第3話 断罪の味
『攻略キャラクターとこれ以上親密になれない状況』になった私は、1周目を終えそのまますぐに『初めの日に戻る』と思っていた。が、どうやら違うようだ。レティシアと化していた私の姿はすっかり元の吉田 汐里(31)に戻り、いつもの真っ白な空間にいた。
「お疲れさまでした! 断罪からの断罪返し!! 神もご満足されていましたよ!」
天使のお姉さんは私の両手を握ってそのままぶんぶんと振り回す。振り回される手を眺めながら、はっと肝心なことを思い出す。きっちり『ダフネ』も巻き添えにできたのか、確認しなければ!
「あの、最後ダフネもちゃんと巻き添えにできましたか? やっぱり私だけ一周遅れになっちゃったりしてます?」
「はい、もうそれはバッチリ! お二人とも同時にゲームオーバーになっておりました!」
「そうですか……よかった」
ボーナス獲得レースに早速後れを取らなかったことにほっと胸をなでおろす。何とか機転を利かせられてよかった。怒涛の一周目を無事(?)に凌いだこともわかったし、牢屋のなかでずっと疑問に思っていたことを聞いてみよう。一人の悪役令嬢、ダフネの中身についてだ。
「あの、ひとつ質問いいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「ダフネの中身ですけど、現代の日本人ですか? ゲームが始まっていきなり誰かを殺すなんて、普通の現代日本人の発想じゃないような気がするんですが……」
今回、ダフネは私を『攻略キャラクターとこれ以上親密になれない状況』に相手を追い込むために断罪イベントを起こそうと、主人公・シャルロットを殺害した。その考え方自体はおかしくはないが、問題はその決断の速さだ。もちろん500万円という大金のためにできるだけゲームを有利に進めたいと考える、それはわかる。だとしても、平和に生きてきた人間があんなリアルな世界ですぐに人を殺そうと思えるだろうか?
「ごめんなさい。その質問にはお答えできません。ゲームを面白くするために、悪役令嬢の中身についてはお互いに明かさない方針なんです」
天使のお姉さんはしゅんと、いかにも申し訳なさそうな表情をする。
「ただ……これは完全な私個人の見解ですが……スキルをうまく扱えなかった可能性があるのでは、と私は考えています」
「スキル?」
「はい、スキル……あれ? スキルの話、してませんでしたっけ?」
「されてませんよ!」
スキルの「ス」の字も今まで天使のお姉さんからは聞いていない。
「ああそうか、すぐに地下牢に囚われてしまったのでお伝え忘れてしまっていました! それでは今、お伝えしますね。スキルとはそれぞれの悪役令嬢に備わる能力をわかりやすく言語化したものです」
天使のお姉さんが指さし棒を振ると、レティシアのイラストが宙に表示される。そして、その下にはよくある名前や性別、その他ステータス情報が羅列されていて……最後に「スキル」の欄があり、【国家予算級のお小遣い】というスキル名が表示されていた。
「レティシアさんには【国家予算級のお小遣い】というスキルが備わっていて、きらカレの世界で販売されているものについては全て購入することができます」
「売ってるもの全部買えるってことですか?!」
「はい、全て」
確かに原作でもアルジェント侯爵家はドがつくお金持ち設定だけど、お金で買えるものが全て手に入るとは、なかなか刺激的な調整だ。ゲームそっちのけで贅沢を楽しまないように、自分を制御できるだろうか……やや自信がない。
「ちなみに、ダフネのスキルは?」
「それも教えられないんです……。ですが、これから競っていくうちに相手のスキルがなんとなく予想できるはずです! スキルの活用や予測も戦略のうちなので、ぜひそのあたりも神に魅せていただければと思います!」
なるほど、スキルも戦略要素のひとつということか。レティシアのスキルがお金持ちであること、つまり本人の設定に基づくものであったということは、ダフネのスキルも同様の考え方で設定されている可能性が高い。天使のお姉さん曰く、うまく扱えないと誰かを殺めてしまうようなスキルか……ダフネの設定も改めてよく確認しておいた方が良さそうだ。
「スキルのことはよくわかりました。ありがとうございます。……ちなみに、スキル以外に言い忘れてること、ありませんか?」
「た、多分大丈夫です!」
多分か……まあ、天使のお姉さんを信じよう。……そういえば、一周目はあっという間に終わってしまったわけだが、このまま二周目が始まるのだろうか? 続けて質問してみる。
「あの、今は一周目が終わった状況だと思うんですが、このまま二週目の初めの日に送られるんでしょうか?」
「ゲームの世界の1日が汐里さんたちにとっての現実世界の1時間に相当しますから、契約書の労働時間的には、このまま二周目に移行していただくことになります。まだ8時間勤務のうち、1時間しか働いてない扱いですからね。ですが! 慈悲深き神は初めての体験で疲れただろうということで今日は早上がりしてもよいと仰っています!」
ゲームの世界の1日が現実世界の1時間か……ん? それって労働時間的には結構損してないか? いや、現実世界では1時間しか進んでいないわけだからそんなもの……なのかな? そんなことよりも、早上がりしてよい、ということの方が今は気になる。
「つまり、今日の勤務はこれでおしまいってことですか?」
「はい!」
「つまり……例の日給を早速頂けるということでしょうか?」
「はい! もちろんです!」
天使のお姉さんがいつも通り指さし棒を振りあげると、『給料袋』と書かれた茶色の封筒が空からひらひらと舞い落ちてきた。私は慌ててそれをキャッチする。
「初出勤お疲れさまでした! お約束の日給2万円です!」
これで……これで、久しぶりに好きなものが食べられる……! 日払い手渡しありがたすぎる……。限りなく0に近い預金額に、2万なんて大きな数字が足せるこの安心感は何にも代えがたい。胸に抱いた給料袋が、心なしかほんのり温かい。
「実質1時間勤務で2万円も頂けるなんて……ありがとうございます!!」
「いえいえ、これからも良い悪役令嬢を演じて頂ければよいと、神は仰っています」
神、いや神様! どこの神様か存じませんがありがとうございます! あなたのおかげで私は久しぶりに食の楽しみを噛みしめることができます……! 今日は何食べようかな? とりあえず安心して好きなだけ食べれる食べ放題系? いやいや、最初決めてた通りここはやっぱり回転寿司でしょう!! 頭が海鮮一色になってしまった私に、天使のお姉さんが声をかける。
「それでは汐里さん、最後に事務連絡3点です!」
「は、はい!」
「まず1点目! 次の出勤は来週の土曜日でお願いします。また同じ時間に、同じ場所まで来てくださいね」
「はい、わかりました」
「次に2点目! ご自宅に交通費の申請書など、雇用関係の提出書類をお送りしましたので、次回記入して持ってきて下さい。ちなみに、交通費は次回から日給と一緒にお手渡しさせて頂きますね」
交通費まで支給されるのか。お金がなさ過ぎて4駅くらい歩いて来たのでこれは素直に助かる。
「最後に3点目! 次はぜひ、誰か攻略キャラクターと仲を深めて頂きたい、と神は仰っておいでです。汐里さんのことですから心配はしていませんが、次の周回でどのキャラクターと仲良くなるか、考えておいてくださいね!」
神様としては、本来は恋の鞘当て的な展開を期待しているということだろう。今回のような断罪合戦はあくまでイレギュラーだぞ、と念押しされているのかもしれない。神様……雇用主が望むなら、出来る範囲で労働者はそれに応えるべきだろう。
「さて、事務連絡は以上ですが、汐里さんからご質問などはありますか?」
「いえ、特には」
「それではおつかれさまでし」
初めに契約を結んだときと同じように、真っ白な空間から唐突に現実に戻される。今回は呼び出されたマンションのエントランスまで送られたようだ。こうして私の初出勤は無事完了し、手元には日給2万円が残った。
「とりあえず、寿司行こう!!」
これからの私の悪役令嬢生活、楽しくなりそう!……かも?