第25話 友情・努力・勝利
そしてまた夜が明ける。あっという間にこの周回も3日目だ。
朝の柔らかな陽光が街を包み込み、人々の活気が徐々に戻ってくる時間。私はセバスチャンと市場に立ち寄り、たっぷりとサンドイッチを買い込んだ。紙袋には新鮮な卵、野菜、ハムの詰まった色とりどりのサンドイッチがずっしりと詰まっている。
(買いすぎたかな……ま、大は小を兼ねるっていうし、いいか)
自分を納得させながら研究室に向かう。石造りの廊下を進む足音が軽快に響く。そっと深呼吸をしてから扉を開けると、机に突っ伏したアントワーヌが目に入る。徹夜作業が堪えたのだろう。散らばった紙やペンの間に、完成したオルゴールが静かに置かれていた。
「……ああ、レティシア様ですか」
ぼんやりと顔を上げた彼は、寝起きらしく声が掠れていた。目元にくっきりとクマができているのを見て、申し訳なさを覚える。
「差し入れを持ってきましたわ。お疲れのところ申し訳ありませんけど、これを食べながらお話しませんか?」
私は紙袋の中身を机の片隅に広げる。サンドイッチの香ばしい匂いがあたりに漂い、アントワーヌの瞳は僅かに輝きを取り戻した。
「……ありがとうございます。少し休憩しましょうか」
小さな口を精一杯開いてサンドイッチにかぶりつく彼の姿を眺めた後、私は机の上のオルゴールに視線を移す。
「こちらが完成したものですか?」
「ええ。昨日の提案通り、指輪が使い手の指にぴったり投影されるよう調整しました。ただ、長時間の使用には少し魔力量が足りません。それと、精度を上げるなら、追加の調整が必要です」
「もしよろしければ、試してみても?」
アントワーヌが頷き、私はオルゴールの蓋をそっと開いた。
静かなメロディが流れ出し、オルゴール全体が小さな燐光に包まれる。細やかな光が指に集まり、シャルロットの形見の指輪そっくりの、大きな宝石があしらわれた白金の指輪が浮かび上がった。
「すごい……。まるで本当に指輪を着けているみたい」
幻のように美しい光景に、私の視線は指輪に釘付けになってしまう。触れることはできないが、その輝きは本物に勝るとも劣らないように思えた。
「もし気になる点があれば教えて下さい。調整します」
「いいえ。これならきっと、シャルロット様もきっと気に入ってくださると思います」
そう告げる私に、アントワーヌは安心したように微笑んだ。その笑顔は疲労の中にわずかな達成感を含んでいるように見えた。
これで準備は整った。あとは、私の説得にかかっている――。
* * *
その日の午後、私は屋敷の庭園でシャルロットを待っていた。
庭園は色とりどりの花で埋め尽くされている。丁寧に手入れされた生垣の間を通り抜ける風は花々の芳香に満ちている。しかし、穏やかで美しい景色とは裏腹に、私の胸は不安と緊張でいっぱいだった。
(やれることはやったけど、果たしてうまくいくか……)
そんな思いを抱えながら椅子に腰掛けていると、シャルロットが姿を現した。白いドレスを身にまとった彼女は、庭園の花々に囲まれてまるで妖精のように可憐だった。その後ろには、いつものようにダフネが控えている。
「レティシア様、お招き頂きありがとうございます」
「こちらこそ。シャルロット様とは色々とお話したかったので、来ていただけて嬉しいですわ。……ああ、ダフネ様もついでに来てくださってありがとうございます」
私の嫌味を気に掛ける様子もなく、素知らぬ顔でダフネは軽く会釈する。そんな様子を見て、シャルロットがちらりと困ったような表情を浮かべる。
その後、私たちは紅茶を嗜みながらしばらく他愛のない会話を交わした。シャルロットの趣味や、最近のお気に入りの本の話題。時折ダフネも短く言葉を挟むが、いつも通り無表情で何を考えているのか全く読めない。
(そろそろ、切り出すか……)
話題がひと段落したところで、私は意を決して声を上げた。
「そういえば、今日はシャルロット様に見せたいものがありますの」
「なんでしょうか?」
シャルロットが首を傾げながら問いかけてくる。私は用意していたオルゴールをそっと取り出し、彼女の前に差し出した。
「まあ、素敵な……小箱……でしょうか?」
彼女の目がぱっと輝く。私は微笑みながら促した。
「よかったら開けてみて下さい」
シャルロットが恐る恐る蓋を開けると、柔らかなメロディが流れ出す。それと同時にオルゴールは微かな光に包まれ、彼女の指に指輪の幻を投影する。
「すごい、私の指に指輪が……! しかもこれは、私の形見の指輪……でしょうか」
「この品は、王立魔科学研究所で作られたんですよ。しかも、昨日シャルロット様に詰め寄っていた、アントワーヌ様が作ったんです」
「アントワーヌ様が……」
シャルロットは驚きと戸惑いを浮かべながら、オルゴールを見つめた。その横顔を見て、私は静かに続ける。
「アントワーヌ様は、シャルロット様が思っているより優しい方なんですよ」
「え……?」
「彼は両親を火事で亡くしているんです」
その言葉に、シャルロットは小さく息を呑む。
「自分と同じように悲しむ人を減らしたい。その一心で彼は研究を続けているんです。そのことを知って、私もその研究に協力することにしたんですよ」
シャルロットの瞳が微かに震える。感情が大きく揺れ動いているのが分かる。私はその瞬間を逃さず、さらに真剣な眼差しで訴えかけた。
「シャルロット様。私からもお願いします。煌軌石を譲って下さいませんか? この宝石は彼の研究を大きく進める可能性を秘めているんです」
「でも……」
訴える私に対し、シャルロットは反射的に形見の指輪に触れ、視線を落とした。
「シャルロット様がどれだけその指輪を大切にしているかは知っています。だからこそ、その指輪の面影を残す方法を二人で考えてみたんです。その成果が先ほどのオルゴールです」
私の言葉にシャルロットは再び視線を上げ、オルゴールをじっと見つめた。だが、そのまま押し黙ってしまう。庭園に沈黙が流れる。
(……押して駄目なら引いてみるしかない)
沈黙を切り裂くように、私は口を開いた。
「急に勝手なことを言ってごめんなさい。譲ってもらうことを前提に、こんなものまで用意して……ご迷惑でしたよね」
「いえ……そんな……」
「先ほどのお願いは忘れてください」
私が静かにそう告げると、シャルロットが大きく息を吸い込み、絞り出すような声で言った。
「待ってください! ……私の煌軌石、研究のために……この国のために使ってください!」
彼女の言葉は決意に満ちていた。その声を聞いた瞬間、私の胸に広がっていた緊張が一気にほどけ、安堵と高揚感がじわじわと広がっていくのを感じた。
「シャルロット様、本当に……?」
シャルロットがはっきりと頷き、手のひらで形見の指輪と魔法が映し出した指輪、その両方をそっと包み込む。
(……これでアントワーヌの研究も一歩前進する。そして、きっと私への好感度もうなぎのぼりになるはず!)
私は心の中で歓喜の声を上げながら、思わず背中の後ろでぐっと親指を上げる。こうして、形見の指輪争奪戦は、私の勝利で幕を下ろしたのだった!