第81話 最後の舞踏会
そして、私は7日目を迎えた。
昨日の夜はそわそわして眠れないかもと思ったが、意外とすんなりと眠ることができ、頭はすっきりと冴えている。
時刻は今、16時。――昨日のルージュの言葉通りなら、そろそろ迎えが来るはず。私はルージュからもらったメイドの衣装に身を包み、落ち着かない気持ちを抑えながら扉の前に立っていた。
そして、扉が叩かれる。
「誰かしら?」
間違ってもこの格好を誰かに見られてはいけない。私は慌ててタンスの陰に身を隠しながら、そっと扉の外の相手に呼びかけた。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
その声は……間違いなくルージュだ。安堵と緊張がないまぜになり、私は飛び出したくなる気持ちを抑え、「どうぞ!」と返事を返す。
すると、扉の向こうからルージュが姿を現し――そして彼の後ろには、金髪のメイドが立っていた。髪の長さや背格好が、どことなく私に似ている。
「おっちゃんと着替えてるな。こっちのはお前の身代わり。こいつと入れ替わりで、屋敷から出るんだ」
「わかったわ!」
「時間がない。行くぞ」
私はルージュに手を引かれ、身代わりになってくれるメイドに礼を言う暇もなく部屋を飛び出した。屋敷の中を駆け足にならないギリギリの速さで進み、裏門へと向かう。
しかし、そこで思わぬ障害にぶつかった。裏門には、待機しているはずの馬車とともに、見慣れた執事の姿があった。
「ねえ、セバスチャンがいるんだけど……?」
柱の陰に隠れながら、私は小声でルージュに問いかける。
「おかしいな。この時間だけアイツは席を外していると聞いていたんだが……」
珍しく、ルージュが困惑しているのが伝わってくる。
「仕方ない。ちょっとここで――」
しかし、ルージュが言い終える前に、セバスチャンがこちらに目を向ける。
(もうだめだ……!)
セバスチャンは、こちらの気配に気づいたように動きを止めた。しかし、彼はしばらく無言でこちらを見ていたが、すぐには動かなかった。まるで、何かを決断するまでの時間が必要だったかのように。
彼はふっと目を伏せ、わずかに頷くと、静かに一礼した。遠く離れていても、それが「行け」と告げているように思えた。そして、彼は何事もなかったかのように背を向け、庭の奥へと消えていった。
「ぼーっとしてないで、早くいくぞ!」
ルージュに手を引かれ、私は考える暇もなく馬車へと乗り込む。私たちが乗るや否や、合図も待たずに馬車は勢いよく走り出した。
行く先は――王宮、舞踏会の会場だ。
* * *
王宮に到着すると、ルージュは私を中庭の片隅にある小さな小屋へと案内してくれた。そこには、見覚えのあるローズピンクのドレスが丁寧に畳まれて置かれている。きらカレのパッケージでも、レティシアが身に着けていたドレスだ。
「どんなドレスがいいか聞く暇がなかったから適当に持ってきたが……これでよかったか?」
「ええ……バッチリよ!」
レオンの好きな色はブルー。レオンの好感度だけを意識するならば、ここは濃紺のドレスを選ぶべきなのかもしれない。けれど、泣いても笑っても今日が最後。一番『レティシアらしい』このドレスこそ、私が選ぶべきものに思えた。
私の返答を得て、ルージュは小屋の外へ出る。私は急いでドレスを身に纏った。いつもメイドに任せていたからなかなか苦戦したが、なんとか無事に着替えを終える。
期待と緊張を抱え、小屋の外に出る。すると、そこには思わぬ人物がいた。
「リュカ! なんでここに……」
そこに立っていたのは、きっちりと正装に身を包んだリュカだった。
「レティシア様……貴女の御名に、改めて詫びを捧げさせていただく」
彼の真摯な口調に、私は思わず目を見開く。ルージュとの密会を彼に見られて以来、直接話すことはなかったが、こんな形で再会するとは思わなかった。
「先日の貴族評議会では、貴女を告発するつもりで議場に足を運びました。ですが、その場で貴女とルージュ殿の高潔なる意志を知り、ようやく気づいたのです。……私の目が曇っていたことに」
確かに彼は、神とともに貴族評議会に来ていた。その場でオルディス侯爵の一件を聞き、ルージュと結託していた私の真意(?)に感銘を受けた……ということだろうか。
「そういうわけで、今日はリュカがお嬢様を会場に入れてくれるってさ」
「リュカが?!」
「ええ、私は吟遊詩人として、この華やかな宴に招かれました。貴女が共に歩むのなら、この舞踏会の扉も貴女を歓迎するでしょう。さあ、私の同伴者として、お入りください」
リュカは恭しく一礼をする。その仕草のあまりの優雅さに、私は思わず笑みをこぼしながら彼の手を取った。
「とっても助かるわ。……でも、色々なことに巻き込んでしまったのに、本当にいいの?」
「とんでもございません。貴女に星の導きを、そして今宵が最良の夜となりますように」
ルージュは舞踏会の会場の方を振り返りながら言った。
「さあ、そろそろ行った方がいいんじゃないか? レオンと踊りたいんだろ?」
「そうね。いつレオン様が来るかもわからないし……行きましょう!」
リュカは恭しく私の手を取り、舞踏会の入口へと導いてくれる。振り返ると、ルージュはその場で私たちをしばし見守り……そして背を向けた。
しかし、一歩だけ歩を進めたところで、ふと足を止める。
「……ま、頑張れよ」
いつもの軽口とは違う、どこか寂し気な声。それだけを残し、ルージュは夜の闇へと溶けていった。
「ルージュ! ……本当にありがとう!!」
きっと、これが今度こそ最後のお別れだ。私はルージュの背中に向けて、精一杯の大声で礼を言った。彼は再び歩みを止め、片手を上げた後……どこかへと消えていった。
私はそれを見届け、再び煌びやかな舞踏会の光に目を向ける。
――最後の舞踏会が、始まる。