

 それは、忘れていた感覚だった。


 そうだ、私は昔は強かった。

 怖いものはなかった。何か言われても言い返し、計算して、自分で選んでいた。

 レオンが去ったあと、エフィは廊下に一人立ち尽くした。


 そばかすも、眼鏡も、変わらない。

 けれど――

「……泣く暇があるなら、策を考えなさい」

 小さく呟く。

 そうだ。結婚式まで、あと五日。

 ――選ぶのは、自分だ。


「アンナ、出かけるわ」

 エフィは部屋に戻るなり、侍女アンナに告げた。

「えっ、お嬢さま、どちらに?」

「お父様の商会よ」


 ********


(やっぱり、気のせいじゃない……)

 エフィの指先が、わずかに震えた。

 これが本当なら――

 馬車に揺られながら、エフィは書類に目を通していた。


 この間のクライン伯爵との商談で、帳簿を見たときに違和感を抱いたのだ。

 それは、父親の商会から男爵家への金銭の流れだった。


「持参金は、結婚後に男爵家へ移ると聞いていたのに……」

 金銭の受け取り先には、全く知らない名前が記されていた。

「お父様に確認しないと……」


 その時――

「ギャハハハ!」

 馬車の外から、下品な笑い声が聞こえてきた。

 エフィは、その声に聞き覚えがあった。

「ロバート……様?」

 馬車の外には、婚約者であるロバートが、女性と楽しそうに歩いている姿があった。


 金髪の巻き髪の女性は、胸元がざっくり開いた真っ赤なドレスに濃い化粧をしていた。

 彼女が歩くたび、バラの香りが辺りにプンプンと漂う。

 恐らく娼婦だろうその女性は、ロバートの腕に手を絡ませ、しなだれかかっている。


 エフィが馬車の窓から顔を出してあっけにとられていると、それに気づいたロバートが声を荒げた。

「お前……っ! なんでこんなところにいるんだ!?」


「私は、父の商会に……。ロバート様は、何を?」

「な……っ! お前に関係ないだろ!」

 ロバートは逆ギレし、エフィを睨みつける。

「あらまあ、こちらが噂のご婚約者?」

 女性はエフィを見て、値踏みするように微笑んだ。


「……ちっ、早く消えろ。お前なんかが婚約者だと知れたら、俺が恥をかく」

「まあ、そんな言い方酷いわ」

 そう言いながらも、隣の女は真っ赤な唇を歪ませている。

「いいんだよ。こいつはブスで根暗で感情もないんだからな」

「そんなこと言わないであげて。彼女、傷つくわ」

 女はエフィを見下ろし、同情するような言葉を吐いた。

「お前は心まで美しいな。醜いこいつとは大違いだ」

 ロバートはそう吐き捨てると、女と連れ立って歩き去った。


「……っ」

 エフィはギュッと手を握りしめ、俯く。

 悔しい。どうして、私はここまで言われないといけないの?

 ロバートに、何もしていないのに。

 見下すようにエフィを見た、娼婦の目を思い出す。


「絶対に暴いてやる」

 エフィは唇を噛み締め、前を向いた。


 ********


「どうした? エフィ」

 父親の商会に着くと、エフィはすぐに帳簿を確認した。

「父様……少し帳簿を見たくて」

 そう言うと、父は眉を顰めた。

「どうしたんだ? 最近、お前おかしいぞ。嫁いでからも、夫の仕事には口を挟むなよ」

 父は嗜めるように言った。

 エフィは小さく謝り、再び帳簿に目を落とす。

 帳簿をめくる手が、男爵家との取引履歴で止まった。「おかしい……」

 やはり、金の流れが不明瞭だった。



 翌日。

 エフィの姿は伯爵家にあった。

「お待たせ、姉さん。どうしたの?」

 レオンは騎士の手袋を嵌めながら、応接室に現れた。


「急にごめんなさい。どうしても、お願いしたいことがあって」

 エフィはそう言うと、帳簿を取り出した。

「これを、見て欲しいの」

 レオンの目が鋭く細められた。

「さすが姉さん、よく気付いたね」



 結婚式前夜。

 部屋に掛けた純白のドレスを撫でながら、エフィは思った。

 このまま嫁げば、父の商会は安泰だろう。

 父が命を削って商会を大きくしたことを、エフィは痛いほど知っている。


 母を早く亡くし、父娘二人でなんとか生きてきた。

 最初は小さな商店だった。

 それが、今では国でも有数の商会にまで発展した。

 そこには、エフィには計り知れない父の苦労があったに違いない。


 けれど――このまま結婚したら、恐らく私は一生、下を向いて過ごすことになる。

 逃げ出したかったし、逃げるなら今だ、と何度も思った。


 しかし、父の顔を思い出すと、どうしても実行に移せなかった。

 それに――逃げ出したところで、何も終わらない。


「はあ」

 エフィは静かに鏡の前に立った。

「泣く暇があるなら、策を考えなさい」

 鏡の中の自分が、昔の自分と重なる。


「……私は、私を売らない」

 エフィはそう決意し、父の部屋の前に立った。


「父様、今、構いませんか?」

 ドアを叩き、声を掛ける。

「ああ、エフィ。私もちょうど行こうかと思っていたところだよ」

 父はそう言い、エフィを部屋に迎え入れた。


「こうやって一緒に過ごせるのも、今日までだな」

 父はソファに腰を下ろし、静かに呟いた。

「明日の結婚式を母さんが見たら、どんなに喜ぶだろう」

 父の目は、涙で潤んでいた。


(確かに。母様が生きていたら、どんなに良かっただろう)

 そんな甘い考えが頭をよぎったが、エフィはすぐに首を振った。

 そして、机の上にパサッと書類を置いた。

「父様、これを見て欲しいの」


「ん? なんだいこれ、商会の帳簿じゃないか」

 父は手に取り、驚いたようにエフィを見た。

「ええ、それの男爵家の金銭授受を見て欲しいの」

 父は帳簿をめくりながら、眉を顰める。

「その受け取り先、どう思う?」

「なんだこれは……いつのまに……」

 父はその欄をじっと見つめる。


「これは、男爵家の不正の証になります」

「どういうことだ?」

 父が書類から視線を上げ、エフィを見る。

「私は明日、これを公にします」

「なん……だって!? 何を考えている、エフィ」

 父は絞り出すように言った。

「男爵家と揉めれば商会は終わるぞ!」

 ダンッ、と机を叩く音が響く。


「いいえ、父様。終わるのは商会ではなく、私の人生です」

 エフィは静かに返した。

「なんだと……私は、お前に不自由をさせないように……お前が良い結婚をできるように」

 父は、うわごとのように言う。


「ええ、分かっています。でも、私は心を飢えさせられました」

「私は、商品ではありません」

 父は言葉を失い、呆然とエフィを見つめる。


「父様、私から最後のお願いがあります……私のことを大事に思って下さるのなら、どうか――」

 エフィは深々と頭を下げ、一つだけお願いを告げた。



 結婚式当日。

(ついに、この日が来てしまった)

 真っ白なドレスに袖を通しながら、エフィはズキズキと痛む頭を振った。

 色々考え、昨夜は全く眠れなかった。

「お嬢さま、お綺麗です」

 侍女のアンナは涙ぐんだ。

 準備は、どうやら終わったようだ。


 教会は華やかな花で飾られていた。

 商人の娘と男爵家の嫡男の結婚――体裁だけは、申し分ない。

「鏡、見たことある? その顔で白いドレスとか地獄だろ」ロバートは、ウェディングドレスを纏ったエフィを馬鹿にするように笑った。


「はあ……ほんと、お前。俺と結婚できるだけありがたいと思えよ?」

 片方の口角を上げ、偉そうに言う。

 その言葉に、エフィは首を傾げて見せた。

「感謝する理由を、教えていただけますか?」

 静かに微笑みながら言った。

「なんだと……っ!?」

 ロバートは顔を真っ赤にして、ガバッと立ち上がった。


(言ってしまった)

 普段の自分なら、ロバートの言葉を無視できたはずだった。だが、今日は言い返してしまった。

 ロバートを怒らせるだけなのに。

 案の定、ロバートは拳を握り、エフィの方にズンズン歩いてくる。

 殴られる――そう思ったその時、ドアが開いた。


「ああ、エフィ。今日は一段と美しいな」

 父だった。

 ロバートは瞬時に拳を引っ込め、作り笑いを浮かべる。

「お義父さん、その通りです。こんなに美しい花嫁と結婚できるなんて、僕は幸せ者です」

 白々しくそう言い、ゴマを擦るロバート。


「ロバート君、君はこんなに娘を大事にしてくれているのに……」

 父は白いハンカチで涙を拭いながら、ロバートに頭を下げた。


 結局、昨夜、父はエフィの依頼を聞き入れてくれた。だが、最後までロバートとの婚約破棄には反対したのだ。


 いつもなら、こんな光景を見ても心は動かなかっただろう。

 だが、今日は違う。

 それは、多分――

(レオンのせいだ)

 金髪の、屈託なく笑う彼の顔を思い出す。


 ついに結婚式が始まった。

 神父の前まで、ロバートと腕を組み、ゆっくりと進む。

 ロバートは声を顰め、エフィを睨んで言った。

「持参金は、もう正式に移ってるんだろうな?」

 結婚式当日にまで金銭の確認をするその姿に、エフィは静かに目を伏せた。


 壇上に立つと、神父は誓約の言葉を読み上げ、ロバートに誓約書を差し出した。

 先に書き終えたロバートは、「ほらよ」と、ペンを投げるように差し出す。


(これを書いたら、終わる)

 エフィは一度、静かに目を閉じた。

 そして、ペンをギュッと握り――

 ーー投げ捨てた。


「なっ……何をやってるんだ!! お前」

 ロバートは声を顰め、エフィを睨みつけた。

 エフィは頭からかけたベールを引きちぎり、宣言する。

「この結婚は、白紙です」


 その言葉に、参列者たちはざわついた。

「エフィ、何を言ってるんだ!?」

 父は焦ったように声をかける。


 ロバートは、エフィにだけ聞こえる声で吐き捨てた。

「今更なんだ! お前みたいなブスで、何もない女と結婚してやるんだぞ!?」

 そして、ギリギリとエフィの手首を締め付ける。

「……誰が、結婚してくれと頼みましたか?」

 エフィはロバートを見据え、声高らかに言い放った。


「な……っ!」

「私だって、あなたとの結婚は願い下げです!」

 エフィは肩で大きく息をつき、言い切った。

 ついに言ってやった――こんなに簡単だったなんて。


「ロバート、あなたは娼館に通い詰め、多額の借金がありますね?」

「そ、それがなんだ? 婚約者がこんなにブスなんだ。娼館でも行かないと、やってられないだろう」

 ロバートは、事実を突き付けられて焦ったのだろう。声を顰めるのも忘れていたらしい。


 その言葉に、参列者たちは目を見開いた。

「あれは、本当に男爵家の息子か?」

 群衆はざわめき、囁き合う。


「しょ、娼館……だと? エフィの話は本当だったのか」

 視界の端で、父が呆然と立ち尽くしているのが見えた。

「すまない……エフィ、私はお前を信じずに……」

 父はそう言い、目頭を押さえた。


 エフィは、追い打ちをかけるように口を開く。

「しかも、あなたの罪はそれだけではない――」

 その瞬間――


 ーー バタンッ

 教会の扉が大きく開かれた。


 振り返った人々の視線の先にいたのは、赤の騎士服を纏った一団だった。


「え?」

 人々のざわめきが、さらに大きくなる。

 赤の騎士服に、胸元の紋章――先頭に立つ青年の姿を見た瞬間、エフィは胸が締め付けられるように苦しくなった。

 レオンだった。

 だが、その顔は、あの日廊下で見せた柔らかなものではない。

 騎士としての、冷たい表情だった。


「式の最中に、何の無礼だ!」

 ロバートが怒鳴る。

 レオンは一歩、前に進み出て、神父に短く一礼した。

「公務です。男爵家嫡男、ロバート・ブロウリーに、情報漏洩の疑いがかかっています」

 教会内が、凍りついた。


「は……? はぁ!?」

 ロバートが乾いた笑い声を上げる。

「何の冗談だ!」

「冗談ではありません」

 レオンの声は淡々としている。

「隣国の諜報員と接触し、軍事物資の輸送経路について情報を漏洩した疑いです。証拠は既に押収済みです」

 ロバートの顔から血の気が引く。

「で、でたらめだ! 俺はただ、娼館に通っていただけで――」

「その娼婦が、隣国のスパイだったのですよ」

 レオンは淡々と告げる。

「そ、そんな……訳が……」

 ロバートは狼狽え、言葉が途切れた。


(今だ)

 エフィは、静かに息を吸った

 レオンと視線が交わる。

 レオンが、わずかに頷いた。

 一歩、前へ踏み出し、口を開く。


「皆様――」

 震えはない。

「ブロウリー家へ渡る予定だった持参金は、本日付で凍結済みです」

 ロバートが目を剥く。

「なっ……!?」

「父には事前に相談いたしました。万が一に備え、契約は“婚姻成立後に正式移行”と修正しております」

 父、アーサーも静かに頷いた。

 最初は猛烈に反対された。だが、帳簿と証拠を示し、論理で押し切ったのだ。


 エフィは、さらに言葉を続ける。

「ロバート様の多額の借金。その返済先が、隣国と繋がりのある娼館であることも、確認済みです」

 教会内のざわめきが、一段と大きくなる。

「お、お前……勝手に調べたのか!?」

 ロバートの声が、裏返った。


 エフィはゆっくりと彼を見据え、静かに言った。

「商人の娘ですもの。取引相手の信用調査は、当然ですわ」

 その言葉に、レオンの目がわずかに細まる。

 あの時と同じだ――“賢いな”と、言ってくれた瞳。

「ロバート・ブロウリー」

 レオンが低く告げる。

「騎士団の名において、拘束する」

 騎士たちが、前へ進み出た。


「待て! 俺は男爵家の嫡男だぞ!」

「それが、何か?」

 騎士たちは抵抗するロバートの腕を、淡々と押さえ込む。

 ロバートはエフィを睨みつけ、必死に喚いた。

「お前のせいだ! お前が余計なことをしなければ!」

 その言葉に、エフィは静かに首を振った。

「いいえ。あなたが、自分で選んだ結果です」

 その声は、驚くほど澄んでいた。


「離せ!」

 ロバートは叫びながら騎士達に連行されて行った。

 扉が閉まり、教会には重たい沈黙だけが残った。

 白いドレスの裾を、エフィは見下ろす。

(終わった……)

 震えは、遅れてやってきた。


 その時。

「見事でしたね、姉さん」

 隣に誰かが立つ気配がした。

 レオンだ。

 騎士としての顔ではなく、あの頃の少年の面影を宿した表情でエフィを見ている。


「私は何もしていないわ」

 エフィは首を振る。

「証拠を掴んだのは姉さんでしょう」

「……策を考えただけよ。泣く暇があるなら、ってね」

 エフィは小さく息を吐いて、笑った。


 レオンが、その様子を見て眩しそうに目を細めた。

「ようやく、俺の姉さんが戻ってきたな」

 その言葉に、エフィの胸は熱くなった。


 エフィは、ゆっくりと分厚い眼鏡を押し上げた。

 そばかすも、背の丸みも、何も変わらない。

 けれど。

「もう私は、私を安売りしないわ」

 エフィは、はっきりと言えた。


 教会の窓から、柔らかな光が差し込む。

 結婚式は破談となり、体裁は崩れた。

 エフィは、いわくつきの令嬢として人々の間で噂になるだろう。

 けれど――エフィは、もう俯いていなかった。


「大丈夫、エフィ姉さんなら、もっといい相手が現れますよ」

「ありがとう。でも私、しばらく結婚はいいわ」

「別に、俺は急ぎませんよ」

 レオンは、口角をふっと上げて微笑む。

「……え?」

「いつまでも待ってますよ。まだ若いんで」

 窓から差す光に、二人の影が重なった。


「それに、姉さんのそばかす、俺は昔から好きだった」

 エフィは一瞬、言葉を失った。

 そばかすも、猫背も――すべてを受け入れてくれる視線に、胸が熱くなる。

「ありがとう……レオン」

 小さく、けれど確かに笑って返した。


 ********


「アンナ、これでどうかな?」

 エフィは手を広げて、自分の格好を見せる。

 今日は、レオンと会う約束がある。

 眼鏡はそのまま。そばかすも隠さない。

 もう、自分を隠さない。そう決めてから、胸を張って歩けるようになった。


 エフィは鏡の前に立ち、微笑む。

「うん……悪くないじゃない」


「エフィ、出かけるのか?」

 階段から降りてきた父に、玄関で鉢合わせた。

「ええ、父様。少しね」

「ふふ、レオン君かい?」

「そ、そんなんじゃないわ。行って来ます!」

 エフィは顔を赤くして、歩を進めた。


 父は、娘の後ろ姿を見つめ、目を細める。

「エフィ、自分で選んだ道だ」

 父アーサーは、いつまでも誇らしげに見つめていた。


「姉さん」

 玄関を出ると、レオンが待っていた。

 エフィは足を踏み出す。


 今度は、誰かのためではなく。

 自分で選んだ未来へ、歩き出す――。



「今度は、俺が隣に立ちます」

 私は、もう誰の後ろも歩かない。

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パパが父親としては娘を不幸にしかねない愚かな選択をする所だったけど、娘が強いお陰で関係のやり直し出来て良かったね。娘からの信頼は少し目減りしてそうだけど。最後、自分に婿選びの目はないなって悟って今度は…
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