記憶
私はこの世界にひとりで生まれた。
私はこの世界で両親ときょうだいに出会った。
私はこの世界で初めて友達と先生に出会った。
私はこの世界で初めてペットを飼った。
私はこの世界で好きな人ができた。
私はこの世界でひとりだと感じたーーーー……。
私の髪を結んでいた黒色のリボンが地面に落ちる。
風が吹き、ふわっと浮いた。
地面の土が頬についてジャリと音がする。私は横を向いたまま風の吹くまま、抗うことがなく空に散る自分のリボンを見ていた。
首周りから胸元を覆う白いレースの胸飾りと上から下まで純白の戦闘服を身にまとう。
貴金属が重なる音が聞こえる。地面に倒れこむ私を上から見下ろす影。
いくつもの魔法具がつけられた腕でさり気なく自身の長髪に触れ、片方だけ耳を出す。
その隙間からのぞく高価な魔法石のピアスと蜂蜜色の瞳がこちらを見ている。
腕のブレスレット、耳のピアス、首に付けられたチョーカー、胸元のブローチ、腰に付けられたチェーンと、地面までつく長い白のローブ。
自身の魔法の威力を何倍にも増幅させる魔法具。そして、魔術師が生まれたときに一つの紋章が与えられ、それは成長とともに熟練し何度も術式を書き加えられ、調整され、強化され、生涯最大となった複雑な魔術式が描かれた魔法陣。それらが魔法円の中に複数配置され、最強の魔法陣として彼の背中のローブに描かれている。
一輪の白薔薇、指先から蔓が伸びて、私の指輪を絡めとろうとする。蔓には棘があり、離れようものならば指に巻き付いて柔らかな肌に棘が食い込み傷をつけた。傷から赤い雫が流れ、彼の奇麗な指先を伝い真っ白なシャツの袖を赤く染める。金のカフスに染み込んだ人の血が私の白いブラウスにも滴り落ちる。
ーーああ、どうして、こうなっているんだろう。
私は唇を噛み締めて泣きながらこう言った。
「ーー魔術師さま。実は私……私もずっと、あなたにお会いしたいと思っていました」
ーーこわい。
「ずっとずっと、好きでした」
ーーいま、ここで殺されてしまうくらいなら、この身自身を捧げた方が良い。
神殿の主に選ばれた赤子の聖女。受け継がれた血。魔力は常に力が強い者に惹かれ、紋章は相手の魔力を取り込むことができる。魔法を使う私たちは魔力に良くも悪くも惹かれる。
ーーいやだ。逃げ出したい。
魔術師は私の手に触れる。
彼は私の指に付けられた指輪を奪い取ろうとしている。
私の魔力はこの指輪によって何倍にも高められている。これを外されてしまったら。彼の一瞬の隙をついてこの場から逃げることさえできなくなってしまう。
私は絶対に目が合わないように視線をずらした。指輪に触れられないように、かつ、魔法を使われないように魔術師に……抱き着いた。
ーー完全にヤラレル…………。
ーーーーっ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。ーーーっ、うううううううう。
私、死んだ?まだ、死んでない? まだ、姿保っている?
魔術師は蜂蜜色の瞳で目尻を甘く細めながら、こちらをじっと見つめている。
彼は少しだけ口を開くと、魔法の詠唱をはじめた。長い長い呪文。私は彼の魔法の詠唱を聞きながら、その音にだんだんと意識が遠のくのを感じた。気を失ってはいけない。いや、魔法詠唱がはじまってしまったなら、全てを諦めて気を失った方が楽なのか。
死んだら私はどこに行くのか。視界が突然シャットダウンして、永遠の無になるのか。
心臓が完全に止まった後、脳の活動が止まった後、永遠の孤独という名の暗い箱の中に閉じ込められるのか。それを考えたら気が狂いそうだった。
私は自分の意識がある最後の最後まで手には触れられないように彼のガタイの良い大きな体にぎゅっと抱き着いて、指輪をはめている手をもう片方の手で守る。全ての音が止まり、全てのものが白銀の真っ白の世界になるまで、そのギリギリまで、私は不思議と彼から伝わる体温を感じでいた。
ーー指輪だけは絶対に奪われてはいけない。
私はゆっくりと瞳を閉じた。
☆
瞳を開けてみると、私は知らない部屋の中にいた。大きな窓の近くに置かれた大きなソファとテーブル。オレンジ色のキャンドルの灯り。天井から吊られた丸い球体上のライト。
鼻をくすぐるのは甘い花の香り。稲妻に打たれたような感覚がじんじんとまだ体に残っている。あたたかな部屋の温度に花の香りと複雑な感情が混ざりあって眩暈がする。私は汚れたジャケットと靴を脱いで、白いブラウスとパンツスーツでソファーに横たわっていた。
ーーーー天井を見上げると大きな光が。ちがう、魔術師のひざの上に頭を乗せて、ソファーに横たわっていた。
ーーこれはいったい、どのような状況なのか?
魔術師はテーブルに置いた氷の入ったグラスにシャインマスカット、ソーダ、魔法酒をそそぐ。
ーー最悪だ。うまい具合に気を失ったのにまた私はここで痛い思いをしなきゃいけないのか。今度こそ、死の痛みを感じなきゃいけないのか。ああ、やっぱり私は逃げれなかった。最後の最後に命乞いをしたのに。これからどんなに酷いことをされるのだろう。私は、頭を抱えた。逃げようとすればするほど、私の死亡フラグが立つ。
「ま、魔術師さま、ゲームをしませんか?」
ーーーーゲームの内容は正直なんでも良かった。
私は学校のサークル活動のときにボランティアで小さな子供たちに魔法を見せたときのことを思い出した。
両手を軽く合わせると、指輪から淡い光のオーブが溢れてくる。そっと手のひらを開けるとビスケットが出てきた。
「ーー懐かしいな。相手の心がわかる魔法のビスケットか」
魔術師が一つのビスケットを半分に割って食べる。私はもう半分を同じように食べた。
子供に人気の魔法。魔法のビスケット。このビスケットは三分間だけ食べた人の心がわかる。
私は自分の心がさぐられないようににっこりと笑っていた。
ーーこのゲームには定番のオチがあって。「今、相手が何を考えているのか、考えていたでしよう?」というのがこのゲームの定番のセリフなんだ。三分後、このゲームを知っている人はだいたいこのセリフを言って引き分けになる。私はこのビスケットを手から出す瞬間、非常に強力な睡眠魔法を混ぜた。まさか、かの有名な魔術師がこんな子供だましに疑いもせずに、警戒もせずにそのままパクリと一口で食べるとは思ってなかったけれど。敵を倒すのは案外余裕だった? ……ん? 様子がおかしい。なんだか眠気が。……いや、そんなはずは。
ソファーに座りグラスを持つ魔術師の顔。頬骨から顎の先まで輪郭が整っていて、長いまつ毛と、鼻筋が整った高い鼻の下に淡く色付いた唇がある。
ーーうっ、美しい!!!!! あれ? 今まで敵だと思って、恐ろしいオーラで直視できなかったけれど、かなりの美貌の持ち主よね? ああっ、睡眠薬のせいで、気持ちが昂り、冷静ではいられなくなっている。可笑しい。魔法をかけた本人には私には効かないはずなのに。暗く冷たい氷のグラスを持つ彼の手が、首元からちらっと見える白薔薇の紋章が、ライトの光が反射する恐ろしい魔法具の存在が、殺伐とした色が美しいと思ってしまうだなんて。
ーー解毒剤、早く解毒剤を作らないと。
「今度は僕がゲームを出そう」
魔術師はキッチンに行き、棚から皿を取り出す、その上に細長いクッキーを数本置いた。
飾りに薬草の葉とサクランボと生クリームを添え、チョコレートソースをかける。できた料理はテーブルに置かれた。
ーーーお、美味しそう。
「この中に今君が欲しいものが入っている、それはなんだ?」
ーーー解毒剤か。
ーーーうううっ、三分間のうちに頭の中を全部読まれてしまったみたい。
私はそのチョコレートクッキーを口にした。
クッキーがサクサクしてて美味しい。濃厚な高級チョコレートの味がする。魔力が高いとこんなにもリアルなカカオ、チョコレートの味を再現できるのだとちょっと関心してしまった。濃厚なのに口の中でとろけるような触感でもっと食べたくなる。敵に頭を下げて、もう一本、いや、二本いただいた。サクサク……そう、三本目に手を伸ばした時気付いた。
ラストの三本目は魔術師がくわえていることに。
ーーいや、まさか。あれはさすがに、ねぇ? ……こんな、勝負ない……よね?
魔術師に近づくにつれて甘い花の香りが強くなる。私の眠気はピークに達していた。
ーー全然、解毒になってないじゃん。
私は下を向いているのに、痛いほどの強い視線が体に突き刺さる。私は顎を突き出して、そのクッキーの先端だけ齧ろうと思ったのだが、彼はクッキーの端を口に銜えたまま軽く上下に動かしてなかなかクッキーに届くことができない。
私がクッキーに集中している隙に彼は私の手に触れて、そう、指輪を狙っていた。視線は私を捕らえたまま、指先だけ器用に動かして、指輪が左右に回転し、徐々に指から離れていく。顔の角度を変えられて、私はその反対に顔を動かして。
……さく。クッキーの一番端っこをかじった瞬間、一気に眠気が覚めた。
ーーーーーーーあ、あぶなかった。
それにしても街の住人が恐れていた魔術師の適地に簡単に侵入してしまうだなんて。
そして、みんなから恐れられている魔術師と同じ空間、同じソファーに座っているだなんて。
ーー早くここから逃げなければ。
「サイコロゲームをしましょう」
サイコロを振り相手の出た数だけ自分の魔力を引き出している魔法具を外していく。
それらを天秤の上にのせる。天秤の皿の上、片方にはサイコロを、もう片方には魔法具をのせていく。
ルールは単純に三連続で負けたり、出せるものがなくなった人が負け。
この天秤は学校では魔力の測定の時に、はたまた雑貨屋では魔法具の魔力の値を図るためによく使われているものだ。ゲームというふりをして私は敵の魔法具を全部外せる。これで私が死亡するフラグは回避になるはずだ。
一回戦、彼の投げたサイコロの数は五だった。私が投げたサイコロの数は六だ。
私はここにくる前に友人に貰った手紙を天秤の皿に置いた。天秤は心の計測もでき、私が手放した手紙には五のサイコロの数だけの想いがあったのだろう、天秤の皿は同じ高さになった。
彼は片腕を覆う布を脱いだ。なんと、片腕の布だけで私の投げたサイコロの六と皿の高さは同等になる。
二回戦、彼の投げたサイコロの数は七だった。私が投げたサイコロの数は十二が出た。
私は両親に貰ったお守りときょうだいに貰った月のかけらの入った小瓶。先生から貰った特別な薬草を天秤の皿の上に置いた。彼は首のチョーカーを一個外して、十二のサイコロの皿と並べた。
彼は高価なブレスレット、ピアス、ネックレス、指輪、チェーン、魔法具をどんどん外しては天秤の秤の皿に置いていく。
私はこれ以上自分の魔法具を手放したくなかったし、思い出を天秤の上に置くことも躊躇ってしまった。
何回目かの勝負で私がサイコロを振ったとき、一のサイコロで彼は白いハンカチを差し出した。
ーー白いハンカチ?
彼はそのハンカチを天秤に置こうとすると、天秤は重さに耐えきれず、皿がパリンと割れてしまった。
ーーなんだ? この違和感。
一枚の白いハンカチ。それが何を意味して皿が割れたんだ?
私はひとりで生まれ、愛する家族と暮らし、たくさんの友人に出会った。
好きな人もできた。好きな人に婚約された。
でも、突如、目の前にそのすべてを壊してしまう魔術師が現れて。
ーーー現れて?
私はテーブルの上に置かれたものを取ろうとした瞬間。そばに置いてあった小瓶に手をぶつけてしまう。それが強い酒だったのか、傷口からしみてきて、私はとっさに指輪を外してしまった。
ーーいつから?
彼は真っ白のハンカチで手慣れた手つきで私の頬についた雫を拭う。
私は瞬きひとつせずにその白銀の世界を見つめていた。




