第61話 朝焼けの馬車
翌朝、柔らかな光が窓のカーテンを透かして寝台を照らしていた。薄く残る晩餐会の余韻を振り払い、私はベッドから起き上がる。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。今日は大事な日だから、いつもより気合を入れてお願い」
メイドたちが慣れた手つきでドレスを整え、髪を優雅にまとめていく。鏡の中の自分を見つめながら、私は小さく笑みを浮かべた。
(今日こそ、レオン様に良い印象を与えるチャンス。絶対に逃さないわ)
玄関ホールに降りると、既にルージュが待っていた。黒のコートを纏い、いつものように気だるげに立っている。私の姿を一瞥すると、口元にわずかに皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、ルージュ」
「ごきげんよう、お嬢様」
淡々とした声に、どこかからかうような響きがあるのは気のせいではないだろう。私は軽く咳払いして気を取り直した。
「外に馬車を待たせてあるわ。行きましょう」
ルージュは無言で頷き、私の後ろを歩きながら馬車へと向かう。黒い革靴が大理石の床に軽やかな音を立てた。
馬車に乗り込むと、ルージュは座席に体を預け、足を組んだ。私は向かいに腰掛け、窓の外に目を向ける。街路樹の葉が朝の風に揺れていた。
「それにしても、昨日は上手くいったわね。ちょっと驚いたけど」
「お嬢様の恋は進展しなかったようだけどな」
「……ま、これからよ、これから」
『天使の鏡』作戦は順調だったものの、リュカを使った神の妨害は不発に終わり、神抜きでレオンと会えたにもかかわらず、好感度を稼げた手応えはなかった。どうやら、ルージュから見ても昨日の私はダメだったらしい。
「気を取り直して。改めて状況を確認させてもらっていいかしら?」
「ああ」
「まず、明日の『天使の鏡』移送計画にルージュを潜り込ませる計画は成功したわ。あとはどう鏡を盗み出すか、かしら?」
「恐らく今日は移送ルートや警備配置を詳しく聞けるだろう。細かい方法はそれから考えるさ」
ルージュは気負うことなく言う。その自信が、これまで幾多の盗みを成功させてきた怪盗としての実力を物語っていた。
「あら、余裕ね?」
「そうでもないさ。問題は……レオンハルト・ヴァレンティスだ」
「レオン様が?」
確かに、レオンは文武両道の完璧な貴公子という設定だ。昨日の様子からも剣の腕は相当なものだろう。
「あいつが移送計画に立ち会うなら、厄介だな」
「さすがにレオン様自らが警護することはないんじゃないかしら?」
「さて……どうだろうな」
ルージュの視線は窓の外を流れる街並みに向けられていた。横顔には、かすかな緊張の色が浮かんでいるように見えた。
やがて、馬車はオルディス邸に到着した。昨夜は貴族や馬車が集まっていたため気付かなかったが、改めて見ると屋敷の外観は思った以上に質素だった。壁に施された装飾も控えめで、全体的に無駄のない造りだ。
(オルディス侯爵自身が質素なものを好むのかもしれないけど……やはり財政難の影響なのかしら)
玄関前に馬車を止めると、メイドが静かに扉を開けて私たちを迎えた。
(さあ、作戦会議に潜入よ! そして……今度こそ、レオン様の好感度をバッチリ上げてみせる!)