第44話 攻略開始!貴公子レオン
そして、運命の土曜日がやってきた。
なんとなく気が急いてしまい、約束の時間より少し早めにマンションのエントランスへと向かった。高鳴る鼓動を抑えつつ、スマートフォンを取り出し、今日まで練りに練った作戦をメモで確認する。
何度目かのイメトレを終えた頃、スマートフォンのアラームが静かに鳴った。時間だ。私は深呼吸し、意を決してエントランスのパネルに「707」の部屋番号を入力し、呼び出しボタンを押す。
「あ、汐里さんですね! どうぞ!」
天使のお姉さんの変わらぬ明るい声に迎えられ、エントランスの扉がひらく。私は足早にマンションの廊下を進み、707号室のドアを開けた。
次の瞬間、視界が真っ白に染まる。もはや見慣れた転移の感覚。馴染み深い『舞台裏』――きらカレ世界へとつながる無機質な空間が広がっていた。
「お疲れ様です汐里さん。 今日もよろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
私の言葉に、天使のお姉さんは柔らかく微笑んだ。しかし、どこかいつもと違う。笑顔の奥に、微かな緊張が漂っているように見えた。
「それでは、始めましょう!」
天使のお姉さんが静かに指さし棒を掲げる。次の瞬間、くたびれたワイシャツとジーンズは消え去り、代わりにローズピンクの華やかなドレスが姿を現す。揺れるスカートの重みと、きらめく宝石の装飾。痛んだ茶髪は、艶やかな金髪へと変わる。
私は今日も、悪役令嬢になる。
「頑張ってくださいね、汐里さん。私はいつでもあなたの味方です」
「ありがとうございます。精一杯、頑張ります」
決意を込めて宣言すると、天使のお姉さんが勢いよく指さし棒を振り下ろす。
一瞬にして目の前が暗くなり、深紅の緞帳が頭上の果てから下りてくる。この舞台の向こうには、一体誰がいるのだろうか。
万雷の拍手が鳴る。きらカレ世界の幕が、上がる。
* * *
目を開くと、馴染み深いレティシアの私室が目に飛び込んできた。
豪奢な天蓋つきのベッド、繊細な刺繍が施されたカーテン、磨き上げられたマホガニーの家具。これまで過ごした日々のおかげで、すっかり見慣れた景色になってしまった。
カーテンの隙間から差し込む朝日を感じながら、私はベッドからゆっくりと身を起こした。
「そこのあなた、すぐにセバスチャンを呼んで」
部屋に控えていたメイドに声をかける。メイドは軽く会釈し、すぐに足音を響かせながら部屋を出て行った。
きらカレ世界の1日目では、シャルロットが初めて王城に呼ばれ、レオンと出会う。その場に私も同席させられる予定になっている。
しかし、そのイベントが開始するまで、手をこまねいて待っているわけにもいかない。神に勝つには、いえ、主人公・シャルロットに勝つためには、油断せず愚直に、出来ることを積み上げていくしかない。
しばらくして、品のある足取りでセバスチャンが現れる。相変わらずの優雅な所作。何度出会っても、彼の佇まいは変わらない。
「レティシア様、ご用件は?」
彼の言葉に、私は椅子へ腰掛けながら口を開く。
「これから二つ、お願いがあります。できるだけ速やかに処理してちょうだい」
私は、前もって考えていた二つの作戦をセバスチャンに伝える。彼は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締め、深く一礼した。
「レティシア様のご命令とあらば」
その変わらぬ忠誠に、私は少しだけ肩の力を抜く。
「あと、もう一つお願いがあるの」
「何でございましょうか?」
「濃紺のドレスを用意して下さる?」
レオンの好きな色はネイビー。これだけで彼の好感度を稼げるとは思わないが、チリも積もればなんとやら。小さな積み重ねが結果を左右することもある。
セバスチャンが指示を出し、メイドたちが動き出す。手際よくローズピンクのドレスが脱がされ、代わりに濃紺のドレスが私の身体を包んでいく。
過去の周回では、ダフネといういわば『副業仲間』が相手だった。でも、今回は違う。相手はこの世界の『神』。すべてのシナリオを知り尽くし、キャラクターの心理も完璧に理解しているに違いない。
(『神』を相手に、私はレオンを攻略できるんだろうか?)
不安な気持ちが胸の中に湧き上がるが、頭を振って不安を振り払う。負けるわけにはいかない。ここで勝てば、1000万円。人生を変える1000万円が手に入るのだ。
しっとりとしたベルベットの手触り、繊細なレースの装飾。鏡に映る私の姿は、いつもより落ち着いた印象を与えた。
――神との戦いが、始まる。




