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失われた物語の結界――沢山咸辺境開拓団の手紙  作者: 聖稲


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第25話 鍵の欠片と告白

 沢山咸の詰所に昼の鐘が鳴った日、倉庫の戸がきしんで開いた。塩の粉が舞い、陽の筋が梁から斜めに落ちる。空虹は掲示板から外した帳面を腕に抱え、真由梨は配給袋の口を静かに結び直していた。外では塩湖の風が柵に当たり、乾いた音で鳴っている。


 「鍵束、点検。欠片の包み、点検。違いがあれば今ここで言う」


 空虹は言い切って、棚の一段目から順に指を滑らせる。琉唯は腕を組んだまま壁にもたれ、足首で床を小さく叩いた。友樹也は鼻先をひくつかせて、金属の匂いを探すように首を振る。瑛大は光希の隣に立ち、皆の背中が固くなる前に声を落とした。


 「昼飯のあとに点検って、胃が縮むよな」


 光希は笑いそうになって、唇を押さえた。笑い声が出ると、怒哀が寄りにくい。それを知っているからこそ、瑛大はわざと肩の力を抜こうとしている。


 真由梨が干し布の束をほどいたときだった。布の隙間から小さなものがころりと落ち、床板の上で乾いた音を立てた。落ちたのは、石ころではない。光希が先にしゃがみ込み、指先で拾い上げる。


 黒い金属片。欠片の端には、鍵束と同じ刻みがある。握ると冷たく、手のひらに重みだけが残った。


 空虹の視線が一点に固定された。腕の帳面が、ぎゅっと鳴る。


 「それ、どこから出た」


 真由梨は布を持ったまま首をかしげた。「この束の中。昨日はなかったと思う」


 友樹也が一歩近づき、鼻を寄せる。「汗の匂い……いや、油の方か。持ち歩いてた匂いっす。倉庫の匂いじゃない」


 空虹は欠片を見るのではなく、周りの顔を順に見た。視線が止まるたび、誰かの肩が小さく揺れる。最後に、継司の前で止まった。


 継司は膝の上で両手を組んでいた。指の間に白い粉が入り、爪が短い。空虹が一歩踏み出すと、継司は逃げなかった。立ち上がり、床板に影を落とした。


 「継司。これは、あなたが隠したものだな」


 継司は唇を噛み、ほんの一拍遅れて頷いた。頷く動きは小さいのに、倉庫の空気が重くなる。琉唯が舌打ちしかけ、瑛大が掌を上げて止めた。


 「理由を言え。ここは沢山咸辺境開拓団の詰所だ。鍵束は皆の命綱だ」


 空虹の声は刃のように真っ直ぐだった。その瞬間、梁の陰に薄い霧が滲んだ。怒哀は、怒鳴り声が好きだ。言葉が刺さり合うと、そこへ入り込む。


 継司は目をそらさず、息を吸って吐いた。吐く息が塩の匂いに混ざる。


 「怒哀で、家族を失った」


 短い言葉で、倉庫の梁が遠くなったように感じた。継司の喉が鳴り、次の言葉が出るまで、誰も割り込めなかった。


 「……夜だった。寝台の足元に霧が溜まって、畳がじっとり湿った。母が水を汲みに行くって立って、弟が追いかけて、父が『戸を閉めろ』って言った。鍵を回す音が、普段より大きく聞こえた」


 継司は片手を握り、指の腹を自分の掌に押し付ける。鍵を回した感触を潰すみたいに。


 「次に聞こえたのは、呼吸の音じゃない。布が裂ける音。誰かの名前が途中で切れる音。俺は戸の前で、鍵を回せなかった。回したら霧が入る気がして、回せなかった。……それで、ただ立ってた」


 霧が、梁の陰で少し濃くなった。空虹の眉が動く。怒りで上がるのではなく、問いの形に寄る。


 「だから、欠片を持ったのか」


 継司は頷いた。


 「手順を守れば守るほど、守れないものがあるって知った。俺は、誰でもいいって言葉が怖い。『皆を守る』って言われると、手が止まる。守りたい顔が浮かぶ方へ、鍵を回したかった」


 琉唯が唾を飲む音がした。いつも荒い息を隠さない琉唯が、今だけは音を小さくした。


 空虹は欠片の刻みを見つめ、声の角を少しだけ落とした。


 「なら、なぜ黙った。なぜ欠片だけを持った」


 継司は肩を落とし、視線を床へ落とした。床板の節が、目の行き場を奪う。


 「怖かった。俺が持ってるって知られたら、俺が次に奪われる。俺が奪われたら、守りたい人まで巻き込む。だから、誰にも……言えなかった」


 友樹也が口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。軽口で逃げる癖があるのに、今は逃げない。光希は欠片を両手で包み、温めるようにしていた。指の腹が震えているのに、声は落ち着いていた。


 「継司。守りたい人って、誰」


 継司の喉が鳴った。返事をしないまま、空虹の方を見上げる。空虹の視線は逸れない。けれど、指先が帳面の角を折りそうになっている。


 瑛大が一歩前に出た。笑顔はいつもより小さく、でも逃げていない。梁の陰の霧に、目だけを向けてから、継司へ戻す。


 「逃げずに言ってくれてありがとう」


 その一言で、倉庫の角に溜まっていた尖りが、少しだけ折れた。霧が、梁の影から引いた。空虹が息を吐き、帳面を胸から離す。琉唯の拳がほどけ、床へ落ちた視線が戻る。


 光希は腰袋から紙を一枚取り出し、継司へ差し出した。配給札の裏を切って作った小さな紙だ。炭の棒も添える。


 「守りたい相手の名前を書いて。ここに。言葉にした方が、霧に取られにくいから」


 継司は受け取る手が一瞬止まった。紙の白さが眩しいのではなく、そこに書いたら戻れないと思ったのかもしれない。けれど彼は受け取り、膝の上で炭を握った。


 炭先が紙に触れた瞬間、継司の腕に力が入った。黒い線が深く刻まれ、紙が少しだけ裂ける。裂け目から覗く裏の繊維が、継司の息の乱れに合わせて震えた。


 「うわ、破れた……」


 継司が呟いた声は、怒りでも悔しさでもなく、情けなさに近い音だった。友樹也が反射で手を伸ばし、「唾で貼れば」と言いかけて、空虹の視線に射抜かれて引っ込める。何も言わずに引っ込めるところが、今日の友樹也の成長だった。


 光希は裂け目の上に指を置き、紙の端をそっと重ねた。


 「大丈夫。破れた場所も、覚えておける」


 継司は紙を両手で持ち上げた。そこに書かれた二文字を見て、空虹の喉が小さく鳴った。顔は動かないのに、耳の端だけが赤くなる。継司は声にしない。けれど、紙を胸へ戻すとき、視線が一度だけ空虹の肩へ触れた。


 瑛大は、その動きを見て、わざと咳払いをした。


 「その人を守るために、ここにいるんだな。だったら皆で守ろう。欠片も、鍵束も」


 空虹が一歩寄り、欠片を受け取った。指先は固いのに、扱いは丁寧だった。帳面に一行書き、皆の顔を見回す。


 「欠片は鍵束へ戻す。隠し事は、ここで止める。今夜の見張りは二人一組。名を書いた者は、その名のために一組を選べ」


 継司は小さく頷き、紙を胸にしまった。光希は欠片の包みを抱え直し、真由梨は結び直した配給袋を棚へ戻す。琉唯は壁から離れ、槍の柄を握り直した。


 瑛大は最後に倉庫の戸を閉める前、光希の方へだけ小さく声を落とした。


 「紙、破れたのに……残ったな」


 光希は頷き、裂け目の細い線を思い出すように指を曲げた。


 「残った。だから、次は奪わせない」


 廊下へ出ると、塩湖の風が顔を撫でた。詰所の壁に貼られた手順の紙が、端だけぱたぱた揺れる。皆が散りかけたとき、継司が小さく声を出した。


 「空虹」


 呼び捨ての二文字は、倉庫の中より軽いのに、胸の奥へ落ちた。空虹は歩みを止めたが、振り返らない。代わりに、帳面の角を指で押さえ直す。


 「聞こえた。今夜の見張りで返す。……欠片は、戻すんだろう」


 継司が頷く。瑛大がその背中を一度だけ叩いた。強くはない。叩いた手のひらに残る体温が、逃げ場のない言葉の代わりになった。


 倉庫の戸が閉まる。塩の粉が落ち着き、陽の筋が消える。けれど胸の中の線は消えない。継司の紙の二文字も、瑛大の短い「ありがとう」も、この詰所の結界の厚みになっていく。



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