第21話 形見争奪戦、開幕
天使のお姉さんから【国家予算級のお小遣い】の使用法を聞かされて一夜明け、私は早朝から商人ギルドに出向いていた。目的はアントワーヌから依頼された研究資材を手に入れることだ。直接買い付けに行くのは正直面倒だが、スキルを活用するためには仕方ない。
まだ陽が昇り切らない時間帯にも関わらず、商人ギルドの周辺では威勢のいい掛け声が飛び交っている。活気あふれる商人たちの間を抜けてギルド本部に入ると、そこは外よりもさらに慌ただしい。資料やサンプルを抱えたスタッフたちがせわしなく行き交い、どこか独特な熱気が漂っていた。
「レティシア様! こんな朝早くからどんなご用件でしょうか?」
受付の男性が慌てたように駆け寄ってきた。アルジェント候の名を持つ私の存在は、商人たちの間で特別な意味を持つらしい。
「ごきげんよう。早速だけどこのリストにあるものをなるべく早く王立魔科学研究所に搬入して下さい。お金はいくらでも支払います」
「こ、このリスト全てでしょうか……?」
「ええ。お願いいたします」
男性が震える手でリストを受け取る。その指先がわずかに汗ばんでいるのが目に入った。彼の不安げな様子に一抹の不安を覚えつつ、奥での対応を待つ。
しばらくして、責任者らしい初老の男性が現れた。リストを手に、神妙な面持ちで近づいてくる。
「リストを精査致しました。いくつかの物資については用意に数日お時間を頂きますが、ほとんどのものは今日中にご用意ができる見込みです」
その言葉に、私は胸を撫で下ろした。早朝から足を運んだ甲斐があったというものだ。だが――。
「ただ……煌軌石についてはやはりご用意が難しい見込みです」
「どうにかならないんですか?」
やはり煌軌石についてはすんなり手に入れることはできなかった。無理だと頭ではわかっていても。しかし、食い下がらずにはいられなかった。
「煌軌石は採掘実績自体が少ない、非常に希少な鉱石です。数年前に王立魔科学研究所に辺境伯から寄付がありましたが、研究の過程で失われたと聞いています」
「それでは、現存するものは……?」
「現存するもので所在が明確になっているというと、代々辺境伯に伝わる指輪でしょう。そういえば、一人娘のシャルロット様が現在王都にいらっしゃっているらしいですね」
辺境伯に伝わる指輪――それが原作でシャルロットが母から譲り受けた形見の品であることを、私は知っていた。
(やはり、シャルロットに聞くしかない、という訳か……)
「セバスチャン、シャルロット様にアポイントを取ってくれる?」
後ろに控えるセバスチャンに首だけ向き直り、面会の取り付けを頼む。
「差し出がましいかと思いましたが、既にお声がけをさせて頂いております」
「流石セバスチャンね。それで、いつ彼女に会えるのかしら」
「実は、今日は魔科学研究所を見学なさるようで、その後なら……と」
「なんですって……」
なんとか冷静を装いながらも、内心では冷や汗が流れていた。シャルロットがアントワーヌに接触する気配は昨日の段階ではなかったはずだ。それなのに――油断していた自分が悔やまれる。
「セバスチャン、今すぐ魔科学研究所に行くわよ!」
***
昨日ぶりに訪れる魔科学研究所。門前の金属製ドアノッカーを二度叩くと、昨日とは違い若手研究員が現れた。館内に一歩足を踏み入れると、空気がざわついているのがわかる。壁に映る魔法陣の光が揺れて見えるほどだ。
「何か騒がしいようですけど、どうかしたんですか?」
「実は……ブレイユ研究員とどこかのご令嬢が揉めていまして」
その言葉に胸がざわついた。
「まさか……シャルロットが?」
騒がしい声の方へ足早に向かう。すると、アントワーヌの切羽詰まったような声が聞こえてくる。
「なぜ分かってくれないんですか! 僕の研究には煌軌石がどうしても必要なんです!」
声を頼りに廊下を曲がると、アントワーヌとシャルロットが向き合い、言い争っている光景が目に飛び込んできた。
(そして、シャルロットの居るところには……ダフネ!)
さらにその後ろでは憎いアイツが壁際で腕を組み、じっと成り行きを見守っている。
「いい加減にしてください。この指輪は亡くなった母の形見なんです、お譲りすることはできません!」
アントワーヌの必死な叫びに対し、シャルロットの声は小さく、震えている。
「そんな情緒的で下らない理由で科学の発展を妨げるんですか?」
「くだらない……なんて……!」
シャルロットは目に涙が浮かべ、唇を噛みしめる。
「と、とにかくこの指輪を提供する気はありません。申し訳ありませんが私はここで失礼いたします」
彼女は私の隣を駆け抜け、足早にその場を去っていく。
(そんな……! これから交渉に入ろうと思っていたのに、アントワーヌとシャルロットが仲違いしてしまったらとても形見の指輪は手に入らない……!)
呆然と立ち尽くす私の視界に、シャルロットを追うダフネの姿が映る。彼女の口元には微かに笑みが浮かんでいるように見えた。
(まさか……この騒動、ダフネが仕掛けたの?)
頭の中で警鐘が鳴り響く。この三週目でも、再びダフネの影が私の行く手を遮ろうとしている――そんな確信が私の胸に芽生えていた。