第54話 策謀の馬車
晩餐会へと向かう馬車の中。 窓の外には、王都の華やかな街並みが広がっている。
オルディス侯爵邸が近づくにつれ、煌びやかな貴族たちの馬車が道を埋め尽くし、屋敷の前へと吸い込まれていく。 そんな景色を眺めながら、対面に座るリュカが、ふと私を見て微笑んだ。
「レティシア様、確認ですが……現地でアルジェント侯爵と合流するのですか?」
その問いに、私は小さく首を振る。
「いいえ、今夜は私が父の名代として出席するわ」
「ほう、それはまた……。本来ならば、アルジェント侯爵ご自身が出席されるものかと」
「まあ、そうね。本来なら父が出席するべきだったけれど……」
私は肩をすくめ、小さく笑う。
「でも、この機会を逃したくなかったの。だから、父にお願いしたのよ。お父様抜きで参加しさせて下さいってね」
リュカは、私とルージュの間で交わされた密約を知らない。なので、「機会を逃したくなかった」という曖昧な言葉でぼやかしつつ事の経緯を説明した。
「アルジェント侯爵がそう簡単に首を縦に振るとは思えないが……お前、本当にどうやって説得した?」
「ええ、もちろん普通なら無理だったでしょうね。でも、父上は私には甘いのよ」
原作ではアルジェント侯爵は昔から私には甘く、結局最後にはレティシアの願いをなんでも聞いてしまう……という設定だ。そのせいで主人公はいろんな場面で割を食うことになる。けれど、今の私はレティシア。今回はその設定を最大限活用させてもらうことにした。
「ほう、侯爵様は王都で 『不敗の商人』 などと呼ばれているお方だと聞いていましたが……そのお方が、一人娘の頼みには弱いとは」
「今回は相当渋られたけれど、最後は結局折れてくれたわ」
ルージュは呆れたように短く息を吐き、腕を組む。「……甘やかされてるな」とぼそりと呟いた。
「もちろん、ただのわがままでは通らなかったわ。だから、父にとっても私が出席するほうが得策だと、きちんと説明したのよ」
「ほう? 一体どのように?」
リュカは瞳を輝かせながら指を組み、身を乗り出した。その目には、隠しきれない好奇心が浮かんでいる。
「例えば、リュカ。貴方をこの場に紹介できることも一つの要因だったわ。オルディス侯爵は芸術を嗜む方だもの。流行の吟遊詩人をお連れすれば、商談を進めるうえでも好印象を得られるでしょう?」
「おやおや、つまり私は手土産というわけですか?」
リュカは口の端を上げながら、芝居がかった仕草で言う。
「そうとも言うわね。そしてノワール、貴方も手土産のひとつよ」
「俺も?」
私は涼しげに微笑み、わざとらしく肩をすくめる。
「実は、お父様はオルディス侯爵から秘密裏に腕利きの護衛を求められていたらしいの。それならばと、私が信頼する貴方を推薦することを提案したのよ」
2日後に予定されている『天使の鏡』の移送にルージュを紛れ込ませるため、私は密かに商人ギルドへと働きかけ、オルディス家が支払う傭兵の報酬金に「贋金の疑いがある」という噂を流した。
魔術に依存してきたオルディス家は、魔科学の台頭により財政が悪化し、以前から傭兵への支払いが遅れがちだった。そこへこの噂が広まったことで、一部の部隊が 仕事の放棄 を決行し、結果として『天使の鏡』の移送にも影響が出る可能性があると聞いている。
こうした状況を受け、オルディス侯爵は親交のあるアルジェント侯爵に助力を求めてきた、というわけだ。
「なるほど、俺も手土産のひとつってわけか」
私の説明を聞いて何事かを察したのか、ルージュは意味ありげにひとつ、鼻を鳴らす。
「そういうこと」
私はクスリと笑いながら、馬車の外を眺める。馬車がゆっくりと減速し始めた。 窓の外に、オルディス侯爵邸の壮麗な門が見える。
「さあ、そろそろ到着ね」
馬車の車輪が最後の揺れを刻む。窓の向こうに広がるのは、煌びやかな光に包まれたオルディス侯爵邸。今宵の晩餐会はただの社交の場ではない。策略と駆け引きが渦巻く戦場だ。
そして私は、すでに盤上に駒を揃え終えている。