【閑話】変わる皇都⑥〜メディチ公爵の算段
列歴98年 6月30日 22時19分 2区(華族区)メディチ公爵邸 当主執務室
この国屈指の華族であり、そしてリータ・ブラン・リアビティの最大の後援者であるジョヴァンニ・フォン・メディチ公爵は、リータが新たに建設している皇妹派の街、通称『リータウン』への移住を希望している華族が一覧となってまとめられている資料に目を通しながら、これからの政争の展望を考えていた。
あの街は、リータが居住している東宮を引き払う代わりに、皇区の東側の華族区と接する平地の所有権を皇王フェルディナンドから譲り受けた土地と元々華族区でメディチ公爵が水面下で確保していた土地とを合わせた場所に建築されている。
皇王フェルディナンドは東宮からリータを追い出して、そこに自身の息子を住まわせることで、次代の皇王が自身の息子であると喧伝するつもりでリータとの取引に応じたが、その腹積りのなんと浅いことか。
すでにリータは皇王の地位を譲り受けるつもりなどなく、奪い取るつもりなのだ。
つまり皇位継承順位などもう何位でも良い。
ただその資格があれば良いのだった。
皇妹派の団結力を内外に示すためにこの街は建築され、そして移住希望者を取りまとめるメディチ公爵の元にはその応募が殺到していた。
(思ったより中立派の希望が多いのねん…それに軍の将校の移住希望も多い…これはシリュウ准将とパオ少将を取り込んだ良い影響がさっそく出ているのねん)
シリュウとパオがリータの勢力下にあることは皇都中に知れ渡っていた。
なぜならリータ率いる外交使節団が帰国して間もなく開催された晩餐会にて、メディチ公爵やアンブロジーニ侯爵などの有力華族を差し置いて、リータは自身の両隣にシリュウとパオを座らせていたからだ。
シリュウに至っては、食事を食べさしてあげるなど我が子のように可愛がるその様子は晩餐会に出席していたほとんどの華族が目撃していた。
当のシリュウとパオもリータを慕っている様子が窺え、両者の間に固い絆があることは誰の目にも明らかだったからだ。
そしてシリュウとパオは市井の人々から絶大な人気を誇っていた。
元々パオは海軍の英雄として人気があったが、今回の遠征で十傑を一騎討ちで打ち倒した功績でさらに人気に拍車が掛かった。
シリュウはインペリオバレーナを討伐したことで、皇都の民から人気を博し、さらに今回の遠征で十傑の1人を捕縛し、かのロロ・ホウセンを一騎討ちで撃退したこともあって、皇都で今一番人気のある軍人と言っても過言ではない。
ベアトリーチェとの結婚がなければ、皇都中の華族令嬢がこぞって縁談を申し込んだだろう。
中には側室でも良いからシリュウと縁を結びたがる令嬢もいるそうな…
そんな2人を従えているリータという存在は、皇都華族も決して無視できないほどの存在感をこの皇都で放っていた。
さらにサルトリオ侯爵が皇王派から皇妹派に翻ったこともあり、皇妹派の勢いはかつてないほどのものとなっていた。
この皇妹派の勢いについて、メディチ公爵は冷静に分析する。
(ここまでの状況の分水嶺は間違いなく、『鯨事変』なのねん)
『鯨事変』
5月に皇都にインペリオバレーナが迫り、これをシリュウとパオが討伐したことを切っ掛けに皇都で起こった一連の政争を皇都華族はそう称していた。
まずインペリオバレーナが討伐されたことにより、皇都中にインペリオバレーナの素材が溢れかえった。
その素材を海軍から買い取った商業省はメディチ公爵家の商会で売り捌き、商業省は巨万の富を得た。
商業省の財政基盤が強化され、国家予算を司る皇王派の財務省に対して、商業省は相対的に勢力を伸ばすことができたのだ。
さらに流通に携わった商業省の発言力が政庁内で増し、孤児院や学園に無償で提供したことから、学園と孤児院を運営する教会勢力と商業省ないしはメディチ公爵の距離が縮まった。
そして市場にインペリオバレーナの肉が出回り、帝国侵攻論を見越した皇都商人達の食料品の買い占めにより高騰していた食料品価格が下落し、皇都の民の台所事情が改善された。
食料品の高騰には皇都の民はかなり苦しめられていたが、商業省の事業により改善されたことで、市井の人の商業省に対する好感度は高まり、返って本来このような庶民の諸問題を解決すべき民部省が何も手を打っていないことで批判の的に晒された。
民部省も皇王派であり、一連の流れを受けて、市井の人々はにわかに誰が王に相応しいかを再考することとなったのだ。
(市井の民からの支持は圧倒的にリタに分があるのねん。しかしまだ華族社会では3:7くらいの勢力図なのねん。ここからこの市井の人々の支持を華族達に波及させないといけないのねん)
メディチ公爵はそう思案する。
しかし己が身のことばかりを案じる皇都華族にとって、市井の人々の支持など些事にすぎない。
そしてリータが理想に掲げる国家像は、今の皇都華族からしたら既得権益を手放すだけで、何の得もない。
リータにも華族達の支持を得るために、多少は妥協するように進言してみたが、聞く耳を持たない。
曰く「そういう奴らをこの皇都から叩き出したいのよ」との一点張りだ。
華族社会は損得勘定で取捨選択する者の集まり
リータのような理想は返って毒だ。
眩しすぎる太陽を直接見つめ続けるようなもの
いずれは目が焼けてしまう。
しかしリータの良さはその真っ直ぐさと眩しさにあるとメディチ公爵は確信している。
(子どものような無邪気な理想…それを本気で成そうとしているのねん…仕方がないから私が尻拭いをするのねん…)
そう思いながらメディチ公爵は、華族を取り込むための搦手を考える。
どれもこれもリータの思想のおかげで難易度は跳ね上がっていて、一筋縄ではいかない案件ばかりだ。
頭が痛いと思いながらも、その考えを巡らすメディチ公爵の顔はどこか楽しげであった。




