第28話 神を欺こうとする者
神様を騙して……副業を永遠に続ける……?
「それって……どういうことですか?」
私は金谷さんの言葉の意味を理解しかねて、思わず問い返した。
「一周目のように、お互い誰もキャラクターを攻略しない状況を作り続けたいんです。そうすれば、この副業は永遠に続く」
金谷さんの口調は淡々としていて、その提案の重さをまったく感じさせなかった。けれど、彼の言葉を聞いて私の胸に広がったざわつきは、簡単に収まりそうもない。
「副業を永遠に……? でも、ボーナスはどうなるんですか?」
「特別報酬の500万円のことですよね。そんなの、この副業を続けられれば数年で稼げますよ。そもそももっと少ない額……例えば100万円なんかでよければ1年ほどで稼げる」
私は頭の中で、日給を1年分積み上げてみる。……確かに、金谷さんの計算は間違っていない。
「この副業の終わりは明言されていませんが、特別報酬が設定されている以上、どちらかがすべての攻略キャラクターを攻略してしまえば終わる可能性が高い。俺はそう考えています」
私は金谷さんの視線を受け止めながら、思考を巡らせる。彼が言うようにどちらかがすべてのキャラクターを攻略した後、ゲームにエンディングが訪れる……その様子は想像に難くない。
「真剣勝負をすれば、片方は短期間で500万円を得られる。けれど、もう片方はわずかな日給を手にしてこの勝負を終えることになる。……けれど、二人が協力すれば二人ともが確実に大金を得ることができる」
『確実に大金を得ることが出来る』。その言葉を聞いて思わず、喉が鳴る。
「悪い話じゃないと思いますが、どうでしょうか?」
悪い話じゃない──確かにその通りだ。二週目でジュリアンの攻略はなんとか成功したが、金谷……いや、ダフネによる妨害にはかなり苦労させられた。三週目のアントワーヌの攻略がうまくいく保証もない。
けれど、それで本当に良いのだろうか。
「『神様』はこのゲームを観ているって聞いてます。そんなことをして、大丈夫なんでしょうか」
天使のお姉さんの姿が頭をよぎる。明るく朗らかな笑顔を浮かべながらも、どこか底知れない威厳を感じさせる不思議な人。彼女は確かに言った。
『神々は乙女ゲームを盤面に、悪役令嬢をコマに、遊戯をすることにした』
もし、私たちが結託してこのゲームを長引かせるようなことをしたら……それは神様を欺くことになるのではないだろうか? その結果、副業を打ち切られるようなことがあれば本末転倒だ。何か恐ろしい罰が下る可能性だってある。
私は黙り込んで金谷さんの顔を見つめた。彼はそんな私を見て、困ったように薄く笑い、唐突に話題を変えた。
「吉田さんはきらカレに詳しいんですか?」
「え? ああ、実は学生時代ハマってた時期があって、それなりに」
突然の質問に、私は反射的に答える。
「実は俺も姉がやってたのを借りて、学生時代少しやってたんですよ。でも、随分前の話なので細かい部分を忘れたりしてて……」
金谷さんとの意外な共通点を知って、肩の力が少し抜ける。
「そうなんですね! 私も結構忘れてる部分が多くて……副業する前には攻略サイトを見て予習したりしてます」
「会社でもWiki、見てましたもんね」
その一言に、私はぎくりと肩を揺らす。
「え?! ば、ばれてたんですか?」
「先週はジュリアン、今週はアントワーヌのページを熱心に確認しているのを見て、もしかして……と思って、コーヒーでカマをかけたんですよ」
ダフネが『昼休みにはブラックコーヒー』と発言したことを思い出す。あれは、レティシアの中身が私かを確かめるための発言だったらしい。
「その時の様子を見て、きっとレティシアは吉田さんじゃないかと思ったんです。けど、確信までは出来なくて……それで電話番号を渡したんです」
「な、なるほど……」
「いや、でもレティシアの中の人が知り合いで助かりました。最初は単純にレティシアを邪魔し続ければ副業が続けられると思っていたんです。けど、予想外に手ごわくて」
金谷さんの話を聞いて、今までのダフネの行動が腑に落ちた気がした。ゲームを続けることが目的だったから、自らは誰かを攻略しようとせず、私を邪魔することに注力してきていたわけだ。しかしそれが上手くいかなかったので、こうして私に接触してきた。
「それで、吉田さんは俺に、協力してくれるんでしょうか?」
再び核心に触れる質問を投げかけられ、私は視線逸らす。
「『神様』を裏切ることになるんじゃないか……というのがどうしても気になって。副業をクビになるかもしれないじゃないですか」
金谷さんは少し考え込むように目を伏せたが、やがて穏やかにひとつ頷き、再び私を見る。
「リスクは確かにあります。だけど、リターンも大きい。俺はそう思います」
金谷さんの顔は微笑んでいたけれど、その瞳には明確な意志が宿っていた。『協力すると言え』……そんな圧を感じて、私は再び黙り込んでしまう。
「……ちょっとこの場では……決断できないです」
しばらくしてなんとか言葉を絞り出した私に、金谷さんはにっこりと笑った。
「まあ、そうですよね。結論を急いでしまってすみません」
金谷さんはそう言いながら立ち上がり、ジャケットを直す。
「でも、この計画を実行するなら早い方がいい。明日も副業ですよね? あちらの世界で次会ったとき、答えを聞かせて下さい」
背を向けた金谷さんが足早に店を出ていく。金谷さんの姿が消えるまでの数秒間、私はその背中から目を離せなかった。残されたのは、テーブルの上に冷めたコーヒーと、胸に残る迷いだけだった。