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第29話 誇りある選択

 私は天使のお姉さんとの約束の通り、いつものマンションで707号室のドアノブを回した。次の瞬間、目の前に広がったのは、いつもの真っ白な空間。この非日常の光景には少し慣れてきたはずだったが、今日はどうにも胸のざわつきが止まらなかった。


汐里しおりさん! 連日の勤務、お疲れ様です!」


 天使のお姉さんは相変わらず明るい笑顔で私を迎えてくれる。その笑顔に、普段なら緊張がほぐれるものの、今日はなんだか目を合わせられない。


 頭をよぎるのは、金谷さん──いや、ダフネの提案だ。


『吉田さん。一緒に神様を騙してもらえませんか? この美味しい副業を、永遠に続けるために』

『この計画を実行するなら早い方がいい。あちらの世界で次会ったとき、答えを聞かせて下さい』


 副業が始まり、金谷さん……いや、ダフネと会えば、この提案に対する答えを出さなければならない。決断を迫られる重圧が、胸を押しつぶすようだった。


 天使のお姉さんに昨日から心に抱えた疑問を投げかけるべきか迷いながら、私は意を決して口を開いた。


「あの……一つ、質問いいですか?」

「何でしょうか?」


 その変わらない無邪気な笑顔に、一瞬、言葉を飲み込みそうになる。


「この副業は、神様のためのものなんですよね?」

「はい! 神は汐里さんがレティシアを演じているのを、いつもていらっしゃいますよ。そして、楽しんでいらっしゃいます」

「ボーナスの設定は、ゲームを楽しませるためにあるんでしょうか?」

「はい! やはり競争要素があった方が、ハラハラしますからね!」


 その答えに、胸の奥がざわつく。金谷さんの提案が、神様の期待を裏切る行為であることを改めて実感する。


「……ありがとうございます。改めて聞けてよかったです」

「いいえ。汐里さん、もといレティシアさんの奮闘を期待していますよ」


 天使のお姉さんのその一言に、思わず心がギクッとした。まるで迷いのすべてを見透かされているような気がして、胸の奥が妙に重たくなる。


 彼女は私の迷いをどこまで見抜いているのだろうか……。



 * * *



 そして、再びきらカレ世界での副業がはじまる。


 アントワーヌを攻略し始めてから4日目。私またアントワーヌの研究所を訪ねていた。煌軌石オルビオライトの件を解決してから直接会っていなかったので、アントワーヌの反応が気になっていた。

 アントワーヌの研究室の扉をノックすると、ほぼ同時に扉がギィッと音を立てて開く。中から顔を覗かせたのはアントワーヌだった。


「レティシア様!」


 私の顔を見るなり、アントワーヌは満面の笑みを浮かべる。その表情には年相応な無邪気さがあった。


煌軌石オルビオライトの件、本当にありがとうございます。これで研究を進めることができます!」

「いいえ、アントワーヌ様が素敵な品を作ってくれたおかげです。シャルロット様、幻の指輪を観て、とても感動されていました」

「そうですか……よかった」


 彼は少し照れたように頭を掻きながら、それでも満足げに微笑んだ。けれど、それも束の間、彼は手元の資料に視線を戻し、いつもの真剣な顔つきに戻る。


「それでは、早速ですが僕は研究に戻ります。煌軌石オルビオライトを迎えるための準備がありますので」

「……あ、そうですよね。お忙しいところお邪魔してしまって……」


 アントワーヌが笑顔を浮かべたまま、机へと戻ろうとする。試験管や分厚い本が散らばる彼のデスクには、煌軌石オルビオライトを迎えるための準備が整えられつつあった。その背中は自然体で、けれどどこか芯の強さを感じさせた。

 アントワーヌがデスクへ戻る様子を見ていると、頼れる誰かが遠くに行ってしまうような、なぜだかそんな気持ちが胸の奥から湧き上がる。


(なんで、こんなに心細いんだろう……)


 昨日、金谷さんの誘いを受けた時から続いていた不安が、胸の中で重く広がる。アントワーヌのまっすぐな生き方を目の当たりにして、自分の迷いが急に恥ずかしくも思えてしまったのだろうか。


「あ、アントワーヌ様」


 理由の分からない不安を晴らしたくて……私はつい、アントワーヌの背中に声をかけてしまう。


「あの……ちょっとご意見を聞かせてもらってもいいですか?」

「いいですよ」


 即答する彼に、私は思わず聞き返してしまった。


「えっ? ほ、本当に?」

「自分から提案しておいて、その反応はなんですか?」

「いや……アントワーヌ様は無駄がお嫌いかと思いまして……」

「無駄? 恩人の相談にのるのに、理由はいらないでしょう」

「……あ、ありがとうございます!」


 その言葉に、胸がじんと熱くなる。彼のまっすぐな瞳を見ていると、この話もきっと真剣に受け止めてくれると信じられた。


「仮定の話なんですが……アントワーヌ様が誰かに仕事として、トランプゲームを命じられていたとします」

「トランプゲーム?」


 アントワーヌは不思議そうに眉を寄せたが、すぐに表情を引き締め、真剣な目つきで顎に手を当てた。


「はい。トランプゲームの回数をこなせばこなすだけ、時間給を得ることが出来ます。勝てば大きな勝ち金を得て、ゲームが終わります。引き分ければゲームは続きます。その状況でアントワーヌ様はどう行動されますか?」

「それは、仕事なんですよね?」

「はい、仕事です」

「なら、ゲームに勝とうと全力を尽くします。仕事には正直でいたい主義なので。変なことをしようとすると寝覚めが悪い」


 金谷さんの提案に揺れ動いていた私の心が、大きく揺さぶられる。


「正直に……」

「単純な期待値の話なら引き分け続ければいいでしょう。でも、そういう話じゃないんでしょう?」


 その言葉が私の胸に刺さる。これはただの「期待値」の話ではない――「生き方」や「誇り」に関わる選択なんだ。こんな特殊な状況だから忘れてしまっていたけれど、この副業も立派な「仕事」だ。現実世界の本業にだって、給料が低い、辛いと文句を言いながらも、なんだかんだ真面目に向き合ってきた。

 だったらこの副業にも、そうやって向き合うべきじゃないだろうか。いや、そうしたい。


「……ありがとうございます。とても参考になりました」

「役に立てたならよかったです」


 アントワーヌが再びデスクに向かうのを見送った後、私は胸の中で決意した。


 ダフネとは今後も真剣勝負をする。そして――正々堂々とボーナスを獲得し、カードローンを返済してみせる。

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