第11話 第二次ハンカチ戦争
「昨日のハンカチ、結局どうされました?」
ティーカップに指をかけながら、私は意識して優し気に微笑み、シャルロットに尋ねた。腹を下して屋敷に引っ込んだダフネの背中を心配そうに見ていた彼女は、はっと私の方に向き直る。
「昨日の、あの騎士様のハンカチのことですね! 実はダフネさん、レティシア様に違うハンカチを間違って渡してしまったみたいで……まだ、私の手元にあるんです」
そう言って、シャルロットはドレスの袖から騎士団の紋章が刺繍されたハンカチを取り出す。やはり、シャルロットが持っていた。恐らく昨日の騒動のあと、ダフネがシャルロットに再度ハンカチを渡したのだろう。
私は一口紅茶を含み、あくまで冷静に『親切心で言っていますよ』という風を装ってシャルロットに言う。
「やっぱりシャルロット様がお持ちになっていたのね。私からジュリアン様に渡しておきますので、お預かりしますわ」
さあ渡せ! と心の中だけで念じながら、きわめて優しくシャルロットに手を差し伸べる。しかし、シャルロットの反応は昨日とは違った。胸元できゅっとハンカチを握りしめたまま、私にハンカチを渡さなかった。私はさらにずいっと手を差し出し、シャルロットに問う。
「シャルロット様、どうされました?」
「……あの、私から直接ジュリアン様にお渡ししてはいけませんか?」
喉元まで出かかった「絶対に駄目です!」を飲み込み、私はどうにか微笑を浮かべた。なぜシャルロットがそんな心変わりをしたのか、ダフネの動向を探るためにも知る必要がある。
「それは……何故です?」
「レティシア様も聞かれていたと思うのですが、私、レオン様にその……婚約者として認めないと言われてしまって、庭園で一人落ち込んでいたんです。そこにジュリアン様が来て、慰めて下さって勇気をもらうことができて」
知ってる。原作でそのイベントは何回も経験している。
「だからぜひ、直接お礼を言いたくて……駄目でしょうか? ダフネさんから、ジュリアン様はこのお屋敷にいらっしゃると聞いて、直接お返しできるかも、と思ったのですが……」
つまり、ダフネにそそのかされて、やっぱり自分でハンカチを返したくなったと。やはりアイツの目的はシャルロットをジュリアンルートに入れること、そして私のジュリアン攻略を邪魔することで間違いないようだ。
シャルロットは小動物を思わせるような瞳で私を見つめているが、今後のことを考えると、シャルロットの申し出は断るしかない。とはいえ、真っ向から拒否するのも不自然だろうと考え、折衷案を提案する。
「駄目なんてそんなことないですわ。……ただ、とある事情でこれから7日間はジュリアン様は忙しくしていますの。ですから、それよりも後に直接お話しする機会が作れるよう、お手伝いさせて頂きますわ」
私はこの世界に最大で7日間しかいはず。シャルロットにはそのあとゆっくりジュリアンと親交を深めてもらえばいい。
「ジュリアン様、今はお忙しいのですね。私、知らなくて……。ぜひ、ジュリアン様が落ち着かれてから、お礼をお伝えできればと思います」
「いえいえ、シャルロット様は王都に来たばかりですもの。当然ですわ……それでは、さあ、安心してハンカチは私にお預けになって下さい」
シャルロットは可憐な微笑みを浮かべて、ようやくハンカチを私に差し出す。やった、ようやく……ようやくシャルロットのフラグが折れる! 勝利を確信した、その時。
「待ってください!」
庭園にダフネの声が鋭く響く。慌てて振り向くと紅い髪と服を乱したダフネと……まさかジュリアンがこちらにやってきていた! 私は慌ててセバスチャンを振り返り、声を出さず口の形だけで訴える。
(なんでダフネがここにいるんです?! しかもジュリアン様を連れて! トイレに南京錠を三重にかけて閉じ込めろっていったでしょう?!)
セバスチャンはさりげなく私の傍に寄り、シャルロットたちに聞こえないように私の耳元で囁く。
「申し訳ありません。そのように計らいましたが、信じがたいことにダフネ様は南京錠はお手洗いの内部から破壊し、脱出されたようです。その後、メイドの静止を振り切ってジュリアン様を見つけ出し、こちらに向かっている……と今ほど報告を受けました」
内部から南京錠を破壊?! そんなことありえない……とは言い切れない。ダフネが正体不明のスキルを使った可能性がある。ただ、今はその理由を考えている場合ではない。シャルロットとジュリアンが接触しては今までの努力が台無しになってしまう!
「セバスチャン、ダフネ様はまだ体調を崩されているはず。無理をしないようお止めして! シャルロット様は私とお屋敷の中へ行きましょう」
苦しいが、何とかセバスチャンに手伝ってもらって二人を引き裂くしかない。私はシャルロットの手を必死に引くが、ジュリアンの方を見つめ、なかなかその場から動こうとしない。
「ジュリアン……様……?」
「シャルロット様! またお会いしましたね」
シャルロットの呟きに、ジュリアンが手を挙げて応えてしまう。シャルロットは花が綻ぶように微笑み、ジュリアンに駆け寄る。その頬はほんのり紅潮し、微笑みは朝露を受けた花のように輝いていた。セバスチャンはジュリアンを何とか止めようとしてくれたが、ダフネに行く手を阻まれ思うように動けず。ついにシャルロットとジュリアンは赤い薔薇に彩られたアーチの下で再会してしまう。
「これ……ハンカチ、ありがとうございました。あと、昨日は突然泣いてしまってごめんなさい……温かい言葉にほっとしてしまって……」
「いえ、少しでも慰めになったなら良かった」
そしてシャルロットは持っていたハンカチをジュリアンに返し、ジュリアンはそれを受け取る。
「また、会えて、お礼を言えて嬉しい」
シャルロットは輝くような笑顔を浮かべ、ジュリアンもその笑顔に微笑みで応える。場所はさておき、原作通りの展開だ。つまり、シャルロットは結局、ジュリアンルートに入ってしまったということで……。
(私はまた、ダフネにしてやられたってこと……)
あまりの喪失感に私はやや呆然とその場に立ち尽くす。が、やりきれない気持ちが腹の底から立ち上って抑えられなくなり、無意味とわかりつつもダフネに詰め寄る。
「これで勝ったと思わないことね。あなた自身のゲームが順調に進んでいないこと、私は知ってるんですから」
ああ、なんて悪役令嬢らしい台詞なんでしょう。心の中の冷静な私が自嘲するように呟く。感情的な私とは対照的に、ダフネは無表情にじっと私を見つめ返す。
「……貴女は何もわかっていない。私の行動は貴女のためにもなっているというのに」
「どういうことです?」
私の問いかけを無視して、ダフネはジュリアンと楽し気に話すシャルロットの方へ歩いて行く。こうして、私はハンカチを巡る戦いに敗北を喫したのだった。