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町に風が吹く

 男は海岸に沿って再度歩き出す。少女はここを進めば町があると言う。上空は太陽の独裁国家と成している。雲一つない晴天だ。体に張り付いた服も半日も歩けば十分に乾いている。そんなさんさんと日は足を軽くさせる。

 波の音を聞きながら歩くのはとても愉快だ。決して、一定の調子ではない。拍子が狂っている。間が詰まっているときもあれば、広がっているときもある。強いときもあれば、弱いときもある。磯の香りがそれに合わせて花開く。浜辺もまたさくさくと軽快なリズムを奏でる。

 小さなこぶがいくつか砂原から揺れ出てくる。進めると、それらは大きくなり、増え始める。次第にそれらの輪郭ははっきりとし、男は家だと認識すると小走りで寄っていく。漁村なのだろう。錆びたトタン屋根の家々には網が干されていて、傍には木造の舟が立てかけられている。沖には一隻が夕日でゆらめいている。細長い棒を海に突き刺して何かを獲っている。それにしても、潮の匂いが強烈である。日々の積み重ねに違いない。鼻をつまんでも激臭は突き刺してくる。しまいには、目が痛くなるほどだ。

 町には暗くなってきたせいか、人が見当たらない。やっとのことで見つけ出した老父に話しかけても何も返事をしない。黙々と網を修繕している。それもひどいにおいを発しているが、老父は気にならないようだ。幾度と声をかけるが、相変わらず、作業に集中している。困った男は頭を掻き、辺りを見渡す。もうすっかり暗くなっており、家からは暖かな光が漏れている。ため息をつき、諦めその場を立ち去る。

 途方もなく歩いていると、どこからか軽快な音楽が流れている。ギターやら、タイコやら笛やらが心弾むサウンドを作っている。それに足が奪われ、引き込まれる。町からわずか離れた海岸に小屋が立つ。その箱から漏れだす音のテープは肢体に絡まり、強く引き付ける。窓からは酒を飲む者たちがうかがえる。ここは酒場なのだろう。観音開きになった扉を開けると、華やかな気流が飛び出す。演奏に合わせて踊り子が舞う。それに客は手をたたき盛り上がる。呆気に取られていると、奥の方から手を振り、座るようテーブルを叩き促す者がいる。それにつられ、赴くと長髪の男性が座っている。長い髪は数日洗っていないようで油で固まり、無精ひげが目立つ。けれども、爽やかな雰囲気が漂う感じのいい老けた青年である。

「こういったところに来るのは初めてかい?」

 青年は口の周りに白いひげを生やし、笑いかける。

「ああ、そうなんだ。いろいろと慣れていないもので。君はこの村の人間でもないようだね」

 そうだ、と当然のような顔をしてうなずく。

「もちろんだ。こんな臭い街で生まれたら、どこにも行けないよ」

 そう言って、また一口ビールを口にし、正面に目を移す。踊り子が軽快なリズムに合わせている。柔らかい生地でフリルのある衣装が激しく揺れる。離れていても息づかいが聞こえそうなほどの迫力がある。男は見入ってしまい、椅子の中でかたまってしまう。青年はリズムに合わせてテーブルを指でたたいている。そして、男の様子を見て満足そうに笑う。

 

「やはり、素晴らしいなぁ」携帯用の酒が入ったボトルを口にし、男に勧める。「君も感動しただろう。こんな辺鄙な場所でこんなに美しいものを拝められるなんて」

 ああ、と同意し、男は受け取り口をつける。一口喉を流れるだけで焼けてしまいそうで、思わず咳き込んでしまう。青年はおかしそうに手を叩いて笑う。それでも、水筒を持ち上げ、目いっぱい口に含み、飲み込んだ。傍らで感心した声を上がるが、すぐに吐き出してしまう。それを見て、爆笑する。

 店も閉店し、人里からも店からも離れた場所で飲んでいる。白い砂から所々に低い草が生えている。丸目で武骨なバイクが一台置いてあるだけである。望月にまだ満たない月がそれらを白く照らす。

「ところで、何しているんだ。君もここのものじゃないだろ。俺のような瘋癲にも見えない」

「僕はあの子のために、ヘルメットを探しているんだ」

「ヘルメット?」不思議そうに聞く。「バイクでも乗るのか」

 いいや、と首をふり、人魚の少女について説明する。浜で干からびていたこと。夜海の中がどんなに幻想郷であったこと。少女の好奇心について。いろいろ話す。青年も興味深そうに目を輝かせ聞き入っている。

「俺もその子に会ってみたい。そして、そのなんでも吸い込む海を潜ってすべてを清算したいなぁ」

「でも、君は充実しているように見えるけど」

 青年は苦笑いを浮かべ、頭を掻く。

「まあ、そう見えるかな。うん、確かに今は楽しいし、満足している」月を見上げる。薄っすらと雲がかかり滲んでいる。「でも、これで正しかったのだろうかと思ってしまうんだ。もう少し我慢していたら、よく馴染めたのだろうか。とか、安定した生活で不安がないのだろうか。なんてね。決して自身の決断に対して後悔があるわけではないんだ。それでも、どこか周りと比べてしまうところがあるんだ」

「君はどういった暮らしをしていたのだい」

「一般企業に入社したさ。毎日、十二時間以上の労働だった。幼いころから、スポーツをしていたからそれなりに体力と精神面では自身があった。けれども、そんな生活を続けていたら、そんなもの関係なくなってしまう。すべてが無意識の行動になってゆく。いつの間にか会社に来て、画面の光を浴び、ただボードを叩く。気がつけば、家のベッドで倒れている。どうやって帰ってきたか記憶にないまま。ロボットと同じで無機質な生活のテープを回すように進めてゆく」

 くしゃくしゃのたばこを胸ポケットから取り出し火をつける。男にも勧めるが、手で押さえる。

「それで、どうしてこうなってしまったんだい」

「そんな無機質なテープも回しすぎると、少しは伸びるわけだ。帰宅中どこからか軽妙な音楽が流れてきたんだ。それに足がすくわれてしまって気がつけば酒場の椅子にいたわけさ。そこで彼女に出会ったんだ。涙も流していたよ。その時、ああ、すべて投げ出してしまおうと思ったんだ。そんなときに、買ったのがこのバイクだよ」

 そう言って、一握りの砂をバイクめがけて投げる。そして、バックから何か探しているようで中のものを一つ一つ出しながら漁っている。目的のものが見つかると、広げたままで夢中になってそれをいじり始める。

「厳しい暮らしから解放されたんだろ。なんでそんな後ろめたい気持ちが湧いてくるんだ?」

「新しい不安が生まれるんだ。その時の不安を払拭しても、次に違う不安がやって来る。それを解決すると、また別のものが来る」薬包を一つ取り出し鼻から吸い込む。「ああ、そうだ。近々ここを出るつもりなんだ。一緒に行かないかい…」


 日の眩しさに目を覚ますと、何かが傍に立っている。青年かと思い、声をかける。

「あら、起きたの」

 痛い体を起こすと、女が微笑んで立っている。誰かと思い、頭をかしげていると、おかしそうに笑い、簡単にステップを踏んだ。

「ああ、あの踊り子か。どうしてこんなところに?」

「どこへ向かうかを伝えに来たのよ」

「じゃあ、起こさないと」青年を揺すろうとする。

「いいのよ。ぐっすり眠らせてあげなさい」

 そしてしゃがみ、青年の顔を覗き込む。だらしない顔を見せる青年に頬を緩める。あの小さな舞台に立っている彼女は躍動していて大きく見えた。しかし、実際は小柄な女性である。目鼻立ちははっきりして、口元にあるホクロが誘惑的だ。さらさらとした長い髪をひとまとめにして方に流す。豊満な体をタイトな服が強調している。

「今度は僕も途中までお供するから、よろしく」

「次は都会の方にも行くの。彼と初めて出会った場所よ」

 夜になると昨日のよう酒場に赴く。どことなく違和感があったが、すっかりダンスに魅了されてしまう。

 千鳥足になるまで飲んだ青年は奇声を発しながら歩いている。男はそれを愉快そうに見ている。突然、背後からか悲鳴が聞こえる。二人は振り向く。二つの集団がもめあっている。一方は踊り子と音楽隊である。それを認めると、青年はすぐさま彼女を駆け寄る。慌てて男もその場に近づく。

 どうやら地元の若者が踊り子にいちゃもんをつけているようだ。青年が仲裁しようとしているが、段々熱が入っていき彼らと取っ組み合いをし始める。男たちはどうにかその場を落ち着かせようと彼らをおさえている。その喧噪を聞きつけ、町の人が顔を出してくる。若者たちはそれに怖気づき、そそくさとその場を離れてしまう。いつもあることだ、と青年は男の肩を叩き、バイクのあるところへと足を向ける。

 疲れもあってすぐ寝てしまう。途端、地面を強く蹴る音で男は起こされる。眠気眼で見上げると、無数の黒い影がぼんやりと浮かぶ。どこからか、今だ、という指示が来ると急に頭に強い痛みが走り出す。思わず、目を覚ますと、周りに先ほどの若者たちが棒を彼らに振り回している。容赦なく叩きつける彼らを突き飛ばし、男は走り出す。けれど、青年を思い出し、振り向くと彼はうずくまっている。飲んだ薬が切れていないのか、体に力が入らないようだ。キビ返してその手段に体当たりする。青年を引きずって逃げようとするが、すぐに追いつかれ殴られ倒れこんでしまう。そのまま、蹴られ続ける。

 すると、どこからか叫び声が聞こえる。それを聞きつけると、彼らは走り去る。駆け寄る音が聞こえる。痛みでぼんやりとしていると、あの踊り子の声が聞こえる。青年を読んでいるみたいだ。泣いているようにも聞こえる。


 キャラバンは大きく息を吸い、青くにじんだ肌を撫でる。木々が足早に通りすぎてしまう。快晴と森に広い道路。ただそれだけしかない。太陽はうっとうしいくらい愛敬を振りまいている。静まった車内はせわしいラジオDJだけがしゃべっている。踊り子はサングラスをかけ、頬杖をついている。他の者たちも雑誌を読んだり、弦を調整したりと各々のことをしている。男は流れる景色を横目に燃えてゆく友人を思いかえしている。

 あの夜、男たちはそのまま町を出ていった。冷たくなった彼を乗せて。満月は車窓から痣のある体をやさしく撫でていた。安らかな表情をしていた。突然、起きてしまいそうだった。木々が生い茂るところに入ると、車は甲高い音を立て止まった。

 寝てしまった青年を丁寧に道端に下ろし寝かせた。女たちは近くにあった枯葉や小枝を手いっぱい持ってきて彼を埋めた。ガソリンをまき、マッチを放り投げると激しい音を立て燃えた。朱色の炎が高々と上り始めた。火柱は男たちと月を照らした。踊り子はただじっとそれを見つめた。


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