第8話 悪役令嬢は守られたい
「ダフネの奴……許さん……」
唇から血を流しながら、悔しさを少しでも発散できるよう低く呟く。セバスチャンは何も言わずにそんな私の唇の血をぬぐい、リップクリームを差し出してくれた。流石だ。いい香りのするリップクリームを塗って、私は気持ちをなんとか落ち着ける。感情的になっても何も得しない。ここは一旦冷静になろう。
ダフネにハンカチを持ち去られ、シャルロットのジュリアンルート突入阻止は失敗した。しかし、この世界が原作通りであればシャルロットの攻略ルートが確定するのは2日目、シャルロットがジュリアンにハンカチを返すイベントが発生したときのはずだ。
(つまり、明日までは今回の失態を挽回可能なわけだ)
今すぐにダフネとシャルロットを追いかけることも出来なくはないけれど、何の準備もなく敵陣に飛び込むのは得策ではない。きっとまたダフネに妨害され、時間を無駄に浪費してしまうだろう。ならば今は当初の予定どおりジュリアンの好感度を上げることに注力したほうがいい。そうと決まれば即行動だ!
「セバスチャン! ジュリアン様との会食の準備をして」
「すぐに準備いたしますか?」
「ええ、なるべく早く」
「畏まりました」
時刻はちょうど夕方。ジュリアンと夕食を共にして、ダフネの妨害なんか気にならないくらいに好感度をしっかり稼いでやる! そう気合十分に意気込んで屋敷へ急いだ。
* * *
屋敷に帰ってまもなく、メイドから食事の用意が整ったことを告げられる。私は晩餐室に向かいながらジュリアンの好感度を上げるために考えた作戦を頭の中で振り返る。
(今回の会食の目標は、ジュリアンに『こいつには俺がいないと駄目だ』と思わせること! とにかく守ってあげたくなる女を演じて、庇護欲を煽って煽って煽りまくる!)
晩餐室に到着するとジュリアンは既に到着していて、私の席の向かいの席に座っていた。テーブルに並ぶ豪華絢爛な料理が気になって仕方がない様子だ。近衛騎士団長とはいえ、アルジェント家で供されるような食事を口にする機会はなかなかないのだろう。
「ジュリアン様、我が家の夕食はお気に召して?」
「レティシア様! いや、あまりに豪華な食事でつい見入ってしまって……」
「近衛騎士団長様に無理なお願いをしてしまっているんですもの。どうかこれくらいのお礼はさせて下さい」
私はジュリアンに一言挨拶をしてから、椅子に腰かける。それを合図に給仕のメイドたちが私とジュリアンの銀の杯に葡萄酒を注ぐ。
「それでは、7日間が無事に過ぎますように」
私はジュリアンの瞳をちらりと見つめ、杯を軽く掲げた。ジュリアンも同じように杯を持ち上げ、そのまま一口含む。私もそれを見て同じく注がれた葡萄酒を口にする。が、ここで予想外のことが起きる。
(エッ……この酒……美味しすぎない……?)
ここ数年、食費を極限まで削った生活をしていたため、お酒なんて付き合いでいく飲み会で安いサワーを口にするくらいだった。それと比べてこのワインはどうだ。奥深い味わいが脳天にぶっ刺さる。端的に言って悪魔的に美味しい。さらになんてことだ、見るからに殺人的に美味しい牛ステーキが私を誘惑している。きらカレ世界の食事のマナー的に大丈夫か? という疑問が一瞬よぎったが、私は誘惑に耐え切れず牛ステーキに手を伸ばし、口にする。
(ああ……神よ……)
私は、きらカレ世界を作った創造神に心からの感謝を捧げた。こんなに柔らかい牛肉、どれだけ久しぶりに食べただろうか。感動のあまり涙ぐんで肉を噛みしめていると、向かい側の席から笑い声が聞こえてきた。ジュリアンだ。
「ずいぶん美味しそうに召し上がるんですね。まるで新米の騎士のようだ」
「あっ?! ……いやですわ、私ったら。お客様の前で……」
「気にしないで下さい。食事は楽しく食べたほうがいい」
慌てて取り繕うが、ジュリアンはどこか嬉しそうだ。確かジュリアンはもともと平民出身。レティシアに親しみを感じてくれたのかも知れない。……この和やかな雰囲気。今がジュリアンとの距離を縮めるチャンスではないだろうか。
「ありがとうございます。こんな楽しい食事は久しぶりですわ」
「ご家族とはあまり食事を一緒にされないのですか?」
「父はあの通り忙しくて、母は幼い頃に亡くしておりますので……」
守ってあげたくなる女ポイントその1! 悲しき過去! 死ぬほど恵まれた生い立ちのレティシアだが、設定上母親を亡くしている。
「それは……知らずに申し訳ありません」
「いいえ、せっかく楽しい席ですから気になさらないで下さい! 恥ずかしいのですがお友達もあまりいないので、近い年頃の方と気安くお食事できるのが嬉しいんです」
守ってあげたくなる女ポイントその2! 友達いないアピール! レティシアはそのキツい性格のせいで友達がおらず、交友関係は寂しい。……なんか私もレティシアが可哀そうに思えてきた。ジュリアンも同じ気持ちのようで、憐れむような、心配そうな顔でこちらを見ている。
「ジュリアン様、よかったら私の護衛でいて下さる間、毎日夕食を共にして頂けませんか?」
「私は構いませんが、レティシア様は妙齢のご令嬢。今後縁談があることも考えると、あまり頻繁に二人で食事というのもよろしくないのでは?」
いい流れだ! 少女漫画ではこういう時「あなたとなら勘違いされてもいい……」と伝えていい雰囲気になるのが定番の流れ。31歳の自分のままならそんな恥ずかしいこと口が裂けても言いたくないが、今の私は悪役令嬢・レティシア! 決めるしかない!!
「確かにそうかもしれません。でも……ジュリアン様となら私、噂になっても……」
ちらりと上目遣いでジュリアンを見つめる。どうだ?! ややキツめかもしれないがレティシアは若い美少女。見つめられて悪い気はしないだろう! しかし、ジュリアンは一瞬驚いた顔をしたと思うと、大げさなくらいに噴き出した。……ナンデ?
「レティシア様……ずっと言えなかったのですが……」
「は、はあ」
「お肉がその、歯に挟まっています。あと口の周りにソースが……」
「……え?」
「年上の男をからかうときは、もう少し身嗜みに気を付けた方がよろしいかと」
どうやら、肉が美味しすぎて色々口元が散漫になってしまっていたらしい。そんな状態で決め台詞を口にしてしまったとは……恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。いやマジで。
そこからのことは正直よく覚えていない。会話をどう立て直していいか分からず、ジュリアンの話にただ相槌を打ちながら無心に料理を貪った。そして、会食が終わった後はわき目も振らずに私室に戻り、ふかふかの枕に頭を埋めて足をバタバタさせて羞恥心を発散した。