表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失われた物語の結界――沢山咸辺境開拓団の手紙  作者: 聖稲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/24

第13話 盗賊の石礫

 昼をだいぶ過ぎ、太陽が西へ傾きはじめたころ、七人は塩湖の白い縁を離れ、葦の湿地へ戻っていた。白い粉の道はすぐに終わり、黒い泥が靴底をむに、と引き止める。歩くたび、泥の匂いが鼻の奥へ残った。


 荷車の車輪が、ぬかるみで小さく鳴った。真由梨が朝のうちに結び直した紐は、揺れてもほどけない。瑛大は荷車の前に回り、押す腕へ力を入れながら、振り返って皆の顔を確かめた。


 「今、どれくらいだ?」


 瑛大が聞くと、空虹が太陽の高さを見て言う。


 「午後三つ刻の手前。日暮れまでに、葦の背が低い場所へ出る」


 「了解」


 言葉が短く揃うと、足音も揃った。光希は胸の前で布の包みを押さえた。斑の石が中でごろりと動く気がして、呼吸が浅くなる。


 友樹也が鼻をひくつかせ、葦の根元を見た。


 「ここ、魚の匂いじゃないっすね。泥が……妙に甘い」


 「甘いなら舐めるな」


 琉唯が即座に言う。友樹也は両手を上げて首を振った。


 「舐めてないっす! でも、誰か通った匂い、します」


 継司が荷の底の布を押さえた。鍵束が、金属の重みを主張する。瑛大はその仕草を横目で捉え、声を落とす。


 「継司、今は動かない」


 継司は返事をしない。けれど指先が、布から離れなかった。


 そのときだった。

 荷車の後ろで、乾いた音が弾けた。


 カン。


 木の板に小石が当たり、欠片が跳ねる。続けざまに、二つ、三つ。石礫が雨みたいに飛んできた。


 「伏せろ!」


 空虹の声が短く走る。瑛大は荷車の取っ手を握ったまま体ごと向きを変え、板を盾にした。光希は咄嗟にしゃがみ、布の包みを抱えたまま息を止める。


 葦の間で水が跳ねた。影が三つ、四つ。腰より上だけが見え、顔は布で隠れている。手には投げ縄と、小石を入れた袋。


 「荷を置け!」


 太い声のはずなのに、最後が震えた。別の影が続ける。


 「鍵! 金のやつ! それを出せ!」


 継司の指が布の上で止まった。瑛大はその動きを横目で捉え、声を落とす。


 「継司、今は守る」


 継司は頷かない。だが指は布を押さえたまま固まった。


 琉唯が一歩踏み出した。泥が靴を掴む。空虹が腕を伸ばして制したが、琉唯は首だけ振って前へ出る。


 「俺の目の前で、石投げてんじゃねえ」


 言葉が荒くなった瞬間、風が冷えた。葦の先に薄い霧が絡み、胸の内側がざらつく。友樹也が小声で言う。


 「怒哀、薄いの来てる……」


 琉唯は聞こえないふりをして走った。走ったつもりで、二歩目で沈んだ。


 「うおっ!」


 泥が足首まで飲み込み、勢いだけ前へ滑る。琉唯の体が見事に前のめりになり、顔の手前で葦がばさっと揺れた。


 友樹也が息を呑んだ次の瞬間、噴き出した。


 「湿地、反則っす!」


 「笑うな!」


 空虹が叱り、叱りながらも視線は敵の足元へ走る。真由梨は荷車の横へ回り、縄を一本外して荷を低くした。石が当たっても転がらない角度に、静かに整える。


 琉唯が泥を蹴って立ち上がろうとしたところで、影の一つが滑るように近づいた。怯えた目だけが布の隙間から覗く。手が伸び、継司の布に触れた。


 金属の鳴る音。


 鍵束の輪が引っ張られ、一つが外れる。


 「取った!」


 影は叫び、叫びながら後ずさった。声音は、思っていたより若い。

 継司が手を伸ばしかけ、止めた。次の瞬間、瑛大がその手首を掴む。掴む力は強くないのに、継司の指がぴたりと止まった。


 「今は、守る」


 琉唯が泥を跳ね上げて追おうとする。


 「待て、逃がすな!」


 空虹が即座に声を重ねた。


 「二列! 間隔二歩! 足元を見る! 追うのは、葦が切れてから!」


 琉唯は舌打ちした。だが空虹は同じ言葉をもう一度繰り返し、先に自分が踏み出した。指示ではなく、実行で道を示す。


 盗賊の影は後ろへ引いた。水面が跳ね、葦が揺れ、薄い霧が巻き上がる。追えば追うほど、足元が消える場所だ。


 真由梨が地面に膝をつき、棒で泥へ線を引いた。乾いた土の島と、深い溝の位置。戻る道の印。短い線が、迷いを減らす。


 「ここを外すと、膝まで沈む。戻りは、この線」

 石礫は止まり、代わりに水音が遠ざかった。残ったのは、泥と霧の冷たさだけだ。


 琉唯がなおも前へ出ようとしたとき、瑛大が肩を掴んだ。笑っていない。けれど怒鳴りもしない。


 「琉唯、戻る。今は戻る」


 「逃がすのかよ!」


 琉唯の声が跳ね、喉の奥が渇いた。怒哀が舌に乗る感じがする。瑛大は琉唯の目を見て、言葉を選ぶ。


 「取り返す。だから、取り返す場所を決める」


 琉唯の胸が上下する。泥まみれの手が握ったり開いたりする。瑛大は指を一本立てた。


 「今追うと、こっちの足が取られる。鍵は一つ。……人が折れたら、戻せない」


 光希が琉唯の横へ来て、水袋を差し出した。


 「飲んで。喉、乾いてる」


 琉唯は受け取り、乱暴に飲み、次の瞬間、少しむせた。友樹也が背中を軽く叩き、叩きながら小声で言う。


 「むせ方、派手っすね。……生きてる証拠」


 空虹が視線だけで黙らせたが、光希の口元が一瞬だけ緩んだ。


 継司は鍵束の輪を握りしめ、欠けた場所を親指で撫でた。泥水が滴り、金属が冷える。瑛大は継司の前へ回り、低い声で聞く。


 「奪われたのは、どれだ」


 継司は答えない。代わりに、輪の上で二つの鍵を持ち上げ、残りの形を見せた。空虹がそれを見て、短く息を吸う。


 「石門の……合う形が一つ、減った」


 真由梨が泥の線を指先でなぞり、瑛大の方へ顔を上げた。


 「追うなら、乾いた島を一つ挟んだ方がいい。ここは、沈む」


 瑛大は頷き、皆へ視線を回す。光希の布の包み。友樹也の鼻の動き。琉唯の握り拳。空虹の足運び。真由梨の線。継司の冷えた輪。


 葦の隙間に、盗賊の目が一瞬だけ見えた。怯えが、そのまま瞳の奥に溜まっている。瑛大は、その目を追い詰めるほど言葉が荒れてしまうと悟った。


 「今夜は、あそこまで戻る」


 瑛大は真由梨の線の先、少し高く盛り上がった土の島を指さす。枯れた標識の柱が一本、斜めに立っている場所だ。


 「日が落ちる前に、乾いた場所で呼吸を整える。明日の朝、取り返す場所を決めて、取り返す」


 空虹が復唱するように言った。


 「乾いた場所。呼吸を整える。明日の朝、取り返す場所を決める」


 琉唯がまだ不満そうに鼻を鳴らしたが、荷車の後ろ板に刺さった小石を一本抜き、握り潰した。怒りが、握力に変わる。


 光希はその手を見て、琉唯の前へ半歩出た。


 「今、追わなかったのは……守るため。明日、取り返すため」


 琉唯は頷きも返事もしない。けれど握り潰した小石を地面へ捨て、荷車の取っ手を掴んだ。足元を確かめてから、一歩だけ前へ出る。


 友樹也が鼻を動かし、乾いた息を吐く。


 「匂い、こっちはマシっす。……帰れる」


 真由梨が線の上を指で叩き、同じ場所をもう一度なぞった。


 「戻りは、この線。迷わない」


 継司は鍵束の輪を胸の位置へ引き上げ、布を結び直した。結び目が固くなる。目は合わせない。それでも、歩き出す足は止まらない。


 荷車がまた鳴り、湿地の水面が小さく揺れた。盗まれたのは鍵の一つだけだ。けれど、ここで荒い言葉まで奪われたら、結界の厚みが薄くなる。


 瑛大は荷車を押しながら、光希の横で小さく言った。


 「君に届く言葉は、奪わせない」


 光希は布の包みを抱え直し、頷いた。


 葦の奥で霧が揺れた。七人は揺れに背を向けず、足元を見て進んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ