プロローグ
焼け落ちた家の煙の匂いが、今も俺の記憶を焦がし続けている。
春の空は、あまりにも穏やかだった。あの日、ペルディティアの空は雲ひとつなく澄みきっていて、草花の匂いと、昼下がりの光が村を満たしていた。人々は笑い、祭りの準備に忙しなく動き、俺もまた、家族と共にその一部だった。
……そのすべてが、灰になった。
叫びも、祈りも、何の意味もなさなかった。ただ、音もなく炎が燃え広がり、悪魔の影が空を覆った。誰もが、何もできなかった。俺も、何もできなかった。
その日から、俺の時間は止まったままだ。
だから今、こうして剣を握っている。戦う術など知らない。ただ振るう。ただ刺す。それだけを何度も繰り返しながら、俺は今、モルニアという名の山奥の村に立っていた。
村の広場は混乱に満ちていた。空に浮かぶ石の翼——ガーゴイルたちが矢を放ち、地を這うスケルトンが悲鳴を追いかける。百体規模の悪魔族。俺一人でどうにかできる相手ではない。
だが、俺はここにいる。ギルドの命令だの、金のためだの、そんなものはどうでもいい。俺はただ——殺すために来た。
「逃げろ!」
誰かの声が響いた。村の者たちは、予め決められた避難経路へと走る。彼らには希望がある。だが俺には違う。俺は、何もかもを失った。
斬る。振るう。ただそれだけだ。俺の剣は技でも術でもない。けれど、それでも何体かのスケルトンは地に伏した。手応えなど、最初から無い。ただ骨が崩れる音が耳に残る。
だが、やがて気配が変わった。
「おや、まだ動くのか。人間のくせに、随分としぶといな」
血の匂いと共に、地を蹴って現れたそいつは、俺とは違う“何か”だった。
角が一本、斜めに生えた頭部。薄笑いを浮かべる顔立ちは人間に近いが、瞳の奥にあるものは、まるで空っぽだった。
「教えてやろうか? 俺の階級は“セカンド”。この軍団の、指揮官ってやつだ」
鼻で笑うように、そいつは俺の腕を見下ろした。
「骨が折れてるな。もう立てないんじゃないか? でも安心しろ、殺しはしない。まだ遊び足りないからな」
その瞬間、背筋を氷の指でなぞられたような感覚が走る。
俺は——勝てない。そんなこと、最初から分かっていた。
だけど。
だけど、俺がここで死んだら、何もできないまま終わる。
この手で、守ることもできずに——終わるのか?
そう思った瞬間、胸の奥に何かが溢れ出した。
熱い光だった。
手の中の剣が震えた。骨のようにきしむ腕の感覚が、消えていく。裂けた肉が、ふさがる。立てる。まだ立てる。足に力が入る。
「な……っ」
目の前の悪魔が、わずかに顔を歪めた。
俺は何も言わない。ただ、剣を構え直した。
こいつを——殺す。
それだけのために。
風が止まる。
一瞬だけ、世界の音が消えた。
次の瞬間、俺は踏み込んでいた。今まで以上の速度で、迷いなく、一直線に。剣が走る。相手の腕が動く前に、胴を裂いた。
黒い血が吹き出した。驚愕を浮かべた顔が、憤怒へと歪む。
「貴様ッ……!」
再び斬る。痛みも疲れもない。ただ、俺の中の何かが命じるままに。
三撃目。斜めに切り上げ、角ごとその顔を裂いた。
一瞬にして、周囲の気配が凍りついた。
悪魔は膝を折り、そのまま地へと崩れ落ちた。
俺はしばらく、何も言わずにそれを見下ろしていた。
「……これで、守れたんだな」
ぽつりとこぼした声に、誰も答える者はいなかった。
けれど、俺はもう一度剣を握り直す。次がある。まだ終わらない。あの日と同じ光景を繰り返さないために。
だから——俺は、生きて、殺し続ける。
初投稿です。
書き貯めていたものをこれからボチボチ投稿していきます。
気長に待っててくださるとうれしいです。