第10話 庭園でお花を摘みに
「……朝……?」
瞼に朝日を感じて、私は目を覚ます。腕を伸ばして枕元にスマホを探すが、どこにも見つからない。おかしいなと思いつつ上半身を起こし、目をこすりながらあたりを見渡す。すると、私は絵にかいたように豪華な天蓋ベッドに寝ていることに気が付く。
「そうだ……今、悪役令嬢の副業中だった……」
改めて言葉に出すとやはり信じがたい状況だが、実際に悪役令嬢に変身してきらカレの世界に入っているんだから仕方ない。ゲームの中の存在だったレオンやシャルロット、それにジュリアンに実際会って話をしたなんて、もしきらカレをやり込んでいた昔の私が聞いたらひっくり返るだろうな。
(ジュリアン……か……)
ふと、ジュリアンとの会食のことが思い出される。とんでもない失態はあったものの、料理は美味しくてジュリアンは文字通り二次元から抜け出してきたようにカッコよくて……。
(ぜんぜん完璧じゃなかったけど、楽しい時間だったな)
ぼんやりとそんなことを考えてしまうが、いやいやちょっと待て! と自分にツッコミを入れる。あくまでも私の目標はボーナスを得るためにジュリアンを攻略することだ。ジュリアンと恋愛をすることではない。そんな甘い気持ちでは、あの何を考えているか分からないもう一人の悪役令嬢―――ダフネには勝てない。
(ボーナスのため! 500万円のため!! 今日も頑張ろう!!)
今日の目標はジュリアンの攻略に向けて、シャルロットのジュリアンルート入りを阻止すること。原作に準拠するならば、シャルロットがジュリアンに落とし物のハンカチを返すことでジュリアンルートに入るフラグが立つ。何とかこのイベントが起こらないようにして、フラグを折る必要がある。
一日目同様、ダフネはきっと私の邪魔をしてくるだろう。何も対策せずにフラグを折ろうとすれば、きっと失敗する。ダフネの動きを制限しつつ、確実にシャルロットのフラグを折るには……やはりあの作戦で行くのが一番いいだろう。
「セバスチャン、いるかしら? 来て頂戴」
「はい、ここに」
私がセバスチャンの名前を呼ぶや否や、ほとんど魔法のようにセバスチャンが扉の影から現れる。
「シャルロット様をお屋敷に招きたいの。準備してくれる?」
* * *
「レティシア様、今日はお招きいただきありがとうございます!」
「いえ、急なお誘いでごめんなさい。ぜひシャルロット様とお話がしたくてお声がけさせていただきましたわ」
あの後、早速セバスチャンにアポイントを取ってもらい、お昼少し前にシャルロットを屋敷に招くことに成功した。相変わらずセバスチャンは仕事ができる。
「……あら、ダフネ副団長もいらっしゃったのね」
「はい。私はシャルロット様の護衛を命じられていますので」
案の定ダフネもくっついてきた。私は昨日の恨みを込めてダフネを睨みつけるが、ダフネは素知らぬ顔だ。シャルロットは私とダフネの間の異様な雰囲気を感じ取ったのか、おろおろと私とダフネの顔色を窺っている。
そんな私たちの様子を見かねて、セバスチャンが「お嬢様、そろそろお二人をお庭にご案内しては」と助け船を出してくれる。いけないいけない。ダフネのせいで時間を無駄にするところだった。
「シャルロット様、よろしければ今日は私の大好きな庭園でお茶を頂きましょう。ご案内いたしますわ」
屋敷の回廊を抜けると、美しい花々が咲き乱れる庭園が広がっていた。大きく花びらを開いた薔薇を風が揺らし、甘い香りを運んでくる。「なんて素敵な場所……」シャルロットはうっとりと呟く。なお、ダフネは全く興味がなさそうだ。
庭の中央には、繊細な彫刻が施されたテーブルと椅子が用意されていた。テーブルには白いレースのクロスが敷かれ、その上にはすでに茶器や軽食が並べられている。
「さあ、おかけになって」
私が促すと、シャルロットとダフネはそれぞれ椅子に腰かける。それを合図にセバスチャンが優雅な所作で紅茶を淹れ始めた。ティーポットにお湯が注がれ、あたりに広がる紅茶の香りを感じながら、私は頭の中で今日作戦を振り返る。
作戦の内容は、シャルロットが勝手にジュリアンに接触できないように私からシャルロットを屋敷に招いた上で、ハンカチを奪取するというものだ。この作戦のミソはダフネを私の屋敷……つまり私の陣地に招き入れるということ。この屋敷の中でなら、ある程度無茶をしても誰かに咎められることはない。隙を見計らってダフネを無力化したうえで、確実にフラグを折ってみせる!
そうこうしているうちにセバスチャンがそれぞれのカップに紅茶を注いでくれた。
「さあ、お二人とも召し上がって。セバスチャンの淹れる紅茶はとても美味しいのよ」
ま、私も飲むのは初めてだけど! 私に促されてシャルロットとダフネはカップを口にする。
「わあ……とっても美味しいです! ね、ダフネさん」
「……ええ、そうですね」
シャルロットは瞳を輝かせながら言う。ダフネも美味しい紅茶には抗えないのか、わずかに口元を綻ばせた。私は呑気に紅茶を口にするダフネを見て、内心ほくそ笑む。
ダフネがティーカップをソーサーに置いた、次の瞬間、その眉間に深い深いしわが刻まれる。白い額にはみるみるうちに脂汗が浮き、表情は苦痛に歪む。―――かかった! 実は、セバスチャンに頼んでダフネのカップにはよく効く下剤を仕込ませてもらった。紅茶を愛するセバスチャンには苦言を呈されたが、この際手段は選んでいられない。
「レティシア……あなた……」
「あら、ダフネ様どうかされました? もしかして紅茶がお口に合わなかったのかしら?」
白々しく私が言うと、ダフネは腹に手を当て、溜まらず椅子に座ったままうずくまる。無様なダフネの姿を前にして思わず高笑いしそうになるが、シャルロットの手前、我慢する。
「くっ、お、お腹が……」
「まあ大変! 体調を崩されたのね……誰か、ダフネ様を屋敷お連れてして!」
私がいうと、控えていたメイドが二人、ダフネを両脇から抱えあっという間に屋敷に連行する。恐らくダフネはこの後トイレに直行するだろうが、そのトイレの扉は不幸なことに故障して簡単には開かなくなる予定になっている。
「ダフネさん、大丈夫でしょうか……」
シャルロットはダフネの背中を心配そうに見つめながら言う。
「ダフネ様、今日は体調が悪かったのかも知れないですね」
「そうなんですね。もし体調が悪かったなら、連れ出してしまって申し訳なかったです……」
素直にダフネを気遣うシャルロットの姿を見てやや良心が痛むが、背に腹は代えられない。私はボーナスのために修羅になったのだ。……さて、邪魔者が居なくなったところで、本題に入ろう。
「そういえばシャルロット様、私聞きたいことがひとつあるのですけれど……」
「何でしょうか?」
「昨日のハンカチ、結局どうされました?」
ジュリアンのハンカチを奪い返し、シャルロットのフラグを折る!