第82話 神の誤算
それから私は、リュカに伴われて舞踏会の会場へ向かった。
いつしか日はすっかり沈み、あたりは夜闇に満たされている。しかし、王城へと続く道は無数のランプで照らされ、光の川のように煌めいていた。その先に広がるのは、華やかな宴の世界。
隣を歩くリュカは、リュートを抱えているため吟遊詩人だと分かるが、刺繍が施された見事な衣装をまとい、月明かりの下、異国の王子のようにさえ見えた。
そんな彼を横目に、私はふと気になっていたことを口にする。
「そういえばリュカ……シャルロットのことは、もういいの?」
リュカは私にそそのかされ、シャルロットに想いを寄せていたはず。この舞踏会にも彼女はレオンと出席するはずだが、かつてのような情熱は、今の彼から感じられなかった。
リュカは少し歩調を緩め、静かに言葉を紡ぐ。
「……いいのです。私の信じた紅き瞳の灯は、幻影だったかもしれない」
「というと?」
「昨日の貴族評議会で、私は神を見ました」
『神』――その言葉を聞いた瞬間、心臓がどくんと跳ねた。まさかリュカ……シャルロットの正体を見抜いたの?
私は思わず息を呑むが、彼はどこか遠くを見るような眼差しで続ける。
「シャルロット様のあの瞳……まるで盤上の駒を見下ろす神々のごとく。そこに、かつて私が憧れた無垢なる輝きは、もはや見当たりませんでした」
「あ、そういう……い、いえ。なるほど」
どうやら単なる比喩表現だったらしい。
「紅き瞳の少女の、その二つ目の顔……碧い瞳の君も、既にお気づきのことでしょう」
「え……?」
「もちろん、本人に確かめたわけではありません。ただ、詩人の勘がそう告げているのです」
レオンはシャルロットの変化に気づいている? もしそうなら……
(レオンは、神のことをどう思っているんだろう……?)
* * *
王城の数ある扉の中でも、最も豪奢な扉が私の目の前で開かれる。その瞬間、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
(この光景を見るのも三度目だけど、何度見ても綺麗……)
高い天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアは、無数のクリスタルに彩られ七色に輝き、ホール全体を照らしている。その光は床や壁に反射して、ホール全体がまるできらめく万華鏡のようだ。
中央のダンスフロアには、すでにたくさんの貴族たちが集まり、軽やかに踊りのステップを踏んでいる。その間を、ドレスやタキシードに身を包んだ人々が談笑しながら行き交っている。
リュカに別れを告げ、人々の間をすり抜けるように歩きながら、レオンの姿を探す。
(……いた!)
レオンの姿はすぐに見つかった。シャンデリアの光を受け、その金髪はひときわ美しく輝いている。しかし、その隣には白銀の髪を美しく結い上げた少女……シャルロット――神がぴったりと寄り添っていた。
こうして改めて見ると、やはり二人は絵画のように美しく、釣り合いの取れた存在だった。まるで、そこに入り込む余地など微塵もないかのように。
(けれど、ここまで来たんだ。怯んでなんていられない)
私は意を決して人波をかき分け、レオンの前へと進み出る。
「レオン様!」
私が名を呼ぶと、貴族たちと歓談していたレオンが私の方を振り返る。それに合わせて、神も私の方へ視線を向けた。
「レティシア……君、本当に来たのか」
レオンの表情には驚きが滲んでいる。
「貴方と、どうしても踊りたくて……一曲、踊って下さいますか?」
一瞬の沈黙。
レオンは神へと視線を向ける。神は美しい微笑みを浮かべながら、その視線を受け止めた。「レオンが受けるはずがない」と言わんばかりの余裕に満ちた目。
しかし、レオンは再び私へと視線を戻し、ゆっくりと口を開いた。
「……わかった、踊ろうか」
その瞬間、神の表情がかすかに揺らいだ。
レオンは私に手を差し伸べる。私は吸い寄せられるように、その手を取った。
余程この展開が予想外だったのだろう。神はその紅い瞳を見開き、驚愕に染まった表情で私たちを見ていた。
「レオン様? そんな……なぜ」
彼女の静止を受け、レオンは静かに微笑む。
「君とは既に踊ったはず。社交のために踊るのも貴族の務めだ。そうだろう?」
レオンの穏やかな口調に、神は言葉を詰まらせたまま沈黙する。
今まで彼女が演じてきた『理想のシャルロット』ならば、ここで余裕たっぷりに私とのダンスを許したはず。神は主人公であるが故に、レオンの面前でこれ以上私を妨害することはできないのだ。
「さあ、行こう」
レオンの言葉に、私は小さく息を呑み、微笑む。
「はい、レオン様」
そして、私はレオンに導かれ、シャンデリアの下、ダンスホールの中心へと進み出る。




