第67話 ありがとう
祠での儀式が終わるまで、護送部隊は周辺で一時休憩することになった。荘厳な雰囲気が辺りを包み、静寂の中にはかすかな鳥のさえずりだけが響くレオンは傭兵たちが集まる場所から少し離れた場所で、本を読んでいた。その姿はまっすぐに伸びた背筋と相まって、まるで大理石の彫像のような威厳が漂っていた。
「何してるんだ、お嬢様」
「ルっ……いえ、ノワール! どうやったらレオン様に近づけるか考えていたわ……」
「相変わらず正直だな……」
ルージュは苦笑し、軽く肩をすくめた。
「とりあえず、難しく考えずに話してこいよ」
「そんな、雑な!」
「いいから、いいから」
文字通り背中を押され、私は覚悟を決めてレオンのもとへ歩み寄った。
「あの……少しお話をしても?」
「少しくらいなら、いいだろう」
本を閉じて膝に置き、レオンはあっさりとこちらに視線を向けた。
「レオン様はなぜ、今回この作戦に参加されることにしたんですか?」
「君には関係ない」
「あ、そうですよね……」
あまりにそっけない返答に思わずしょんぼりしてしまう。そんな私を見て、レオンがため息をついた。
「……前も言ったが、『天使の鏡』は我がヴァレンティス家が建国の王から賜ったものだ。今回の傭兵の離反や怪盗ルージュの予告状を考えれば、オルディス家だけには任せておけない」
「でも、わざわざレオン様自ら指揮をされなくてもよろしいのでは?」
レオンは瞑目し、一瞬の沈黙が落ちた。しかし、私はさらに問いかける。ルージュから聞いた違法な魔道具の輸入の件が頭をよぎったからだ。
「……もしかして、オルディス家について他にも気になることがあるのでは?」
「何?」
「いえ、その……商人ギルドから不穏な噂を少し耳にしたものですから。外国の貴族と結託して違法な魔道具が近頃出回っていると……」
レオンの視線が鋭くなり、心臓が一瞬縮む。
「な、なんて! ……そんな噂とオルディス家を結びつけるなんて、不敬ですわね。申し訳ありません」
そう慌てて取り繕うと、レオンはふっと息をつき、頭を振った。
「やはり、君も知っていたか。……君の考え通り、私はオルディス家の不穏な動きを警戒している」
いつも冷静なレオンの表情が、わずかに揺らいだ気がした。今までは完全に無関心な態度だったのに、少しだけ私に興味を持ってくれたのだろうか。
「オルディス侯爵が隣国とつながっているという噂は、私も耳にしている。だが、確かな証拠があるわけではない。……しかし、万が一『天使の鏡』が国外に流出すれば、取り返しのつかないことになる。だから、今回の作戦には私が同行する必要があった」
つまりレオンは『天使の鏡』が外国へ流出する危険を防ぐため、この作戦に参加したというわけか。
「しかし、オルディス侯爵の件は現状、噂の域を出ない。むやみに動けば、無実の者を貶めることにもなりかねない」
「それはもちろん。ですが……やはりレオン様自らこの作戦に参加なさったからには、オルディス侯爵が何かしらの問題を抱えているとお考えなのですね?」
私の問いかけに、レオンはわずかに目を伏せた。
「……はっきりとしたことは言えないが、オルディス家とヴァレンティス家の関係は深い。彼らの志が変化してきているのは、私も感じている」
「そう、なんですね……」
そう言いながら、彼は無意識に拳を握る。「噂の域を出ない」とは言っていたけれど、レオンも薄々、オルディス家が不正に手を染めていると考えているのだろう。
「オルディス家は、かつてヴァレンティス家と共にこの国を支えた名門だった。しかし、魔科学の台頭とともに、次第にその力を失っていった。彼らの没落が始まったとき、私はまだ幼かったが……今思えば、あの頃からすでに兆しはあったのかもしれない」
レオンの表情に、ふと陰りが差す。
「彼らが困窮しすぎないよう、援助の手を差し伸べたこともある。だが……どれだけ手を尽くしても、彼らが没落していく流れを止められなかった」
「レオン様……」
「もし彼らが本当に禁制品に関与しているとしたら、ヴァレンティス家としても彼らを擁護することはできない。しかし、その責任の一端は我々にも……私にもあるのだろうな」
「レオン様、それは……ちょっと真面目過ぎます!」
つい語気を強めてしまい、 レオンが驚いたように私を見る。私も自分の声の大きさに気づき、慌てて軽く頭を下げた。
「騒がしくしてしまって、申し訳ありません。でも、オルディス家が本当に不正を働いていたとしても、ヴァレンティス家の……さらに言えばレオン様の責任ではありません!」
「そう、だろうか……」
「ええ、そうですとも! 何でも自分の責任だと思って背負い込むと、上手くいかなくなりますよ。時には割り切らないと!」
ふと、今週金谷さんがいなくなったおかげで私に仕事が殺到し、ミスを連発してしまったことを思い出す。でもそれは、急にいなくなった金谷さんやフォローできなかった会社のせいであって、私のせいではないのだ!
私は自分にも言い聞かせるように、うんうんと大きく頷く。
「だからレオン様。今後、オルディス家がどうなったとしても、気に病まないでくださいね」
レオンは考え込むように視線を落とし、やがて小さく息をついた。
「……ありがとう」
その言葉とともに、彼の口元が微かに綻ぶ。
(う、麗し……?! 神、推しだからってかっこよくしすぎでは?!)
後光が差しているかのような神々しい笑顔を前に、心の中で歓喜の鐘が鳴り響く。間違いない、この笑顔は確実に好感度を稼げたはず!
(それにしても……オルディス侯爵、 最低どころの話じゃないわね……!)
レオンは、ここまでオルディス家のことを気にかけ、何度も手を差し伸べようとしたのに……それを踏みにじっただけでなく、裏切りまで働いたとは。恩を仇で返すとは、まさにこのこと。
(こんなに真面目で、ついでに麗しいレオンを裏切るとは……絶対に許さない!)
レオンの名誉を傷をつけることなく、オルディス侯爵の悪行を暴いてみせる! ……と、決意を新たにしていると、祠の方からにわかに騒がしい声が聞こえてきた。儀式が終わったのだろう。
いよいよ、ルージュが『天使の鏡』を手に入れる時がやってきた。
(さあ、ルージュ。ここからが正念場よ……!)