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第58話 紅き影、交錯する刃

「な、なんだと……?!」


 驚きに顔を青ざめたオルディス侯爵が、かすれた声を絞り出す。混乱したざわめきが広間を覆う中、レオンが椅子を蹴って立ち上がった。黒の軍服が翻り、護身用の剣が一閃して抜かれる。


「無礼者! そこを動くな」


 ルージュはおどけたように両手を上げ、仮面の下で笑った気配がした。


「わかりましたよ、王子様」


 だが、私はその声に違和感を覚えた。ルージュの声に似てはいるものの、どこか高く、軽い。私は思わず眉をひそめる。


(あれ……? でも、この声……ルージュの声より少し高い気が……)


 そのとき——。


 一陣の風が広間を裂き、影がルージュへと疾駆した。空気を裂く音が響き、光を反射する鋭い刃が一瞬だけ輝く。現れたのは、別室にいたはずの傭兵ノワール——いや、本物のルージュだった。


(ど、どういうこと?!)


 偽物のルージュはひらりと刃をかわすと、隠し持っていた短剣を抜き放つ。次の瞬間、二人の間で火花が散り、剣と短剣が激しくぶつかり合う。金属音が耳をつんざき、広間のざわめきを瞬時に凍らせた。


 私は呆然と立ち尽くし、何をするべきか分からずにいた。だが、神はといえば、頷きながらその光景を眺めている。何にそんなに感心しているのか……。


 本物と偽物の刃が交差し、力と技がぶつかり合うたび、空気が震えるようだった。だが、やがて本物のルージュの剣圧に耐えきれず、偽物のルージュがよろけた。


「はっ!」


 その隙を見逃さず、レオンが鋭く踏み込み、偽物の腹部に当て身を打ち込んだ。呻き声とともに仮面の男が崩れ落ち、広間に静寂が戻る。


「ありがとうございます」

「例には及ばない」


 短く視線を交わす本物のルージュとレオン。互いに認め合うかのような一瞬の間に、何か言葉にできない気迫が漂った。


 本物のルージュは偽物を一瞥すると、ゆっくりとホールを見回した。その視線が給仕の男に止まる。


「そこの給仕。この男を鍵のかかる部屋へ閉じ込めておいてくれ」

「あ、はい!」


 給仕たちが慌てて駆け寄り、崩れ落ちた偽物を引きずって広間を出ていく。オルディス侯爵の前に歩み寄ると、ルージュは一歩前に進み、そっと片膝をついた。その動きは無駄がなく、静寂の中でなお存在感を放っていた。


「オルディス侯爵、許可もなく屋敷で剣を抜いたこと、お許しください」

「あ、ああ……構わない。……君はたしか、レティシア嬢の紹介してくれた——」

「ノワールと申します」

「ほう……。聞いていた通り、素晴らしい腕前だった。礼を言わせてほしい」


 侯爵が手を差し出すと、ルージュは静かにその手を握った。混乱の余韻がようやく薄れ、私は胸の奥でそっと息をついた。


「レティシア嬢も、同伴者を働かせてしまって、申し訳なかった」

「え?! い、いえ。お役に立てたのならよかったですわ。おほほ……」


 密かにルージュに視線を移すと、彼は口元だけで一瞬にやりと笑った、気がした。

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